りんが欲しい

 利光の恋人レーダーにひっかかる女性は、ウェイトレスの中にはいなかった。


 暇になったのでスマホをぽちぽちしながら、最近の奈々の行動について考え始める。どうも最近の奈々は、奏平に対してアプローチしているような気がしてならない。彼女がいる男にアピールするような勇気を奈々が持っているとは思えないので、気のせいかもしれないが。


「でも、なぁ……」


 そんな奈々によく無理に告白するようにけしかけたなぁと、利光は過去の自分をある意味で尊敬した。


 自分が告白する勇気を持っていなかった故の作戦が、人に無理やり告白させるものなんて。


 今もまだ、あの時の罪悪感が心の片隅に居座っている。


 あれから数多の練習用女に告白し玉砕と承諾を繰り返してきたが、本当に好きな女に告白することはいまだにできていないから、恋の鍛錬なんて意味ないのかもしれない。


 結局、約束の十七時から十分ほど遅れてりんはやってきた。


「おせぇよ」

「早すぎんだよ」


 悪びれもせずにりんは対面に座る。帽子にマスクにジャージ。俺に会うためにオシャレはやってらないってことですね、と利光は落ち込む。


「ってかなんとかしてよ、利光」

「なにをだよ?」

「夏の暑さ。マジで身体だるくて疲れるんですけど」

「昼まで寝てたくせによく言うぜ」

「久しぶりの休日なんだからどう過ごしたっていいじゃん」

「だったら彼氏の奏平と遊べよ」

「今日は無理なんだってさ」


 不満げに頬杖をついて、彼氏の愚痴を垂れ流すりん。


「そりゃご愁傷様」


 奏平はなにをやっているんだ、と思う。奏平の忙しさとりんの忙しさは比べ物にならないはずだ。夏休みということもあり、りんはモデルの仕事で毎日のように東京に行っている。だからこそ、せっかくの休日には彼氏と遊びたいはずだろうに。


「ってか利光も暇だったんなら彼女の誰かと遊べよ」

「なんか全員忙しいんだとよ」

「じゃあ私と一緒じゃん」

「俺はずっと寝てたわけじゃないから」


 りんに気をつかわせるのも悪いと思って、夢佳とのデートのことは伝えていない。夢佳にもバイトだと嘘をついた。他の女と会う、と正直に言えばいい気はしないだろう。


「だから私だって寝てたわけじゃないし」


 りんはけだるげな表情を浮かべつつ、ぼそりとつけ加えた。


「ちょっと考え事してたんだよ。奏平と奈々のことで」

「だろうと思ったよ」


 りんが俺を呼び出す時はたいてい奏平が絡んでいる。異性かつ心を許せる友だからこそ、なんの気兼ねもなく彼氏の悩みを話せるのだろう。こういう話を打ち明けられるということは、あなたとは一線引いてます、ということでもあるんだけどね。ああ、嬉しくて悲しい。


「だろうって、なんかうざ」

「りんのことなら手に取るように分かるからなぁ」

「ストーカーかよ。あ、メニューとって」

「それくらい自分でやれ。俺は召使いじゃねぇぞ」

「私のストーカーなんでしょ? だったら私の命令は嬉しいはずでしょ?」

「なんだよその理屈」


 利光は不満げに口元を歪めつつ、机の端に置かれているメニューを取り、りんの方に向けて広げた。


「じゃあドリンクバーと、このドリアで」

「はいはい。すみません。注文いいですか?」


 ちょうど近くを通ったウェイターさんにドリンクバーを二つと野菜たっぷりドリア、ハンバーグステーキを注文する。手際よく注文を端末に打ち込んだウェイターさんが去ってから、利光はドリンクを取りに行くために立ち上がった。この店のドリンクバーはセルフサービスだ。


「なに飲む?」

「オレンジ」

「あいよ」


 当然のように動かないりんお嬢様のため、召使いはそそくさ動く。


「お望みの品です。りんお嬢様」

「よきにはからえ」


 オレンジジュースの入ったグラスをりんの前に置いたが、りんは浮かない顔のままじっと窓の外を見つめていた。憂いてる姿も絵になるなぁ。


 とりあえず席に座って、コーラを一口飲む。


「で、今日はどんな愚痴だ?」

「愚痴っていうか、まあ、別にたいした話じゃないんだけどさ」


 りんは視線を鮮やかなオレンジの液体に落とす。


「なんで奈々と奏平が一緒に住まなきゃいけないわけ?」

「ああ、そのことか」

「そりゃ私も分かってるよ。奈々が今置かれてる状況のこと。奏平の家が一番住むには適してるってことも」

「まあな。奏平んちでかいし」

「うん……」


 というりんの言葉を最後に会話が途切れた。ドリアとハンバーグが運ばれてきても、りんはまだ黙っている。利光はナイフとフォークではなく、お箸を使ってハンバーグとご飯をかき込み、ごくんと飲み込んでから口を開いた。


