Η 開いた此門を潜れ Locked Room 1948,5,4(TUE)

Ⅰ書物の中の書物 La Libro de libroj.


悪魔も自分の目的に合わせて聖書を引用できるものさ。 

              ウィリアム・シェイクスピア『ヴェニスの商人』


 昼食を目前に迎えて岩田は御堂とともに聖餐の間へ向かった。久流水家では夕食以外は各々が食事を聖餐の間で独自に摂るようになっていた。岩田達が聖餐の間に行くと部屋の時計は一二時を指していた。聖餐の間には既に万里雄と阿紀良、益田老人、穂邑、百合子、阿見が昼食を摂っていた。昨晩とは違ってマリヤが上座の方に座っていた。しかし桐人が昨晩と同じく列席してないことを岩田は訝しく思い、隣の御堂にそのことを話すと、「神様が簡単に人前に現れてどうする。桐人は聖堂で食事を取っているのではないか」と解説した。

 各自が食事を摂るといっても流石に昼前後になれば聖餐の間に大半の人々が集まって来た。岩田達から少し遅れて直弓と清枝がやって来た。だが何故か教司神父だけは一三時になっても来なかった。その後も教司は一向に来なかった。

「奇異しいですわ。叔父様はいつも一二時に来て一三時までここで皆と雑談を楽しむのに。何かあったのかしら」 

 百合子が心配して言うと、阿見が不躾に言った。

「ひょっとしたら神父は凶牙に掛かっているかもしれませんネ。教司氏はどこにいますかネ。ちょっと様子を見てきましょうかネ」

「貴様は殺人事件を期待しているのだろ」

 阿見に穂邑が言い返すと、清枝が応えて言った。

「教司様が写字室に入って行くのを直弓さんと見ましたけど」

「此処には写字室があるのですか?」

ずっと黙っていた御堂が訊いた。これに万里雄が応えた。

「彼は聖書の翻訳を行っているのです。新教系の翻訳委員会の作業による聖書は数多くの学者が指摘しているように正確の翻訳ではないのですね。例えば現在の聖書は神の名はヱホバとされているが、最近じゃあヱホバが誤読であることが判っています。まあ、三一年の『南蛮文学』で新村出博士は『日本語訳はあり得べきでない』と言うくらいですから、翻訳自体があり得ないかもしれないですが。加えて我が耶蘇久流水教は旧教でも新教でもないから他宗派の翻訳を間借りすることにも違和感があるのですよ。そこで我々は耶蘇久流水教独自の翻訳による聖書の発行が必要となったわけです。新教とも旧教とも違う久流水教独自の聖書を作ることになったのです。哲幹様の命により、教司君は久流水版聖書の編纂に追われています。教司君は久流水家の中で羅典語と希臘語に精通している唯一の人間なので、神父の任の傍ら翻訳活動を行っているんですな」

「神父は新たな聖書のために写字室に向った……」

 御堂がそう言うと、阿見がその言葉を受けて言った。

「とりあえず写字室に行くことですネ。僕が率先しましょう」

 阿見が腰を浮かせかけると穂邑がそれを制した。

「貴様は何をするか判らん。俺と百合子が行こう。帥彦、何処だ! お前も行くぞ!」


かくて過ぎ往くとき、アルパヨの子レビの収税所に座しをるを見て、『われに従え』と言ひ給へば、立ちて従えり

                       マルコ傳福音書第二章一四節



Ⅱ藪の中 Chaos


ヱホバすなはち我に言給ひけるは此門は閉ぢておくべし開くべからず此より誰も入るべからずイスラエルの神ヱホバ此のより入りたれば是は閉ぢおくべきなり

                        エゼキエル書第四四章二節


 写字室は聖堂から見て南西の方に位置していた。久流水家の城壁の入口、美麗門より入城した際に左手に見えた黒褐色の建物が写字室であった。褐色がかった黒色石を使用したもので他の建築物がかなりの装飾を用いたゴチック式であったのに対して、写字室は一応ゴチック様式ではあるが、印象としては単に石を組み上げただけといった様相であった。

