第二十五話

 亜空間から抜け、人間界へと入ったセラフィーナは、辿り着いた場所に酷く困惑した。


「え? ここは? 森の中……?」


 辺りは鬱蒼と茂る木々に、澄んだ空気、鳥の囀りも聞こえていた。


「お母様?」


 母親はどこにいるのだろうかと、セラフィーナは小さく呟く。

 近くに居るはずだと、木々の間を抜け、少し開けた場所に出た。遠目にだが確かに人の影が見えて、セラフィーナは駆け出した。そして目にした光景に息を呑む。


「待って! 待ってください!」

 

 慌てて駆け寄ったセラフィーナは、すぐに母親の姿を認めることが出来ずに、ただ静止の声を張り上げた。

 そこには、円になり、手を繋いだ人々がいた。その中心には、聖獣が五体、背を合わせるように座っている。それが何を意味するのか、セラフィーナにはすぐに分かった。駆け寄った勢いのまま、円陣を崩すように、一番近くにいた人の繋がれた手を解く。そして中央へと向かい、聖獣の傍で再び大声を張り上げた。


「待ってください! 早まっては駄目です! 精霊界は生き返ります! 私たちは帰れるのです!」


 突然のセラフィーナの登場に、虚を突かれた面々はただ呆然と立ち尽くすだけだった。その静寂を破ったのは、セラフィーナ母、セシリーだった。


「セラ、どうしてここに?」


 母親の声に、セラフィーナがホッと息を吐き出す。だがその隣に、弟であるキースが居ることに気付き、愕然とした。

 今この場で行われようとしていたのは、間違いなく聖域を創るための儀式だ。そしてここに集まっているのは、その神殿を支えるための人柱になる人々。その人柱には、キースではなく、自分が選ばれていた筈だと、戦慄した。


「キース? どうして……」


 キースには、人柱の話はしていなかった。父親であるジョナスと共に、精霊族としてではなく、人間として生きていく筈だった。そこでセラフィーナはハッと気付く。母と弟の記憶が、消えていないことに。本来ならば、忘却魔法で記憶を消してから儀式を行う予定なのだ。それなのに、それをせずに儀式を行えば、記憶は残ったままになる。もし本当に母と弟が人柱となったなら、その後何日も帰らない母親を不審に思い、事情を知っているであろうセラフィーナは、父親に説明を求められることになるだろう。それはとても残酷な現実で、父からしてみれば、酷い裏切りにも似た行為だろう。そしてそれは、セラフィーナにも言えることだった。今、この瞬間に人柱から外され、置いて逝かれることと、父親に最後の計画を話さなかったこと。その二つがセラフィーナの心に重くのしかかった。


「姉上、精霊界が生き返るとは、どういうことですか?」


 思考の渦に呑まれていたセラフィーナに、キースが静かに尋ねる。その言葉にセラフィーナはハッとして、勢い込んで口を開いた。


「精霊界は生き返ります! お父様が作った万能薬のお陰で、緑の葉をつけた新芽が出たのです! まだ一つだけですが、万能薬を撒き続ければ、必ず復活します!」


 確信を胸に、拳を握り、声高らかに力説するセラフィーナに、キースは再び質問をする。


「魔物はどうしましたか?」

「救世主様が魔物の体内から魔石を取り出すと、灰になってしまいました」

「溢れ出ている瘴気は、どうなっていますか?」

「救世主様が浄化魔法を展開してくれています。救世主様は精霊界へ残り、今も浄化作業を継続中です」

「神殿は、どうなっていますか?」

「未だ、沢山の精霊族の方が、命を削って空間魔法を使い続けています。救世主様は、まだ生きている彼等を、彼の地に戻すために尽力されています」


 ふうっと息を一つ吐き出したキースに、セラフィーナは訝しげな目を向けた。腕を組み、呆れたようなキースの表情に、セラフィーナは信じていないのかと、憤る。

 それでもキースの思いに納得する。セラフィーナ自身、死を覚悟して精霊界に渡ったのだ。それほどまでに絶望的な状況で、信じろという方が無理だろうと、セラフィーナはうつむいた。

 だが、次のキースの言葉で、セラフィーナは顔を上げた。


「だから言ったでしょう、大丈夫だと。私はずっと父を、そして救世主様を信じていました」


 ニコリと笑顔を零し、キースはここに集まっている面々を見回した。特に母親であるセシリーには、手を握り諭すように言い聞かせる。


「あああああ……」


 泣き崩れるセシリーに、セラフィーナもまた寄り添うべく駆け出した。

 周りの精霊族にも、徐々にキースの言葉が染み渡り、声を上げて号泣する。その声は、森を振動させる程の歓喜に満ちたものだった。


『キキッ!』

『キキッ!』


 聖獣もまた、弾かれたように飛び上がり、仲間と喜び合い、コリンは勢い良く空間魔法を展開し、精霊界へと向かっていった。その背を追うように、他の聖獣たちが後に続く。


「私たちも、一旦家族のもとへと帰りましょう。精霊界に瘴気がある限り、向こうへは渡れませんから」


 聖獣と違い、体内で魔力を生成出来ない人型は、結界を張ったとしてもすぐに魔力が枯渇してしまう。精霊界へ行きたくとも行けない現状に、喜んでいたのも束の間、集まった人々は、ただただ項垂れた。


