第二十話

 ジョナスに案内され、セラフィーナを部屋へと運び、救世主が寝台へと寝かせる。

 それをじっと見つめるジョナスは、妻であるセシリーを抱えながら、ゆっくりと頭を下げる。


「元帥、お手数をおかけしました」


 ここまで運んでくれた礼を述べ、救世主にはお引き取り願おうと、ジョナスはもう一度口を開こうとした。だがそれよりも早く、救世主が言葉を発した。


「気にするな。それよりも、何故セラフィーナは目覚めない」

「そのうち目を覚ますかと。少しばかり身体に負担をかけ過ぎたようですので、もう少し時間がかかるかと思います」

「そうか」


 それきり何も言わなくなった救世主は、その場を動こうともしなかった。そのことに焦れたジョナスは、尤もらしい言葉をかける。


「元帥、お仕事の方は大丈夫ですか?」


 既に昼休憩は終わっている。何故ここに救世主がいるのかは分からないが、追い出すには良い理由だと、ジョナスは思った。だが、救世主の反応はいまいちだ。セラフィーナをじっと見つめたまま返事すら返さない。


「元帥、娘はいつ意識を取り戻すか分かりませんので、また仕事終わりにでもこちらに寄って頂ければと思います」


 セシリーとセラフィーナが精霊族だと知られてしまった今、一度救世主から離れ、姿をくらませる算段をしなくてはと、ジョナスは焦っていた。思い出すのは自分が拉致された時に地下で見た、二人の兄弟のことだった。あの兄弟は、特殊な魔法を使えると勘違いされて、拉致された。それどころか殺されて死霊魔法で操られていたのだ。

 精霊族を欲しがる人間は沢山いる。精霊族の血は、飲んだ者の魔力を上げるばかりでなく、精霊族が使える魔法が使えるようにもなるのだ。欲深い人間は、喉から手が出る程に欲しがるであろうことは容易に想像出来る。だからこそ、早く逃げ出さなければ、国に道具として使われてしまうと、ジョナスは焦った。


「あんたは今まで、どこに居たんだ?」


 ふと、救世主がジョナスにそう問いかけた。


「え?」

「どこに行っていた?」


 蒼白な顔でそう問いかけてくる救世主に、ジョナスは酷く戸惑った。空間魔法が使えることを、救世主に知られたくはないと思い、答えに窮する。だがその思いは、呆気なく崩された。


「亜空間で迷ったのか?」

「……何故それを……」


 呆然とそう呟いたジョナスに、救世主はセラフィーナから聞いたということを告げるのは、得策ではないとすぐに判断した。


「大穴が空いた時に、あんたの息子のキースが空間魔法を使っていた。だからあんたも、拉致された場所から空間魔法で逃げたんだと思ったんだが、違うのか?」


 上手く誤魔化せたかと思った救世主だったが、ジョナスは尚も疑問を口にした。


「何故息子だけでなく、私も空間魔法を使えると思ったのですか?」

「あんたが拉致された現場から、忽然と姿を消したという報告を受けている。息子と娘が空間魔法を使えるなら、父親のあんたも使えるのかと思ったが、違うのか?」


 息子だけでなく娘もと聞き、セラフィーナがキースの許へ奇跡の実を届けたと、セシリーから聞かされたことをジョナスは思い出した。


「人間の身で空間魔法を使えるのは、ごく稀です。普通は使えませんよ」

「だとしても、使える奴は存在する。それがあんただっとしても、不思議じゃない。実際、俺も使えるしな」


 言葉に詰まったジョナスは、これ以上は無駄な足掻きだと、諦める。そして、救世主もまた空間魔法を使える事実に落胆した。


「亜空間の中で、聖獣を見かけました。その聖獣を追っていたら、導を見失ってしまい、帰るのが遅くなりました」

「聖獣……」


 それは自分が保護した聖獣かと考え、救世主は思わずジョナスが身体を支えているセラフィーナの母親へと目線を移す。だが、先程セラフィーナの母親と感動の再会を果たしていた聖獣の姿が、今は見えない。


