第二十二話

 セラフィーナの母親であるセシリーが家に帰り着いたのは、陽が随分と傾いた後だった。今か今かと帰りを待っていたジョナスは、セシリーの姿を認めると、飛びつくように駆け寄った。


「セシリー、遅かったね。それで、聖獣は見つかったのかい?」

「はい。見つけはしたのですが……」


 齒切れの悪いセシリーの言い方に、ジョナスは嫌な予感を覚える。


「軍の施設で、保護をされているようです。空間魔法で中に入ることは出来そうでしたが、軍の施設ならば、無理に入るよりも、ジョナスに話をしてからの方が良いかと思って」

「ああ、ああ、そうだね。懸命な判断だ。軍のことならば、元帥に相談したほうがいいだろうね。きっとすぐにでも助け出してくれるさ」

「え? 元帥? それは、救世主と呼ばれている方のことですか?」


 セラフィーナが忘却魔法を使った際、一緒にいた人物だと思い至り、セシリーは眉を顰めた。


「ああ、そうだよ。元帥は、私と同じ『分け与えられた者』だ。だから大丈夫、きっとすぐに動いてくれる」

「えっ!」


 ジョナスの言葉に、セシリーは耳を疑った。その時、セシリーの傍にいた聖獣のコリンが声を上げる。


『キキッ』


 そして首を反らし、そこにある銀盤の首飾りを見せた。


「あぁ……これは……」


 セシリーは銀盤にそっと手を伸す。大事そうにゆっくりと指でなぞりながら、静かに涙を流す。


「そう、長老様はもう……」


 そして、救世主に血を分け与えたのが、その長老だと悟る。長老の死を悼むセシリーに、そっと寄り添う聖獣。その姿にジョナスも心を痛めた。そんな雰囲気を払拭するように、ジョナスは少し大きめの声を出す。


「元帥が、精霊界の魔物を排除してくれるそうだ」


 その言葉に、セシリーはビクリと肩を震わせた。涙を流しながらも、なぜ知っているのかと、表情は如実に語る。


「……セラが?」

「いや、元帥だよ。育ての親の精霊族の方から、聞かされたらしい」


 セシリーはコリンの首元にある銀盤にもう一度触れ、志し半ばで逝ってしまった長老のことを想う。

 精霊族ならば、誰もがもう一度故郷へ戻りたいという気持ちを持っている。それを『息子』に託したのだと、セシリーは納得した。


「そうでしたか。ですが、いくら救世主様でも、危険だと思います。救世主様に何かあれば、長老様に申し訳ないですし」

「その魔物は、そんなに厄介なのかい?」

「ええ。それはもう……」


 当時のことを思い出し、セシリーは苦しそうな表情をして俯いた。コリンもまた、耳を垂れ下げる。


「だが、そこに希望があるのならば、賭けてみるべきだ。それに元帥はやる気になっているし、止められないと思うよ」


 ジョナスは気が沈みそうになるのを堪え、前向きな発言をする。それに反応したのはコリンだった。


『キキッ、キキキ』


 力強くその場で飛び跳ねたコリンは、大丈夫だと言っている。


「そうね、きっと大丈夫よね」


 コリンに後押しされ、セシリーも笑顔をみせる。そんなセシリーを見遣り、ホッと息をついたジョナスは、この後の行動を確認する。


「私は明日の昼までに万能薬を作れるだけ作って、元帥のところに持って行こうと思う。それで、聖獣の件なのだが、明日の朝一番に、セラフィーナに元帥のもとへ報告をしに行ってもらおうかと思っているのだが、どうだろう?」

「セラにですか?」

「奇跡の実を持って行った方がいいだろうし、精霊族が一緒の方が聖獣も安心するだろう?」


 ジョナスの言うことは尤もだが、軍属ではないセラフィーナが元帥である救世主にそう易々と会えるのだろうかと、セシリーは疑問に思った。それでもジョナスが言うのだから、大丈夫なのだろうと頷く。


『キキッ』

「ああ、君は駄目だよ。万が一にも君が捕まってしまったら大変だからね。人間というのは欲深い。仲間の聖獣だって、助け出すのに苦労するかもしれないしね」


 聖獣の言葉は分からないが、コリンが行きたがっているのが分かり、ジョナスは諭すように説得する。コリンの耳がまた垂れる。それを見ても、ジョナスが折れることはなかった。


