Φ 神の死、或いは忘我状態 Ekstase 1948,5,9(SUN)

これ今おのれの義を顕して、顯さんとて、キリストを立て、その血によりて信仰によれる宥の供物となし給へり。これ今おのれの義を顕して、自ら義たらん爲、またイエスを信ずる者を義とし給はん爲なり。

                     ロマ人への書第三章二五―二六節


 モーセの画を叩き壊した後は大変だった。どどッ、どとッ、と轟音がしたかと思われると聖堂の天井が一気に崩れるとともに大量の水が皆の頭に降り注いだ。聖堂の壁や蝙蝠天井に水道を這わせていたらしい。水は留まることを知らなかった。蝙蝠天井より降り注いだ大水は収まらず、圧倒的な水量で聖クリストポルスの石盤を打ち壊して、地下聖堂に水が注ぎ込まれていった。地下聖堂の炎はこれによって消火されたであろう。しかしそれでも水が留まることはなかった。水は聖堂を充たし始めた。皆は炎の次は洪水に恐怖せねばならなかった。水が足元、膝、腰、胸、頚とどんどん迫って来るにつれて恐怖が増大して来た。足も付かず立ち泳ぎをせざるを得ない状況になっても水は留まらなかった。

 溺れるという時だった。メキッ、メキッと頑丈に動かなかった聖堂の扉が軋み始めた。扉は聖堂に溜まった水の圧力に耐えられなくなった。火によって扉が閉じるならば水によって扉が開く。扉は水圧に負けて一気に崩壊した。皆は一斉に聖堂外に飛び出す多量の水の勢いに呑まれて、外に投げ出された。

 聖堂から溢れる水は皆を吐き出した後も暫し流れ続けていたが、やがて留まった。しかし城壁に囲繞された久流水家はいっぺんに水浸しになってしまった。久流水家の人々、警察のお歴々は事態の収拾にちょっとした騒動になったらしい。 なったらしい、という曖昧な表現を使用したのは岩田自身が聖堂の崩壊の際の渦巻く水流に暫しの間、気を失っていたからだ。岩田はあの膨大な水量に身心ともに耐えられなかった。

 御堂に揺り起こされた。気付くと外はいつの間にか、日が昇っていた。御堂が運んでくれたのだろう。岩田と御堂はあの久流水家を俯瞰した丘の上にいた。

 岩田は御堂とともに、太陽の下で久流水家を俯瞰した。嗚呼、もう終りなのだな。一週間にわたった久流水家の事件は……。

「なあ、これで事件が終わったのか?」

 岩田は丘の稜線から体を離して立ち上がりながら言った。岩田の眼前には久流水家の屋敷を臨む御堂周一郎の後姿があった。十字架構造の聖堂、真ッ白な十字架、黄水館、紫書館……。御堂は感慨深げにそれを臨んでいた。御堂は岩田の独白とも付かぬ物言いに振り返ることなく応えた。

「ああ、終わったさ。解決屋が終わらせたさ」

 御堂の長い髪が太陽に艶やかに照らされながら、湿気で重苦しい風に揺れていた。岩田の瞳は御堂の黒髪に向けられていた。その瞳はぼんやりとしていたが、次第に色彩を帯び始めた。それは単に陽光の煌きのせいではない。外因的作用による水晶体の輝きではなかった。内因的な作用によるものだった。水晶体の奥の更に奥にある、人間には本来知覚できない、人間特有の魂の揺らめきによるものだった。人間がある大いなる決断を心に秘め、それを放出せんとする時のあの厳然としていながらも何処かしら危うさを秘めたあの稀有な煌きだった。

 岩田の瞳は鋭くなっていた。

「終わらせた? 事件は終わったさ。お前が終わらせたさ。だが、お前はあれを本当に解決したというのか?」

 岩田の語調は次第に強攻になっていた。その瞳は変わらず煌きを宿していた。御堂は真ッ黒な長い髪を棚引かせてくるりッと振り返った。黑眼鏡の縁が陽光を反射して鈍く光った。御堂の左側半分は陽光に照らされ、右半分は陰翳に覆われていた。

「何が言いたいのだ?」

 御堂が怪訝そうに訊くと岩田は更に語気を強めて言い放った。

「お前は己の発言に矛盾があることに気付いていないのか! お前は何故『解決屋』を名乗っているのだ? お前は何故『探偵』を名乗るのを厭うていたのか? お前は『マリヤ』が阿紀良であることに阿見より早くから気付いていたにも拘らず、僕にその真相を打ち明けることをしなかった。その時お前は僕に何と言った?『真相は明らかにする事が必ずしも解決に至らないことは、気取った探偵小説の定石だろ。犯人を明らかにしたが、その妻と子が涙にくれてしまう。真相が全てを破壊してしまったのだ。探偵は渋い顔をして終劇。だが渋い顔をした作品の次作ではまた性懲りも無く、真実を追究してまた世界を崩壊させる。いいか、俺は解決屋だ。探偵じゃあない。真実を究明するのは俺の仕事じゃあない。お前がどんな世界を描こうと、俺はその世界を崩すことはしたくない。それは此の世に生を受けた俺の使命だ。友がどんな錯誤をしていようとも、友の夢を覚まさせるなど無粋だ』と。

 桐人を神の子ではないと言い放つことがこの事件の解決として正しいと言えるか? 否、言えはしまい。皆の信仰の対象である神を神ではないとお前は言ったのだぞ。皆が心の支えとしている神をお前は殺したのだ。お前は心の支えを失わせたのだ。お前はこれで事件が解決したというのか? お前が厭う、世界を崩壊させることをお前はやってのけたのだぞ! お前が俺に夢を見させるために『マリヤ』が阿紀良であるという真相を明らかにしなかったように耶蘇久流水教の信者に信仰を続けさせる為に、桐人が神でないという真相を明らかにするべきでなかったのではないか? お前がやったのは探偵としての行為であって解決屋としての行為ではない。それが解決といえるのか。桐人が犯人ではない。それを貫き通すのが寧ろ真の解決だったのではないのか?」

 岩田が一気に捲し立てた。岩田が御堂を睨みつけると御堂は相変らず長い黒髪を風に棚引かせていた。御堂の周りには初日に見たあの一二使徒と聖人の道祖神が清冽していた。その表情はある者は怯え、ある者は疑い、ある者は寥々とし、ある者は真摯だった。しかしどの表情も石像特有の寥々とした薄ら寒さを宿していた。御堂の表情はそのどの石像にも増して薄ら寒く、地獄の底に棲息する悪鬼のそれと見紛うばかりであった。

「俺が事件を解決させなかったというのか? 俺が桐人を犯人だと明らかにしたのがそれほど腑に落ちないのか。莫迦か? 教司神父の殺害は神の子として認識されている桐人にしかできぬのだぞ。確かにお前の言うとおり、桐人を犯人と名指しすることで皆を絶望の淵に追いやったかも知れぬ。いくら俺でもたった一人しか容疑者がいない事件に冤罪を生み出させることはできぬ。この事件の犯人は神の子である桐人でしかありえないのだよ」

 死陰谷村の底から五月の風がびょうッと吹き上げた。風は御堂の黒髪を揺らし、岩田の頬を撫でた。

御堂は口角を吊り上げて大いに哂った。

「あはは、あはは」

 岩田は五月の風が吹き荒ぶ中で、己の胸の蟠りを吐き出した。

「確かにそう思える。神父殺害事件は桐人にしかできなさそうだ。しかし他の事件のことについては桐人が犯人だと首肯できない。

 なぜ雄人は時限装置の弓矢で殺されたのだ? 桐人が犯人ならばそんな凝ったトリックを使う必要がないだろ。雄人氏は桐人のいる地下聖堂の真上の聖堂で死んだのだぞ。巧繰なんぞ使わずに素直に直接に殺害に及んだ方がよいではないか。桐人が殺害にパイプオルガン吹き矢発射装置を拵えるなんて不自然だ。

 次は教司神父殺害事件だ。あれは神の子しか不可能な犯罪だ。併しそれは殺害自体が桐人のみが可能というだけであって実際に桐人がやったには不自然なところがある。『おそらく白子症の大敵である光を避けるためであろう。頭には薄いヴェールをかけており、その下方から少年には似合わぬ雪の様な白髪が見えていた』。地下聖堂から出る際はヴェールを被って光を避けている。光の下を歩くことを何よりも避けるべき桐人がなぜにしばしば太陽の昇る昼間に写字室を訪れて殺害に及んだのだ?夜に殺害をすればいいものなのに!

