第二十一話
重苦しい空気の中、救世主の話は尚続く。
「人柱には、あんたの奥さんと娘も入っていると思う。もしかしたら、息子も。それはさっきのセラフィーナの忘却魔法を見た時の、あんたの奥さんの態度から想像できる。まあ俺としては、納得は出来るがな」
「納得、納得など! できるはずがない!」
ジョナスは救世主の言葉に激昂した。肩を震わせ、拳を握りしめ、椅子から立ち上がったジョナスに、救世主は少しばかり慌てて言い繕う。
「ああ、悪い。話の流れから、そうなっちまうのは仕方がないと思っただけだ」
「仕方がないなどと!」
救世主には、ジョナスの気持ちもまた、よく分かっていた。救世主自身、先程セラフィーナを失いかけたのだ。あの時の絶望と悲しみは、どんな言葉でも言い表すことはできないだろう。
「ああ、分かってる。そうじゃないんだ。俺が言いたいのは、精霊族側の言い分として、あんたを巻き込みたくないって気持ちを持つのは仕方がないんだと、そう思ったんだ」
「それでもです! 私は家族と共にいることを望みます」
「それが出来ないから、本当のことを話さなかったんだろう」
「できない?」
「だってそうだろう? あんたが精霊界に渡れたとしても、人柱にはなれないし、魔物がいる限り大地も復活出来ない。そうなると、あんたの役目は人間界に残り、息子と共に精霊族の保護や仲間を増やすことになる。あんたの奥さんと娘が、こっちに残るってことなら、あんたの希望も叶えられるかもしれねえが、それじゃあ駄目なんだろうよ」
万能薬を作り終え、精霊界を救うべく、じきにあちらへと渡る筈だったジョナスは、どさりと力なく椅子に座る。
「何故……」
小さく呟いた言葉は、どれに対しての疑問なのか、救世主は考える。
何故、話してくれなかったのか。何故、置いていかれるのか。何故、二人が人柱になるのか。何故、精霊界はそんなことになってしまったのか。その全てだろうと、救世主は結論つける。
「まだある筈です! まだ、何か方法が! 人柱など、そんな方法ではなく!」
「ああ、確かにある」
「え?」
やけになって叫んだジョナスは、救世主の言葉に思わず驚きの声を上げる。そんなジョナスに、救世主はニヤリと自信に満ちた笑みを浮かべた。
「方法はある」
「それは……どんな?」
「俺だ。俺がいる」
「は?」
「俺は救世主だ。世界を救う者。それは人間界のみならず、精霊界をも救う者だ」
きょとんとした表情で、ジョナスは救世主をまじまじと見つめた。そして大きな溜息を吐く。
「はあ……何を言い出すかと思ったら」
「なんだよ、不満があるのか?」
その物言いに、機嫌を損ねた救世主は拗ねたように言う。
「不満とか、そういうことではなく……。そもそもあなたでは精霊界に行くことすらできないでしょう」
精霊族が血を分け与えられるのは、一人と限られている。そしてそれは、純血でなければならない。もし救世主を精霊界へ送るとなると、先程見た白い聖獣しかいないだろうと、ジョナスは厳しい表情をした。
「さっき、言っただろう。俺の育ての親は精霊族だ」
「え?」
そういえば、とジョナスはこの話になった切欠を思い浮かべた。救世主曰く、育ての親から聞いた精霊界の話を、計画を、たった今聞かされたのだ。それに思い至り、ジョナスの心臓が大きく跳ねた。それは今話されたことが、全て真実なのだと改めて気付かされる。
「そして俺は、赤ん坊の頃に山に捨てられていたと聞いている。赤子が山に捨てられて、五体満足でいられたとは到底思えねえ。捨ててすぐに拾われたならそれもあり得ただろうが、山は広いからな」
「まさか……」
「俺のこの『能力』も、精霊族の血を飲んだからじゃねえかと思っている」
元々の能力も相当に高いのだろうが、そこに精霊族の血が入ったことで、更に高い能力を出せているのだ、と救世主は付け足した。
「それでは、魔物をどうにか出来るということですか?」
「ああ、もちろんだ。今まで俺が倒せなかった魔物はいない。それどころか、魔物相手に苦戦をしたこともない」
精霊獣を助ける際、影と呼ばれる魔物には、少々危ない目に合わされたことは黙っておいた。
「ならばすぐにでも、そのことを知らせなくては!」
勢い良く立ち上がったジョナスだが、妻であるセシリーが今は居ないということに気づき、どうしていいのか分からず、思わず寝台で眠るセラフィーナに目を向けた。
そして、驚く。
「セラ! 起きていたのか!」
寝台で横になったまま目を開けていたセラフィーナに、ジョナスが駆け寄る。それを受けて、救世主も慌ててセラフィーナへと足を向けた。
「大丈夫か、セラ! どこか痛いところはないか?」
「はい、大丈夫です……」
ゆっくりと、顔を横に向け、セラフィーナの瞳にジョナスの姿が映る。ついで救世主へも目を向け、目礼をした。
「今は何も考えずに、ゆっくり休むんだ。明日、また話をしよう」
「……はい……」
