第二十八話
久しぶりに学園へと登園したセラフィーナは、着いて早々、フランセスに呼び止められた。
「セラフィーナ、少しいいだろうか?」
「はい」
まだ学園の外だったため、余り人目につくこともなく、セラフィーナはフランセスの後に続いた。そのままフランセスに連れられて、学園の裏手へとやって来たセラフィーナは、今ここでお礼を言うべきだろうと考えた。
奥に足を進めるにつれ、足取りがゆっくりになり、やがてその歩みが止まる。
その場で振り返ったフランセスは、沈痛な面持ちで話し始めた。
「私はセラフィーナに、謝らなければならないことがある」
何を謝るのだろうと、首を傾げながらも、セラフィーナは黙ってフランセスの次の言葉を待った。
「セラフィーナの噂を流したのは、他でもない、私だ」
重々しく言葉を発したフランセスに、セラフィーナはどの噂を指しているのだろうと、益々首を傾げる。『親が精霊族を殺した』という噂が流れ、それにより感情の抜け落ちたセラフィーナが生まれ『精霊の呪人』と呼ばれるようになったこと。その『呪い』がセラフィーナに関わることで精霊の怒りを買い『移る』こと。そのどれかと考えるも、全ての噂が繋がっていることに気付き、全部の噂がフランセスにより流されたものだと理解した。
「その噂のお陰で、私は随分と助けられました」
実際、そうなのだ。精霊族の血が流れているせいもあり、臆病で人見知りなセラフィーナにとって、人との接触を最低限に抑えられていたことは、この上なく有り難いことだった。
傀儡魔法を使用していることについても、尤もらしい噂で信憑性が増し、わざわざ説明しなくても勝手にそう思い込んでくれれば、面倒なこともない。そして何より、フランセスがいつも守ってくれていた。だから辛いとか、悲しいなどという感情も抱くことなく、日々を過ごせていたのだ。
そう口にしたくても、口下手なセラフィーナは、どう伝えたらいいのかと逡巡するばかりで、二の句が継げない。
「何を言っている! その噂のせいで、セラフィーナが辛い思いをしていたのは知っている」
感情のない、動く人形と揶揄されるセラフィーナのことを、フランセスはいつも気にかけてくれていた。本当に感情のない人間などこの世にいる筈はないと、セラフィーナの奥底にあるであろう感情に寄り添ってくれていた。そのことを誰よりも理解しているセラフィーナは、ただただフランセスへの感謝しかない。
「フランセス様が私のために、いつも心を砕いて下さっていたこと、本当に嬉しく思います。たくさんの好奇の目にさらされながら、それでもフランセス様がいつも私の盾となり、庇って下さったこと、そして時には私を慰め、皆を宥めて下さったこと、本当に感謝しております」
漸く頭の中で整理出来た言葉を、セラフィーナは口にする。抑揚のない声で感謝を述べ、深々と腰を折るセラフィーナに、フランセスは複雑な表情を浮かべた。
「感謝など……。私はただ、セラフィーナが羨ましかったのだ。ただ妬み、拗ねて、あんな馬鹿げた噂を流した。どうしようもない大馬鹿者だよ」
自嘲するように情けない顔に笑みを浮かべたフランセスに、セラフィーナは困惑する。『羨ましい』などと、到底考えつかない感情に、戸惑うしかなかった。
「私の家は武官だ。有事の際は真っ先に前線に赴き、命を散らす。そういう役目を担っている。一番上の兄もそうやって責務を果たした。私も幼い頃からずっとそう教え込まれて来ていた。いずれ魔物に喰われて死ぬのだと、自暴自棄になっていた。それでも、家の名に恥じぬよう、懸命に生きてきた。父も母も祖父も、私に死を強要する。それがとても辛く苦しくかった。それに対しセラフィーナの父親は、身を粉にしてセラフィーナの感情を取り戻そうと必死になったいた。その家族の愛情が、私にはとても羨ましかった」