「あの聖獣は、どこに行った?」

「え?」


 救世主の言葉に、ジョナスは目を瞠る。自分が亜空間で出逢った聖獣が、よもや救世主に捕まってしまっていたのかと戦慄した。


『キキッ』


 すると高い鳴き声を発しながら、何もない空間から、ひょっこりと頭を出す白い動物が現れる。そのままするりと亜空間から抜け出すと、救世主の肩へと着地した。そのことに、ジョナスは驚いた。救世主のことを危険だと思っていたジョナスは、その聖獣の行動で、考えを改めるべきなのかと逡巡した。


「あんたが見たのは、この聖獣か?」

「いえ、毛色が違いました。私が見たのは茶色だったかと」

『キキッ!』


 そのジョナスの言葉に、聖獣のコリンが反応する。


「知り合いか?」

『キキッ!』


 コリンが救世主の肩の上で小さく飛び跳ねた。いてもたってもいられないのか、救世主の肩から飛び降りると、セシリーに駆け寄る。それを受け、セシリーはジョナスの腕から抜け出してコリンを抱き上げると、直ぐに行動を起こした。


「私たちは、仲間を探しに行ってきます」

「セシリー!」


 叫ぶように声を上げたジョナスは、セシリーを止めにかかる。だがそれよりも早く、セシリーは空間魔法で亜空間へと飛び込んだ。


「なっ!」


 ジョナスの腕が、空を切る。そのことに焦ったジョナスは、直ぐに追いかけようとした。


「あんたは、『計画』について、どこまで知っている?」


 焦っているところに、唐突に投げられた救世主からの質問に、ジョナスは眉間に皺を寄せる。


「精霊界を救うための計画に、精霊族の命を捧げる儀式がある。その命の選別はどうやって行われるか、知っているのか?」

「……何を……言って……?」


 救世主が精霊界のことを口にしたことに、ジョナスは酷く驚いた。何故知っているのかと。そして計画のことを聞き、狼狽える。


「命を捧げる?」

「聞かされていないのか? あの魔物から、精霊界を取り戻す方法を」

「魔物?」

「……あんたは何故、精霊界の大地が死んじまったのか、それさえも聞かされてねえのか?」


 救世主は、憐れむような視線をジョナスに向けた。

 その視線の意味を理解し、ジョナスは剣呑な目を救世主に向ける。 


「何故? 人間が原因ではないのですか?」


 元々人間界と精霊界は、表裏一体だ。人間界では魔物が現れる。その原因は人間の負の感情が大きく影響してのことだ。昔は人間同士で殺し合い、多くの血が流れ、大地が穢れた。そしてその負の地場から魔物が産まれたと云われている。

 その大地の穢れを浄化するのが精霊界だ。それ故に、穢れが酷くなればそれだけ精霊界の負担が大きくなる。それが精霊界の大地を枯れさせたのだと、ジョナスに説明したのだろうと、救世主は考えた。


「ああ、それもあるだろうが、いちばんの原因は、魔物だ」

「魔物? 先程から、元帥は何を言っているのです? 何か大きな勘違いをしているようですが」

「勘違いなら、良かったんだろうがな。このままじゃ、あんたは家族を失うことになる」


 真剣な救世主の表情に、ジョナスは益々困惑する。嘘を言っているような雰囲気ではないが、だからといってそれを容易に受け入れられることは出来ない。それ程までに、突拍子のない話であり、重い話でもあった。


「あなたはその話を、誰から聞いたのですか?」


 救世主の思い込みかもしれないと、ジョナスは淡い期待を抱く。およそ精霊族には縁のなさそうな救世主が、一体何を知っているのかと、訝しげな顔でジョナスはそう聞いた。


「育ての親から、精霊界を救う方法を聞いている」


 よく話していた御伽話が、精霊界のことだとは知らなかったが、たくさんの情報を、救世主は育ての親である老人から聞いていた。その中に、ある計画があることを思い出し、止めなければと、救世主もまた焦っていた。


「育ての親というのは、精霊族の方ですか?」

「ああ、そうだ。だから、精霊界を救うために、あんたたちに協力する。その前に、俺の知っていることを全部話す」

「元帥、私は妻から全てを聞いています。精霊界が今、どういう状況で、どう対処しなければならないのかを」


 ジョナスは動揺していた。寝る間も惜しみ、妻と子どもたちのために作った、死んだ大地を蘇らせるための薬が、無駄になるのではないかと。そして、役に立つことができないのではないかと。精霊界の復興のために尽力してきた日々が崩れてしまいそうで、ジョナスは強く拳を握る。


