第3話 決意「前例がないと、武人を目指しちゃいけないのか?」


「……すみません。もう一度おっしゃって頂けますか?」

 と、隆臣が稚秋に聞き返す。その足下には、隆臣が取り落とした飼い葉が散らばっていた。

 隆臣の愛馬と、去年稚秋が選んだ若駒の視線が大変痛かった。

 馬の世話をしているときに切り出すことではなかったかもしれない。

 女房の目がない場所──左大臣邸のうまやの主たちから非難の眼差しをむけられ、稚秋は後悔した。

 けれど、言ってしまった言葉をなかったことにはできない。

 馬体を撫でていた藁をおろし、稚秋は真っ直ぐ隆臣を見上げた。


「俺は武官試補ぶかんしほを目指す」


 稚秋にとっては、よくよく考えてのことだった。

 左大臣家の嫡子は優秀な文官をめざし、末は宰相になる。それ以外の道は認められない、求めてはいけない。

 都の中に囚われ重い枷に縛られていたら、そのうち自分で考えることも放棄してしまう気がした。

 藤の嫡男という身分なしに、自分自身の力を試したい。

 その気持ちに火がついてから、ずっとどうすればいいか考えた。そして出た答えが武官試補を目指すことだった。

「学堂で、過去三年間の兵学寮の過去問を解かせてもらったんだ。八割解けた。勝算はあると思う。あとは武芸だけど、」

「少し、待って下さい」

 熱を持ってたたみかける稚秋をとどめるように、隆臣が手で制した。この傅役が、稚秋の言葉を途中で遮ることなど初めてだった。

 怒ったのだろうかと思ったが、ただひどく驚いているらしい。穏やかな彼らしくない、焦った顔つきをしている。

 数拍置いて、隆臣はいつもの調子を取り戻して、慎重に問いかけた。

「つまり、太学(※文官育成機関)ではなく、兵学寮(※武官育成機関)を受験されるということですか?」

「うん」

「神学寮ならともかく、藤の子息が兵学寮を受けた歴史はありませんよ。公家の子でも通うことは稀です」

「前例がないと、武人を目指しちゃいけないのか?」

「兵学寮の運営は、事実上将軍家が行っています。あなたを将軍家に人質にやるようなものだ。危険すぎる」

 隆臣の口調は厳しかった。

 およそ二百年前、将軍家が都から離れ東宰府とうざいふを開くに至った原因のひとつに、宰相一門との関係があげられる。

 事の起こりは、藤西家の女御を母に持つ幼帝の即位に始まる。幼帝の父院は半ば幽閉に近い形で退位に追い込まれた。

 外祖父となった藤西家当主は、太政大臣となり、宰相の地位を利用してさまざまな利権を独占した。

 そのやり方を批難した三家当主たちは遠流の刑に処せられ、残された者たちは閑職へと追いやられ地方へ逃げる者もいた。

 そこで、軍務官の長──剣の宮は将軍家に軍事権の殆どを預け、事態の収束を命じた。東西の氏族を巻き込んでの大戦おおいくさが起こり、藤西家は敗退、幼帝とともに西海に散った。

 将軍家は都に残った藤西家の者に容赦しなかった。一族郎党ことごとく例外なしに首をはねたのだ。

 加茂の河原が血に染まっているのを見た院は卒倒し、軍事権を明け渡した弟の剣の宮を許さなかった。

 そして、将軍家によって助けられたはずの藤の三家でさえ、院の激昂を当然のものとし、剣の宮を見捨てたのだ。

 そういった経緯から、勝利をおさめたはずの将軍家は荒れ果てた東国に追いやられたのである。

 両氏族の因縁をあらためて聞いても、稚秋はひるまなかった。

「たしかに、藤の家と将軍家の間柄は微妙だよ。だからこそ、腫れ物扱いしあうのは、俺の代で終わりにする」

 隆臣は黙り込んだままだ。子どもが見果てぬ夢を語っていると、あきれかえっているのだろうか。

 いいや、父ならともかく、傅役はそんな男ではない。

 危険があるからとは言っても、やりたい理由を告げれば挑戦させてくれた。稚秋の主体性を育ててくれたのは間違いなく隆臣だ。

 長いながいため息のあと、隆臣が口を開いた。

唐華トウファ帝国や琉瑤ルーイン王国には、異国の船が増えています。鎮西では軍備強化が行われるでしょう。左大臣さまも大陸側に懸念を抱いてらっしゃいます。将軍家のことも含め、大反対されるでしょう」

「うん」

「北の方さまや女御さまはお泣きになって止めるかもしれません。それでもご自身が考えていること、望んでいる道を伝えることを諦めないとお約束下さい」

 稚秋は図星をつかれ押し黙る。隆臣さえ納得してくれればどうにかなると頭の隅で考えていたからだ。

 隔たりを感じる父親と話すのを避けようとしていた。

 それだけはしてはいけない、と隆臣は静かに説いた。

「血を分けたご家族です。いくら若が放っておいて欲しくても、あなたを気にすることは止められない。危険な道を選ぼうとしている息子や弟をみて、無関心になることはできません。俺だって、納得できても心配なんですよ。もしこのまま若が我を通して武官試補になったとしましょう。そこで怪我をしたり、命を落としたりしたら? ご両親も姉君も深く悔やまれ、お嘆きになるでしょう」

 稚秋の両肩に手を置く。去年までは隆臣が身をかがめなければ合わなかった視線が、やすやすと合うことに今気付いた。

「お約束頂ければ、俺も説得のお手伝いをします。若が真実望んで選んだ道です。全力を尽くします」

 大きくなりましたね、という声には誇らしさが混じっていた。

「分かった。諦めない」

 と稚秋は応えた。なぜか、目頭が熱くなった。それを隠すために、ぎゅっと唇を引き締めた。

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