 写字室とはいっても、半分は教司神父の書斎を兼ねており、写字室の前面半分を印刷機のある印刷室に奥半分を書斎としていた。書斎には編纂のための机と聖書学に関する本が並んだ本棚があった。机と椅子はこの中世的な建築様式と意匠を異としていた。机は木製の単純な意匠すらないもので対になっている車輪付き革張椅子とは不釣合いであった。本棚には古今東西の聖書や、『ユディト書』や『トビト書』、『マカベア書』、『集会の書』、『智慧の書』といった日本の旧約聖書三九巻には収録されていない巻や新約外典の『パウロの默示録』や『ヤコブ伝福音書』等が収められていた。

 だがもうこの図書を使う者はもういない。この部屋の主である教司神父は胸に剣を立てて鮮血を溢れさせて亡くなっていた。奥の書斎のちょうど中心辺りで教司神父は椅子からずり落ちんばかりの体勢で椅子に坐しており、机の陰に隠れんほどだった。剣は四尺の大振な長さで、柄には血で染まったものかと一瞬思わせるような真ッ赤な布が巻き付けられていた。

 この部屋に出入りしているのは警察ばかりであった。直ぐ久流水家に残っていた数名の警察に連絡されて検証の運びとなった。

 岩田と御堂は平戸警部に懇願して、または脅して現場検証に立ち合わせてもらっていた。同じ探偵であり探偵小説家の阿見光治は検証には立ち合わせてもらえず御堂や平戸警部に怨み辛みを言っていた。現場検証とはいっても岩田はまだ神父の遺体の残る部屋をしっかりと調べる気にはなれず、部屋の隅で大人しくしていた。一方の御堂は対照的に部屋のあちこちを興味深そうに動き回っていた。御堂は部屋の窓や通気候を細かく調べながら言った。

「なるほど、密室と言っていいかもな。窓には羽目殺しがあり、大人の腕が通るか通らないか程度。ましてや通気口なんて論外だ」

 御堂はそう言うと、視線を写字室の入口に奔らせた。

「あの鍵の掛かっていなかった扉も論外だ……」

 御堂の視線の先には遺体発見以前から鍵の掛かっていない扉があった。


汝その隣人に對して虚妄の證據をたつるなかれ  出エジプト記第二〇章一六節

 


 警官に問われたる主流帥彦の物語

 ヘェ、あたしがいつから久流水家にお世話になっているかですって? 雄人様がお亡くなりになったときにもお話しましたが? エッ、もう一度ですかい、面倒でござんすね、警察というやつは。

 そうですねェ、あたしがお世話になり始めたのは、戦後まもなくの頃でございます。エエ、早いもので、今年で三年目になりますかねぇ。戦争で身内を失った実でございましてねぇ、路頭に迷うしか道が御座いませんでしてねぇ。そんな時ですねェ、街で百合子様とお会いすることになったのは。あの方は天使でございます。百合子様は私のような戦争で身内を失い、その日の食う物に事欠いたような者どもに施しをされていたのですよ。

 私は百合子様にすっかり参ってしまいましてねぇ。いやいや、好いた惚れたのことじゃあございませんよ。ヘヘッ。あの方の清らかさには誰だって平伏してしまいますよ。あたしはこの体でしょう。人には虐げられて、蔑まれて生きて来たのでございますよ。けれど百合子様は違った。私を蔑むどころか、私の体を素晴らしいと仰ったので御座いますよ。この体がですよ。背中に瘤を背負ったこの体を素晴らしいと言うのですよ。百合子様に言わせると、何でも使徒パウロや哲学者キェルケゴールという方も私と同じ『肉の刺』という傴僂だったそうです。『傴僂であることを恥ずかしがることはありません。恥ずかしがることこそが罪なのです』と、百合子様は仰いました。

 それからです、あたしが百合子様、久流水家に付いて行こうと思ったのは。あたしは芝を刈り、水を汲む仕事を久流水家で始めたのです。年齢? あたしの年で御座いますか? 数えで三三になりますよ。ヘェ、よく言われます。もっと年かと思ったと。

 ヘェ、次は教司様のご遺体を発見した時のことでございますか。そうですねェ、あたしは皆さんより早めに食事を摂りまして昼食には給仕役はいらないので、雄人様の葬儀の準備を隣の部屋でしていたのですよ。

 そうしたときでございます。聖餐の間から穂邑様があたしをお呼びになる声が聞こえたのでございます。あたしがその声に呼ばれて穂邑様のいる聖餐の間に行ってみると、何でも教司様がいまだ聖餐の間に来ていないと。今から百合子様と教司様のいる写字室へ向かうからお前もついて来いと仰いました。お呼びに行くことなど、あたし一人で行けばいいと申しましたが穂邑様はどうしても行くと仰いまして……。



 警官に問われたる久流水百合子の物語

 穂邑さんと帥彦とともに教司叔父様のいらっしゃる写字室に向かいましたわ。ええ、穂邑さんに一緒に行こうと言われたときには本当に驚きましたわ。真逆かと思いましたが、もし阿見さんの言うとおりならば妾が教司叔父様の遺体を発見することになってしまいます。妾は一瞬穂邑さんの考えに吃驚してしまいました。けれども妾は穂邑様の妻です。女は弱き器(weaker vessel)ですもの。『妻たる者よ、その夫に服へ、これ主にある者のなすべき事なり』とありますし。

 穂邑さんと帥彦と共に写字室へ行き、写字室の前に来ると妾はやはり怖うございましたわ。阿見さんの言う通りに教司叔父様の遺体があるような気がして。穂邑さんは写字室の扉の取手に手を掛けると、何の動作もなく、すうッと開きましたわ。ええ、鍵が掛かっている様子はありませんでした。妾達は三人して中に入りました。ご存知の様に写字室は前面の印刷室と奥の書斎二つの部屋に分かれているのです。二つに分かれていると言いましても、部屋の間には仕切る壁はあるのですが、扉は付いていません。印刷室と書斎の壁はあくまでも境界線程度の役割しかありません。妾達が入口付近から見ると、印刷室のすべては見えるのですが奥の書斎の全体は見ることはできません。印刷室に教司叔父様はいらっしゃらないのは一目で判りました。

 すると穂邑さんは直ぐに奥の書斎の様子を見に行きました。妾は写字室の入口で立ち竦んでおりました。帥彦は私の側に付き添ってくれましたわ。妾は震えながらも、そこに残って辺りを見回すと、ふと妙なものが飛び込んできたのです。それは教司神父が編纂なされていた久流水版旧約聖書の下書きです。

 刑事さんは『姦淫聖書』の事件をご存知ですか? 一六三一年に刊行されたある聖書が原因となり、街中に姦淫に耽る者が溢れ返ったというものです。なぜ聖書が刊行されたことで街がソドミーと化したのかと言いますと、ちょっとした錯誤から生じたものですの。出エジプト記の十戒に『汝姦淫する勿れ』 というのがございます。原文では『Thou shalt not commit adultery』だそうですが一六三一年のこの聖書には印刷ミスで『not』が抜け落ちてしまっていたのです。『not』は即ち『勿れ』です。『姦淫する勿れ』が、『汝姦淫すべし』という反対の意味になってしまったのです。純朴な当時の信者はその誤った聖書の戒律を信じてしまったのです。その為に進んで姦淫を行う者が増えたのです。『汝姦淫する勿れ』が守られない爛れた世界になってしまったのです。

 妾の眼に飛び込んできた久流水版聖書の下書きも姦淫聖書と同じようなミスを犯していたのです! 『姦淫する勿れ』の一つ前の戒である『汝殺す勿れ』が『汝殺すべし』になっていたのです!

 言葉が人間の行動を規制することはよくあります。ヨハネ傳には『太初に言あり』と書かれています。ある言葉があって、ある事柄を定義付けるから、それを認識出来る。神が初めに『光あれ』と仰ったから、宇宙には光があるのでしょう。ならば『殺すべし』という言葉があるから殺人が起こると考えられませんか?

 妾は下書きを見てからのほんの数秒でこんな恐ろしいことを考えていました。の間辺りはまったく静かでした。それが妾を益々恐怖に駆り立てました。

私が恐怖に慄いている時です。隣に入ったばかりの穂邑さんの大きな声がしました。

『神父が殺されている!』



 警官に問われたる久流水直弓の物語

 犯人が写字室に入るのを見たのかですって! ですから何度も申し上げているとおり見てはいませんわ。えッ、では犯人と思しき人を見たかですって? 警察はくどいですね! これで何度目ですの? 一度聞いても解らないのですか? 呆れてしまいます。もう二度と質問されない様に初めから順を追って説明しましょう。

 朝のミサが終わって、聖堂を出て墓地に向かいましたわ。ええ、雄人叔父様の葬儀が近いですからね。赤と白の花が並ぶ墓地の辺りが荒れていないかを確認しに行こうと思ったのです。