「状況については、あんたが聞いている通りだろう。だが、そうなった経緯と対処法は随分と違うはずだ。だからといって、あんたを利用しようとか、騙そうとか、そんな話じゃねえ。ただあんたに、生きていてほしいだけだ」

「そんな、それではまるで……」


 言いかけて、その事実にジョナスは恐怖した。先程救世主が口にした『家族を失う』という言葉が、現実になりそうで、ジョナスは苛立ちとともに強く否定した。


「そんなはずはない! 私は妻と共に精霊界に渡り、大地を蘇らせる手助けをするのですから! そして、蘇った精霊界で、家族皆で幸せに暮らすんです!」


 泣きそうな顔で、叫ぶように言うジョナスに、救世主は大きく頷く。


「ああ、もちろんだ。あんたの作った万能薬はそのための物だし、それがなきゃ大地は蘇ることはねえ。だがその前に、魔物をどうにかしねえと、意味がねえ」

「その魔物とは何なんです?」

「だから、全部話すって言ってんだろ」


 腕を組み、息を一つ吐き出した救世主は、今にも倒れてしまいそうなジョナスに「まあ、座れ」と手近にあった椅子を差し出した。力なく腰をおろしたジョナスを見遣り、救世主はゆっくりと話し始める。


「精霊界に一匹の、とても小さな魔物が迷い込んできたのが始まりだ。今までにも何度か、魔物が迷い込むことはあったが、大概の魔物は、精霊界の聖なる大地に浄化されちまう。だがその魔物は少しばかり特殊で、体内で属性を変換し、徐々にその属性に適応出来る軀に作り変えることが出来たらしい。そして運悪く、精霊界のどこにでもある、魔力を貯める石を呑み込んじまった。ここからが悲劇の始まりだ」


 育ての親が話していたお伽噺は、老人故かもっと回りくどいものだった。幼少の頃から聞かされていた内容を理解するのには、随分と歳月がかかったと、救世主は思わず感傷に浸ってしまいそうになる。


「魔物の体内に入ったせいか、石に貯まった魔力は全て魔物の糧となり、石は常に餓えている状態だった。だからその石は魔力を取り込もうと必死になり、どんどんと精霊界の魔力を吸い込んでいった。その度に魔物に魔力を奪われ、また吸い込むの繰り返しだ。それが数年続き、魔物の軀は随分と大きくなっていた。そしてその魔物の存在に気づいた頃には、精霊界の大地に異変が起こり始めていた」

「大きくなっていったのなら、もっと早く気づきそうなものですが」


 救世主の話を肯定したくないのか、矛盾点をジョナスが即座に指摘する。


「魔物が迷い込んだ場所は、精霊界の随分と端の方で、普段は誰も近づかないようなところだと言っていた」

「……そうですか」


 余り納得はしていないといった感じで頷くジョナスに、救世主は軽く肩を竦める。


「精霊界の大地が枯れ始め、作物が育ちにくくなってきたのを皮切りに、精霊族たちの身体にも異変が出始める。生まれたばかりの精霊はすぐに魔力が枯渇し、死んでいく。成人した精霊であっても、魔力の流出が止まらず、倒れる者が出てきた。その原因が大きくなった魔物だと分かり、追い出そうと試みたが、出来なかった」

「出来なかった?」

「そう、精霊族は精霊魔法しか使えない。精霊魔法は聖魔力でもって成り立つ。だからその魔法は全て魔物が吸収してしまう。物理攻撃に至っては、強い結界で弾かれて、歯が立たない。ただでさえ精霊魔法は結界に特化しているのに、聖魔力をたらふく吸収した魔物の結界は、容易には破壊するこが出来なかった」


 沈痛な面持ちで、考え込んでしまったジョナスを見遣り、信じてくれたのかと救世主は思う。寝台で眠るセラフィーナに目を向け、いよいよ精霊族の計画へと話を進めようとジョナスに顔を向けた。だがその前にジョナスが口を開く。