 同じことは阿見の事件でもいえる。阿見の事件では日中、紫外線を避けるために出歩かない桐人が太陽の下を逍遥して偶々十字架をいじくっている阿見に出くわすのだ。桐人が太陽の下をぶらぶら散歩なんて不自然だ。 

 それに十字架の中に入っているのが腫瘍だというのも変だ。腫瘍は深見重治が持ってきたものだろ。それを隠すのに丁度いい、暗号鍵付きの十字架が都合よくあったものだな。十字架は何年も前からカラのままで腫瘍の到着を待っていたとでもいうのか?

 穂邑はなぜ殺されたのだ。奴は久流水教を信じていない不信者だ。桐人は妄信する信者に苛立ちを感じて殺害に及んだはずだ。ならば桐人を神と思わない穂邑を殺害するのは動機がない。奇異しすぎる」

 御堂は暫しの無言を続けた後、重々しい声で呟く様に応えた。

「言ったよな。探偵小説は信仰だと。そして現実の事件は探偵小説のように割り切れんと。奇異しなことがあったとしても、それが何だというのだ?」

 先程より吹き続けていた五月の風がぴたりと止まった。二人の間には重苦しい沈黙があった。

「だか御堂よ。お前は探偵小説が信仰であると言った後に阿見に対してこう言った。『お前は何を信じて生きているのだ? お前はどんな約束事に縛られているのか? 縛られなければ、人は自由に動けぬものだよ』、と。ならばこれも約束事に縛られた探偵小説なのではないのか?」

「探偵小説だと? ほう、ならばお前のいう探偵小説的な見解を聞こうではないか。根拠はあるのだろうな。真逆か武器は魂だけではあるまいな」

「僕は今からこの事件を探偵小説と見做した場合の解決を述べ立てよう。神のみぞ知る真実を言ってやる!」

 再び風が底より吹き上げた。重く、生暖かい風だった。岩田にはまるでコキュートスの風のように思われた。岩田は奥歯を噛み締めた。自分が今から言わんとしているのは地獄の底に向かわんとすることかも知れぬ。だが言わねばならぬ。地獄を潜らねば煉獄で浄罪されず、天国の光海を望むことはできぬのだ。今から俺は真実を言おう。解決のための仮の真実ではない。神のみぞ知るこの事件の真相を述べようではないか。たとえそれが好みを焦がすことになろうとも。

「桐人が犯人ではないのではと疑ったのは、『マリヤ』実は阿紀良がベツレヘムの星について話してくれたからだ。『マリヤ』はケプラーによってイエス・キリストが生まれたのが、木星と土星、魚座の三連会合が起こった年だと教えてくれた。続けて俺にこういったのだ。『そう、運命よ。二〇世紀に入って、またこの稀有な現象が木星と土星、魚座の三連会合が起こったの。その時に生まれたのが、あの白髪の無原罪の者です! 彼は神の子として、イエス・キリストの再来としての運命を背負うことになっていたのですのよ』、と。この科白を聞くと久流水桐人が三連会合のあった年に生まれたように聞こえる。桐人がイエス・キリストと同じ星の下で生まれたとネ。

 なあ、御堂。お前は今日、地下聖堂で解決を述べる前に紫書館でなにやら調べものをしていたな。お前が何を調べていたのかは知らないが、俺は『手持ち無沙汰になった。仕方なく先程まで御堂が読んでいたであろう天体の書物を堤燈の灯の元に開いたりして時間を潰し』た。俺は何の気なしに『マリヤ』に教えられたベツレヘムの星についての頁を読んでいたのだよ。そこにはこんな記述があった。『おん主が生まれし日に現象せし三連会合は極めて稀有な事象なり。旧新世紀に於ひて現はれしは西暦一八二一年と、一九四〇年と一九八一年の三度限りなり』、と。その時は何の気なしに読み過ごしていたが、今になって考えてみると奇異しなことだ。『マリヤ』は今世紀の三連会合の日に神の子が生まれたと言っている。今年は西暦一四四八年だぞ。今世紀で今までの三連会合といえば、西暦一四四〇年だ。奇異しいじゃあないか。『マリヤ』の言う事が正しいならば、否、正しいのだろう。『今回の事件では全ての証言者は嘘を付いていないと考えるしかないということさ。この事件では人々はモーセの十戒の《汝その隣人に對して虚妄の證據をたつるなかれ》を律儀に守っていると考えて推理していくべきだという事だ。嘘を付かない。これがこの事件解決のルールさ。この事件が探偵小説として発表され、読者の眼に触れる場合には読者に忠告しておかねばならぬね。この事件については、誰も嘘は付いていないと。嘘を付いていない事を前提として、謎を解いて下さい、とね』。探偵小説のルールに則るならば、『マリヤ』は嘘をついていないのだからな。『マリヤ』が正しいとするならば神の子の現在の年齢は八歳になってしまうではないか。桐人はどう見ても八歳ではない。桐人は弱冠の齢に近づかんとする彷徨期、一〇代の少年ではないか。桐人ではない、本当の神の子がいるということなのか? 『マリヤ』の言っていた神の子とは誰だ? 桐人以外に神の子がいるとすれば、『教司神父殺害犯人=神の子=桐人』という公式は崩れる。桐人以外でも、神父密室殺人は可能と言うことになる」

 岩田はそこまで述べ立てると一呼吸置いた。真の犯人を明らかにするのだ。気は抜けない。御堂が隠し立てしている真犯人を明らかにする。

 御堂は黙って岩田の物言いを訊いていた。その表情は無表情であった。真ッ黒な眼鏡で表情は明らかではないが、その表情が極めて険しいものである事が推認された。

 びょうッびょうッ。五月の風は変わらず地の底より吹き上げていた。

 岩田は御堂を睨みつけると、再び話し始めた。

「太陽の吐く光り物が教えてくれたおそるべき可能性。では真の神の子、真の犯人は一体誰か? 神父殺害時に真の神の子を見たであろう清枝の発言から紐解いてみよう。神父殺害時に写字室を通った者は『此処にいる白髪の神の子久流水桐人様です』、と。併し実際において神父を殺害したのは桐人ではない真の神の子だ。ならば清枝のこの科白は嘘なのか。否、先程も言ったように『この事件では犯人以外はモーセの十戒の《汝その隣人に對して虚妄の證據をたつるなかれ》を律儀に守っていると考えて推理していくべき』なのだ。これを解決するにはどうしたらいいのか。清枝は自分では嘘をついてはいないと思っているが、実際とは違う。清枝は眼の前を通る真の神の子を桐人だと勘違いしたのではないか。

 ではなぜ勘違いをしてしまったのだろうか。それを解決するには四阿にいた清枝が益田老人の写字室に向かう所を目撃した時の科白を思い出してみよう。『ちょっと遠くて、小さかったですけれども、あれは間違いなく旦那さんでしたわ。いつものように杖をひょこひょこさせて、歩いていましたわ。あの姿は間違いなく、旦那さんです。遠くからでも解ります。ええ、絶対見間違うことはありません』、と。清枝が四阿から写字室に向かう者をその特徴で誰と判断しているのだ。詰まり清枝が真の神の子を久流水桐人だと勘違いしたのは特徴が久流水桐人に類似していると考えたからだ。『真の神の子の特徴=桐人の特徴』と思い込んだからだ。併しここで疑問が出てくる。この公式の要素である『桐人の特徴』とはどんなものであろうか。『真の神の子』が未知数Xである以上は、『真の神の子の特徴』も未知数xなのだ。『x=桐人の特徴』の公式を解くためには、『桐人の特徴』が確定していなければならないのだ。だが考えてみるとこの『桐人の特徴』も確定されてはいないのだ。未知数Yなのだ。遠くから見ても解る特徴とは何だ? Yを確定せねば、xもXも確定することが出来ない。遠くから見ても桐人であると解る特徴とは何だ? 桐人は大抵において日常を寝台か、長距離移動の出来ぬ車の付いた椅子に乗っているばかりだ。特徴的な歩き方の癖などが仮に桐人にあったとしても、清枝がそれを知ってはいないだろう。ならば清枝は何を見て殺害者が桐人であると判断したのだ?