 「さあ、疲れただろう。しっかりと休んで、その時に備えよう」


 そう言いながらも、ジョナスはこれから徹夜で万能薬を作るのだが、そこには触れずにさっさと部屋を後にする。


 残されたセシリーとコリンは顔を見合わせると、大きく息を吐き出した。仲間の安否が気がかりで、セシリーとコリンは心が落ち着かず、ゆっくりと休めと言われても、無理だろうと諦める。


「セラの様子を、見に行きましょうか」

『キキッ』


 セシリーの提案に同意し、コリンは勢い良く扉へと駆け出す。静かに眠るセラフィーナの寝顔を、そっと伺い見るために。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 翌日の早朝、セラフィーナは救世主のいる軍部へとやって来ていた。救世主の執務室がどこにあるのか分からず、薬学部へ足を運んだセラフィーナは、見知った顔を見つけ、声をかける。


「おはようございます」

「あら、所長の……」


 研究に没頭しすぎる気来のある薬学部の面々は、興味のないことは記憶に残らないらしく、『動く人形』と揶揄されるセラフィーナでさえ、その名前を覚えてもらえないでいた。目の前の女性研究員もまた例に漏れず、セラフィーナのことは所長の娘としか認識していない。


「元帥の執務室に行きたいのですが、どこにあるかわからなくて。もしご存じであれば、教えていただけませんか」


 抑揚のないセラフィーナの言葉を全く意に返さず、研究員の女性は右側の棚に手を伸ばす。


「はい、この建物の見取り図。後は自力で辿り着いて」

「ありがとうございます」


 なかなかに重要だと思われる建物内の見取り図を渡され、セラフィーナは内心で冷や汗をかく。だが悪用する訳ではないし、所長の身内ということで信頼してくれているのだろうと、有り難く受け取った。


 地図の通りに救世主の執務室に向かう途中、長い廊下に差し掛かる。この奥にある一室が救世主の執務室だと見取り図を見て確認する。そして昨日の出来事を思い出す。 

 告白されたことを。

 どんな顔をして救世主に会えばいいのか、セラフィーナは大いに慌て、緊張した。『家族になってくれるだろう?』その言葉が、そして声が蘇る。嬉しそうに、その反面、不安そうに揺れた救世主の瞳が印象的で、その時の自分が酷く戸惑ったことを思い出す。途端、動揺のあまり傀儡魔法が解けてしまう。セラフィーナがそれに気づく前に、奥の方で何か大きな音が聞こえた。それと同時に、廊下の先にある扉が勢い良く開かれる。


「元帥、お待ちください! 私もお供します!」

「いい、俺一人で行く!」


 慌てた様子で出てきたのは、セラフィーナが探していた救世主だった。その後ろからは、救世主を必死に止めようとしている側近であるエグバートがいる。何やら言い争っている二人に、声をかけていいものかどうか、セラフィーナは戸惑った。だがそんな言い争いの中、救世主が、セラフィーナの存在に気付く。


「セラフィーナ!」

「救世主様、あの……」


 先程、告白をされた時のことを考えていた為、セラフィーナは同様のあまり傀儡魔法が解けていた。そのせいか、酷く焦った様子のセラフィーナに、救世主は聖獣のことを聞いて、急いでここに来たのだろうと予測した。そのままセラフィーナへと大股で距離を詰めると、ぐいっと腕を掴み、声をかける。


「行くぞ」

「元帥!」


 エグバートが手を伸ばし、救世主の軍服に微かに触れた。その瞬間、救世主が転移魔法を発動させ、視界が歪む。それも一瞬で、すぐに眩しい朝日に目が眩んだ。そして眼前に広がったのは、森の中に佇む石造りの堅牢だった。入口らしき所には、兵が二人立っている。分厚い鉄扉は見る者に威圧感を与えた。


「元帥、何の連絡もなく、いきなりの訪問は流石に問題があります」

「監査だとでも言えばいい」

「ですが……」


 未だ言い募ろうとするエグバートを無視する形で、救世主は建物の方へと足を進めた。腕を摑まれたままのセラフィーナも、必然的に歩かされる。


「セラフィーナ、ここに聖獣がいる。何が保護だ。ここは牢屋だぞ!」


 憤慨する救世主に、セラフィーナも小さく頷く。母親であるセシリーからは『軍の施設』としか聞いていなかった。てっきり軍病院か、軍の医務室辺りにいるのではないかと思っていたのだ。だが実際は、ジメジメとした石造りの牢屋に入れられていた。そのことに、怒りよりも先に、聖獣の安否が気になったセラフィーナは、救世主の後に遅れないようにとついていく。