 刑事さんもご存知の様に久流水村の墓は我が久流水家の敷地内にあるのですね。墓地には大きな石室とそれを取り囲む様に幾つもの十字架が並んでいます。ええ、そうです。我が久流水教ではお亡くなりになった信者は、まず石室の周囲の土地に埋められ、十字架の卒塔婆を与えられます。それから死後一三年経ちますと、墓を掘り起こして石室にご遺体を移すのですわ。

 何故そんなことをするのかですって?久流水家はそもそも一四代に渡って弾圧されてきた隠れ切支丹を源流としているのです。隠れ切支丹として過ごしてきた祖先たちは一番に何が困ったと思います? 信仰の場所と遺体の安置場所、つまりカタコンベですわ。この久流水家の地下には黄鉄鉱で出来た鍾乳洞が奔っているのです。妾達の村はそこをカタコンベとして使用していたのです。しかし時を経て堂々と信仰を名乗れるようになった頃から地下の湿ったカタコンベの必要性がなくなってきましたの。地表に出しても仏教式の墓を立てる必要もなくなりました。久流水教は日の照った地表に墓地を作ることを望んだのです。それが今日の地表の十字架の墓地です。けれども久流水家の城壁内の面積は無限ではないです。人が死ぬたびに地表に墓を立てていたら、城壁中、いいえ、村中が墓になってしまいます。ある程度の年月の経った遺体は、地下の鍾乳洞のカタコンベに埋葬し直すことになったのです。そうです、あの石室こそがカタコンベの入口です。あの奥には何百年の死陰谷村の人間の遺体が埋葬されているのです。

 ですが妾達久流水家の人間の遺体は今のような二度の埋葬という過程を経ずにカタコンベに埋葬されるのです。墓堀泥棒を避けるためですわ。ご存知の通り久流水家はこの死陰谷村では特殊な地位にありますからね、いくらかの村人達は妾達をしばしば聖人の様に崇めるのです。妾達本人は納得していませんが。聖人の身に着けていたものや骨そのものも崇拝の対象となることがあるのです。思い詰めた信者が久流水家の人間の墓を荒らすことがしばしばあったのです。あの石室には南京錠が付けられているでしょう。あれは墓荒らしを防止するためにあるのです。

 妾が雄人叔父様の為に墓地の様子を見に行ったのに妾はその事をすっかり忘れていたのですわ。ええ、雄人叔父様のラメに様子を見るのならば石室の南京錠の鍵が必要なのです。妾は鍵を忘れてしまって鍵を持って来てなかったのです。

妾は仕方なく墓地の側にある四阿で少し休憩をすることにしました。四阿に腰掛けてまもなくでした。清枝さんがやって来たのです。偶然でしょうかねェ、清枝さんも妾と同じことを考えて墓地にやってきて、同じく鍵を忘れたらしくて二人で大笑いしましたわ。その時、何気に時計台を見ると九時を指していました。


 警官に問われたる大浦清枝の物語

 まったく可笑しな話でしたねぇ。二人とも同じことを忘れるなんてねェ。二人で大笑いしましたよ。ええ、そうです。直弓さんと四阿でお遭いしたのは九時です。

 そこから妾達は聖書が資本主義と共産主義のどちらを認めているかという議論をしたのですよ。直弓さんは最近の世界情勢が資本主義と共産主義の争いになりつつあると睨んでいるようで、再び愚かな戦争が興ることを憂慮しているのです。

『マルコ傳福音書』ある『往きて汝の有てる物をことごとく賣りて、貧しき者に施せ』が所有権の放棄を意味して、これからの世は共産主義ではないのか。それともマタイ福音書の『それ誰にても、有てる人は與えられて愈々豊かならん。 されど有たぬ人は、その有てる物をも取られるべし』が資本主義を表しているのか。ウェーバーが言うように資本主義が新教の精神に基くものなら、資本主義をキリストに見出すのでは不可能ではないではないかのかといったことを延々と議論したのです。

 どの位経った頃でしょうかねェ、旦那さんが葡萄の枝と蔓の杖をついて此方にやって来たのですよ。ちょっと遠くて小さかったですけれども、あれは間違いなく旦那さんでしたわ。いつものように杖をひょこひょこさせて歩いていました。あの姿は間違いなく旦那さんです。遠くからでも解ります。ええ、絶対見間違うことはありません。妾と旦那さんの付き合いですもの。