 立ち居振る舞いではないとすれば、姿かたちか? 桐人は普段太陽を避けるためにヴェールを被っている。久流水家でヴェールを被っているのは桐人の他にも百合子がいる。清枝は殺害者がヴェールをしていることをもって桐人と判断したわけではない。真の神の子を清枝が見たとき、桐人が白昼にも拘らずヴェールを被っていないことに疑問は覚えただろうがその特徴が久流水家の中で桐人しかいない特徴だったので桐人に違いないと思ったのだろう。ヴェールを取った桐人の特徴、それはただ一つ。遠目にも解る顕著なる特徴。それは唯一つ……。白髪頭だ。桐人の最も顕著な特徴は雪のように白い頭髪ではないか。『真の神の子』は、同じ白髪頭に違いない!」

「ハッ、白髪頭だと? 白髪の人間など、この事件には誰もいないぞ。益田老人は白髪どころか禿頭だしな」

 御堂が窘めるように言った。岩田は御堂の言葉に構わず続けた。

「果たして誰なのか? それは久流水万里雄氏の科白によって明らかにされる。『おお、すまない、すまない。栄のその力と美しきを持つ者よ、煩わせてしまって申し訳ない』、と。万里雄氏は言った。この科白をみて奇異しいと思わないか? 『栄のその力と美しきを持つ者』とはどういう意味だろう。これも聖書か何かの引用なのであろうか。僕はずうッと疑問に思っていた。そして真の神の子がいると考えて事件を振り返ったとき、この言葉が引っかかったのだ。僕はその引用先が一体何なのか懸命に思い出した。

 この『栄のその力と美しきを持つ者』の引用先を思い出したとき、俺は真の神の子が誰かが解った。『栄のその力と美しきを持つ者』は何処から引用されたのか。それは旧約聖書箴言第二〇章二九節の『少者の栄のその力 おいたる者の美しきは白髪なり』の聖句からの引用だ。その引用先を思い出したとき、僕は恐ろしきことに気付いてしまったのだ。『栄のその力と美しきを持つ者』というこの短い科白がこの事件のすべての鍵を握っていたのだ。

 引用先の聖句を踏まえて『栄のその力と美しきを持つ者』の意味を考えると、それは老人の様に白髪頭でありながら若者の体を持つ者という意味になるのだ。まさしく今僕が語った真の神の子の容姿ではないか。この万里雄の科白は久流水桐人に向かって発せられたものではない。ある人物に向けられて発せられた言葉なのだ。その人物こそ真の神の子……」

 五月の風がびょびょうと一気に吹き荒れた。五月には似合わぬ太陽が、ジリジリと、地表を焦がす。其処にあるのは二人の男と、重苦しい空気だけだった。男の声は風にかき消されんほどに、小さかった。だが、長髪の男には充分届いた。

「真犯人はお前だな、御堂周一郎」

 東と南の間に位置する太陽が御堂周一郎の顔面の左半分を白く染め上げて右半分を真ッ黒に染め上げていた。真ッ黒な長い髪は五月の風に揺らめいていた。真犯人と指された男は無言だった。

「…………」

 真犯人と名指しした男はそれを無残に続けた。

「お前のその真ッ黒な見事な長髪――。それは鬘なのだろ。黒岩涙香の『無惨』という作品を知っているか。日本最初の創作探偵小説だ。『大「爾です爾です、次に又最う一本同じ位の毛をお抜なさい、イエナニ何本も抜くには及びません。唯二本で試験の出来る事ですから僅に最う一本です、爾々、今度は其毛を前の毛とは反対に根を左り向け末を右向て、今の毛と重ね、爾々其通り後前互違に二本の毛を重ね一緒に二本の指で摘まんで、イヤ違ます人差指を下にして其の親指を上にしてそう摘むのです。夫で其人差指を前へ突出たり後へ引たり爾々、詰り二本一緒の毛へ捻りを掛たり戻したりするのです。ソレ奇妙でしょう。二本の毛が次第次第に右と左へズリ抜るでしょう。丁度、二尾の鰻を打ち違えに握った様に一ツは右へ抜け、一ツは左りへ抜て段々とソレ、捻れば捻るほど、ネエ、奇妙でしょう」』『大「何故だッて貴方、人間の頭へは決して鱗の逆に向た毛の生える者では有りません、何の様な事が有っても生えた儘の毛に逆髪さかげは有ません。然るに此三本の内に一本逆毛が有るとは何故でしょう。即ち此一本は入れ毛です。入毛や髢などには能く逆毛の在る者で女が髢を洗ッて何うかするとコンガラかすのも矢張り逆毛が交ッて居るからの事です。逆毛と順の毛と鱗が掛り合うからコンガラかッて解ぬのです。頭の毛ならば順毛ばかりですから好しんばコンガラかッても終には解けます。夫や最う女髪結に聞いても分る事」

荻「夫が何の証拠に成る」

大「サア此三本の中に逆毛が有って、見れば是は必ず入毛です。此罪人は頭へ入毛を仕て居る者です

荻「夫なら矢ッ張り女では無いか。女より外に入毛などする奴は無いから」

大「爾です私しも初めは爾思いましたけれど、何うも女が斯う無惨無惨と男を殺すとは些と受取憎いから色々考えて見ますと、男でも一ツ逆毛の有る場合が有ますよ。夫は何かと云うに鬘です。鬘や仮面には随分逆毛が沢山交ッて居ます…』

 岩田は懐から折畳まれた手帳を取り出した。それを開くと中には数条の長い髪の毛があった。

「『マリヤ』が阿紀良とわかって絶望し、それを教えてくれなかったお前に怒りを感じてお前に飛び掛ったことがあっただろ。その時、『岩田は御堂の真ッ黒な長い髪に掴みかかった。御堂は髪を数本引き抜かれた』のだったよな。そして『岩田の指には御堂の数条のくるくると髪が絡まっていた。何も判らない、凡てが面倒だ。岩田は指に絡んだ髪の毛を玩びながら、気だるい倦怠感が全身を覆っていくことに身を任せていた』のだったよな。これはお前の髪の毛だ。涙香の『無惨』の様にこの髪の毛に『捻りを掛たり戻したり』してやろうか」

 岩田はそういうと手帳から数条の長い毛髪を人差指と親指で摘み出して前に突き出した。人差指と親指のハラで御堂の長髪に捻りを掛けたり戻したりをした。

 するとどうだろう。岩田が突き出した数条の毛髪が見る間に左右へ別れ始めたではないか。うねうねと数尾の鰻の様に指より別れ別れに進んで行っていった。終いには数条の毛髪は岩田の指から離れて、ひらりひらりと乾いた土塊の上に散らばった。真ッ黒な細い髪は、人より離れても尚、妖しき艶めくを魅せていた。しかしその艶めきも吹き荒ぶ五月の風に宙に舞い、次第に消えた。

「なあ、御堂。お前のその鬘の下に雪のように真ッ白な白髪頭があるのだろ。その白髪こそが清枝がお前を桐人だと錯誤した要素だろ。教司神父殺人事件はお前にだって可能だったのだよ。お前が犯人だとこの久流水家連続殺人事件の不自然な点が解決できる。

