エピローグ  あの日夢見た永遠 高麗奏平4

片道切符でどこまでも

 奏平はキャリーケースを転がしながら、神凌駅の改札を通り抜けた。


 お婆ちゃんが改札で切符を入れるのにてこずっていても、冷たい目を向ける人はいない。ああ、都会とは違うなぁと心が温かくなった。


 駅舎の外に出ると、夏の日差しがとにかく眩しかった。


 久しぶりの地元、神凌町。


 そのゆったりとした空気を肺に満たすと、アホみたいに生き急いでいた高校生の頃の自分に戻ったような気分になる。


 女神様、元気かなぁ。


 願いを叶えるために貰った能力を奏平はついぞ使わなかった。今後使う気もない。そう考えると、あの女神様の言ったことは大嘘に……ならないか。


「よく考えましょう、か。よく考えて使いましょうとは一言も言ってないもんな」


 実家までの道のりをゆっくりと歩きながら思わず苦笑する。我が家のことを実家と呼ぶ日がくるなんて……という哀愁もちょっぴり感じる。


 もちろん、通学路にあった駄菓子屋が普通の家になっていたり、空き家が更地になっていたり、街並みに変化が全くないわけではない。


 だけど、みんなで飽きることのない青春を謳歌したこの神凌町は、都会の喧騒で疲弊した奏平を安らぎで包んでくれる。


 奏平は今、臨床心理士になるために大阪にある大学の大学院に通っている。有名な心理学の教授がいる大学だ。


 利光は映画監督になるために、神奈川県の映画専門学校に入学し、今は丸谷だか里谷だか忘れたが、とにかく有名な映画監督の弟子として日夜雑務に奔走しているらしい。


 りんはモデル兼タレントとしてテレビに雑誌に大活躍している。


 奈々はアメリカに洋服のデザインの勉強のために留学しており、今は自身のブランドを立ち上げる準備中だ。


 別々の場所で別々のことをしていても、みんなで会える日が年に一回もなかったとしても、この五人は特別ななにかでつながっている。


 みんながみんなの安心して帰れる場所になっているから、どんな場所にだって片道切符で行けるし、誰もが無謀だと言って笑ってくることにだって大胆に挑戦できる。死ぬ気になれる。奈々との遠距離恋愛はちょっと辛いけどね。


 家に帰ると、母さんと妹の双葉が笑顔で迎えてくれた。


 父さんの仏壇に線香をあげて、すぐに奏平は家を出る。


 今日は、そんなみんなが久しぶりに集まる日だ。


 集合場所である駅前の居酒屋に行くと、すでにみんな待っていた。


「悪い。荷物置きに行ってたらちょっと遅れた」

「んなことはいいから、さっさと入ろうぜ」


 とすでに顔が赤い気がする利光が居酒屋の扉を開ける。奈々とりんとも適当に挨拶を交わし合うと、時間なんてすぐに巻き戻った。


 その居酒屋は、みんなで集まる時にいつも使っているので、店主のおじさんとはもう顔なじみだ。


 奥の座敷に通されると、久しぶりに集まったのが嘘のように四人で語らい合った。それぞれの近況や、青春時代の懐かし話と話題は尽きない。空きグラスがどんどん増えていく。


 子供のころに出会って、ビールを飲める年齢までつき合う人間の数が実はそう多くないと知ったのは、実際にビールを飲むようになってからだ。


 だからこそそんな友達の大事さを実感するし、変わらない宝物を得られたことに対する幸せをこれからも大切にしたいと思う。みんなの苗字が変わったり、名前の前につく肩書が長くなったり、顔のしわやしみが増えたりしても、俺たちはこうして集まるのだと、奏平はすでに確信している。


 無理やり行かされるバイト先の飲み会だと、三時間の飲み放題はひどく長く感じるのに、みんなで飲むと時間はあっという間に過ぎてしまう。閉店間際まで飲んでいたのに、本当に一瞬だった。


 奏平が会計を済ませていると、顔を真っ赤にした利光がりんと奈々に支えられながら後ろを通り過ぎていった。まさかお酒に一番弱いのが利光だとは思わなかったので、初めてみんなで飲んだ時、利光が酔いつぶれた姿を見て奈々とりんと三人で笑い合った。


