第二十六話

 精霊界の瘴気は、思っていたほどの濃度はなく、救世主は順調に浄化を進めていた。セラフィーナが去ってから、肩を落して項垂れる聖獣は、未だにその顔を上げようとしない。その姿を見遣り、聖獣のことを不憫に思いつつ、息を吐く。と、その時、遠くで空間が開く気配を感じた。


「セラフィーナか? ずいぶん早いな」


 ジョナスから万能薬を受け取って帰って来るだけとはいえ、それなりに報告もあるだろうと、戻ってくるのにはもっとずっと時間がかかるだろうと思っていただけに、救世主は思わず驚きの声を上げる。だが、こちらに向かってくる小さい物体に気付き、首を傾げた。


「何だ?」


 その瞬間、一気に複数の空間が開いたことに、救世主は身構えた。それでも視界に入って来た小さな物体が聖獣だと気付くと、詰めていた息を吐き出した。


「おい、お仲間が帰ってきたぞ」


 未だ項垂れている聖獣へと声をかけると、ゆっくりと顔を上げた。


「なんだ、聞こえてんのかよ」


 幾重にも重なった空間魔法のせいで、声は聞こえないと思っていたが、しっかりと聞こえていることに安堵する。それでもその亜空間のせいで、まだ遠くにいる聖獣たちの姿を認めることができないようで、聖獣はただ救世主の指差す方向を、じっと見つめていた。


「見えてきたな」

『キキッ!』


 救世主の言葉に返事をするように、聖獣が飛び跳ねた。少しずつ、はっきりとしてくるその姿に、聖獣は大はしゃぎで、何度も飛び跳ねてはウロウロと落ち着きなく歩き回る。

 やがて神殿の前まで辿り着いた聖獣は、勢い良く空間魔法の壁に激突した。反動でひっくり返る姿に爆笑する救世主。それがコリンだと分かると、腹まで抱えて笑い出した。神殿側にいる聖獣は驚きの余り、一瞬毛を逆立てたが、その後すぐに、心配げに壁に両足をかけて必死に呼びかけている。

 後から追いかけてきていた聖獣たちも合流し、ひっくり返っているコリンを囲み、楽しそうに飛び跳ねた。そして、そのうちの一体が、緑色を視界に収める。


「最初は一つしかなかったんだが、今は五つに増えた。次期に次の万能薬も届く。そうすれば、もっと沢山の芽が出るぞ」


 その様子を想像し、救世主は目を閉じた。いつかこの地に精霊族全員が戻り、平和な時が流れる様を想像する。そして、育ての親が話していた、かつての美しかったであろう精霊界に想いを馳せた。きっと想像するよりも、ずっと美しいのだろう。そんなことを考えながら、救世主が目を開ければ、走り回る聖獣たちの姿が目に入った。


「そろそろセラフィーナも来る頃か?」


 とその時、空間魔法が開かれた。結界内に開いた空間魔法から出てきたのは、セラフィーナではなく弟のキースで、救世主は酷く慌てた様子で駆け寄った。


「セラフィーナはどうした! 何かあったのか?」

「はい。何かあったと言えば、ありました」


 ギロリと聖獣たちをキースが睨む。それに竦み上がった聖獣たちは、尻尾を股の間に挟み、縮こまる。その様子に救世主は首を傾げた。


「後でゆっくりとお話しますよ。姉上は一時間後くらいにはこちらに来れるかと思います」

「そ、そうか」


 困惑しつつも、セラフィーナが無事だと分かり、救世主はホッと息を吐く。そしてここにキースが来たということは、万能薬を持ってきてくれたのだろうと、救世主はキースの肩に掛けられた鞄に目をやった。


「それは万能薬か?」

「はい。本数は余り多くはありませんが」


 鞄を受け取って中を確認すると、十本ほど入っていた。確かに少ないなと考えたせいか、救世主の表情が険しくなる。それを見遣り、キースが言葉を付け足した。


「この後、私も父と一緒に万能薬を作るつもりです」

「作れるのか!」

「はい、先日何回か作ってみましたが、問題ないようでしたので大丈夫だと思います。恐らく姉上も、手伝うことになるかと思います」

「セラフィーナもか!」


 その驚きはどういう驚きなのだろうと、キースは勘繰った。息子の自分が作れるのだから、娘である姉も作れて当然のはずなのだ。姉が万能薬を作れることがそんなに意外なのかと、キースは姉への過小評価に眉間に皺を寄せる。