 お前が犯人ならば雄人氏殺人に何故パイプオルガン吹矢発射装置が使われたかが説明が付く。お前は『今回の密室の意図は何だ?』と、僕に聞いたな。今ならその意図とやらが説明できるよ。お前は殺害時間に蝸牛牧師の教会にいたのだからな。それに俺が遅刻をしなければ僕もお前のアリバイの証明をしていたことになっただろう。パイプオルガン吹矢発射装置が偶々久流水家を訪れた阿見光治が発見してしまったから、結果としてアリバイトリックとして失敗してしまったが、あれは連続殺人事件のうち一つでも有効なアリバイを作っておこうと考えたが故のトリックだったのだな。

 他にもお前が犯人であるという根拠はある。お前は直弓の遺体を僕と一緒に時計台で発見した時、こう言ったよな。『真夜中に眼を覚ますと、寝台にお前はいない。『小便かな?』と思っていると、窓の外になにやら小さな光が見えるではないか。しかもその方向は墓場だ。鬼火か? 燐光か? 人魂か? 義人の幽霊が出たのかと思ったぞ』、と。

 それに覚えているか? 僕が『マリヤ』に別れを告げられた翌朝、あの金田一探偵のニュースをラジオで聞いた朝のことだ。『御堂はくるりと岩田の方に振り返って、窓から臨む旭日を背にした』。僕達の部屋の窓は東を向いているのだよ。お前は東を向いた窓から黄水館より南にある墓地の灯は見ることはできないのだよ。なのにお前は墓地の灯が見えたと言った。これはどういうことだ。応えは簡単だ。お前は直弓を殺害するがために時計台にいたのだよ。時計台からは墓にある灯りが見ることができるからな。お前はあの時時計台から墓地を見ていたのだからね。お前は直弓の殺害後、僕と『マリヤ』の灯を見つけて無性にそれが気になった。当然だ、殺人を行なった直後に人の気配を感じたのだからな。お前は何食わぬ顔をして僕の前にセントエルモの火と伴に現れたのだろ。

 桐人が先程、贋の真相を話したがあれはお前が前もって地下聖堂に潜り、僕が間の抜けた推理を披露している間に桐人にこの事件の嘘の真相を教え込ませたのだろ。桐人の今までのすべの発言は聖書の引用文を諳んじていただけだ。桐人は人間蓄音機の様な能力を持っていたのではないか。桐人は人の言った言葉や読んだ書物をただ繰り返すだけの哀れな人形だったのではないか。偽の真相を語るとき、マリヤさんが桐人に呼びかけても、あいつは一切それに応じることがなかった。桐人は与えられた言葉をそのまま反復するという天才的能力を持った唯の白痴だったのではないか。だからこそ彼を取巻く人々はその能力に幻惑されて、彼を神の子と崇めていたのではないか。

 あの時、桐人の口調はどうも奇異しかった。桐人は『莫迦か?』、『俺』なんて、まさしくお前の普段の口調と同じだった。あの贋の真相はお前が大急ぎで桐人に吹き込んだ。

 そしてお前は月曜日にこの死陰谷村に入城した。金曜日にこの死陰谷村から消えた。今日、日曜日にお前は再びこの死陰谷村に現れた。イエス・キリストが約二千年前に処刑される際の一週間も同じだ。イエスは月曜日にエルサレムに入城して、金曜日に処刑されて、この世から消えた。そして日曜日に復活を遂げて人々の前に現れた。お前は二千年前の救世主、あの神の子と同じ振舞いをしている……。御堂、お前が犯人なのだろ、本当の神の子はお前なのだ!」

 風がぴたりと止み、じりじりと照付ける太陽が二人の間の空間を歪ませていた。蒼天の下、二人の男は対峙していた。それは実際には刹那とも言える僅かな間隙であったのだろう。時間は生きる全ての者に不平等に流れる。岩田にとってはその刹那を無限にも感ぜられたのは已むを得まい。

 御堂は真ッ黒なレンズ入りの眼鏡越しに岩田を見ていた。その瞳が何を語っているかは、岩田には解らない。

 もう引き返せない――。それだけは了承していた。

 御堂は岩田に対してにやりと哂った。その哂いは、妖しくもあり、無垢だった。哂いは次第にに声が伴い始めた。忍び哂いというのだろうか。俯きながら肩を小さく揺らして、クックッ、と。次第に肩の揺らめきが大きくなり、それに合わせて哂い声も大きくなっていった。あはは、あはは。肩の揺らめきはもう已み、御堂は蒼天を仰ぎ見るように高らかに哂い始めた。

「あはは。真逆かお前に見破られるとはね。あはは、あはは」

「やはりお前だったのか」

 岩田は無念さと憤怒を込めて唸った。

「そうだ、お前の言うとおりだ! 俺がこの耶蘇久流水教の本当の神。そしてこの事件は俺の手によるもの・あはは。そうだ、その証を見せてやる」

 そう言うなり、御堂は真ッ黒な長髪に両手を掛けた。ぱちん、ぱちん。ピンで留めてあったらしい。御堂の東部から乾いた音が鳴った。金属片の当たる音の後、御堂は右手で頭髪を掴み取ってグッと引っ張った。

 御堂の美しき長髪は見る見るうちに、御堂の貌面から離れ始めた。黒髪は御堂の右手の指の絡まり、頭部から分離した。

 漆黒の鬘の下から現れたもの、それは岩田が推測したような雪の様に真ッ白な髪の毛だった。神の子のであることの証だった。

「『男は神の像、神の榮光なれば、頭に物を被るべきにあらず』か……」

 御堂は鬘を地に捨てると右手で真ッ白な髪をサアッと撫でた。真ッ白な頭髪。『その頭と頭髪とは白き毛のごとく雪のごとく白く、その目は燄のごとく』……。ヨハネの默示録に記述される聖書における数少ない神の子イエスの容姿。清枝と直弓はこの髪の毛を以てして御堂を神の子若しくは久流水桐人だという錯誤を起こしたのだ。教司神父の殺害が可能だった人物、そして実際にそれをやり遂げたのは、岩田の目睫にいる、岩田の友人だった男だったのだ。

「御堂……」

 岩田は唸るように声を絞り出した。

 真ッ赤に燃えた太陽がジリジリと岩田の肉体を焦がしていた。

岩田の胸中には、諦観とも達観とも言い難い奇妙な感情が渦巻いていた。それは誰もが幼き日に感じるあの思い出に似ていた。綺羅綺羅と暁闇の中に輝く朝霜、泥濘に構えた小さな氷結晶の伽藍を踏みつけた後に湧き上がるあの不可思議な感情に似ていた。結晶の美しさを何ものにも代え難いと美しきものとして愛でていたにも拘らず、それを何の逡巡もなく下駄で踏みつけた後のあの感覚。破壊したことに後悔をしながらも心底には嗜虐的な満足感が充実したあの感情。己の行為を嫌悪しながらも同時に陶酔してしまう極めて身勝手な感情。その割り切れぬ感情が岩田の胸中を独占していた。

 太陽はすべてを焦がす。地に這う人間の表情だった真ッ黒な鬘も太陽に焦がされ、いと臭き獣の臭いをさせていた。その獣の前主だった男は真ッ白な髪の毛を太陽に輝かせていた。

「俺が犯人だとは認めよう。ならば、お前は俺がなぜ、このような凶行に及んだか解るか? お前にこの動機は解るか?」

 御堂は余りにも素直に犯行を認めた。その表情は爽快だった。

「阿見の『やその騎士』の中にこんな記述がある。阿見と穂邑が紫書館で対話をしている時のことだ。そのとき、阿見がこんなことを言っている。『そんな科白を言ってしまった以上、レッドへリングはレッドへリングではなくなってしまいました。久流水義人がエーテル体として登場しかねない』、と。この科白のとおりだよ。久流水義人は生きてこの事件に拘わっている。否、拘わっているなんてものじゃあない。御堂周一郎、お前が久流水義人なのだな」

