みんな


 奈々がものすごい剣幕で純情男を睨みつけている。あんな顔をした奈々を初めて見た。奈々と目を合わせたであろう純情男は、恐れをなしたのか反対側の出入り口から走って逃げてしまった。


 その姿をしっかりと目で追って確認した奈々の体から、風船がしぼむように力が抜けていく。すぐに顔を上げて駆け寄ってくる。


「利光、大丈夫?」

「そう見えるなら大丈夫なんだと思う」


 利光は奈々から顔を背けた。


「あ、警察は嘘だよ。ごめんね。びっくりしたよね」

「……別に」

「でもよかった。だってぜんぜん抵抗しないんだもん」

「よくなんかねぇよ。なんで俺なんか助けた」


 まだ別ななにかに体を乗っ取られている。


 奈々は口角を引きつらせた。


「なんでって、そんなの」

「いい加減にしろよ!」


 感情のまま、奈々に怒鳴ってしまう。


 いい加減にするのはどっちだ。


「ほんとに、もうほっといてくれよ……」


 利光は立っていられなくなってその場に座り込む。


「利光、ほんとに大丈夫?」


 奈々が肩に手を置いてくれるが、利光はその優しさを拒絶するようなことを口にした。


「なんで奈々はいつまでたっても俺を責めないんだ。何度も奈々を利用したのにさ! なんでみんなは俺を嫌わないんだ。俺はこんなに、こんなにも最低な人間なのに」

「私が利光を恨むわけないじゃん」


 朝の日差しのような優しい声が聞こえてきた。指先がびりびり痺れている。伏せていた顔を上げて奈々を見る。


「だって利光は、私の大切な友達だから」

「俺はその友達の大切なものを奪ったんだ」

「利光はいろんなものを与えてくれてるよ」

「違う。俺は女たらしの最低野郎で、嫌われてても仕方なくて、一緒にいるとみんなの評判を下げるようなやつだから」

「自分でそんなこと言わないでよ」


 悲しそうな顔をした奈々が、首をゆっくりと左右に振る。


「私は利光がどんなことしてたって、大切な友達なの」

「俺がいなくたって、みんなやっていけるさ」

「違うよ。だって利光がいなくなったら、もうそれは〝みんな〟じゃない。奏平も寛治もりんも私も、そして利光もいる。この〝五人でみんな〟なんだよ」

「…………五人で」


 奈々の言葉は暖かく柔らかい。


 愛情に包まれるってこういうことなんだと思った。


「五人で、みんな」


 それでもいいのか。


 こんなクズのろくでなし男を、みんなはそれでも受け入れてくれるのか。


「俺は、でも、奈々の大切な気持ちを奪ったんだ。取り返しのつかないことをしたんだよ」

「さっきからなに言ってるの? むしろ利光にはいろんなものをもらってばかりで」

「俺の中で暴れてるんだよ!」


 胸をかきむしる。【強奪】を使った時からずっと、皮膚を突き破ろうとしてくる熱いものを感じている。


「こんな大切な、でっかい感情を奈々は我慢してたんだな。抱えてるだけでこんなに苦しくて、切なくて、すごく愛おしい」


 能力で奪った奈々の恋心が早くここから出せと叫んでいる。元の場所に帰りたいと嘆いている。しかも利光がずっと抱えていたりんへの恋心まで、奈々の恋心に触発されて暴れている。そうだ! 恋心ってこんなにも苦しいんだ。楽しいんだ。切実なんだ。


「こんな大切な気持ちは、ぶつけなきゃだめだよな」

「ちょっと利光?」


 奈々は首を傾げている。なんのことかさっぱりだという感じだ。


「ほんとにすまん。俺は、奈々の奏平への気持ちを奪ったんだ」

「えっ? そうへ、気持ち?」

「ああ。昨日の夜電話した時、奈々がずっと大事に抱えてきた、奏平のことを好きだっていう大切な感情を俺は奪ったんだ」


 利光は握りしめた拳で自分の太ももを殴る。


「ちょっと待って。私が、奏平のことを、好き?」

「ああ、そうだ」

「それって友達として……じゃないよね?」

「友達としてもだと思うぞ」


 小さく頷くと、奈々は眉根をピクリと上下させた。


「利光が、私の気持ちを奪った」


 胸に手を当てながら呟いて、二度三度と頷く。


「そっか。私が、奏平を……」

「信じられないかもしれないけど、ほんとの奈々は奏平のことが好きだったんだ。それを俺が自分勝手に奪った。その感情が俺の中でずっと暴れてる。苦しい。本当に取り返しのつかないことをした」


 深く頭を下げる。こんなんじゃ足りない。言葉の限りを尽さなければと思う。虫のいい話かもしれないけど、この切実な恋心を主のもとに返してやりたい。


「忘れたままなんて辛すぎるよな。ほんとにごめん。俺は何年かかったってやってやる。奈々が思い出してくれるまで、何度でも、何年でも。財津利光の人生をかけて、いかに奈々が奏平のことを好きだったのかを説明して、この大切な感情を取り戻して欲しい」