「セラフィーナへの負担はどうなんだ? 大丈夫なのか?」

「ああ、そういう心配ですか」


 普段の父の姿を思い出し、キースは納得する。身体は酷く痩せ細り、絶えず目の下に隈を作っている父親は、救世主からみれば『大丈夫』ではないのだろう。そんな過酷な労働をセラフィーナもするのかと、救世主は憐れんだ表情をする。それに心外だと言いたげに、キースが口を開いた。


「姉は父の作業を手伝う程度です。いくら急務とはいえ、流石に父のような無謀な作業はさせませんよ」

「そうか」


 安心したように呟いた救世主に、キースは困ったように笑みを浮かべた。その優しい笑みに、救世主が顔を赤らめる。

 髪型は全く違うが、同じ銀の髪色に銀の瞳。驚くほどに整ったかんばせは、セラフィーナと瓜二つなのだ。


「姉弟だからか、よく似ているな。笑った顔とかそっくりだ」

「元帥、気持ち悪いので、そういうことは口に出さず、心の中でだけ思っていてください」


 セラフィーナと同じ顔で、心底嫌そうにしているキースに、救世主が落ち込む。それでもキースの次の言葉で持ち直した。


「姉の笑顔を見たことがあるのは、家族以外では元帥が初めてでしょうね」

「そうなのか!」

「はい、同胞の精霊族の者にも、傀儡魔法をかけた状態で会っていましたから」

「そうか……俺だけか」


 ニヤニヤと緩む顔を隠しもせず、救世主は上機嫌で鞄から万能薬を取り出した。高く宙に放り投げ、瓶に魔法を当てると、万能薬が霧雨となって降り注ぐ。


「綺麗ですね」

「ああ」


 キラキラと降り注ぐ万能薬を、聖獣たちも食い入るように見つめていた。


「それにしても、何故植物が芽を出したのでしょうね?」

「ん? 何故って、そりゃあ大地が復活したからじゃねえのか?」


 何を言っているのかと、救世主はキースを見やり訝しんだ。


「復活したからといって、種を撒いたり植栽をしたわけでもないのに、植物が育つのはおかしいかと。実際、万能薬にはそのような効能はありませんし、聖魔力だけが戻るものだと思っていましたので、とても不思議な光景です」


 そう言いながら、キースは救世主の足元にある植物をまじまじと観察する。


「そ、そうなのか? じゃあ、これは実は植物じゃねえとかか?」


 キースの言葉に、救世主はぎょっとする。これが植物ではないとしたら、一体何なのかと、得体の知れない何かを生み出してしまったのかと、狼狽えた。


「いえ、植物で間違いないでしょう。元帥、何か他に特別なことはなさいましたか?」

「特別……。強いて言えば……強く願った、くらいだな」


 育ての親から聞かされていた御伽噺の中の精霊界は、鮮やかな緑と色とりどりの花々が咲く、とても美しいところだと言っていた。それを強く思い描き、救世主は元に戻るように願ったのだ。


「ああ、なるほど。精霊界は強い願いに反応するという話は聞いたことがあります」

「ああ、俺もじじいからそう聞いていた。だがそれだったら、精霊族の奴らも出来たんじゃねえのか?」

「精霊族は、良くも悪くも純粋で素直ですからね。絶望を受け入れてしまったのでしょう」

「あんなにも帰りたがっていたのにか?」

「ええ、そうですね。本当に諦めが早いですよね」


 自嘲気味に笑ったキースに、救世主は何とも言えない顔をする。あんなにも焦がれた故郷を再生する方法はしっかりとあったのに、諦めが先に来て、何も出来なくなってしまった精霊族の心の弱さに溜息を吐きたくなった。


「魔物が排除できないことが、一番の原因だったのでしょう。精霊族だけではどうにも出来なかったことは、元帥もご存じかと。人間に頼るのも、信頼できる者は限られていましたし、魔物を排除するだけの力もなかったでしょうし」


