第4話 別離「──おれたちは、道具じゃない!」

 神祇官は職事官しきじかん(※特殊技能を職掌とした官人集団)を統括する機関である。

 長官『神祇伯』は東西の伯王家が交代で一人ずつ任にあたる。次官『大副たいふ』の定員は二名。加茂の烏北うきた家と玖真野の烏南うなみ家から一名ずつ選出される。

 この二家の祖・金鵄きんしは、混沌の神代から導きの神として語り継がれている。建国の神語で、天の御子と隠世こもりよの王子をまほろばまで導いたのもこの神だという。

 十二の国が滅び、一つの皇国が興ったのちは『審神者』として『帝』を支えた。この『審神者』がはじきだす神託は、時に『宰相』や『将軍』の言葉よりも重んじられた。

 皇子女の籍を神に奉り、各地の社や道院の門主もんしゅとする〝宮奉籍みやほうせきの令〟を定めたのも『審神者』だ。これにより、まつろわぬ地に皇の権威をあまねく根付かせることに成功した。

 この制度は今も残っており、主に更衣腹の男皇子が〝祀親王ししんのう〟として多賀たが伽嶋かしまなどの社で奉職している。

 加茂の大副たいふ自身、父に祀親王、母に烏北家の嫡女と、やんごとなき血筋を継いでいる。


「──わきまえなさい。これは、そなたのためでもある」

 

 沙良はゆっくり顔を覆った。あまりのことに、目眩がした。頷くことさえ、満足にできなかった。

(お公家の子だとはおもっていた)

 でも、まさか。

(……藤北家のご嫡男がみずらを結わないで、やんちゃばっかりしているなんて)

 けれど、どこかで納得している自分もいた。稚秋はそのあたりの男の子と、同じようで居て、違う。

 稚秋と話していると、知識の深さに驚かされる。やんちゃそのものの笑顔を浮かべるくせ、瞳がふっと冷たくなることも知っている。

 藤四家が揃っていた時代「藤にあらずんば花にあらず」と謡った藤の貴公子がいたそうだ。

 続けて、藤の姫が「藤の栄華は満月の如く、欠けたることもなし」と返した。けれど、その〝月〟はもうかけはじめている。

 中央貴族は、長く藤の下にあまんじていた。持ち上げる仕草をしつつ、虎視眈々と『宰相』の座を狙っている者たちを、宮中で多くみかけた。

 そういう者たちは、枯れかけた藤に斧を入れることをためらわない。

 稚秋の背負うものは、はかり知れない。そして、彼が立つのは薄氷の上だ。

 彼のそばで、遊芸人を父に持つ娘がうろついていたら? 藤北家の失脚を画策する者たちからすれば、恰好の的である。

 貴族社会では、十歳はもう小さな大人として考えられる。沙良自身も分別のない女子として誹られるだろう。

 考えれば考えるほど、とんでもないことだ。

 

 ※※※

 

 その光景が目に飛び込んだとき、胸の中がどす黒いものでいっぱいになった。

 

 雪が舞い始めたので、図書室へ向かおうと椿の生け垣を抜けた。その場で、稚秋は息をのんだ。

 いつも、稚秋が声をかける丸窓の下。そこに、沙良が背中を向けて立っていた。

 彼女の細い肩を支えるようにして、大人の男が傍らに居る。

 冷たい風が、三つ編みを揺らす。そこに、粉雪がひとつ、ふたつと舞い落ちて。気付いた男──加茂の大副が袖を広げたその瞬間。

 稚秋と加茂の大副の視線が、ぶつかった。大副は表情ひとつ変えなかった。しかし、稚秋の視線から遮るように、広袖で沙良を覆ってしまう。

 揺れる黒髪がずいぶん伸び、艶やかさが増していることに気付いて、心臓が音を立てて跳ねた。

「……楓、藤の太郎君にご挨拶を」

 大副の声は、淡々としていた。その袖のうちで、沙良の身体がびくりと強張る。

 ゆっくり振り返った彼女の唇は、震えていた。浅葱色の瞳には薄く涙の膜がはり、稚秋の心を千々に乱した。


「……沙良」

「どうかその名を、呼ばないで」


 鋭利な刃物で、胸をひと突きにされたような気分になった。あるいは、奈落の底にたたきつけられるかのような。

「おねがい、忘れてください」

「ちょっと、待ってくれ。黙ってたのは、おれだ。けど、こんないきなり……」

 烈しく渦を巻く激情のまま、稚秋はまくしたてた。沙良が、離れてしまう。遠ざかってしまう。言いようのない焦りで、稚秋はみっともなくうろたえた。

「ごめんなさい」

 そう言ったっきり、沙良は口をつぐんだ。震える両手を組み合わせ、俯く。全身で、稚秋を拒絶しているのが伝わってきた。

 

「楓、もう直曹に帰りなさい」


 加茂の大副が沙良の肩を押す。沙良はかすかに頷いて、優美なお辞儀をする。洗練された女官しぐさだった。

「……さ、……楓!」

 背を向ける直前、彼女の白い頬を涙が伝う。稚秋はたまらず手を伸ばしたが、加茂の大副が肩を掴んで阻んだ。

 そのまま、沙良は奥御殿の方角へと走り去ってしまう。

「追ってどうなさるんです?」

「そんなこと、大副たいふには関係ないだろう!」

 稚秋がくってかかると、大副は無表情のままこう尋ねた。

「……藤の太郎君は、姪をめかけにとお望みなのですか?」

「は?」

 頭を岩で殴られたような衝撃のあと、襲ってきたのは強い不快感だった。全身の血の気が下がり、握りしめた拳がぶるぶると震えてしまう。

「なにいって……」

「貴方が元服後もかわらず姪を傍にとお望みであれば、妾として差し上げることもできます。ただし、それはあなたさまが正室を迎えられ、お世継ぎをもうけた後の話です」

「──おれたちは、道具じゃない!」

 怒りのままに叫んでも、大副の顔色は変わらない。それがますます腹立たしくて、稚秋は大副の手を乱暴に振りほどいた。

 稚秋の癇癪に気分を害した様子もなく、大副が深々と礼をとる。

 

「昨夏の乞巧奠では姪がご迷惑をおかけしました。……どうぞ今後はお忘れ頂きますよう」

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二葉の結び ~うっかり身分違いの恋に落ちてしまいました~ 俤やえの @sakoron

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