2021/06/08:小説は完結するべきか。―――――――――――――#創作論

 物語は完結しなければならないという主義がある。完結主義と名付けてしまおう。作品の完成とは完結によってなされるのだから、完結していない小説は未完成である。長々と只続けても作品の価値は変わらず、冗長であると考える。

 完結主義は物語の完成度を求めていて、結末を考慮していない作品を好まない。ここで完結しておけばよかったなどと感想を並び立て、物語の一部を褒めながら一部を貶す。


 そんな思想がある中で、WEB小説には延々と綴っている作品がある。私が知っている作品だと800万字、話数にして3,000、これほどに長いものがある。毎日投稿したとして8年掛かる大作だと褒めることも出るが、果たして一つの作品にする必要があるか、疑問符が付く。

 だとしても、WEB小説の読者は物語のすべてを一気呵成に読み進めるというよりは、毎日更新される数千文字の物語を習慣的に読んでいる。つまりは物語全体の構成や完成度によらず、その話その話が何となく面白ければそれでいい。

 主人公や世界観は作品の中で統一されている。ゆえに短編小説をいくつも読むより、WEB小説は頭を使わずに小説を楽しむことができる。批判的な意見に思えるが、読者を確保する手段として正しく賢い。またこの手法はストレスフリーの異世界転生モノと相性が良く、「考えない読者」層には相乗効果がかかる。

 安定主義として、こういった延々と綴るスタイルの作家、読者を定義しておこう。


 二つの主義を元に、完結に関して考えてみる。


 物語の完成度が向上するのは完結主義である。[2021/05/24:小説の骨を作る。#創作論]で述べたことがあるが、完結というか、物語の結末を考慮したうえで書いた方が小説は書きやすい。指針が無いとどうしてもコンセプトから外れたり纏まりを失う。

 しかし完結を考慮して書くためには、書き始める前にある程度全体のストーリーを考えておく必要があり、[2021/06/07:書きやすい小説を書く。#創作論]で述べたように執筆の敷居が格段に高くなる。特に長編小説においては顕著だ。やはり安定主義の方が読者にとっても作者にとってもストレスが少ない。


 そうなれば、WEB小説で主流となるのは安定主義となる。「いま流行っている作品は絶対完結済みではない」というバイアスを抜きにしても、私が読んだ小説の中で、更新が停止せずに完結した作品は数えるほどだ。


 この話を読んでいて、かつWEB小説を書いている人は安定主義を取るべきだろう。投稿されない小説は存在しないのと同義である。取り敢えず投稿できるものを作らなければ、小説家は認知すらされない。


 紙媒体を直接狙う人の場合は、安定主義を取ったところで掲載されないので完結主義を取るしかない。一巻の売り上げが良ければ二巻、三巻と書く権利を与えられる。


 これだけ色々書いておいて、私のような完璧主義者は安定主義をとれない。安定主義の小説は考えないこと、執筆の準備が少ないことが価値であるのだから、遠い過去に作った設定と現在の設定が投稿していくうちに徐々に解離する可能性を持っている。つまり理路整然とした完璧な設定など作りようがない。ゆえに私は完結主義にならざるを得ない。


 では完結主義のまま、長編の小説をいかにして書き下そうか。


 単純なことだ。短編を複数結合することで全体を長編にすればいい。例えば長編を10万字だと想定するなら、1万字の短編を10作品結合すればいい。私の書いた「船乗りのラジオ」は5,000字の短編であるが、これを長編の冒頭に持ってきたとして誰が違和感を持とうか。[2021/05/24:小説の骨を作る。#創作論]において「物語の結びは次の物語が始まりそうなイベントを想起するといい」と述べたが、その「次の物語」をそのまま次の短編として書いていくのだ。それぞれは短編の物語であり、それぞれは完結できる。


 カクヨムのエピソードの文字数としてメジャーなのは2,000字程度。するとエピソードを5つ書けば短編になる。ここで章をつけてしまおう。するとそれぞれの短編にタイトルを付けることができるので、世界観だけが統一されている短編集という体裁が完成する。


 ここで間違えて欲しくないのは、章タイトルを「プロローグ」などの長編を前提としたものにしないことだ。短編として書く意義を失ってはならない。次のような章タイトルなら、それぞれが個別に短編として投稿されていても違和感がないだろう。


1. 船乗りのラジオ

――1-1

――1-2

2. 同居人の食

――2-1

――2-2

――2-3

――2-4

――2-5

3. 土の中の芋

――3-1

――3-2

――3-3

――3-4

……


 短い小説なら書けるのにどうにも長い小説が書けないという人は、一度こういったスタンスを取ってみると案外続くかもしれない。小説は書けるのだから、長くなっただけで書けないことも無いだろう。


 最後にタイトルを回収する。小説は完結するべきか否か。私は小説のクオリティを向上させる為には完結するべきだと考えた。ただしそれは延々と続く長編を書いてはならないという事ではなく、何度も完結を繰り返すことで全体を長くするという手法をとるべきだという結論である。


――――


 明日を迎えると、書きはじめてから遂に一か月となる。


「いつか休むだろうと思って始めたのに、続いてしまった。」


 何かとても素晴らしい報酬がある訳でも無く、ただただ時間を消費して文章を書き続ける。この文章を読む読者は何人か。


「……橘は読んでるか。」


 一人はおそらく読んでいるだろう。しかしこれはラブレターではないのだから、もっと沢山の人が読んでもいい。


「それでも、いつか完結はしないといけない。短編小説ではないのだから、自分の意思で終止符は打たないといけない。」


 始まりは何かを終えなければ得られない。

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