第二十七話

 朝日が輝く、爽やかな朝。美しい花々が咲き乱れる庭園に、野太い声が響き渡った。


「親父殿! 庭の水やりは終わったぞ!」

「誰が親父ですか! その呼び方は止めてくださいと、何度も言っているでしょうが!」

「何だよ、細けえことは気にすんなって!」

「細かくない!」


 何度も聞いたこのやり取りに、キースとセシリーは呆れ返っている。だだ一人、セラフィーナだけは恥ずかしそうにモジモジと身体をくねらせていた。


「お父様、救世主様、朝食の用意が出来てます。食堂へ参りましょう」


 言い合っている二人の間を取り持つように、セラフィーナが声をかける。途端二人の機嫌は良くなり、満面の笑みになった。


「もうそんな時間か。直ぐに行くよ、セラ」「おう、腹が減ったと思ってたところなんだ」


 そういって足早に、二人は屋敷へと入って行く。その後ろ姿を見送りながら、キースとセシリーが溜息を吐いた。


「何だかんだ言いながらも、気が合っているようで、なによりです」

「ええ、本当に。最初はどうなることかと思ったわ」




 精霊界に渡り、魔物が灰になってから、既に二週間が経っていた。瘴気の浄化はまだ一部しか終わっていない。だが、救世主が精霊界に留まらずとも、浄化魔法が維持できると知ったジョナスが、人間界へ戻ることを提案した。


『俺は別に、ずっとここに居ても構わない』


 ジョナス自ら万能薬を届けるために、精霊界へと渡ったその日、救世主への提案はその一言で一蹴された。そんな救世主に、ジョナスが苦い顔で首を振る。


『気持ちは分かりますが、けじめは大事です』

『けじめ?』

『元帥、仕事はどうするおつもりです?』

『そんなもん、どうだっていいだろ』

『良いわけがないでしょう。今現在も、人間界では魔物の被害が多く出ています。いずれこちらに居を構えるにしても、ある程度は駆逐しておく必要があります』

『それこそ、俺がいなくなった時のために上手く立ち回れる術を、今、身に着けさせればいい。切羽詰まらいとやらないし、できないだろ』

『いくらなんでも急過ぎます。まだ大穴の件で、軍部も立ち直ってはいませんですし、被害にあった村も沢山あります』


 なかなか首を縦に振らない救世主に、ジョナスはどうしたものかと逡巡する。実際この五日間は、救世主の突然の不在で魔物の被害報告が次々と入って来ていた。必然的に回復薬を大量に作らなければならなくなったジョナスとしては、そちらにかかりきりになってしまう。そうなると、万能薬を作る時間が割かれ、キースとセラフィーナがそれを賄うことになる。二人は自分に似て、無理をしがちだと認識しているジョナスとしては、とにかく軍部の機能を元に戻したかった。


『ここに留まるのは、如何かと思います。水も食料もありませんし』

『飲み物と食べ物は、精霊族からの差し入れがある』

『では、風呂はどうです? もう五日も入っていないでしょう?』

『別に、風呂に入らねえからといって、死にはしねえ』

『セラフィーナはどう思うでしょうね。結構匂いますよ、元帥』


 そのジョナスの言葉に、救世主は過剰に反応した。


『臭うのか!』


 その反応を見て、ジョナスは大袈裟に答えを返す。これで軍に戻ってくれればと、期待を込めて。


『ええ、とても。鼻が曲がりそうです』

『なっ!』


 余りの衝撃に、思考が停止した救世主は、口を驚きの形にしたまま固まった。


『とりあえず、風呂に入りましょう』

『あー、宿舎の風呂は入れる時間が決まってんだ。やってるかどうか……』

『では、我が家の風呂を使ってください』

『なっ!』


 またしても驚きの表情で固まる救世主。そして何かにハッと気付いた。みるみる顔を赤く染めて、とんでもないことを口にする。


『それは、セラフィーナと同じ風呂に入るって意味か?』

『は?』


 余りにも飛躍した発言に、ジョナスは何を言っているのかと目を瞬かせた。そしてその意味に気付き、怒りに顔を真っ赤にさせる。


『な、何を言っているんです! そんな妄想をするのなら、風呂は貸しません!』

『いや、ちょっ、そんな!』

『いいですか、元帥! 娘に気があるのは、まあ良しとしましょう。ですが、けじめは大事です! 邪な考えを抱くようでしたら、家には入れませんよ!』

『なんだよ、またけじめかよ。邪なって、あんたも男なら分かるだろう。……その……』


大きな身体をもじもじと捩る救世主に、なんとも言えない表情を浮かべたジョナスはそれでも気持ちは解ると息を吐いた。


『まあ、それは……分かりますが……』

『だろう!』

『ですが! 駄目なものは駄目です!』


 ジョナスに念を押されつつも、セラフィーナの家に招かれたことに、救世主は浮足立つ。そんな救世主に、当初の目的を果たせそうだと安堵しながらも、複雑な心境のジョナスは、今後のことを憂いた。何だかんだで家に居座るのではないかと一抹の不安を抱えながら、二人は連れ立って、精霊界を後にした。