「要するに、嫉妬か」

「言葉にしないでよ」


 りんからぎろりと睨まれるが、すぐにりんは嘲るような笑みを浮かべた。


「だけどまあ、そんな感じ。だって彼氏の家に、友達だけど女がいるんだよ」

「事実だけを並べれば、そういうことになるな」

「気にすることじゃないって分かってる。二人で暮らしてるわけでもない。奏平のお母さんや双葉ちゃんだっている。でもやっぱり落ち着かない。常になにかに焦ってる感じがするし、この前オケった時も、どさくさに紛れて抱きついてたし」


「だったら強引にでも奈々を連れて帰ってりんの家に住まわせれば? 女同士の方がやっぱいろいろといいじゃんとか言って」

「それもなんか違うじゃん。嫉妬してるのばればれだし、すごく小さい人間に見える」

「そうか?」

「そうだよ。それに私ほとんど家にいないもん。奈々の言った通り、他人の両親と同じ家で過ごすって結構気まずいよ。奏平んちには毎日のように遊びに行ってたから、奏平の家族とは私だってそういう気まずさはないもん」


 りんの言う通り、利光たちが集まる場所はたいてい奏平の家だった。みんなの家のちょうど真ん中にあるし、なにより単純にでかい。五人で集まっても窮屈さを全く感じないため自然とそうなった。


「まぁ、たしかに第二の実家みたいなもんだからなぁ」


 なにか気の利いた言葉はないかと思索する。りんがストローを咥えてオレンジジュースを啜る姿にちょっとだけ見惚れた。


「それにさ。まぁ、なんて言うの? みんなで奈々の家に説得に行った日にね、思っちゃったんだよ。なんで奏平は、奈々のためにあそこまで必死になれるんだろうって。率先して頭まで下げてさ」

「俺だって頭下げたぞ。りんだってそうだったじゃん」

「そりゃ私だって心配だったし、どうにかしたいって思ってた。でも奏平が最初だった。もし私が同じ立場だったら、奏平はあんな風になりふり構わず頭を下げてくれたのかなって、羨ましいって、そんなこと思っちゃったんだ」