「今日はありがとうございました」

「あいよ。いつもありがとさん」


 店主のおじさんがいつものサービスとして飴を人数分くれる。


「ところで明日の予約は、本当に五人で間違いないのかい?」


 おじさんがいかつい眉をへの字しにしながら聞いてきた。まあ、それもそうか。いつも四人で予約しているので、不思議がるのも無理はない。


「はい。明日は五人で間違いないです」


 受け取った飴をポケットに入れながら答える。


 おじさんはまだ不思議そうな顔をしていた。


「そうか。お前らは四人衆じゃなかったんだな」

「実は、幻の五人目がいたんです」


 冗談っぽく言って、奏平は店の扉に手をかける。


 外に出ると、夏の夜風がアルコールで火照った体に当たって気持ちよかった。


「あっ、やっときた。明日の予約ちゃんと取れてた?」


 利光に肩を貸しているりんに聞かれる。


「ああ。ちゃんと五人で取れてるよ。おじさんが不思議がってた」

「だろうね」


 うなずいたりんが、利光に顔を向けた。


「ってか利光大丈夫? いつにもまして真っ赤じゃん」

「まじ? 俺めっちゃ元気だけど、奏平ん家で二次会やるぞー」


 拳を夜空につきあげる利光。


 みんなで集まった時は、決まって奏平の家で朝までコースと相場は決まっている。


「行くのはいいけどさ、まだ飲む気なの?」


 りんが蔑むような目を向けても、利光はその笑顔を崩さない。


「悪いかよ? 俺の遺伝子はアルコールでできてるんだ」

「いったいいつ恋愛マスターからただの酒呑みに退化したんだか」


 利光とりんの軽妙なやり取りが面白くて、奏平は思わず吹き出した。


 りんの反対側で利光を支えている奈々も同じように笑っている。


「なぁ奏平。お前の母さんに言っといてくれよ。チキン南蛮作っとくようにって」

「いつまでたっても図々しい野郎だな」

「え、ダメなのか? 奏平の母さんの料理めちゃうまいじゃんか」

「起きてるわけないだろこんな時間に」


 ものすごく残念がる利光を見て、一応メッセージ送っとくかと奏平はスマホを取り出す。


《母さんごめん。利光がチキン南蛮あるかって。去年食べたの気に入ってたみたい》

《そう言われると思ってもう用意してあるわよー。冷蔵庫の中のタッパー。温めて食べてね。母さん寝るから》

《ありがと。おやすみ》

《はいはーい。おやすみ》


 スマホをポケットにしまい、りんと奈々からふらふらの利光をもらい受ける。のらりくらりと四人で夜道を歩いて帰った。


 家に着くと、母さんは寝ていたが、双葉はまだリビングでテレビを見ていた。


「あ、お帰りお兄ちゃんたち」

「ただいま双葉ちゃん。うわぁ、ちょっと会わないに間にスゲー美人になったなぁ」


 リビングに入るなり、あろうことか利光が双葉の隣に座ってちょっかいを出し始める。


「ありがとうございまぁす。私もぉ実はそうかなぁって思ってたんですよぉ」


 双葉は迷惑がるどころか、大袈裟な猫なで声で利光のノリに乗っかった。


 兄として、こんな返答をするようになった妹を情けなく思う。


 自分で自分のことを蔑むよりはましだけど、もっと大和撫子的なしおらしさを持って欲しかったよお兄ちゃん的にはね!


「そうだろうそうだろう! よし! 今度俺とデート」


 鈍い音がリビング中に響く。


 りんが利光の頭を持っていたカバンで殴ったのだ。


「ってぇ! なにすんだよ、酔い冷めちまったじゃねぇか」


 利光は頭を手で押さえながら、不機嫌そうに腕組みをするりんを見上げる。


「回転寿司」


 ぶっきらぼうに、料理名だけを告げるりん。


「は? ふざけんなよりん!」

「焼肉」

「だから、そういうはなし」

「高級ホテルのブッフェ」

「俺の給料を知ってるだ」

「高級フレンチフルコース」

「かしこまりました奢らせていただきます回転寿司で我慢して頂けないでしょうか」


 その土下座は、礼儀作法の教科書に乗せたいくらい見事なものだった。


「分かればよろしい」


 片目を開けたりんが嗜虐的な笑みを浮かべながら言うと、リビングは爆笑の渦に包まれた。奏平も、奈々も、りんも、双葉も、そして利光も笑っている。


 しばらくみんなで腹を抱えて笑い合った後、奈々が双葉に聞いた。


「そういえば、双葉ちゃんもお酒飲めるようになったんだよね」

「はい。もうばっちしです」


 親指を突き立て、にぱっと白い歯を見せて笑う双葉。


「じゃあ今日みんなで飲もうぜ双葉ちゃん。どっちが真の酒豪か競争を」

「アルハラって言葉あるの知ってる?」


 りんの鋭いツッコミに利光はまたも言葉を失う。


「冗談だってばぁ。ほんとりんはお堅いなぁ」

「え? なんて?」

「すみません許してくださいなんでもしますから」


 またりんに土下座をする利光。


「あ、わたしはいいですよ別に。だってこう見えて結構お酒強いので」


 それに……、と続けた双葉は、目を伏せて、本当に小さな声で、


「ついに明日かって思うと緊張して、酔ってないとやってられなくて」

「なにばかげたこと言ってんだよ」


 兄として、高麗奏平として、双葉を否定する。別にそれは双葉の決意や思いを否定したわけではない。


「双葉なら大丈夫だから、絶対に明日は寛治に伝えたいこと、正直に伝えろよ」

「お兄ちゃん……」


 双葉が俺をぽかんと見つめている。


「うん。そうだね。そうする。ってかお兄ちゃんからそれ言われるとなんか説得力が違うね!」


 満面の笑みを浮かべる妹にからかわれた気がしなくもないが、まあ、みんなが笑っているからよしとしよう。


 明日、寛治が帰って来た時、どうやって出迎えたら寛治は泣いてくれるだろうか。


 それを考えながらこれから飲むお酒は、本当に楽しくてしょうがない。


 まあ、寛治と一緒に飲むお酒にはかなわないだろうけど。


 買ってきた缶ビールをみんなで手に取り、「かんぱーい!」という利光の言葉を合図に、かん、こん、と軽くぶつけ合う。


 かちゃり、とプルタブを引き上げると、きめ細やかで真っ白な泡がふしゅりと吹き出した。




 ~完~


 長い物語にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

 感想、★、レビュー等いただけるとすごくすごく嬉しいです。

 田中ケケ

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僕の親友が、僕の父親を殺した。〜あの日、夢見た永遠〜 田中ケケ @hanabiyama

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