2021/06/09:あとがき。―――――――――――――――――――#吐露

 さて、今日で一ヶ月。私はこの小説を終えようと思う。理由は簡単で、ちゃんとした物語を書きたいと思ってしまったから。


 この小説を更新するために、毎日一時間ほど時間をとっていた。つまり書かなければ一時間の余裕ができる。あと、一日も欠かさないために夜更かししてでも書いていたので健康にはよくない。

 そんな言い訳をもとに、一週間ほど前から完結しようと考えていた。


 複数回にわたって述べているので共通認識だと思い込んでいるが、私は完璧主義なところがあり、また取捨選択が苦手だ。

 やめる理由が明確には存在しない習慣、これをやめることが出来ない。逆に、一度怠ってしまった習慣はそのまま消滅することが多い。こんな性格であるから、自分の意思で習慣に終わりを告げたことが思いつかない。


「これで終わりなんですね。日刊小説(仮)なんて仰々しく銘打っておいて、2回ですよ?」


 のべるについて、たった2回しか出していないのに私はどうしてか彼が可哀想だと感じる。そんなことを考えてしまうから、完結させることが苦手だ。本当に物語を書き始めたら更に顕著に感じてしまうのだろう。感情移入しすぎである。


 作品を終えるとは、読者がその作品の世界を観測する手段を奪うことだ。どんな作品であっても「終わらないでくれ」と感想を述べる読者を見る。私は心優しく、心配性で、他人を優先するものだから、読者の意見を無視する意識を持たないと、自分の作品が自分の作品でなくなる。

 だから私は完結に固執するのだろう。目標が定まっていないまま、誰かの意見や感想を訊いてしまうと、いつのまにかそれに流される。


 そんな、確固たる軸を持てずにいる私は、自分の意思でこの小説を完結させたいと思った。理由が大したことでなくとも、誰にも左右されない意思を行使したいと思った。


 ……もう私すら何を書いているかよくわからなくなってきた。もう一言だけ書いて、本当に閉じてしまおう。


「こんなよくわからない文章を読んでいただき、ありがとうございました。

 次は、短編小説か長編小説か、はたまた全く違う環境で出会うのか。私にはついぞ知り得ぬ邂逅ではありますが、またいづれどこかで会いましょう。


 またね。」


――――


 書き終えて、私はお茶の口に含んだ。

 いつ注いだか忘れた麦茶はもうぬるく、水分を補給するには適温だ。


「……これから何をしよう。」


 学校に行けば、橘が新聞部に寄稿する短編小説を要求してくるだろう。それに従って数百文字の物語を書いてみるのもいいだろう。


「……いや、だめだ。自主性がない。」


 選択を他者に任せれば自分で取捨選択する必要がない。私はそのように生きてきた。


「だから、変わらないといけない。」


 そう呟いて、私は新規のtxtファイルを開いた。明日、橘に渡す短編を書くために。



――完――

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