“彬奈”という人形 3
その衝動に駆られたとしても、久遠は自分の行動価値をそこだけに偏らせることはしなかった。
確かに奈央の悩みを解決することは大切なことである。けれど、それがそのまま、久遠の生活そのものに勝る要素であるとは言えれない。
久遠にとって何よりも大切なものは、自身の安定した生活である。その安定の中に組み込めると思ったからこそ彬奈を買ったわけであり、自身のそれを損ないかねない選択は取ることが出来ない。
奈央の存在は、その心の保全は、久遠にとって自分の安寧を超えるほどの価値をみいだせるものではなかった。余裕があれば多少のリスクがあっても手を出すくらいには思い入れのあるものではあったが、自身の安定以上のウェイトをしてるものでは無い。
そんな合理性により、久遠は走り去って行った奈央のことよりも、自身の生活に直結している仕事に意識を集中した。
そちらの方が自身の行動原理として筋が通っているからそれを選びはしたものの、それは積極的な望みによってなったものでは無い。ほかの可能性がダメだったから縋らざるを得なかった、代替品の妥協に過ぎないものではある。
それでも、久遠は職場に向かった。働かなければならないから、お金を稼がなくてはいけないから、やるべきことを適切にこなさなくてはならないから。
必要だから、久遠は仕事場に向かい、必要だから、熱心に働いて、必要だから、終業時間までしっかりと務めあげる。
そして、業務時間を終えた久遠は、普段奈央とあっている公園に向かって急いだ。
比較すれば、働かなくてはならない。真面目に仕事をして、お金を稼がなくてはならない。けれども、それは消して、奈央のことをどうでもいいと思っているわけでは無いのだ。
むしろ、余剰の労力があるのであれば、その半分くらいは注いでもいいと思っている。消して、ただ泣いている子供を追いかけない人でなしという訳ではなく、そうしなくてはならないだけの理由があったから仕方がなくそれを選んだだけの、普通の人なのだ。
実際にそうなのかはともかくとして、久遠は自身のことをそのような人間であると考えていた。
そうして自身の行動を自分の中で正当化している久遠にとって、公園に急いでいることは何ら矛盾しないことである。一見、一度見捨てた相手のために走っているように見えるが、久遠にとって見捨てたという感覚は無い。
そうして走った結果、久遠はいつもより少し早い時間に公園に着いた。けれども、当然と言うべきか否か、そこに奈央の姿はない。いつもそこにいた子どもの姿はそこになく、誰もいない公園に年季を感じさせる自販機だけが佇んでいた。
追いかけずともまたすぐ会えると思っていた久遠は、予測外の事態に固まる。あんなふうに別れて、奈央がなんにも気にせずケロッとしているわけがないのに、どんな心境での行動であったにしろ、顔を合わせにくく思っていないはずがないのに。
少し考えればわかるはずだったのに、考え無しだった久遠にはそんなこともわからなかった。
失意の中で、久遠は自宅に帰る。ああすればよかった、こうすればよかったなんて、意味のない仮定をしながら、先程までとは打って変わって遅い足取りで歩く。
「お帰りなさいませ、旦那様」
朝のことなんて全く気にしていない様子の彬奈が、いつもと変わらず、玄関の前で待っていた。
「……旦那様?お部屋に入られないのでしょうか?彬奈の行動に、何かおかしいところがあったのでしょうか?」
返事もせずに、玄関で立ちつくす久遠に対して、彬奈は心配そうに、どことなく怯えるような挙動を見せる。それは、あまりにも人間らしくて、単体としてみたらあまりにも自然で。だからこそ、今の状況にそぐわず、どこまでも不自然であった。
久遠が期待していたのは、彬奈が今朝の奈央の行動に対して何かしらの反応を見せることだった。いつもと違うことが起きたのに、あくまでいつも通りのように振る舞うようなことは、彬奈にはして欲しくなかった。
自身が人として扱っている、扱いたいと思っているアンドロイドが、自ら積極的にその機械性を発露するところなど、見たくはなかった。彬奈が所詮機械的な信号に過ぎない産物であることなんて、信じたくなかった。
けれど、目の前にある事実を拾ってしまえば、それはただの夢に成り果てる。多少特殊な行動を見せたとしても、普通のアンドロイドとは違う挙動を見せたとしても、それは所詮少し変わった人工知能に過ぎないのだ。以下に特殊であろうとも、それは天然物の知性とは違うものなのだ。
そのことを無意識下に理解しつつも、許容しつつも、久遠の意識は目の前の彬奈を人として扱いたがる。状況証拠からアンドロイドとわかっていながら、心の底で矛盾が生じてしまう。
久遠にとって、自身が人だと思ったものを、一度後悔を挟んで人だと思い直したものをもう一度ものとして扱い直す行為は、あまりにもストレスが大きすぎた。そうしなければならないとわかった途端に思わずフリーズしてしまうくらいには、負荷の強い事実であった。
「旦那様、そろそろお部屋に入りませんか?」
彬奈は人間だと、心が主張する。彬奈はただの人形だと、理性が告げる。その両者の衝突は実際の時間にしてわずか数秒程度の間に幾度となくぶつかり合い、そしてひとつの答えを出して治まった。
彬奈は、人形である。それがどれだけ納得しがたいものであったとしても、事実のみを列挙してそこから考えれば、理性的に考えれば、彬奈は人形に他ならない。彬奈は人形でしかない。
「…………ああ。そうだね。ずっとここにいても、冷えちゃうからね」
自身によって与えられたその結論を胸に、久遠は無理やり彬奈に対する意識をねじまげて、人形としての彬奈に言葉を返す。目の前の彬奈を人として扱うと決めたはずなのに、自信に誓ったはずなのに、それを真正面から否定して道具として許容する。
「旦那様、今日の夕食はできていますが、お風呂とどちらを先にいたしますか?2分もいただければ、しっかり温まったものをご用意します」
久遠の変な行動をスルーして、いつも通りに振る舞う彬奈。それは、これまでであれば気を使ってくれているのだと解釈していたものであったが、頭だけとはいえ彬奈を、人形として認識してしまうと、途端に融通の聞かない機械が故の行動に見えてきてしまう。
「それなら、先に晩御飯を食べようかな。今日のメニューは何か聞いてもいい?」
「はい、今日のメニューは旦那様の好きな野菜メインの炒め物と、お味噌汁、お漬物です」
そう言って答える彬奈の顔が、久遠にはどうにも作り物に見えて仕方がなかった。
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仮免前効果測定が一発合格できたから安心の投稿。
早ければ来週かその次の週には路上教習が始まってしまうのです。
エンスト怖い
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