狂い咲く人間の証明

「え、それは……ちょっと、お店の決まりが……」


 この業界も広いので商慣習は土地・店・個人その他によりけり様々だが、あたし個人は本番はやってない。生は論外だ。何故って、あたしにはピルを買うために医者に通うための、金と保険証が無いからだ。その他感染症のリスクがあるのは無論のこととして。


 そう言うとケンジ氏は札束を一つ投げて寄越した。軽く200万はあるだろう。


「それでも足りない?」


 足りない、と言う気にはならなかった。だが、正味な話恐怖感の方が勝る。色々の意味で。


「何故ですか」

「何故とは?」

「他に選ぶべき店はいくらでもあるし、選ぶべき女がいくらでもいるでしょう。なぜ、あたしなんかにそんな大金を気軽につぎ込もうとするんですか。正直、怖いです」


 そう言いつつも、受け取ってしまった金を返す気にはならない。返さないということは、そのような意志があるとみなされても仕方がない。法律はどうなっているか知らないが、この場のお互いの空気としては確かにそういう流れになっていた。


 で、ケンジ氏は。


「適当に選んだんだ。意味なんかないよ。誰でもいい、金の力で言いなりにさせてみたかった」

「そう……ですか」


 そこまで話したところで、投げ飛ばすようにして乱暴に、ベッドに押し倒された。後ろからのしかかられる。挿入。いや、痛いんですが……


「黙ってろ。抵抗するな。好きなようにやらせろ。金はやる」

「……」


 これは狭義には売春だが、広義にはレイプだなあ。この世界では、そんなものはよくあることなんだけども。


 それに、イキそうになるたびにあたしの首を絞めてこないだけマシではあった。そういうのは客で二回、プライベートで一回遭遇しているが、客なら一発出禁、プライベートで遭遇した方は色々あってストーカー化もしたので、ここにはちょっと書けない手段で‟手を切って”もらったのであった。歌舞伎町や今の店との縁もその頃からである。


 さて。向こうが気が済むまで好きなようにさせ(といってもそう何発も続くものではない)、シャワー室で身体を洗い、出てバスローブを着て、通常の手順で言えばピロートークの段階なのだが。


「実は危険日だったんですが、当たったらどうしましょうか」


 ケンジ氏が無言で札束をもう一つ積もうとしたので、あたしは慌ててそれを断わった。


「そういう意味で言ったんじゃないです。迷惑な話ですけど、産んで欲しいのかなとか思ったものですから。違うなら、それならそれで別に」


 さて、とあたしは立ち上がる。


「コーヒーでも淹れましょうか。ミルクとお砂糖、どうします」

「アリアリで」


 ホテルに備え付けのアメニティを利用して、あたしはコーヒーを入れる。


「それで——ケンジさん、ひと眠りした後で死ぬつもりですか? それとも今すぐ?」


 正味なことを言えばカマをかけただけだったのだが、ケンジ氏のコーヒーカップが震えて、カチカチと音を立てた。


「なぜ、そんなことが分かる?」

「分かりますよ。そんな大金があるのにそんな無茶苦茶な使い方して、意味もなく似合いもしない喧嘩とかして。死ぬ前にやりたかったこと、やれるだけやっておきたかったんでしょう?」

「お前……」

「モヨコです」

「モヨコ。聞いてくれよ。オレさぁ、オレはさぁ……!」


 ケンジは泣き崩れて、自分の過去についてとうとうと語り始めた。あたしは生返事で相槌を打ちながら、それを聞くふりをしてやった。職場でひどいいじめにあって、金を横領して逃げてきて、と、そういうありふれた話が混じっていたが、てきとうにそれも流す。


「なぁ……やっぱり死ぬのって怖いんだよ……どうすればいい……どうすればいいと思う? モヨコは」


 ……いちおう考えてはみたが、話の内容からして既に警察が動いている案件だし、今からではこの金は洗えない。ケンジの今後についていえば、刑務所に行かせるのが最善手だ。まして、あたしがこの金に手を付けたら、あたしが警察のお尋ね者である。札束で受け取った分が惜しくはあるが、そっちも返さないといけない。風俗嬢としての分限、相場以上には抜かずにおこうと思う。


「それよりもさ。アタシ、実は本業はフリーのルポライターなんだ。あなたのその話、改めて取材させてくれない?」


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 あたしはいつものネットカフェのブースに座り、テレビをつける。朝日山信用金庫住永支店3億円横領事件、通称住永事件のニュースをやっている。


 住永事件の犯人は既に警察に出頭し、犯行を認めて服役の意思を示し……と、アナウンサーが通り一辺倒の説明をしている。このネタをすっぱ抜いたのがどこの誰様だったのか、なんてことは、このアナウンサー様がいかにエリートだろうと分からない。


 あたしは初めて自分の書いた文章が本になることになったので、とりあえずアパートを借り、これから引っ越しをするところである。人生、本当に何が幸いするか分からないものだ。


 なお、ケンジ氏は一人で盛り上がった末に「出所するのを待っててくれ」などと言い出していたが、あたしには別にそんなつもりはなかった。向こうにも、実際のところは無いんじゃないかな。知らんけど。多分。




 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

UNDERGROUND SEARCH LIE きょうじゅ @Fake_Proffesor

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