血を吐くように吐露された言葉の数々に、セラフィーナは自分の境遇を重ね合わせる。自分もまた、フランセスと同様に、命を捧げることが義務付けられていた。それでも、未来のためにと自分を納得させ、諦めていた。いつも凛々しく、優しかったフランセスの心の葛藤を知り、セラフィーナは泣きたくなってしまう。
「フランセス様……」
言葉を詰まらせたセラフィーナに、フランセスは小さく笑みを零す。
「学園を卒業したらすぐに、婚姻を結ぶことになった」
「え?」
セラフィーナは動揺した。セラフィーナの中ではまだ、フランセスと救世主が恋仲ではないのかという疑念が払拭しきれていなかったからだ。
だが、次のフランセスの言葉に、セラフィーナは大きく胸を撫で下ろした。
「婚約者も、それを望んでくれている」
婚約者、その言葉を紡いだフランセスの優しい笑みに、セラフィーナは『ああ、そうか』と心の中で頷いた。フランセスもまた、恋をしているのだと気づき、温かい想いが溢れてくる。
「おめでとうございます」
深く腰を折り、祝福の言葉を告げると、途端に真っ赤になるフランセス。それがとても微笑ましくて、思わずセラフィーナは目を細めた。傀儡魔法のせいで、表情には出ないが、心の中で精一杯の想いを込めて、フランセスの幸せを願う。
「セラフィーナにも是非、結婚式には参列してほしいと思っている」
穏やかにそう言ったフランセスは、幸せの絶頂なのだろう。その幸福な笑みを崩してしまうことが心苦しく、セラフィーナは少しばかり返事に窮する。それでも、言わなければならない。自分もまた、幸せに向かって進んでいくために。
「実は、今日を最後に、学園を退園することになりました。そして、数日後にはこの国を出ることが決まっています。ですので、結婚式への参列は出来かねます。折角のご招待を無碍に断ってしまい、大変申し訳ございません」
「そうなのか! また随分と急だな。確か国を出るのは学園を卒業してからと言っていなかったか?」
「はい、その予定でしたが、事情が変わりました」
「そうか……残念だな。それに、寂しくなるな……」
眉を下げ、そう言ったフランセスに、セラフィーナは目を伏せた。恐らくもう二度と、フランセスに会うことはないのだろう。そう思うと、セラフィーナもまた寂しい想いが胸に広がる。
「フランセス様、どうかお元気で。そして、幸せになってください」
「セラフィーナ、それではまるで、もう二度と会えないような言い方だ」
苦笑いを浮かべ、フランセスが言う。それに緩く首を振ったセラフィーナは、最後の言葉を投げかけた。
「今まで本当に、ありがとうございました」
その言葉と共に、セラフィーナは笑ってみせた。
傀儡魔法を解き、これが最後の挨拶だと、目に涙を溜めながら。
その表情と、抑揚のつけられた言葉に、フランセスが目を瞠る。
「セラフィーナ……君は……」
驚きながらそう言ったフランセスに、セラフィーナは笑みを深める。一粒の涙が頬を伝った。
そしてゆっくりと後ろを向き、歩き出す。
空間魔法を展開し、そのまま亜空間へ入り、セラフィーナは振り返ることなくそのまま姿を消した。
呆然と立ち尽くすフランセスは、暫くはその場から動けなかった。それでも察することはあった。もうセラフィーナとは、二度と会うことが出来ないのだろうと。そしてセラフィーナの父親は、セラフィーナの感情を取り戻すことに成功し、念願が叶い、早くにこの国を出ることになったのだろうと。
「良かったな。セラフィーナ」
勝手にそう結論付けたフランセスは、素直な気持ちを口にした。セラフィーナにとっては、フランセスを騙したまま別れるのは忍びなかった。だからこそ、傀儡魔法を解いたのだが、フランセスがこんな勘違いをしていることは、知る由もなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます