第十二章  みんな、覚悟を決めたのだ 財津利光4

りんの決意と

「傷つけることを恐れるな。壊れることを恐れるな」


 利光は思う。


 自分が奏平に向けて言ったこの言葉は、自分自身に向けて放った言葉でもあるのだと。


「しょうがないよなぁ。ほんと」


 女たらしのクズなのに、みんなが見捨てなかったんだから。


 みんなの困っている姿を見たくないんだから。


 ちなみにここで言うみんなには、財津利光も含まれている。


 みんなのことを考えるというのは、自分以外の四人だけのことを考えるのではなく、自分自身の気持ちも考えるということ。


 そうしなければ自分以外の四人が悲しむと、利光はもう知っている。


 だからこそ利光はみんなのために一計を案じた。奈々もりんも――りんにはひとつだけ秘密にしていることがあるけど――信じると言ってくれた。信じてくれた理由は、利光が大切な友達だからというものだった。


 本当に嬉しかった。


「おめでとう。奈々、奏平」


 利光は奏平の告白を建物の影から見ていた。


「よし、俺も」


 二人から受け取った勇気が揺らぐ前にとある場所へ向かうことにする。夏の日差しはとても強いが、利光の胸の内はもっと熱い。


 目的の場所、南校舎の裏口は、陽光が校舎に遮られて日陰になっていた。


 黒くなっている地面の上に、一人の女の子が俯き加減で立っている。


「よ」


 その女の子の前で立ち止まり、軽く手を上げる。


「よ、って、利光かよ」

「俺じゃ悪いか?」

「悪いに決まってるでしょ」


 残念そうに呟いて足元の小石を蹴ったりんは、すぐに「んくぅー」と大きく背伸びをする。


「まーそっか。そうだよねぇ。そりゃそうなんだって最初から分かってたけどさ、現実になるとやっぱショックだね」

「ご愁傷様って言っておく」

「なにそれ傷つくわー。利光の頼みを聞いたせいでこうしてフラれたんだから、またいっぱいいっぱーい愚痴聞いてもらうから」

「それ、俺に断る権利は?」

「あるわけないでしょ」


 腰に手を当てて高圧的な態度を取るりんは、圧政を振るう女王様のように見えた。


「傲慢なお嬢様に仕える執事にはプライベートはないってことですね」

「そういうこと。よく分かってるじゃない」


 不敵に笑っていたりんは、しかしすぐに顔を伏せた。長いまつ毛が揺れる。突如として現れた悲哀を見て、利光は声を出さずにはいられなくなった。


「あのな、りん」

「なによ。お嬢様にたてつく気?」

「もう反旗は翻してるだろ。こんなのぜんぜんりんのためになってない。むしろ俺はりんを傷つけようとした。この提案は、初めから勝敗の決まっている負け戦だったんだから」

「負け戦って言ってくれるってことは、私のことを考えている証でしょ?」


 くしゃりと笑ったりんは利光の横を通り過ぎ、日向へと移動する。


「私を見くびらないで」


 振り返った彼女の黒い瞳は、セレーナ・ジョーダンの蒼い瞳よりもずっとずっと輝いていた。


「私は今、私の意志でここにいるの。これは私の決意なんだ」

「そっか。強いな、りんは。尊敬するよ」

「なにそれ。私の奴隷のくせに今までそう思ってなかったわけ?」

「いつの間に奴隷に格下げされたんだよ!」

「さっき反旗を翻したって言ったでしょ? 奴隷でとどめたことに感謝しなさい」


 蔑むように目を細めたりんを見て、心がぽかぽかとした幸せに包まれていく。こんな扱いを受けてもやっぱりりんのことが大好きなんだと、利光は改めて初恋の呪いを実感した。


「でも、そっか。私はフラれて、二人は晴れて恋人同士かぁ」


 言葉の持つ淋しさとは正反対、りんの立ち姿は優雅で煌びやかだ。本当に、こんな田舎に閉じ込めておくのがもったいないほどに。


「なんでだろう。悔しいのに、悲しいのに、祝福したいって思えてる自分がいる。嬉しいって諦められてる自分がいる」


 利光もその笑顔に触発され、口元が緩んでいく。


「ってかよくこの場に来たよなぁ。ほんとにすげぇよ」

「たしかに。私、断られるのが分かっててなんで来られたんだろう」

「奏平が来てくれることを信じたかったから?」

「どうなんだろう。それもあるかもしれないけど、きっとどちらが選ばれるにせよ、奏平の気持ちを信じたかったから」

「なるほど……。ほんとりんには敵わねぇな」


 肩を竦めながら答えると、りんは最高に可愛い笑顔を見せてくれた。


「敵わないのは私の方だよ。利光のおかげで、私はようやく前に進める。ありがとう」


 感謝されたことが、意外だった。


 りんの真骨頂を垣間見た気がした。


「ほんと、りんは完璧だな」