 御堂の口角がキュッと吊り上った。残酷の淵に彩られた無垢な哂いだった……。岩田はその哂いに黙示の肯定の意思を見た。

 御堂周一郎が久流水義人である。この恐ろしい着想を描いたのは御堂が鬘であることに気付いたときからだ。御堂のあの特徴的な女のような長髪が本性を隠すための代物だったならば同じく顔を被う黒眼鏡も何かを隠蔽するための装置ではないかと考えた。御堂は黒眼鏡の下に瞳を隠している。それを踏まえてこの事件を読み返すと瞳について奇異しな記述が見出された。義人が毒杯を呷った時の、地に崩れ落ちる時の記述――。『義人は椅子から転がり落ちた。薔薇色に輝いた瞳は精彩を失い、静かに崩れ落ちていった』。また同じく義人の瞳に関する記述。百合子が義人の墓の前で語った義人の思い出の科白の中にて『私は今でも覚えています。義人様の妾を慈しむ薔薇色の瞳を』。前者の薔薇色は、生の煌きを表象する暗喩として、後者は恋する慈しみを表現する暗喩として『薔薇色の瞳』という記述がなされているように思われる。併しこの『薔薇色の瞳』というのは喩えなどではなく、本当に義人が『薔薇色の瞳』をしていたということなのではないのか。

 また御堂の瞳の記述にも奇異しな点がある。御堂が唯一、黒眼鏡を外した場面がある。御堂と岩田が久流水家に到着して間もなく黄水館の玄関口にて平戸警部と邂逅したあの時だ。『御堂が黒眼鏡をすっと外して訊ねると、平戸も怪訝な表情をして、暫し御堂の顔をマジマジと見ていたが、ハッと驚いた様子をみせた』。平戸警部は御堂の瞳をみて、それが大陸で出逢った御堂周一郎であるということに気付いている。御堂の瞳には他の者と違う御堂だけの特徴があると考えられる。それを前提に御堂の黒眼鏡の下の瞳を唯一見ているであろう平戸警部の発言に注目すると、御堂が嘗て切支丹探偵であったと平戸警部から岩田に告白した場面で、『私は未だに恐れます。御堂さんのあの灼熱の瞳を……』と、発言している。これも御堂の恐ろしさを喩えるための暗喩の様に思われるが、実はこれも暗喩などではなく真実を表していたのではないか。御堂周一郎は『灼熱の瞳』だった。『薔薇色の瞳』と、『灼熱の瞳』。表現に差異があるものの、赤い色をした瞳である点は共通している。義人と御堂は同一人物ではないのか。そのような疑念が生まれてきても当然であろう。

 ヨハネの默示録のイエスの容姿の記述には、『その頭と頭髪とは白き毛のごとく雪のごとく白く、その目は燄のごとく』とある。赤い目はこの『目は燄のごとく』を具現化したものだった。

 阿紀良がベツレヘムの星の出現の年に神が生まれたと言ったのも義人ならば判る。八年前の一九四〇年に久流水義人は穂邑との毒杯決闘で死んだと見做されて、それから四二時間ほど経った後に『自力で、若しくは第三者の手を経て棺から脱出して』、『この世界に復活した』のだ。阿紀良が言ったベツレヘムの星の年の誕生とは、久流水義人の復活のことなのだろう。

 御堂は義人であり、神の子だったのだ――。

 御堂が義人ならば何故御堂が久流水家で殺人を犯したのかが解る。義人は戦争に時流に逆らって久流水家で爪弾きになったのだ。哲幹に代わるほどの預言者として持て囃されていたのにもかかわらず、転落を遂げた。そこにこの事件の動機があるのではないか。動機は復讐だったのではないか。義人が犯人であると考えるならば、桐人だと不明確だった不信者だった穂邑への殺人の動機が明瞭になる。おそらく他の被害者も嘗て義人を爪弾きにした人物達だったのではないか。

 御堂は溜息を付いた。そして黒眼鏡に手を当て、そっと外した。黒眼鏡の下にあったのはまぎれもなく、火の様に真ッ赤な瞳だった――。

「まあ、合格点を挙げてもいいか。だが、かなりの部分が曖昧だ。哀れな山羊の桐人に俺がそう仕向けたように俺も順を追って事件の真相を話そうか。そうだな、八年前の俺が神の子、そして『白髪鬼』になった日から話そう。

 永い眠りから覚めると、俺は暗渠の渦中にいた。いくら目を見開こうとも、瞼を閉じていた時と変わらぬ、墨汁を一面にぶちまけたような真ッ黒な闇だった。縦も横も、高さもない、それが二次元の平面であるとしてもなんら疑問を抱かないであろうほどの深淵たる闇の歓迎だった。闇は俺の肉体を圧迫し続けていた。

 ここはどこだ?俺は眼の前の真ッ暗な情景に慄いた。どことも知れぬ暗渠の世界に放り込まれていたのだ。慄かずにあろうか。ただそこが身動きのならぬ、極めて制限された小さな空間であることは直ぐに気付いた。脚を曲げようとも、腕を動かそうとも、コンッと何かが腕や脚にぶつかった。今、俺のいる真ッ暗な世界は極めて限られた空間だ。目を覚ましたときから背中に感じる硬い感触も、その世界が極めて矮小なものであることを推認させた。

 俺は記憶の中で現在に最も近い記憶を呼び起こそうとした。俺、否、僕の最近の記憶は毒杯決闘だった。僕はあの時、毒杯を呷ったのだ。そして全身に怠惰な感覚が充ち、瞼が自意識に逆らって重く垂れ下がり始めた。動作が緩慢になっていくのが感ぜられた。僕は死を悟った。嗚呼、僕は神に選ばれなかったのか。『主よ、今こそ御言に循ひて僕を安らかに逝かしめ給ふなれ(Nunc Dimittis)』。俺の暗渠の世界に放り込まれる前の最も手前の記憶はそれだった。嗚呼、俺は死んだ。俺は死という世界に放り込まれたのだ。この狭い居心地の悪い世界に放り込まれたのだ。真ッ暗な温かみのない、世界に放り込まれた。俺は死んだのだ。

 否、待て。果たして俺は死んだのか? 死んだにしては奇異し過ぎるではないか。なぜ思考が俺には残っている? ダンテの神曲には死したる者が苦悩して議論に華を咲かせている。しかしそこでの思考の矛先は己への責苦による後悔や聖人たちの世界についての議論ではないか。生前を悔やみ、恐れ、または真理を探究する。だが今の俺はどうだ?状況も解らぬまま、生でなく死を、真理でなく現実を思考しているではないか。果たしてこれが死と呼べるものなのか。これが死後ならば何故死に付いて考えることがあろうか。俺は死んでいないのではないか?

俺は死んでない。するとどこに居る? 暗渠の海。それは……。

 俺は棺の中にいる! 俺は生きながら埋葬されてしまった。俺は不愉快な海の中にいるのだ。俺は嘗て読んだ恐ろしき奇談を思い出した。それは一世紀も前でないフランスで墓地の移動のために墓を掘り返して棺桶を空けると、棺桶の蓋の裏に幾条もの爪で引っかいた瑕とそれに添った血の跡があった。墓堀人が驚いて半ば白骨化していた遺体の爪の辺りを見ると爪は剥がれ、血が滲んでいた。その遺体の顔は絶望と恐怖で歪んだ世にも恐ろしい顔をしていた。遺体は一度死んだ、または仮死状態になった状態で埋葬され、遺体の主は棺桶の中で目を覚ました。主は棺桶から這い出ようと踠き、爪を立てて蓋を抉じ開けようと試みたが、失敗に終り絶望の中で再び独り死んでいった。

 俺もその奇談と同じく仮死状態のままで埋葬されしまった。俺は奇談と同じ様に苦しんで再び死なねばならぬのか!