 緩く頭を振ったキースは、周りをぐるりと見渡した。この状況で、希望を持てと言う方が無理だと、小さく呟く。

 そして、救世主の足元にある緑に目を向けた。

 

「それでも、間違いなく、大地は復活へと向かっています」

「ああ」


 力強く頷いた救世主に、キースは眩しそうに眼を細める。


「もう少しだけ結界の領域を広げられれば、一部の精霊族がここで暮らし始めることも可能かもしれませんね」

「ああ、そうだな」


 穏やかにそう返事をする救世主に、キースは思わず目を瞠る。


「随分とあっさりと頷くのですね」

「そりゃあ、実際にそうなんだから頷くのは当然だろう?」

「いえ、そうではなく。ここで精霊族が暮らし始めるのには、どうしたって元帥の張る結界が必要になってきます。それなのに、元帥は面倒ではないのかなと思いまして」


 面倒臭がり屋で有名な救世主が、何の見返りもなく自分から進んで結界を張り続けることが想像できず、キースは素直にそう言った。


「いずれここで暮らすんだ。それくらいはやるさ」

「ここで暮らす?」

「なんだ、不満なのかよ」

「いえ、そうではなく。何故ここで、と思いまして」

「そりゃあ、お前……俺とセラフィーナが結婚すれば、必然的にそうなるだろうが」「は?」


 照れ隠しなのか、腕を組みながら左右に揺らしている救世主に、キースは間抜けな声を出す。先程の、救世主のセラフィーナに対する発言を聞いていたこともあり、何となくそうなのだろうとは思っていた。だが、話が結婚にまで飛躍していることに、流石にキースは狼狽えた。


「姉上は、承諾したのですか?」


 先ずはここからだと、キースが救世主へ確認を取る。すると先程まで気持ち悪いくらいにモジモジとしていた救世主が動きを止めた。


「それは、その、あれだ……」


 ゴニョゴニョと言いにくそうにしている救世主に、キースがピシャリと言う。


「承諾は、得ていないと。うちの両親にもまだ話はしていないのですよね?」

「そりゃあ、まあ……。セラフィーナの返事を、まだ聞いてねえし……」

「結構。順序は大事ですからね」

「何だよ、お前は反対なのかよ」

「まさか! 憧れの救世主様の義弟になれるのです。こんなに嬉しいことはありませんよ」


 大袈裟に救世主に向かって両腕を広げ、満開の笑顔で、さも歓迎している素振りを見せるキースに、救世主は疑念の目を向けた。


「嘘くせえなあ……」

「失礼な! 本当に歓迎してますよ」

「そ、そうか! じゃあ、俺とセラフィーナが結婚出来るように協力してくれよ!」


 その言葉を聞いた途端、キースの表情が抜け落ちた。


「はあ……憧れていたのに、そういうことを言われると、幻滅しますね」

「いや、そんなこと言われてもよう……。こっちだって必死なんだからよ……」


 眉を下げ、情けない声を出す救世主に、キースは呆れながらも仕方がないかと息を吐く。実際、そうやって本気で悩むほどに姉を好いてくれているのだと思うと、無下には出来ない。そんな想いと、憧れの人物像が崩れていく様に、何とも遣る瀬無さを感じながら、キースは助言をすることにした。


「こういうときは、ビシッと言えばいいのです」

「言うって、何を?」


 その言葉は、何となく分かってはいたが、口にするのは勇気がいる。救世主は別の言葉を期待しながらキースの返事を待った。


「惚れたから、結婚してくれって、言えばいいだけです。真正面から想いをぶつけられれば、大概の者は意識を向けるでしょう。まずは異性として意識されることから始めましょう」