「は? 今さら気づいたの?」

「もちろん出会ったときからずっと知ってたよ」

「分かってるならよろしい」


 りんは空を見上げ、風にさらわれそうな髪を手で押さえる。出版社さん、写真集の表紙が決定しましたよ。


「まあでも、本当の私は強くない。むしろ弱い人間だけど、私の心にはみんながいる。みんなと一緒なら強くなれる。どこまでもどこへでも行ける」


 利光も、りんと同じ場所を見たいと、澄み渡った青空を見上げた。


「奇遇だな。俺も、俺が大切なものを持ってるって分かったから、これから先なにがあったって大丈夫だって思える」


 言いながら、ああ、ここなんだな、と思った。今ならなんのためらいもなく、ずっと言いたかったことを言える。ポケットの中に忍ばせておいたピンクの包み紙も、かけがえのない勇気を与えてくれている気がした。


「なぁ、りん。俺とつき合わない?」

「えー、なにそれ」


 冗談だと思ってるのか、りんは腹を抱えて笑っている。こういうところで普段おちゃらけている弊害が出るんだなぁ、と利光は目に力を入れ直した。


「本気だよ。俺はりんが好きなんだ」


 体内の隅々に散らばっていた真剣さをかき集めて言葉に乗せると、りんの笑い声がぴたりと止んだ。目を丸くして、じいっとこちらを見つめてくる。


「え…………マジ?」

「ああ、オオマジ」


 首の裏側に滲んでいた汗が背中に流れ落ちていく。しんと静まり返った途端に恥ずかしくなった。緊張と恐怖と達成感と高揚感。色とりどりの感情が順に押し寄せてくる。沈黙に耐えられなくて、言葉を探してつけ加える。


「ほら。一回試しに、ちょっとだけでも、な?」


 それを聞いたりんの口元がわずかに緩んだ。


 頬がほんのりと赤くなった気がするのは、利光の期待が見せた錯覚だろうか。


「なにその女をラブホに誘う常套文句。誘い慣れてる感じでてるわー、最悪だわー」


 けらけらと笑いだしたりんを見て、顔がかあぁぁっと熱くなる。


「ばっか違うっての。そりゃいろいろな女とつき合ってきたけど、一回もヤッたことないから。そこまで落ちぶれてないから」

「なにその告白。童貞を告白されてもねぇ」


 あーおかしい、と腹を抱えて笑い続けるりん。


 利光は押し寄せた不安を言葉にできないまま、体を前に折って笑うりんのつむじを見つめ続ける。


「ホントマジでなんなの。そっか。そうだったのか。ってかいきなりすぎ」


 顔を上げたりんは、面白い遊び道具を見つけたと言わんばかりににっと口角をつり上げた。


「ってかなに? それが恋愛マスターの導き出した答えなの? 失恋につけ入るなんて誰でも考えつくような恋愛の基礎中の基礎じゃない」

「そうだけど、俺が今告白したかったんだ」

「そ。だったら利光」


 りんは、こちらに向かってぴっと指をさす。


「私のことが好きなら、これまでの女遊びで身に着けた技術を全部使って私を落としてみなさい。私はあのセレーナ・ジョーダンを超えるモデルになる松園りん様よ。手ごわいわよ。これからきっと、利光なんかよりずっとイケメンで、ずっと金持ちな男にたくさん出会うわよ」


 自慢げな態度を崩さないりんを見て、利光は思わず笑ってしまった。


「ああ。やってやるよ」

「その自信はどこからくるのかしら?」

「俺は恋愛マスターだぞ?」


 青空のもと、二人で心置きなく笑い合う。


 長い間抱え込んでいた思いをようやく伝えられたからだろうか、体中の老廃物がすべて出たんじゃないかってくらいすっきりしていた。


 こんな気持ちになったのは、いったいいつぶりだろうか。


 この先、この初恋が叶うか叶わないかは分からない。


 でも始めることはできた。


 結局は、自分で動かなければなにも始まらない。


 みんながどうとか、誰が誰を好きだからとかじゃなくて、ただ好きな女の子に告白することが、小さいころからずっと怖かっただけだったのだ。


「ねぇ、利光」

「ん? 早速俺に惚れたか?」

「違うわよ」


 即答されて、少しだけ心がしぼむ。


 りんは両手を後ろに回して、また空に視線を向けた。その瞳は、青空よりも宇宙の果てよりも遠いどこかをとらえているように見えた。


「私ね。もう決めたんだ」

「へぇ、なにを?」

「東京に行くこと。すぐにでも上京するつもり」

「そっか。りんならできるさ。絶対に」


 りんの決意を、大きな夢を、こうやって心の底から応援できることが、利光は嬉しくてたまらない。


 爽やかな風に髪をなびかせるりんの立ち姿は本当に美しかった。  

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