力なく頷いたセラフィーナの表情は暗い。言わなければいけないこと、聞かなければいけないこと、やらなければいけないことがないまぜになり、セラフィーナはどうしたらいいのか分からず、途方に暮れた。そんなセラフィーナを知ってか知らずか、ジョナスはただ休めと言ってくれている。それに感謝し、セラフィーナは静かに目を閉じた。
「元帥、私は色々とやらなければならないことがありますので、一度ここを離れます。それで……いつ頃精霊界に渡れそうですか?」
「いつでも構わない」
「では明日の昼頃、元帥の執務室にお伺いします」
「ああ、分かった」
軽く腰を折った後、ジョナスはすぐに部屋を出て行った。その背を見送りながら、救世主はひと仕事を終えたと、大きく息を吐き出す。そしてセラフィーナへと、もう一度目を向けた。
「救世主様」
目を閉じたはずのセラフィーナは、しっかりと目を開け、救世主を見つめる。
「どこから聞いていた?」
「最初からです」
「そうか」
「お父様に、謝らなければいけませんね」
「ああ、そうだな」
「許してくれるでしょうか」
「さあな。だが、大丈夫だろう。家族なんだから」
救世主の言葉に小さく頷いたセラフィーナは、再び目を閉じた。本来ならば、セラフィーナを休ませるべきなのだろうが、救世主にはどうしても聞いておきたいことがあった。
「何故、忘却魔法を使った。あの時点で、それを使う必要性はなかったはずだ」
「あれが忘却魔法だと、見てすぐに理解したということは、本当に精霊族の血を飲んだのですね」
「そこはじじいから直接聞いたわけじゃねえから、飲んだとは断言出来ねえ。それでも今までにも似たようなことがあったんだ。知らないはずなのに、知識が流れ込んできて、それを理解しちまう。まあそのお陰で、山で暮らしていたにも関わらず、街に降りてもそう苦労はしなかったんだがな。これが血の力ならば、やはり飲んだということなんだろうな」
浅く笑んだ救世主に、セラフィーナは頷いた。そして救世主から、育ての親の老人への感謝の気持ちが伝わり、つられて笑みを零した。その笑みに、救世主は眩しそうに目を細める。
「血の話を聞いていたならば、忘却魔法は使わなかったと思います」
「そうか、すまない。もっと早く言っておくべきだったな」
そうすれば、あんなにもセラフィーナを苦しめずに済んだのにと、救世主は後悔の念に囚われた。
「そんな、謝らないでください。そのことは、本来ならば誰にも話さない方がいいに決まっていますから、隠すのは当然です」
「いや別に、セラフィーナになら話しても良かったんだ」
「え?」
救世主の言葉に、セラフィーナは驚く。そんな大事なことを教えるなどと、軽々しく口にしてはいけない。そう思い、セラフィーナは救世主を諭そうとした。ゆっくりと身体を起こし、再び救世主の目を見つめ口を開こうとした。だがそれよりも先に救世主が思いもよらない言葉を紡ぐ。
「俺にとって、セラフィーナは特別だ」
「え?」
「この感情は、自分でも上手く制御ができない。これが恋愛感情だということは、ちゃんと分かっているんだ。ただ、どうしていいのか、分からないんだ」
何を言い出すのかと、セラフィーナは救世主の顔を凝視する。みるみる赤くなった救世主の顔を見遣り、セラフィーナは喫驚した。そして大いに混乱する。今はそんな話をしているのではないと、困惑しながら口を開いた。
「ななななな何を……」
だが上手く言葉を発することが出来ず、それだけ言うと、口をパクパクさせて救世主以上に顔を真っ赤にさせた。
「なあ、セラフィーナはどうだったんだ。俺と昼に話をして、楽しいって思ってはくれなかったのか?」
その言葉に、セラフィーナは口を開けたまま更に真っ赤になった。そんなセラフィーナを他所に、救世主は床に目を落とし、赤い顔のまま、呟くように言葉を重ねる。
「俺はすげぇ楽しかった。毎日昼が待ち遠しい程に。セラフィーナに会いたくて、仕事も手につかない。会えたら会えたで、もっと一緒にいたいと思ったし、もっと話が聞きたいとも思っていた」
それはセラフィーナも同じだった。傀儡魔法のことが知られてしまうかもしれないと危惧しながらも、救世主と過ごす時間はとても楽しく、時間はあっという間に過ぎてしまう。それを寂しく思っていたのは事実だった。そしてセラフィーナは気付く。これが救世主の言うところの、恋愛感情なのかと。そして思う。本当にこれが恋愛感情なのかと。
「それは本当に、恋愛感情なのでしょうか? ただ楽しい時間を共有して、錯覚を起こしている、もしくはそうだと思い込んでいる可能性はありませんか?」
セラフィーナは、まだ恋というものを知らない。つい先日までは、同じ精霊族の誰かと一緒になり、子を設け、同胞を増やしていくという使命に従う筈だった。そこに恋愛感情は含まれない。一緒に暮らしていくうちに、家族愛が芽生えればそれでいいとセラフィーナは思っていた。
それが大穴の出現で一変する。
