小児誘拐計画 3

「ああ、おじさん、来てくれたんだね。今日はもう来てくれないのかと思って、帰ることろだったよ。すれ違いにならなくて本当に良かった」




 呼吸を荒くしながら公園に駆け込んできた不審者に対して、どこか安心したような素振りを見せながら喜ぶ奈央。



「ごめんね、少し思ったよりも長引いちゃって、遅くなっちゃったんだ。まだ居てくれて、本当に良かった」


「それで、単刀直入に聞くけど、あまり良くないことって、具体的には何があったのかな?」



 一度息継ぎをして、落ち着いてから言葉を続ける久遠。そこまで急ぐ必要は、本来ないのだが、自身が走ってきた時の焦燥感に駆られたまま言葉を紡いだせいで、傍目に見たら何かに追われているようにみえる。




「あはは、普段ならちゃんと雑談を挟んでくれるのに、真っ直ぐに聞いてくるなんて、ちょっと新鮮だな。それだけ早く済ませたいのかな?そうならちょっと悲しいな。それとも、それだけボクを心配してくれているのかな?もしそうなら、……それは、すっごくうれしいな」


 どちらかと言えば後者に近いとはいえ、その実態としてはただ走った焦燥感によるものである。走ったこと自体が奈央のことを気にしてのものではあるが、直接的に、奈央のことが心配だったから率直に言葉を発した訳では無い。



「そんなの、奈央を心配していたからに決まっているじゃないか」



 それでも、そんなふうに言われてしまえばそんな気になってしまうのが人間というもので、久遠は自分の思っていなかったことを自分の本心のように勘違いしながら伝えてしまう。

 その方が美しく、そして、筋が通るから、頭の中で自分の感情を再演算しながら、久遠は思っていなかったはずの言葉を吐く。



「……ボクのことを心配してくれる人は、ここにいたんだね。お爺様以外に身寄りがないボクを、学校でも無視されてるボクを、心配してくれる人は、ここにいたんだ……」


 奈央は、少し涙ぐんで見える状態で、何かを噛み締めるようにつぶやく。そして、決意を決めたような表情で久遠に向き直ると、話を始めた。



「あのね、前にも話したと思うんだけど、ボクはネグレクトされているんだ。いないものとして扱われて、お爺様の都合の悪い時には無視されて、でも機嫌を取って媚びへつらえば大切にされて、ボク自身は誰にも必要にされない日々を送っていたんだ」



 奈央は、話し出す。自分がそれまでどんな扱いを受けていたのか、どのように考えて投げかけられる悪意に耐えていたのか、そのほぼ全てをさらけ出して、もしそれが否定されたら今後耐える事が出来なくなるくらいに自身の感情を混じえて、臨場的に、その内容を語る。まるで、助けを求めるかのように、まるで、自身の行動を否定されることを恐れているように、その話を続ける。



 それは、聞いているだけで気分が悪くなるような話。それは、あまりにも救いようがない話。



 子供が、自分自身の努力ではどうしようもないほどの困難に、苦しみに病んでいく姿。それは、自分の考えすらまともに把握出来ていない久遠であっても、哀れみを覚え、同情してしまうほどのものだった。




「結局、お爺様が大事に思っていたのは、母様だけだったんだ。ボクは、その代用でしかないんだ」



 その言葉は、この頃“感情”というものに多大な影響を受けている久遠の、どこかに響くものだった。



「そんなに大変なら、うちで休むかい?」



 だから、その言葉は出てきてしまった。


 偶然にも、久遠は未成年者を自身の家に招き入れることが誘拐と捉えられることもあると知っていた。だからこそ、これまでは奈央が、寒い中に公園で凍えていたとしても、家に呼ぶということだけはしなかった。


 当然、家に彬奈がいるということもその理由の一部ではあったが、一番の要因としては、間違っても地震が犯罪者になりたくないというものが、久遠の自覚の有無はともかくとして確かにあった。



 だから、この言葉が出てきてしまったのは、恐らくただの気の迷いでしかないのだ。理性的な振る舞いが、合理的な行動ができる久遠にとって、その言葉は、あまりにもらしくないものであった。



 けれど、その言葉は、確かに、既に出てしまった。間違いなく、奈央の元に届いてしまった。



 それは、奈央自身が求めていながらも、図々しいと思ってずっと言い出せなかったもの。心の中でこの上なく久遠に信頼を寄せていた奈央が、ずっと言って欲しかった言葉。



 奈央にはその言葉の意味がわかっていないから、その言葉によってこれから起こりかねないことが何も分かっていないからこそ求めてしまっていた言葉を、久遠はついに口に出してしまった。




「ほんとうに、いいの……?おじさんがボクを受け入れてくれるなら、ボクはなんだってするし、なんだって受け入れるけど、本当におじさんは受け入れてくれるの?」



 だから、その言葉に対して奈央が返すものは一つ、久遠が断りにくくなるような返事だけだ。

 この段階ですでにやらかしてしまったことを把握した久遠であるが、否定しようにも自身が発した言葉と行動との整合性を保つために、その言葉を出すことが出来ない。無言の肯定を返すことしか出来ない。



「…………ほんとうに、いいのかな?ボクは、おじさんに迷惑をかけてもいいのかな?」





 そんな奈央の言葉を聞いて、不安そうに揺れる瞳を見て、久遠の心は固まざるを得なかった。久遠はそんな子供を見て平然と見捨てれるほど心が強くなかったし、自分の言った言葉を平然と翻せるほどひねくれてもいなかった。



「いいんだよ。そんなに遠くもないし、明日からは適当な時間にうちに来るといい。合鍵を玄関のポストの裏に貼り付けておくから、俺が仕事に行っている時間だったら誰かがいても気づけないだろう」




 久遠に選べたのは、あくまで自身が招いたのではなく、奈央が自分のいない間に不法侵入しただけという形に落とし込むことだけだった。

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