 こんな暗い闇の中で絶望の中で死ぬのは真ッ平だ。俺は明るい世界に出たい。こんなジメジメとした世界に留まっていたくはない。俺は困難ながらも未知なる世界に生きる。

 俺は必死に棺の蓋を力一杯に押し続けていた。生きたい、だだその一心で。だが蓋はビクともしない。嗚呼、どうしたものか。俺は死ぬのか。死が頭に過った。だが俺はそれを直ぐ様打ち消した。生きてやる。

 俺は棺の側面に手足を押し付けて踏ん張ると、一魄の気合を込めて頭突きを棺桶の側面に食らわせた。その頭突きはきわめて効果的だった。メキッと小さく軋んだ音をさせたのだ。俺は懸命になって、続けて頭突きを食らわせた。暗渠より世界に出たい。その一心で。すると壁が割れた。俺はそれ幸いと体を棺から捻り出して今度は真ッ黒な泥濘の壁を壊し始めた。懸命に、懸命に明るい世界に出ようと必死に泥濘の渦を突き進んだ。泥濘が俺をいくら汚そうとも構わない。俺は外の風に触れたかった。あの緩やかで包み込んでくれるであろう風に……。

 そして俺はとうとう世界に這い出した。泥濘を掻き分け、一点の輝きを見つけた。死から生へと繋ぐ扉を。俺はとうとう世界に産み落とされた。俺は死よりの生還を何より喜んだ。俺は暖かい風を感じることができた。暖かい風を。生を喜ぶ土塊に塗れた俺に己の存在意義を無碍に拒否するものがそこにあった。俺は否定された。

 それは真ッ白に塗られた俺の墓石だった。『汝らは白く塗りたる墓に似たり、外は美しく見ゆれども、内は死人の骨とさまざまの穢れとにて満つ』。偽善者の墓。それが俺の墓石だった。

 俺は偽善者として西側の片隅に葬られていた。村人達、久流水家の人々の崇拝の念を集めていた預言者、久流水義人が偽善者として葬られていた。あの痛々しいほど真ッ白な墓石を見た時の衝撃が想像出来る? 聖人として慕われ、扱われてきた人間が死後になって偽善者として葬られている。人間が死後に己の葬られ方を見ることができないのはどれ程幸せだろう。他人の己に対する評価はその意識が消滅した時が最も顕著となる。

 俺は何だった?。

 墓石に書かれた『悪しき世は悪しき人を生めり、良き世は又良き人を作らん〝人は悪魔ならず神ならず人以外の何の者にもあらず』の一節が眩しかった。

 俺はあの戦争に反対した。人は神に忠実でなくてはならない。それが俺の行動規範だったのだから。その神の輝ける教えが、他の人々にとっては煩わしかったのだ。己が楽に生きるためには邪魔なものだった。その煩わしき者が死んだ後になってその本性を現わした。彼らにとって神は創り出すものなのだ。神に創り出されるものではないのだ。

俺は、何だったのだ? 俺は……。俺は何なのだ? 絶望に噎び泣いた。己の真ッ白な墓の前に蹲って、俺は泣いた。泣き続けた。

 泣いているうちに奇妙な感覚が心底に蠢き始めた。

 俺は……、生きる。生きてやる。神のためではない。俺自身のために生きてやる。あの土塊の中で必死に願ったあの生への渇望。あの干天に願いし慈雨。あの感覚が俺の心底に沸沸と湧き上がり始めたのだ。否、湧き上がったは正確でない。そのときの俺にはそれしかなかった。そのときの俺を支えるであろう代物は、泥濘での生への渇望しかなかった。形振りなど構わぬ純粋たる生への渇望。俺に敬虔に従ってやる。あの厳然たる渇望に。

あはは、あはは……。

 俺の容姿は生きたまま埋葬される恐怖で全く別物になっていた。恐怖によって漆黒の輝きを持っていた髪は、老人のような白髪となり、赤味の射していた頬は扱け、眼付きは炯々としていた。乱歩の『白髪鬼』だ。別人になりすますのは容易だった。

 俺は大陸で思想探偵を始めた。それは戦争にあれほど反対していた久流水義人の行動と一貫性のない活動だ。だが俺にとってはもう神などどうでもよかった。俺はもうあの偽善者の白き墓を見たときから久流水義人ではないのだ。俺は別人。御堂周一郎なのだ。あの日、土塊から捏ねられて生まれた存在。俺は別人として働いた。過去を消し去り、御堂周一郎としての人生に馴染むために。

 大陸では大衆の神を打ち砕いていった。信じる者を打ち砕いていった。それが心地よかった。なぜなら彼らの目を覚まさせることに繋がると思ったからだ。

俺のそのときの神についての心情を語ろう。俺は偽善者の墓を見たときに神というのが人間の都合によってできあがっていることを知った。預言者としての俺の言葉が時流に己たちの都合に合わなくなったら無碍も無く吐いて捨てたのだからな。神は人間の都合の中にある。人間のルサンチマンの中より生まれしもの。

 それは大陸に渡り、思想というものを調べ上げる生業についているうちに強固のものとなった。『神といへば、皆ひとしくや 思ふらん 鳥なるもあり 虫なるもあり』。本居宣長の歌のとおりだ。大陸にて俺は鳥や虫を見たのだ。鳥であろうと、虫であろうと、信じるものにはそれが神だったのだ。神などあろうか。俺の神への冷笑は強まった。しかも、俺は日本の神を背負って、神を殺していった。神の名を利用して神を殺す。これほど愉快なことがあろうか。俺は神を哂った。

 あはは、あはは。

 神の名を背負い、神を破壊する作業は終戦とともに終りを迎えた。だが俺は解決屋という実態の肩書きをもって、人の神、否、人の信じるものをほしいままに出来る仕事をやり始めた。真実を調べ上げても、ときとして虚偽を労して人々が望む真実を提供する生業を。腹の底でククッと哂う密かな楽しみのために。莫迦面下げて俺の語る真相を有難がる蒙昧なる大衆を蔭で哂うために。

 お前が真実と思っているのは実は嘘でお前の都合のよいものに合わせて俺が造ってやったのだぞ。お前の神は俺の手製なのさ。人の手によって創られた木偶だぞ。俺は人に神を偽造する仕事が気に入った。それも教会の片隅の一部屋で神を創り上げたのだ。これほど愉快なことがあろうか。

 そんなときだった。御堂周一郎として生きていた俺の前に久流水義人の影が現れたのは。それを齎したのは、教司神父だった。

 今日から一〇日程前の日だった。俺がいつものように神をでっち上げ、あの蝸牛の教会の片隅の部屋でニヤニヤ哂っていた時だった。コンコンと扉を叩く音とともに、過去の残滓である神父の姿が現れた。

 その時の衝撃はどれ程のものだったか。神をでっち上げ哂っているところに神の地上での鍵の番人である久流水教司神父が現れた。決別した過去より炙り出されたかのようだった。決別した過去久流水義人の過去の住人が現在の御堂周一郎に来訪してきたのだぞ。神に従属していたあの日々から現在の神を偽造する日々へ次元を超えて来たのだ。愕然としている俺の前に教司神父は出でるなり跪いて頭を垂れると涙声でこう言ったのだ。

『嗚呼、神よ!』

 俺はお前らによって偽善者として葬られたではないか? それにもかからずに再会早早、偽善者に対して『神よ』だと?

