紹介したい人
体中の水分をすべて出し尽くしたんじゃないかというくらい泣いた。
それでも涙は止まらない。
涙の通った跡がむず痒くてたまらない。
「みんなに好かれたいと思ってはいけなかったんだ。俺は」
心臓が疼き続けている。
こいつは最悪の血液を体中に張り巡らそうと、なにも考えずに一生懸命動いている。
「嫌われなきゃいけないんだ」
その心臓をつぶしたくて、胸の前で手を握りしめる。自分が歩む人生の正解は孤独へ向かうことなのだと体に理解を促す。大切な誰かを傷つけないために、誰とも関わらないように生きていくのが正解なのだ。
「嫌われるように、嫌われて、それで、俺は一人で生きて……」
「私はお兄ちゃんのこと大好きだよ」
声と共に、部屋の扉が開いた。閉ざそうとした心に、その声が強引に入り込もうとする。
「だってお兄ちゃん、優しいから」
奏平はゆっくりと顔を上げた。
「お兄ちゃんは、私の自慢のお兄ちゃんだよ」
血のつながっていない偽の家族――双葉が部屋に一歩だけ足を踏み入れていた。
「お母さんも同じ気持ちよ」
その後ろでは義母が、愛娘の肩に手を乗せている。
「私たちは、どんなことがあってもあなたを嫌ったりしないわ」
「くるなぁ」
情けない声しか出なかった。二人から離れようと足に力をこめるが、マットレスがへこむだけ。背中はもうすでに壁に当たっている。
「入ってくるなぁ」
奏平は二人を拒絶し続ける。自分なんかが、助けを求めてはいけないから。
「もういいんだよ。お兄ちゃん」
だけど二人は近づいてくる。泣いている双葉と笑顔のお母さんが、ベッドのそばでしゃがんで目を合わせようとしてくる。
「そうやってお兄ちゃんがいくら否定しても、私はお兄ちゃんのことが好き。私はお兄ちゃんの妹になれてよかったって思うよ」
ね、お母さん。
双葉が後ろを振り返って、お母さんに確認を取る。
お母さんは丁寧にうなずいた。
「そうね。私も奏平のお母さんになれてよかった」
「俺は、お前らなんかと家族になりたくなかったんだ!」
「嘘つかないでよ。お兄ちゃんはお兄ちゃんだよ。お兄ちゃんでしかない」
双葉の表情は不安そうなのに、声には自信がたっぷり含まれている。
「でも俺には、穢れた血が」
「そんなことない。だってお兄ちゃんは、必死で私をお父さんから守ってくれた。家族を守ってくれた。ありがとうお兄ちゃん。お兄ちゃんは人を傷つけたりしない。だから、私はこれからもずっとお兄ちゃんと一緒にいられるよ」
お兄ちゃんがどれだけ離れたがってもね、ブラコンになっちゃったから。
にへらっと笑う双葉に右手を握られる。
「お母さんも、同じ気持ちよ」
そして、笑顔のお母さんに左手を握られる。
どちらの手も、ものすごく暖かかった。
「でもお母さんね、奏平に謝らなきゃいけないことがあるの。お母さんが、あなたのお父さんと結婚したの、実はお金目当てだった。あなたのことも最初は面倒くさいとしか思ってなかった」
眉尻を下げたお母さんは、申しわけなさそうに笑った。
「私ったら最低よね。だけど実際に奏平と一緒に暮らして、奏平の優しさに触れて、お母さんは奏平のことが大好きになっていった。奏平が双葉のお兄ちゃんになってくれてよかったと心から思った。奏平の母親になりたいと心の底から思うようになった」
「でも母さんや双葉には、俺と同じ穢れた血は流れてないから」
自分の声が震えているのが分かる。だって、この世に存在しなくなっても父親に対していつだって怯えてきたから!