 救世主の姿を認め、門番の兵が敬礼をした。少し慌てた様子をみせるも、元帥という軍の最高権力者に対し、しっかりと挨拶をする。


「「元帥、お疲れ様です!」」

「ああ、ご苦労。開けろ」


 威圧感のある救世主の物言いに、二人の兵は怯む。だが職務を全うするために口を開いた。


「本日はどのような御用向きでしょうか」

「抜き打ちの監査だ」

「「は! 開門いたします」」


 救世主の言葉に一気に緊張が走り、敬礼にも力が入る。返事と共に二人の兵が、重い門扉を押し開けた。

 救世主に続き、セラフィーナとエグバートも石牢の中に足を踏み入れる。エグバートは入ってすぐのところにある机に向かい、訪問記録に記入をしていく。名前と役職、そして目的を記入するのだが、セラフィーナのことは自己紹介さえお互いにしていないので偽名を使い、『臨時監査員』と書いておいた。そして思う。先日大穴が開いた際、東の砦で出会ったセラフィーナは『動く人形』そのものだった。だが今現在、それがまるで嘘のように感情を顕にしていた。それがどういうことなのか分からないが、聖獣を助けようとしているところをみると、『精霊の呪い人』という噂もあながち嘘ではないのかもしれないと、エグバートは思い始める。


「元帥が呪いを解いたのか?」


 小さな声で呟いて、エグバートは救世主に目を向けた。そんなエグバートの視線に気付かず、救世主はセラフィーナへと話しかける。


「セラフィーナ、どの辺にいるか分かるか?」

「はい」


 この石牢は地下に牢があり、今いる地上一階には兵たちの休憩所や執務室がある。然程大きな建物ではないが、少しばかり入り組んでいた。

 地下へと続く階段へはエグバートが先導し、地下に入ってからはセラフィーナが先導する。それでも、セラフィーナのすぐ後ろにぴったりと救世主が付き、周囲を警戒していた。


「この真裏に行くには、どうしたらいいですか?」


 入り組んでいるせいか、上手く目的地に辿り着けず、セラフィーナは小声で救世主へと問いかける。


「こちらです」


 それに答えたのはエグバートだった。同じく小声でそう言うと、暗い通路を左に折れた。そのまま何度か違う通路に入ると、セラフィーナがエグバートの前に出る。


「近いです」


 呟きと共に早足になるセラフィーナ。それに続いた救世主は漸く聖獣のもとへ辿り着けたことにホッとした。だが、牢に入れられた聖獣の姿を見て、怒りが込み上げる。聖獣は床に転がされ、息も絶え絶えで、今にも『消えて』しまいそうだった。


「酷い……」


目に涙を溜め肩を震わせるセラフィーナに、そっと寄り添い、救世主が小さく耳元で囁く。


「奇跡の実は、食べられそうにないな。先に回復魔法をかけた方が良いだろう」


 それにコクリと頷いたセラフィーナを見て、救世主は徐に鉄格子に手をかけた。

 ドゴゥッと音を立てて、鉄格子がひしゃげる。嵌っている天井と床部分が無残に抉られ、土埃が立った。ひしゃげた鉄格子を横に投げ捨てた救世主は「力加減を間違えたな」と、驚く二人にバツが悪そうに言い訳をした。それよりも、早く回復魔法をかけなければと、救世主が牢の中に入るのを見て、セラフィーナも驚いている場合ではないと、すぐさま聖獣に駆け寄った。


「大丈夫だ。助かる」


 聖獣の側で膝をつき、回復魔法を施しながら、確信を得た救世主は、同じように回復魔法をかけているセラフィーナへと励ましの声をかける。ぐったりとはしているものの、呼吸が整ってきた聖獣を見遣り、セラフィーナも安堵の息を吐き出した。そしてセラフィーナは、持っていた鞄から奇跡の実を取り出す。


「匂いにつられて、目を覚ましてくれるといいのですが……」


 そうすれば、実を食べさせることが出来るかもしれないと、聖獣の鼻の近くに奇跡の実をセラフィーナが差し出す。だが生憎と、聖獣は目を開ける様子はなく、ただ静かに眠り続けるだけだった。