 尤もな意見ではあるが、中々に難しい。それでも、遅かれ早かれ想いは伝えるのだから、早いほうがいい。そう結論付けるも、救世主は悪あがきをした。


「家族になって欲しいとは、伝えた」

「遠回し過ぎですね」

「ぐっ……」


 バッサリと切り捨てられ、救世主の心が折れそうになる。


「まあでも、元帥の想いは姉に届いていると思いますよ。後は押しまくるだけですね」

「押しまくる……」

「姉上は、割と押しに弱いと思いますよ。頑張ってください」

「お、おう!」


 キースの言葉に未来が開けたように感じ、救世主は俄然やる気が出てきた。拳を握り決意を新たにしたところで、聖獣たちが俄に騒ぎ出した。


『キキッ!』

『キキッ!』


 二人が聖獣たちに目を向けると、新たな若葉が芽吹いていた。


「こうやって少しずつ、元の姿に戻っていくのでしょうね」

「ああ」

「きっとこの出来事は、永遠にこの地で語り継がれることでしょう。元帥はその名の通り、救世主として、そして英雄として」

「はっ! 何言ってやがる。その称号は、どっちもお前の親父さんが受けるもんだ」

「それでも、元帥がいなければ、きっと精霊族は……」


 滅びの道を歩んでいたかもしれない。そう言いかけて、キースは言葉を飲み込んだ。

 人間界に住処を設けたとしても、きっと長続きはしなかっただろう。神殿を守るために、何年もの間、人柱を捧げ続けていくだろうことは容易に想像出来た。そして精霊族は、神殿だけを残して滅びるのだろう。

 先見をした彼の精霊族は、きっとそうなる未来を見ていたに違いない。その証拠に、この精霊界には人間界からの瘴気が溢れている。いずれこの瘴気は行き場を失い、人間界にまた大穴を開かせる。その回数が徐々に増えれば、人間もまた滅びに向かうのかもしれない。例え救世主がいたとしても、瘴気を浄化するはずの精霊界は死に、精霊族は神殿を維持するためにその身を捧げた後だ。解決策は何もない。人々の絶望がまた瘴気を生み、大穴が開く。悪循環の中で、生き延びた人間たちは何を思うのだろうか。

 長い熟考の末、考えたところで意味がないと気付き、キースは小さく笑った。もうそんな未来は訪れないのだ。今こうして、魂が結ばれた地へと辿り着いた奇跡に、ただただ感謝する。


「親父さんにも、言ってやれよ。英雄だってな」

「はい」


 屈託なく笑う救世主に、キースは眩しそうに目を細める。この人がいずれ自分の義兄になるのかと思うと、とても誇らしかった。


「英雄が義兄だなんて、鼻が高いですね」

「はあ〜、だから、そうじゃねえだろ? 自分の父親が英雄だってことに、感激しろよ!」

「感激ですか? それはまた……」


 照れ臭い。そんな感情に苛まれながら、キースは顔を赤らめた。その表情に、救世主は目を瞠る。そして食い入るように見つめながら、モジモジと呟いた。


「本当に、よく似てるよな、セラフィーナに」

「……」


 気持ちが高揚していたところに、冷水を浴びせられた気分になり、キースは無言になってしまった。そしてこの不毛な想いを断ち切るように、この場を立ち去ることにした。


「では元帥、私は一度戻ります。代わりに姉上に、こちらへ来るように言っておきますから」

「おう、そうか!」


 だがここに、セラフィーナを来させる口実がないことに救世主は直ぐ気付く。万能薬は、既にキースが持って来ているのだ。今のところセラフィーナがここへ戻る理由はない。例え直ぐに戻ると言ったにしても、それは万能薬を持って来るのが目的だ。


「まあ、無理に来なくてもいいけどよ」

「まあ、そう言わずに。元帥が呼んでいると言えば、父も姉上を開放するでしょうから」

「何だ? 親父さんに捕まってんのか?」

「はい。お説教をされています。母と一緒に」

「何かやらかしたのか?」

「はい。詳しくは姉から聞いてください」

「おう、分かった」


 いい口実が出来たと、救世主はほくそ笑む。ついでに何があったのかを聞き出しながら、たくさんの話が出来ると喜んだ。

 

 空間魔法でキースが去ると、救世主は残された聖獣たちの方へと目を向けた。飽きもせずにじゃれ合いながら、若葉の周りを駆け回る姿に笑みを零す。コリンは神殿側にいる聖獣から離れず、その場で丸くなっていた。


「早く元に戻さねえとな」


 決意を新たに、救世主は一人ごちる。セラフィーナが戻って来るのを楽しみに待ちながら。

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