「そうね。たしかに血はつながっていない。だけど」
そこで言葉を止めた母さんに優しく抱きしめられる
「お母さんはね、絶対に、そういうことじゃないと思うの」
自分を無条件に愛してくれる暖かさを、母親に捨てられた自分は、もう味わえないと思っていた。
「もう私たちは家族なのよ。血のつながり以上の大切ななにかでつながってるって、お母さんはそう信じてる。だってお母さんは奏平のことが本当に大好きだから」
母さんのその言葉を聞いているうちに体の震えが止まっていた。
暖かい。
すごく暖かい。
「お母さんの言う通りだよ」
双葉も、すでに抱き合っている二人を包むようにして抱き着いてくる。
「私だって、血のつながりより私たち家族のつながりの方が強いって信じてる。それはお兄ちゃんが教えてくれたことだよ。誰かを大切にしたり、誰かを守ったり、誰かの大切になれたことが嬉しいと思ったりすることに、血のつながりなんていらない。だからお兄ちゃんも血のつながり以上のものがあるって信じてよ。私たちとのこれまでのこと、みんなとのこれからのこと、信じてよ」
懇願するように必死で訴えかけてくる双葉。
「……血の、以上の、つながり」
奏平は呟きながら、二人と家族になった日からのことを思い返していた。
双葉が笑ってくれると、兄として、いつだって嬉しくなれた。
お母さんの作ってくれる手料理はとても美味しくて、でも美味しいとは恥ずかしくてまだ口に出せていない。
「それにさ、今お兄ちゃんが泣いてるってことは、お兄ちゃん自身がそういうつながりを求めているってこと。失いたくないって思ってるってこと。そうでしょ?」
「……俺は」
「それはお兄ちゃんが手放したくても手放せなかった、大事なつながりなんじゃないの?」
母さんと双葉と創り上げてきた家族というつながり。
利光、寛治、奈々、りんと過ごしてきた時間の中で、時には丁寧に、時には乱雑に編み込んでいった友達のつながり。
子供のころからずっと、五人で遊ぶのが好きだった。
ふざけ合うのが楽しかった。
喧嘩するのが辛かった。
仲直りするのが嬉しかった。
「俺は……みんなが、みんなのことが」
そんな大切なみんなと、いくつになっても笑い合っていたい。
そう思っている自分を、これ以上否定したくない。
「すごく大好きなんだ」
それを言うことに抵抗感はなかった。
自分は、つながりを望んではいけない存在だと思っていた。
「俺と一緒にいてくれるみんなが大好きなんだ」
でも、もしも本当に血のつながり以上のものがあるとしたら。
これまで歩んできた人生で、そんなつながりができていたのだとしたら。
そっちの方を信じたい。
生まれ持ったものではなくて、自分がこの手で選んできたものを信じてみたい。
「俺はみんなと、一緒にいたいんだ」
「双葉も同じだよ」
「母さんもよ」
双葉と母さんとおでこを突き合わせるようにして顔を近づけ、見つめ合い、笑い合う。
「俺、みんなのこと信じてみるよ」
心に湧き上がった気持ちを伝え終わった瞬間に、ベッドの上に置いていたスマホが震えた。驚いて三人でおでこをぶつけ合う。みんなで赤くなった額を押さえ合いながら、くふふと吹き出した。
「誰だよ。せっかくの時間を」
奏平はスマホを手に取り、メッセージの送り主を確認する。
利光だった。
《実は俺、今とある女に友達を紹介する約束しててさ。山那奈々っていうんだけど会ってみたらどうだ?》
「……利光」
奏平は確信した。ってかタイミング良すぎだろこれ。もしかして家の中にいるのか? 双葉と母さんをけしかけたのもお前なのか? 利光。
まあ、そうであっても、そうでなくても。
もう迷わない。
みんなのことを信じてみるじゃなくて、信じていい。信じられる。
奏平は二人の大切な家族に感謝を伝えてから、部屋を飛び出した。
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