 俺が呆然としていると神父は突然の振舞いに羞恥を覚えたのか、咳払いをして涙声を正して立ち上がると改めて俺に言った。

『嗚呼、神よ! 驚かれるのも無理はありません。貴方はご自分が神であらせられることをご存じではないのですから。私どもも貴方様が真なる神であることをずっと知らずにいたのですから』

 耶蘇久流水教神父久流水教司はことの経緯を話し出した。

『私どもはなんと愚かだったのでしょう。真の神の子である貴方様を罪人として葬ってしまうとは。偽たる神である久流水桐人を崇めたてていたとは。嗚呼、なんと罪深きことか。神よ、御許し下さい。貴方様が驚かれるのも最もです。不遜ながら私めが次第を忠信致しましょう。

 あれは数日前のことです。私は写字室にて久流水版聖書の研鑽に明け暮れている頃でした。あの時は確かマタイ傳福音書第六章二四節の《人は二人の主に兼ね事ふること能はず》に眼を通していました。私がその節の意味を解釈していると、書斎の扉が突然に開かれ、雄人氏が血相を変えて飛び込んできました。雄人氏は呆気に取られる私を何も言わず、机から離れさせ、腕を掴むと写字室より外へ引っ張り出しました。外は黄昏時で辺り一面を黄金色に染め立てていました。一面に輝く黄金色の中、雄人氏は無言のままで私をゴチック聖堂に連れて来たのです。迷宮図の広がる床に乾いた音を鳴らせ、巨人の扉を潜って地下聖堂へ進みました。

 其処で見たものは何と恐ろしきものだったのでしょうか! 其処で私が見たものは、其処での衝撃は未だ鮮明に私の脳裏に焼きついています。嗚呼、怖ろしい!

 そこには真ッ赤な血溜りに身を浮かべる見知らぬ老人と、ぼんやりと虚空を見詰める久流水桐人の姿でした。一体どうしたことだ! 私は瞳を疑いました。だが疑わずとも明らかです。久流水桐人が得体の知れぬ老人を陰府に送ったのです。

 神が人を殺すなんて。私はまだ桐人が真の神の子だと勘違いしていたのです。私の衝撃は想像できるでしょうか。己が信じていた者が怖ろしき行いをしたということを。

 ですが私は直ぐに思い直しました。彼は神なのだ。神にはSinがないのだ。彼の行いは人間のCrimeとは違うのだ。彼の行いになぜ衝撃を受けることがあろうか。私は一瞬にして安堵の情を手に入れたのです。

 しかしその甘い考えも束の間でした。次の瞬間、恐るべき言葉が神の子の口から発せられたのです。

『お前、久流水桐人は久流水家の人間ではない』

 それが久流水桐人から発せられた言葉でした。続いて、マリヤが皮様嚢胞腫だったこと、桐人が久流水家に全く血縁関係のない得体の知れぬ兒にしか過ぎないことを。それは全く奇妙でした。神の口が自分は神でないことを証言しているのですから。

 久流水桐人は生まれながらに特殊な能力を有していました。それは一度聞いたものをソックリそのまま、諳んじてみせるという蓄音機と同じ驚異的な記憶力です。彼は私たちが幼き日より読み聞かせた聖句や物語を完全に記憶しており、殊につれてそれを口走るっていました。彼の言う言葉は彼が聞いたことのある言葉です。繰り返すことしか言葉を使えぬ者なのです。

 桐人が繰り出す言葉は誰かが吹き込んだ言葉。桐人が話している言葉も誰か、血溜りの老人が吹き込んだ言葉です。

 己が信じていた神の子久流水桐人様が久流水家の血、彼を神と見做していた第一要因である久流水哲幹の血を受け継いでいない唯の人間にしか過ぎないとは。

 ならば神でない彼の犯した殺人はやはりCrimeではないか。彼は犯罪者ではないか。裁かれるべき人間ではないか。

 彼は神ではない、唯の犯罪者だぞ。彼を神の子として崇拝することはできぬ。久流水教ではその様なことは許されぬ。彼を排斥するべきか。否、それはできない。彼を神として慕う村人、信者がいる。信者は彼が神でなく、犯罪者であると知ったらどうなる? 耶蘇久流水教は預言者としての久流水哲幹、神の子としての久流水桐人と人間を神と同等の扱いをして成り立っている宗教だぞ。もし彼が神の子ではないとしたら耶蘇久流水教は崩壊してしまうのではないか。多くの村民、信者が精神の路頭に迷うのではないか。暗澹たる隘路を歩ませてしまうことになりはしないか。彼を犯罪者として放擲してしまえば、教義に忠実であり、信者に裏切り。彼を神として崇拝してしまえば、信者に忠実であり、教義に裏切り。私はこのどうしようもないジレンマに犯されてしまいました。

 私がそのジレンマに犯され、あぐねているときでした。地下聖堂に万里雄氏と阿紀良氏が血相を変えて入って来ました。

彼らは血溜まりの老人と、呆然とした桐人に驚愕しました。私が事の顛末を話すと彼らの気色は益々蒼褪めていきました。
 私を悩ますジレンマについて話すと彼らの蒼褪めた顔に何故か赤味が差してきました。彼らは、あはは、と哂うと、私と雄人氏の腕を掴んで老人の死体と蓄音機の様に同じ証言を繰り返す桐人を残して紫書館に引っ張ってゆこうとしました。外は相変わらず、黄昏の黄金色に染まっていました。

 私たち四人が紫書館に入るとそこには先程にも増して衝撃的な風景が飛び込んできました。

 それは香炉を置いている台座に貼り付けられていた魔鏡のせいでした。地面に広がるイエス・キリストの系圖に光の文字が描かれているではありませんか。其処には《NABI》というヘブライ語で預言者という意味の言葉が魔鏡による光の文字となってイエスの祖父ヨアキムと、洗礼者ヨハネの父ザカリヤの上に描かれているではありませか。何故NABIの文字が哲幹様に任であろうヨアキムだけでなく、久流水義哉に任であろう洗礼者ヨハネの父ザカリヤの上にも描かれているのでしょうか。

 そもそも史実としてザガリヤが預言者だったことなどはどんな資料にもない。否、そもそもザカリヤという人物すら史実では存在が怪しいのです。半ば民間伝承として創作された人物です。

 久流水教ではではザカリヤにあたるのは桐人のいとこであり、神聖を持っていた久流水義人の父、久流水義哉です。なぜ彼に《NABI》という肩書きが付いているのでしょうか。

 私が考えあぐねていると、私を紫書館に連れてきた久流水万里雄氏が磊落に哂って仰ったのです。

『あはは。簡単なことさ。義人の瞳の色を思い出して見たまえ。真ッ赤だったろう。あれも桐人と同じ白子症だった。それとこの目睫の奇怪図を考えれば結論は出る。久流水義人は久流水哲幹様と娘淑子様との近親相姦の末に生まれた兒ではないのかね。イエスが祖父と父に神を持っていたように義人も哲幹様を祖父と父に持っていたとのではないか。私は先ほど阿紀良とこれを発見したとき、蒼天が落ち、大地が割れんばかりの衝撃を受けたが、桐人が神でなく偽者ならば都合がいいではないか。義人、否、久流水義人様こそ、耶蘇久流水教の神の玉座に座るべき方ではないか。教司神父の抱えているジレンマも解消するではないか』

 マタイ傳福音書第六章二四節の『人は二人の主に兼ね事ふること能はず』の聖句が私の脳裏を掠めました。義人様、貴方こそ私たちの真実の神です。どうか私たちの神になってください』と。

 教司神父はそう言うと再び俺の前に跪いた。歓喜に充ちていた。

 俺の率直に抱いた感情は後に話すとして、幾つかの疑問を整理しておこう。教司神父が言うには魔鏡による『NABI』という文字は、『イエスの祖父ヨアキムと、洗礼者ヨハネの父ザカリヤの上に描かれている』のだったな。岩田、お前は怪訝に思っただろ。お前が見たのは『イエスの父JOSEPHと祖父JOACHIMの名前の上に、黄金色の光の文字でNABIと書かれてい』た系圖だったのだから。なえザカリヤとヨシュアの違いが生まれているのか。それは簡単なことだ。お前の『神殺しの黄昏』をよく見てみろ。あの俺達が魔鏡の文字を発見する直前、阿見光治が己の推理を無碍に吐き棄てられて怒っていたことを。怒りに任せて、『阿見は御堂を睨み付けると、香炉の台座を蹴飛ばして図書館の扉に向かって傲然と歩を進めて行った』ことを。あの時の阿見の蹴りによって『NABI』という文字が、ザカリヤからヨシュアに位置がズレてしまったのだよ。それに俺がいち早く気付いて、適当に誤魔化したのさ。