「精霊族以外の誰かに、魔物の討伐を依頼しなかったのは何故です?」

「精霊界に、精霊族以外の者を立ち入らせることは出来ない。それでも、精霊族の血を呑んだ者なら可能だが、それはその血を分け与えた精霊族がその人物を仲間と認めなければならないという制約もある」

「血を……」

「だが、聖魔法以外だったとしても、無理だろうな」


 強力な結界の前では、全ての攻撃が防がれてしまうだろうと、救世主は考えていた。だがそれは、『普通の人間』の攻撃の場合だ。


「あんたも血をもらったんだろう?」

「……ええ……」


 ジョナスの歯切れの悪い答えと、訝しむような表情は、目の前の救世主という人間を警戒していることが伺えた。それでも、精霊界に渡る話をしてしまったために、否定することも出来ない。そんなジョナスに救世主は、警戒するのは仕方がないだろうとそこには触れず、話を戻した。


「さて、ここからが本題だ。精霊界を救うための計画は、なかなかに残酷なものだ」「残酷……」


 救世主の口から出た言葉に、ジョナスは愕然とする。ずっと信じてきた明るい未来が崩れていくのを感じ、身体が震えた。それでもまだ、希望はあるのだろうと救世主の表情をジョナスは探る。


「計画はこうだ。精霊界の核となる神殿を、一度精霊界から切り離す」

「それでは、精霊界自体が失くなってしまうのではないのですか?」

「核となる神殿が無事ならなんとでもなる。俺はそう聞いている。だが、精霊界がどうなるかは分からない。今までそんなことをしたことがないんだ。本当に大丈夫なのかどうかは、誰にも分からない」


 大きく頷いたジョナスの顔は真っ青だった。だがこれよりも、もっと酷い話が待っているのかと思うと、ジョナスは目眩を起こす。そんなジョナスを尻目に、救世主は淡々と話を進めた。


「神殿を切り離すためには、それは大きな魔力が必要になる。その魔力を一体どこから捻出するのか。そう考えたとき、一人の精霊族が提案した。人柱を使おうと」

「人柱……。それは、命を?」

「要はそういうことだ。命を魔力に変えて、神殿ごと亜空間に移動させ、その亜空間を維持する。そして吸収する魔力がなくなれば、魔物は自然と朽ちていく。一体どれだけの時間が必要なのか、それは誰にも分からない」

「魔物が朽ちたと、どう判断し、どうやって亜空間を解除し、また精霊界に繋げるのです」

「番人を一人、選出するらしい。永い永い時を、ずっと一人で見守り、その時が来たら然るべき手順で精霊界を蘇らせる。そのために、命の選別を行う」

「命の選別……それは……」

「誰が残り、誰が人柱になるのかだ」

「残るのはたった一人……他の者は人柱に? それでは精霊界が復活しても、精霊族が居なければ意味はない筈です」


 随分と動揺していたジョナスは、思ったことをそのまま口にした。


「そうじゃない。命の選別は、文字通り、生かす者と人柱になる者の選別だ。生かす者はそのまま残る」

「どこに残るのです?」

「この人間界にだ。既にセラフィーナと同じように、精霊族と人間の混血者は何人かいるんだろう? この人間界で、少しずつでもその数を増やして、来たるべきときに、帰るんだ。あの地へ。だが精霊界が復活するのにどれ程の時間がかかるかは分からない。いくらあんたが作った薬があっても、元に戻るまでには相当の時間がかかる。それに人間界の負の地場も、今よりももっと酷い状態になっているかもしれない。それを考えると、永遠にその地に戻ることが出来ない可能性もある」


 ジョナスには、到底理解出来ない話だった。いや、したくないといったほうが正解だろうか。精霊界で万能薬を使用すれば、数年でその大地は蘇ると思っていた。だから、すぐに精霊界へと渡り、家族だけでなく、人間界に渡った精霊族たちと共にあちらで新しい生活を始めようと思っていたのだ。それはジョナスだけでなく、家族の総意だった。家族四人で話し合い、人間界に渡った他の精霊族たちにも連絡を取り、そう決めていたのだ。それがどうして、命の選別などという話になっているのか。ジョナスはもう、救世主の話を聞くことも考えることも放棄したい衝動に駆られていた。

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