『計画』が実行に移されることになり、セラフィーナは覚悟を決めた。それは抗うことの出来ない決定事項であり、精霊族の存続をかけた免れることの出来ない使命でもある。だからこそ、救世主の申し出に、素直に頷くことは出来なかった。
「さっき、セラフィーナが死ぬって思ったとき、この世の終わりかと思った。俺はセラフィーナを死なせたくないと思ったし、死なせまいと必死だった。もし死んでしまっていたら、きっと暴走して国ごと破壊していたかもしれない。それほどまでに、俺は絶望していた」
背を丸め、力なく言う救世主は、とても小さく見えた。そんな救世主に、セラフィーナは申し訳ない思いが込み上げる。だから正直に、最初の質問に答えることにした。
「忘却魔法を使ったのは、傀儡魔法のことを知られてしまったからです。国に道具として使われてしまうかもしれないと思ったら、もう……」
「道具?」
「父が良い例です。奇跡の実で作った回復薬は、元々は精霊界の為に作ったものでした。怪しい研究をしていると、家に押入られ、回復薬の存在が露見し、国に奪われてしまいました。そして父は強制的に軍の薬学部に入れられ、研究そのものを国に奪われた形になりました。それだけではなく、上位貴族にいい様にされてしまって。すぐにこの国を出ることも考えましたが、万能薬を一刻も早く完成させたいという思いから、ここに留まることにしましたが」
回復薬を独占しようとした一部の貴族が捕縛されたことを思い出し、救世主は苦い顔をする。自分の知らないところで暗躍している軍の上層部に、嫌悪感が増した。
「そんなこともあって、もし私の傀儡魔法が国に知られてしまえばどうなるか、そう考えたら、もう方法はこれしかないと思いました。忘却魔法を使い、救世主様から私の記憶を消し、家族全員をこの国から逃がすことしか考えられませんでした。幸い私の家族は空間魔法を使えますので」
「だが、セラフィーナの母親が精霊族だと俺は知ってしまっている。セラフィーナと傀儡魔法の記憶が失くなったとしても、精霊族を国で保護することは変わらない」
精霊族を見つけた際、その血を悪用されないよう、国で保護することが法律で決められている。それでも、法を侵してでもその血を手に入れようとする者はいる。
「逃げる時間を稼げれば、それで良かったのです」
「今の話からすると、俺がセラフィーナを国に売るようなことをする人間だと、言っているように聞こえる。俺はそんなことは絶対にしない!」
声を荒げた救世主は、セラフィーナにそう思われていたことに衝撃を受ける。それと同時に、そう思わせてしまったことにも、後悔が押し寄せた。
「ええ、そうするのだと思っていました。救世主様は軍の元帥という立場で、国と強い繋がりがあると思っていましたから。だから、救世主様が精霊族の血を分け与えられたと聞いていたならば、忘却魔法は使いませんでした」
「すまない」
「ですから、謝らないでください」
うなだれる救世主に、セラフィーナは焦ったように言葉をかける。そして、救世主に強く願う。
「救世主様、どうか、精霊界をお救いください。魔物を排除し、元の精霊界に戻れるよう、力をお貸しください。お願いいたします」
寝台で起き上がった状態のまま、セラフィーナは頭を深く下げる。それに救世主は大きく頷いた。
「ああ、勿論だ。じじいの願いでもあっただろうからな」
「志半ばで、逝ってしまわれて、さぞ無念でしたでしょうね」
「ああ。本当はじじいと一緒に、蘇った精霊界で暮らしたかったんだが、じじいは死んじまったからな。だが俺は、新しい家族と一緒に精霊界で暮らすんだ」
「新しい家族と?」
「ああ、そうだ。なってくれるだろう? 俺と家族に」
「えっ!」
再びの衝撃発言に、セラフィーナは大いに慌てた。そしてまた真っ赤になる。
「思い込みじゃねえよ。この想いは本物だ。俺はセラフィーナと結婚して、精霊界で暮らすんだ。勿論、セラフィーナの家族も一緒にだ」
嬉しそうにそう言った救世主は、一気に家族が増えるな、と笑顔を零す。
「さあ、セラフィーナ。もう休め」
さんざん振り回しておきながら、救世主はさも気遣っているというように、セラフィーナをゆっくりと寝台に横たえた。それを恨めしく思いながらも、セラフィーナは救世主の言葉に従った。
「明日から忙しくなる。先ずは身体を休めて、万全の体制で臨まないとな」
「はい」
笑みを浮かべ、しっかりと返事をしたセラフィーナを見遣り、救世主は満足そうに笑う。
「じゃあな」
そう言って救世主は転移魔法で姿を消した。
セラフィーナは、救世主にみせていた笑顔を消す。そして、悲しみに満ちものに変えた。しんと静まり返った部屋に、セラフィーナは呟くように言う。
「救世主様……ごめんなさい……」
救世主が消えた場所を見つめながら。
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