「ですが、救世主様が浄化した場所は、結界を張ってくれている筈です。そこならば、後々行くことは可能でしょう。それでもまだ、その段階ではありません。もう少しの辛抱です」


 ここに集まった時点で、強制的に故郷への想いは断ち切らなければならなかった。それが、あとほんの少しの我慢で帰れるのだから、文句を言う者は誰もいない。だがそれでも、故郷への想いは、帰れると分かってしまえば益々強くなってしまうもの仕方のないことだ。それが分かっているからこそ、キースは諭すように面々に言い聞かせる。


「向こうへ渡るのは、一部分だけでも大地を復活させ、安全を確認してからです。そしてゆくゆくは、神殿を守る仲間を迎え入れ、元の精霊界へと戻していきましょう」


 本来ならば、精霊界へ行ったことなどないキースがそんなことを言えば、反感を買うのは必至だ。それでも精霊族が耳を傾けるのは、最後まで精霊界の復活を信じ切ったキースの想いに感銘を受けたからに他ならない。今はまだ焦って行動を起こすべきではないと、誰もが頷き納得した。


「私も父と共に、万能薬を作ります」


 皆の視線を一身に受け、キースは力強く言う。


「ええ、お願いします」

「頼みましたぞ」

「頑張ってください」

「帰れる日を、楽しみにしています」


 口々にキースへと声をかけ、それぞれが静かに空間魔法でその場を立ち去る。残されたのは、キースたち親子だけになった。


「どうしてですか? 何故こんなことに?」


 皆が皆、納得しながら立ち去った中、セラフィーナだけが怒りを顕に二人に詰め寄る。未だ泣き続けているセシリーは、夫を信じ切れなかった自分の不甲斐なさに打ちのめされていた。


「そう責めないでやってください。姉上は実際に、精霊界を見てきたのでしょう? その光景を目の当たりにして、姉上はどう思いましたか?」

「……」


 初めて精霊界の地に足を踏み出した時、そこにはただ絶望しかなかった。そして何とか大地を復活させようとする救世主に、諦めの言葉を投げかけたのは、セラフィーナ自身だ。最後の計画を口にして、人柱になる覚悟を決めた自分を、セラフィーナは酷く恥じた。自分もまた、父親を信じることが出来なかったのだ。とても母親を責められる立場にないと、泣き続ける母親を見ていられなくて、セラフィーナは目を伏せる。


「さあ、帰りましょう。救世主様に、万能薬を届けなければなりませんし、父上も報告を楽しみにしているはずですから」


 そう言って笑顔を向けるキースに、セシリーとセラフィーナは神妙な面持ちで頷いた。どんな顔をして父親に報告をすればいいのかと、セラフィーナは項垂れる。セシリーもまた、罪悪感からか、浮かない顔を隠そうともしなかった。そんな二人の様子に、やれやれと肩を竦めたキースは、気持ちを切り替えるように言い放った。


「別に、バレなければいいのです。結果だけを報告して、父上に喜んでもらえればいいのです。今はそれで、良いではありませんか」


 どうせ後で笑い話になるのだからと、キースは二人の憂いを払拭する。罪悪感がなくなるわけではないが、今はそれでいいのだと言われ、気持ちを持ち直した二人は、キースに手を引かれ、空間魔法で家路を急いだ。



 結果から言うと、罪悪感に押しつぶされたセシリーの告白により、ジョナスの雷が落ちた。ただ、救世主のもとへ万能薬を届けなくてはならないため、本格的な説教は一段落ついた後にという話になった。ここでもキースが尽力し、ジョナスを宥めるのに一役買った。だがそれも、余り効果がなかったことをすぐに三人は思い知る。


「では、万能薬を届けに行ってきます」


 セラフィーナがジョナスから鞄を受け取ろうとするも、その鞄は何故かキースへと渡された。


「セラ、精霊界へはキースに行ってもらおう」

「え? ですが……」


 突然のジョナスの言葉に驚き、セラフィーナは戸惑う。救世主に、すぐに戻ると言った手前、自分が行かなくてはという想いのまま、口を開こうとした。だがそれよりも早く、ジョナスが宣言する。


「これからセラフィーナとセシリーには、お説教をしないといけないからね」


 その言葉に、セシリーとセラフィーナの顔が青くなる。流石に可哀相になったキースが間に入った。


「父上、万能薬はまだまだ足りません。そのような暇はないのでは?」

「いやいや、根を詰めすぎるのもよくないだろう? 気晴らしついでに説教も悪くない」


 これはもう助けられないと、キースは青褪めている二人に同情の目を向ける。そして二人を見捨てることにした。


「では、万能薬を届けに行ってきます」

「うう……行ってらっしゃい」

「あうう……お気を付けて。救世主様によろしくお伝えください」


 そそくさとその場を立ち去るキースに、二人は縋るような視線を向けながら、送り出したのだった。

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