 もう一つの疑問としては何故教司神父たちが御堂周一郎として生きる俺を探り当てたかということだな。彼らは魔鏡から久流水義人が久流水哲幹の実の児であることを知る以前に久流水義人=御堂周一郎ということを知っていたのだよ。百合子が言ったように、『義人様は自力で、若しくは第三者の手を経て、棺から脱出していた』のは容易に察しが付いていたからな。ならばその後は当然、義人はどこにいるということになる。彼らは見つけたのさ。発見した義人は別人として生きていた。彼らは義人に接触を持つことなく、ただ黙認していたのさ。あはは、真逆か俺が探偵される側になっていたとはな。

 さて、話を戻して俺が教司神父の要請を受けたときの率直な感想は言おうか。否、言うまでもないだろう。何と愚かで身勝手な! それが率直な感想だ。自分達の我が身可愛さのために排斥しようとして俺が都合よく死んだと思えば、俺に『偽善者』のレッテルを貼った奴らが今度は俺に神になってくれだと! 何様のつもりだ。己の都合で神として崇め、己の都合に会わねば捨てる。その癖、神を絶対者だと崇める。お前達の神とはなんだ? 自己正当化するための道具か? 己の精神の安定装置か? 狐が虎の張りぼてを抱えていることなのか? 貴様たちは何ものだ?

 俺はお前達にとって何なのだ? 俺はもう神というものなど信じてはいない。あの時、漆黒の闇の中で、俺を救うてくれたのは俺のどうしようもない生存本能によるものだった。絶望の淵で俺を支えたのは神ではなかった。その俺に神を持ちかけるとは何たる愚か。愚挙以外の何ものでもない。俺はお前達のその愚挙の所為で、何もかもが瓦解に帰してしまったのだぞ。灰燼と化してしまったのだぞ。それを復元して、元の伽藍を築けと言うのか。貴様らのせいで、俺は……。

『この復讐の誓いに 耳を貸せ!(hierher zu horchen dem Rachenschwur!)』

 ワーグナーの『神々の黄昏』の一節だ。その一節が俺の脳裏に過ったのかは解らぬ。否、解ってはいるのだ。ただあまりにも簡単に現れたことに驚いたのだ。所詮は復讐など喜びや悲しみと同位体に過ぎないのだろうか。

 これは最も復讐に相応しいではないか。彼らは俺に神になれと言った。だが彼らは俺に神として何をせよ、どのような神になれとは言うてないではないか。申命記第四章二四節『汝の神ヱホバは燬盡す火 嫉妬神なり』。俺は神になる。但し怒りの神に。神は人間の都合のよいままにある存在でないと示してやる。この世界を生んだのが神であるなら、この世を終わらせ審判するのも神なのだ。俺は神になってやろう。だが俺がお前らの世界を集結させてやる。默示録を完成させてやる。愚かなお前たちは俺の終末への誘いを喜んで受け入れるであろう。お前たちは自分を善人だと、最高の、これ以上はないほどの善人であると思い込んでいるのだから。その思い込み自体が善ではないことを忘れて己が善人であると胸を張るのだから。善人は審判により天国で祝福される。それに浴することができると思い込んでいるのだから。ありもしない天国を夢見るがいい。夢見るお前達を安らかに、恍惚感のままに死なせてやる! 愚かに神を信じて死んでゆくがいい。復讐してやる。『故に汝の智慧に従ひて事を為し其白髪を安然に墓に下らしむるなかれ』。

 俺は神になることを承諾した。因に『Mene Mene Tekel Upharsin』は、俺が神になる決心をしたというサインの代わりだ。裏の意味としては当然に俺の怨嗟の表明だ。俺が神になると知って彼らは快哉を挙げたよ。真の神が自分達の前に現れたとね。

 俺は神になるということを表明した後、あることを提案した。それは耶蘇久流水教を一度破壊しようという提案だった。耶蘇久流水教は偽者の神の子久流水桐人の所為で穢れたものとなっている。新たな真の神が光臨するためには一度耶蘇久流水教を焼き払わねばならないのではないか。一度世界をリセットする必要がある。そのためにヨハネの默示録に沿った世界の終末を耶蘇久流水教の終末を訪れさせ、最後の審判による新たな世界の再構成の必要があるのではないか。久流水桐人という罪に穢れた世界は改めねばならぬ。俺はヨハネの默示録に擬えた神の行いを以て世界に現れよう。俺は四人にそんな提案をした。その提案は俺が復讐を遂げるためには好都合の提案だった。何しろ被害者が望んで俺に殺されてくれという提案なのだからな。

 四人はその提案を喜んで引き受けてくれた。神となった俺の提案を拒むわけがない。彼らにとって神は絶対なのだから。『教皇無謬説』か。神である俺の言葉をどうして拒もうか。復讐の段取りは整った。世界を崩壊させてやる。神という権威を借りて世界を崩壊させてやる。『 羊、服従することに慣れきった羊よ……。その人間達を飲み込むがいい(トマス・モア『ユートピア』)」

 御堂は一気に語りつくすと息を吐いた。太陽は輝き、御堂の周りの空気を温ませていた。盆地の下から、あの耶蘇久流水教の要塞から、ずしりと重い風が岩田と御堂の間を吹き抜けて行った。

「戦争反対を唱えて忌み嫌われた。そのせいで百合子さんとの縁談も対抗馬として穂邑を擁立させられた。そして偽善者のレッテルを貼られて葬られた。だが久流水家の人間はそんなかつて振舞いを忘れたかのようにお前に接触して傲慢にも神になってくれと哀願した。それがお前には気に食わなかった。それがお前のこの事件を興した動機というわけなのかい?」

 岩田は要約して言ってみた。御堂は岩田の言いに嘆息した。

「一般人が安心するための動機を挙げるならばそうだろな。復讐なんて、感情の同位体にしか過ぎぬ。動機なんてナンセンスだ」

 太陽が御堂の左半分を照らしていた。先程よりいっそう真ッ白に染めていた。岩田は続けて矢次早に御堂に訊ねた。

「五月三日の初日に、なぜ教司神父はお前の元を訪れたのだ?」

「本当はひっそりと耶蘇久流水教に幕を引かせようと思っていたさ。だがあの阿見光治の出現により、計画が灰燼に帰すことを恐れた教司神父が俺に助けを求めに来たというわけさ。そこにお前も巻き込まれることになったのだ」

「默示録の終末を久流水教に与えることは皆知っていたのか? 少なくとも神父、万里雄氏、阿紀良氏は知っていたことになるが」

「ああ、それに加えて雄人氏が知っていたさ。その他の直弓や清枝なんかは知らなかった。俺が神父たち四人にこの計画はお前達以外誰にも言うなと釘を刺したからね。皆に知られれば仕事がやりやすくもなるが、同時に部外者に洩れる危険性も大きくなるからね。他の奴らが知らなかったこそ奇異しな密室が出来上がったのだけどな」

「なあ、お前の標的になった久流水家の人間はどういう基準で選んだのだ?」

「久流水家の人間なら誰でもよかった」

「お前は、雄人氏、教司神父、直弓、穂邑という久流水家の人間を殺したのだな」

 岩田は憮然として言った。

「何を言っている? 俺は久流水穂邑なぞ殺してはいないぞ!」 

 五月の風が一気に吹き上げた。短い白髪がサアッと揺れた。真ッ赤な瞳に風が吹き付けたのか、眉を顰めた。


「何だと!お前は私の与える光を、罪ふかい手で消そうとするのか? お前のような人間の欲望が凝ってこの帽子が出来ちまったんだ。そしてこの長い年月、無理やりに私はお前たちの欲のかたまりのこの帽子を深くかぶせられていたんだ。それでもまだ不足なのか?」と幽霊は叫んだ。

                    ディケンズ『クリスマス・カロル』

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