「……そういうことだったんだ」

「本当にすまん。信じてもらえなくてもいいけど、奈々は、本当は奏平のことを」

「大丈夫だよ」


 肩に手が置かれ、利光は顔を上げる。


「そんな苦しそうな顔しないでさ、いつもみたいに笑ってよ」


 奈々の笑顔は、太陽のように眩しかった。


「笑う、なんて、今の俺にはそんあ」

「私はね、利光がそれだけ私のことを考えてくれて嬉しいんだ。ちゃんと利光の中に私がいるんだって分かって、すごく嬉しい」

「奈々……」

「きっとね、利光がそれだけ苦しんでるのは、みんなのことをすごく考えているからだよ。利光は自分勝手じゃない。利光がどれだけみんなを笑わせてきたか、みんな知ってる」

「そんなのは違うんだ」


 利光は必死で首を振ろうとしている。


 でも、もう首が疲れて動かないんだ。


「違わないよ。大丈夫。利光は私の大切な友達だから、信じるよ」


 奈々の気持ちが嬉しくて頷いてしまうんだ。


「私の中にその気持ちがなくたって信じられる。だって利光が言ってるんだもん。私が奏平を好きだったって気持ちを忘れてることが、本当なんだって」


 どれだけみんなのことを突き放しても、みんなのことを傷つけたと思っても。


 一緒にいたいんだと、友達でいたいんだと思ってしまうんだ。


「実は私ね、心の中にぽっかり穴が空いてるっていうか、そういう気持ちが今朝起きた時からずっとあって、心がきゅーってなってて。過去の自分の行動になんか納得できないところもあって」

「……そっか。そうか」


 もしかしたら、大丈夫かもしれない。


 今、奈々の中から奏平を思う気持ちがなくなっているのだとしても、またその気持ちが生まれないとは限らない。一人の人間がこんなにも切実な恋をしたのだから、むしろその感情が復活しないわけがない。


「もう泣かないでよ利光。安心して。利光は今までもこれからもみんなの中の一人なの。絶対にいなくならないで。私はみんなで寛治に『おかえりなさい』って言いたいんだ」

「俺も、そうしたい」


 腕でごしごしと涙を拭いながら、何度も頷く。


「ありがとう……奈々」


 迷いや痛みが溶けていく。


 体がポカポカ温かい。


「俺はみんなのことが大好きなんだ。いつまでも一緒にいたいんだ」

「知ってるよ。そんなこと改めて言わなくたってね」


 奈々は誇らしげに胸を張った。


「だって私たち、親友でしょ」

「……だな。俺の気持ち、奈々はずっと知っててくれたのか」


 利光は頭をガシガシ掻いた。涙はもう止まっている。改めて奈々に頭を下げた。


「ほんとにありがとう。これからもよろしく頼む」

「ちょっと、だから顔上げてって」


 慌てたように言う奈々。


 顔が少し赤くなっていた。


「それに、私の方こそありがとうだよ」

「え?」

「利光のおかげで、私も大切なものを思い出したの。私たちは、これまで五人全員でみんなの世界を創り上げてきた。みんなでいるからみんなが大切なんだって気持ちを、そのわがままだけは貫き通すことにするって思えたから」

「じゃあ、俺もそうする」


 奈々の言葉は、利光がずっと求め続けてきたものだった。


 奈々がみんなを大切に思ってくれているように、利光もみんなのことを大切に思っている。


 だからこそ利光は、自分の無責任で生まれたこの状況をこのままにはしておけないと思った。


 これから自分がやろうとしていることが正解かどうかなんて分からない。


 そんなの分からなくていい。


 きっとみんななら、その間違いすら正しいものにしてくれる。


 今までみんなのなにを見てきたんだ。みんなはきっと間違いも正しいに捻じ曲げてくれる。


 それは、自信じゃなくて確信。


 みんなと築いてきたつながりを信じられるからこそ、利光は決断できた。みんなのことを心から信じられるから、利光は破壊者になれると思った。


「なあ、奈々」


 久しぶりに心から笑えている気がする。


「俺さ、実はりんのことが好きだったんだ」


 奈々は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに小さく笑い始めた。


「そうなんだ。でも、そうじゃないかなって思ってた――ってそうだよりん! 私、りんの家に行くところだったの」

「え?」

「能力とか神様に頼らずに、みんなで、みんなとずっと一緒にいる方法を考えようって思ってて。そのためにはまずりんに謝らなきゃって。それで近道だからここ通ったら利光が殴られてるの見て」

「ははは、そっか。そうなのか」


 おかしくなってきた。自分が助けられたのは、巡り巡ってりんのおかげでもあったというわけだ。


「なんで笑うの? 利光がついにおかしくなった?」

「いや、なんていうかさ、その……俺も一緒に謝りに行っていいか? 実は俺もりんと喧嘩してて」

「そうだったの?」


 奈々は目を見開いがたが、すぐに手を差し伸べてくれた。


「じゃあ一緒に謝りに行こうよ」


 利光は小さく首を振りながら、その手を取る。


「それなんだけど、俺にいい考えがある」

「考え?」

「俺を信じて奈々は俺の言う通りに動いてくれないか? 俺たち自身の力で、みんなを守る方法を思いついたんだ」


 それはみんなが、自分のエゴを前面に押し出す作戦だ。


 でも大丈夫。


 だって、みんなのエゴごときでみんなのつながりは壊れない。なんでこれまでみんなの世界を信じることができなかったんだ。みんなを信じてやれなかったんだ。


「分かった。その方がいいんだよね」


 まだ作戦内容も話していないのに、奈々は二つ返事で了承してくれた。


「だったら私は、利光について行くよ」

「違うさ。みんなで一緒に歩いていくんだよ」


 奈々の返事を聞いて、利光は覚悟を決める。


 もう迷わないと。


 みんながみんなであるためにみんなに遠慮することが、みんなでなくなることなのだと理解したから。


 なにをしたって崩れなかったものがみんなになるのだと、理解したから。

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