 その不安は、見事に的中した。


 風呂に入り、与えられた部屋で睡眠を取った救世主は、夕餉をジョナスの家で摂ることになった。セラフィーナとセシリーの手料理に甚く感動し、その日の夜はそのままジョナスの家に泊まることになる。そして明朝、また二人の手料理に感動し、気付けばジョナスに軍へと連行されていた救世主だった。不満を口にしながらも、職務を全うし、何故か一人でジョナスの家へと『帰って来た』救世主を、セラフィーナとセシリーは快く迎え入れてしまう。その上、私物を兵宿舎から引き上げて、ジョナスの家へと持ちこんだ。さもここに住む気満々だと、態度で訴える。


「こうなることは、分かっていましたけどね……」


 力なく呟いたジョナスは、たった今、家に帰り着いたところだった。家の主の出迎えに救世主が混じっていることに、セシリーとセラフィーナは特に何も言わないどころか、満面の笑みだ。挙げ句の果に、「遅かったな、親父殿。早く飯にしようぜ!」などと救世主が抜かす。


「誰が親父ですか! 私の息子はキースだけです!」

「まあまあ、いいじゃないですか」


 宥めるように言うセシリーは、とても嬉しそうに顔を綻ばせた。対してセラフィーナは、顔を真っ赤にさせながら、モゴモゴと声にならない言葉を呟く。そんな出迎えに、大きく溜息を吐き出したジョナスは、疲れた笑みを浮かべる。


「ただいま」


 ジョナスのその一言に、救世主が息を呑む。そして、はにかんだような、照れ臭いような、そんな表情をした。それを見てしまったジョナスとしては、何とも言えない気持ちになる。両親に捨てられたのかどうかは分からないが、森で置き去りにされ、育ての親も亡くなると同時にその姿を消し、一人で生きていかなくてはならなくなった救世主。孤独と向き合いながらの人生は、きっと辛く寂しいものだったに違いないと、ジョナスは救世主に同情した。だがこれと娘を嫁にやることは別だと、直ぐに気持ちを切り替える。急に表情を険しくさせたジョナスに、セシリーが心配そうに口を開く。


「キースもじきに出てくると思いますから」


 その言葉で、またジョナスは憂いた表情をする。キースは、精霊界を復活させるために万能薬作りを買って出てくれた。その際、士官学校は退学した。部屋に閉じこもり、ひたすら万能薬を作り続けているキースは、ジョナスと同様、随分とやつれてしまっていた。それに申し訳なさが込み上げたジョナスは、セラフィーナへと顔を向ける。


「明日は学園に行く予定だったかな?」

「はい。どうしても、フランセス様にお礼が言いたいので」

「そうか……」


 セラフィーナの友人、フランセス・バラクロフ。キースの話では、彼女は余りセラフィーナにいい感情を持っていないと言っていた。だが、実際のところはわからない。今まで学園で随分と世話になったのだと、セラフィーナが言っていたのだから、最後くらいは話をしてもいいのではと、キースを宥めたのは一昨日のことだった。話をして、セラフィーナの心が傷つくのは本意ではないが、それでもそう願うのならば、話をするべきだろうとジョナスは思った。


「気を付けて行ってくるといい」

「はい。ありがとうございます」


 柔らかく微笑むセラフィーナに、救世主がその横顔を見て、うっとりとしている。その表情が視界に入り、途端にジョナスの機嫌が下降した。


「さあ、食事にしましょう」


 不穏な空気を感じ、セシリーが慌てて声をかける。その際セシリーは、ジョナスの手を握り、宥めるように笑顔を向けた。そのことに、大人気ないと思いつつも、恨めしそうに救世主を見遣りながらもジョナスが頷く。それにホッと息を吐いたセシリーは、この先暫くはこれが続くのかと思うと大変そうだと思う反面、嬉しさが込み上げた。

 つい先日までは、こんなにも幸せな時間が訪れることなど、想像もしていなかったのだ。本来ならば、とっくに人柱となり、永い眠りにつく筈だった。それはセラフィーナにも言えることだ。これからセラフィーナと救世主が共に歩んでいく未来を見守ることが出来るのだと、感動する。娘の幸せを見守り続け、家族と一緒にいられるという幸せを、セシリーは噛みしめる。


「恋って素敵ね」


 セシリーが呟いた言葉に、ジョナスがなまじりを釣り上げた。


「もう、ジョナスったら、そんな顔しないの。私たちだって、そうだったじゃない。それに私は、今でもジョナスに恋をしてるわ」


 顔を赤らめながら、そんなことを言うセシリーに、ジョナスはすぐに絆された。


「わ、わたしも、だ」


 おどおどしながらも、セシリーの手を強く握り返し、ジョナスが言う。それに笑みを深めたセシリーは、今この時を胸に刻むのだった。

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