 と、その時、エグバートの硬い声が辺りに響く。


「元帥、来客ですよ。招いてなどいませんがね」


 嫌悪の混じったその言葉に、『来客』がこちらにとって良い人物ではないのだと如実に語る。実際そうなのだろう。その来客は、今回の聖獣保護の指示を出した内の一人だったのだから。


「エグバート、どういうつもりだ!」


 その来客は、エグバートの姿を認めると声を荒げた。頭皮の剥き出しになった頭と、片手には杖を持っている。そして皺が深く刻まれた顔と手、着ている軍服の勲章の数を見て、救世主とセラフィーナはその来客が『権力者』なのだと悟る。


「元老院の面々は全員捕縛の対象になっていましたが、自ら牢屋へ足を運ぶとは、他の者たちにも見習ってほしいものですね」


 エグバートの嫌味が続く。それに青筋を立て、向かい合った老人が声を荒げた。


「ふざけるな! 誰のお陰でその地位にいられると思っている!」

「自分自身の力なのは間違いありませんよ。元帥の側近になるには、実力以外あり得ませんので」


 事実、元帥である救世主の側近は、他の兵に比べて、圧倒的に死亡率が高い。元帥が相手にする魔物は、それほどまでに強いのだ。常に一緒にいる側近に求められるのは、強靭な精神力と戦闘能力だ。とはいえ、それらは救世主には遠く及ばない。


「おい、知り合いか?」


 救世主の問いかけに、エグバートが嫌そうに顔を歪めた。薄暗い中でもはっきりと分かるその表情は、心底嫌がっているように見えて、救世主は目の前の老人を警戒する。


「はい。私の祖父です。そして、今回の聖獣の略奪者です」

「略奪?」

「はい。今回の聖獣は保護されたのではなく、秘密裏にここへ連れて来られ、後程その心臓を抉られる運命にありました」

「なっ!」


 淡々と告げるエグバートの言葉に、救世主とセラフィーナは驚きを隠せないでいた。


「知っていますか、元帥。精霊族の心臓を食べると、不老不死になるそうです」

「はっ、そんなのは迷信だろう?」


 救世主は馬鹿馬鹿しいと言いながら立ち上がり、エグバートのすぐ横へと移動した。


「はい、恐らくは。ですが試そうと思った輩がいました。それが軍の中でも老害でしかない元老院の者たちです」

「貴様! 儂らを侮辱する気か! 只では済まさんぞ!」

「おや、面白いことを言う。貴方がたは全員、犯罪者であり、反逆者だ。今やただの罪人が、何を喚いているのやら」


 腕を組み、威圧的に言ってみせるエグバートに、老人が苦い顔をした。


「こんなことは、認められないぞ! いや、認めるわけにはいかない!」

「貴方たちが何を言おうと、変わりませんよ。軍事裁判で既に判決は出ています」


 急遽執り行われた軍事裁判では、総督であるグレアムが筆頭となり、元老院を追い詰めた。回復薬の独占を指示したり、殉職に見せかけた殺人や軍費を横領したりと、たくさんの悪事が暴かれたのち、その場で全員の極刑が言い渡された。

 そこに聖獣の件も加えれば、国家転覆を図った反逆罪も付け加えられるだろう。


「珍しく俺のところにも書類が回ってきたが、まさか聖獣の心臓を喰らおうとはな。お前の方が余程魔物に見える」


 そこで老人は救世主を睨みあげた。そこには侮蔑と怒りがない混ぜになった、醜い老人の顔があった。


「この若造が! 化け物のくせに、よく回る舌だ!」

「まあ、お前がここにいるってことは、捕縛に失敗したってことだしな。命令違反として、処罰する者が多くなりそうなのは確かだな。もちろんお前も、逃亡者として厳罰を用意してやるよ」


 何でもないようにサラリという救世主に、老人は益々憤慨する。手に持った杖を振り上げ、救世主へ殴りかかろうとする。当然のことながら、それが救世主に届くことはない。それどころか、エグバートに杖を取り上げられ、よろけたと思ったら、その場に尻もちをついてしまう始末だった。


 その時だった。

 暗闇から青白い手が、セラフィーナの真後ろから伸びて来た。勢い良くセラフィーナの首に腕を回すと、締め上げる。


「ぐっ……」

「セラフィーナ!」


 セラフィーナの異変に気づいた救世主が振り返ると、長いボサボサの髪を振り乱した片脚だけの男が、セラフィーナの背後から、覆いかぶさるようにして首を締めていた。

 

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