 はぁーあ、私ってほんとにやなやつだ、とりんは嗤った。その笑顔がいたたまれなくて、利光は顔を伏せる。


「奏平は絶対同じように助けてくれるよ。だって俺たち親友じゃん。りんが選んだ彼氏じゃん」

「美人は飽きやすいって言うじゃん」

「りんは飽きない美人だから」

「そんなにいい女じゃないよ私は」


 りんはそこで言葉を止めて、グラスをぎゅっと握った。


「私はもう自信がないよ。どれだけ奏平の理想の彼女になりたいって頑張っても、奏平が私だけを見てくれる日なんて、本当に来るのかな」

「気にしすぎだって。奏平が選んだのはりんなんだから」


 りんを励ますためとはいえ、利光は言っていて虚しくなった。こうやってりんを悲しませる奏平が許せなかった。


「それに、もし奏平が助けなくても、俺はりんが困ってたら絶対助けるから」


 りんがすっと顔を上げる。ぼけっと目を見開いている姿を見て、利光はなに熱く語ってんだよと、先程の言葉を後悔した。すぐに誤魔化しの言葉を探した。


「ってかその気持ち、奏平に直接言えよ。奏平って言葉にするの苦手なとこあるから、りんの誤解だってすぐ分かるよ」

「奏平に嫌われるかもしれないじゃん」

「俺には嫌われてもいいってことね」

「だって利光は私と同じでクズだし」

「そんなクズが告げ口する可能性だってあるだろ? 今までしてないだけで」


 おどけた口調で言ったつもりだったのだが、りんは虚を突かれたような顔をして、まっすぐに見つめてくる。


「え? だって利光そういうことしないじゃん」

「し、信頼されてて光栄です」


 ぎこちない言葉になってしまった。ああ、どうしてこんな単純なのだろう。ちょっと褒められただけなのに。


「信頼っていうか、同族だから安心っていうか、まあ、やっぱり信頼だね」

「わが身に余るお褒めのお言葉ありがとうございます。りんお嬢様」

「うむ。よきにはからえ」


 りんは芝居がかった言葉で言った後、くすくすと笑い始めた。


 やっぱり、りんは笑った顔が一番だ。ああ、この笑顔を自分のものにしたいなぁ、りんの一切合切を奏平から【強奪】してしまいたいなぁとも。


 利光は、あの日の神社での出来事を思い出す。


 ――俺さ、金持ちになりたいって願ったから【強奪】って能力もらったんだけど、これじゃあお金は奪えても、ただの泥棒だよな。ははは。


 とっさに考え出した嘘にしては上出来だと思った。神様から与えられた能力に関する話題を誰かが持ち出す前に、先手を打ったのだ。これでみんなは、利光が叶えたい願いが【お金持ちになりたい】で、この【強奪】で奪えるのはお金だと認識したはずである。現に、その【強奪】で形のないものって奪えるの? という質問は飛んでこなかった。嘘は、その中に真実を混ぜることで信憑性がグッと増す。


 実際に【強奪】で奪えるものは誰かの感情だ。正確に言うと、その感情を形成するに至った過去の出来事中の感情も一緒に奪うことができる。


 能力説明された時に確認済みだ。


 すげーって、利光は純粋にそう思った。


 そして、あの場では利光の告白に続いて、みんなも自分の能力名を明かしてくれた。


 奏平は【受信】で寛治が【導師】、奈々は【移動】でりんは【氷結】。


 それぞれの能力の内容は、名前から想像できる範囲のものだった。


 しかし、誰も自分が得た能力がいったいなにを叶えるためのものなのか、明かすことはなかった。


 それはみんなの願いが利光と同じく、真剣で切実な願いということだ。それ以来、能力のことと願いのことに触れてはいけないという暗黙の了解が、五人――今は四人――の間でできあがった。


 なので、みんなが能力を使って願いを叶えたのかどうかは分からない。利光はいまだに能力を使うことをためらっている。叶えたいけれど、それをしてしまったら大切ななにかを失う気がして勇気が出せない。


 だからこそ、利光はこの状況を喜んでいる。


 奈々がアプローチを仕掛けて、奏平の心が揺らいでくれたらなと。


 最低だと分かっていて、目の前のりんが悲しむと分かっていて、そう思う自分を止められない。能力を使わずにりんが失恋してくれれば、自分にもようやく正当なチャンスが巡ってくるから。


「あーあ。でもほんとにやんなっちゃう」


 りんの声で利光は我に返る。


「この世界が利光みたいなクズばっかりだったら、私だって気兼ねなく二股だろうと三股だろうとやってやるのになぁ」

「お嬢様。クズお嬢様モードがお出になられていらっしゃいますよ」

「だってそうなんだから仕方ないじゃん。私も利光に負けず劣らずのクズですよーだ」

「複数人とつき合うコツなら、私めがお教えいたしますが?」

「コツって、この前鉢合わせしたんでしょ?」

「それは言うな。トラウマが……ひっぱたかれた頬の痛みが……」


 頬をさすりながら悶えるように首を垂れると、りんはけらけらと笑ってくれた。


 まあ別に頬をひっぱたかれて腹パンを食らったことなど、実際はトラウマでもなんでもない。


 あいつらでは本気になれなかった。


 そんな程度の女どもなのだ。


「ってか笑いすぎてお腹痛い」


 泣くほどまで笑ってくれたりんが、色鮮やかなネイルが施された人差し指で涙を拭う。


「今日もありがと、利光。愚痴聞いてくれて」

「感謝なんかするなよ。こそばゆいな」

「だって、こういう話できるの利光だけだもん」

「なるほど、つまりクズりん様は俺だけのものってことか」


「その言い方なんか癪に障るけど、そういうことにしといてあげる。だって奏平も奈々も利光も、それに寛治だって、みんな優しいから。その中にいると私は息苦しくなる時がある」

「りんだって優しいよ」

「お世辞ありがとう」

「お世辞じゃないよ。それに優しさは毒でもあるんだなって、俺も時々思うから」


 こんな自分と友達のままでいてくれるみんなは、クズの自分にはもったいないほどの宝物だ。


 利光は本気でそう思っている。


 だからこそ、みんなとの関係性を壊したくないとずっと思ってきたし、それで自分自身の恋心を欺き続けることになっても、このままでいたいと思うのだ。


 りんが欲しい、と女神様に願ったにもかかわらず。


「毒って……たしかにその通りだね」

「だろ?」


 ん? このアーモンド臭は……クロロホルムか? とおどけたように続けると、りんは「それどこの探偵よ!」と笑いながらつっこんでくれた。

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