 旦那さんですか? ああ、益田正武ですわ。旦那さんと呼んでいますの。旦那さんとの馴れ初め? 嫌ですよォ、刑事さん。男と女のことを訊くなんて。

 旦那さんは妾達に少し話すと教司様に聖書を借りに行くとか言って写字室へ向かいましたの。墓地から写字室の入口に行くには写字室の建物を回りこまなければ行けないでしょ。だから旦那さんは墓地の方向に面している窓から聖書を所望したようです。ええ、あの窓は羽目殺しがされていて、出入りはできません。けれども本を遣り取りする程度には開けられるでしょう。旦那さんは暫く窓の前にいましたから中の教司神父と話したのじゃあないかしら。その後旦那さんは黄水館に帰っていきました。

 旦那さんが何か不審な動きをしていなかったかですかって? 刑事さん、ひょっとして旦那さんを疑っているのですか? あの旦那さんが人を殺すなんてありえません! 旦那さんはすばらしい方です、決してそんなことをする人ではありません! では旦那さん以外の人で犯人と思しき人を見なかったかですか? ええ、確かに写字室に向かうためには、妾達がいた四阿の前を通らない訳にはいきません。妾達の前を通らず犯人が写字室に向かうことは不可能ですね。ええ、何度も申し上げるように犯人を見てはいません。


 警官に問われたる益田正武老人の物語

 教司君に何の用が会ったのか? お主はそれを聞きたいのか? 教司君には最近死海で発見された写本の資料はないかと借りに行こうとしたのじゃよ。あの写本が発見された中東辺りは一触即発の状態らしくて、資料どころか発掘もままならないらしいが。愚かな戦争には素晴しい歴史的発見も無力なのか。わしは教司君の集めた伝聞や何かの資料を急に読みたくなってのう。

 清枝はわしが『聖書』を借りに行ったと言っているだと。あははッ。彼奴め、ちいっとも話を聞いておらんな。わしは彼奴に言ったのじゃよ、『失われた聖書を借りにいく』と。失われた聖書なのだよ、その写本は。そんなものがあるのかって? あるのだよ。この失われた聖書こそが久流水版聖書の課題の一つなのだよ。

 いいかね、現在日本で出版されている聖書は完全なものではないのじゃ。例えば古い欧羅巴の聖書などを紐解くと『ユディト書』が収められている。『ユディト書』は現在では外典とされているが昔はちゃんとした正典だったのだよ。ユディトは『ユディト書』の中ではイスラエル民族の危機を救った女の英雄として扱われているが、実際の歴史上の事実としてユディトはそんな役割をしていないという理由で正典から外されたのだ。

 だが奇異しいとは思わないかね。歴史上の事実とはいうがその歴史上の出来事をその目で見た人間が現在生きている訳ではない。歴史上の事実か否かは、他の残された僅かばかりの資料で類推しているのしか過ぎない。 歴史は僅かな資料からの類推なのだ。資料から得られた過去の出来事はあくまで類推の域を出ないではない。類推で正典と外典を決めるのは傲慢でないのか。そうは思わんかね。

 そこで外典とされたものは久流水版聖書には含むべきか、否かが久流水聖書の問題点なのだよ。その他にもこの死陰谷村に伝承される天草四郎時貞様への資金援助の件や哲幹殿、桐人様のことは聖書の一部として取り入れるのかという問題もある。

 わしらを最近悩ませているのはこれだ。しかもそういった時期に、新たな『失われた聖書』と思しき写本が発見される。わしは今後の久流水版聖書の行方が気になってなあ。教司君にそれらの資料を借りに写字室に行ったのだよ。

 だが窓越しに部屋を覗いても見当たらず、声を掛けても教司君の返事はなかった。わしは写字室に入らず、引き返したのだ。

 何だと? 清枝がわしと教司君が窓越しに話しおうているようだったと言っていたと?まあ、暫く呼び掛けておったからのォ。清枝にはそう映ったかも知れん。人は同じものを見ても違うように感じるものだからのう。

 わしが教司を殺しただと、莫迦なことを言うな! 教司はな、高齢のわしに代わって、神父を勤めてくれている者だ。教司が神父をやる前はわしが久流水教の祭事を執り行っておった。 感謝はあれ、何故殺すことがあろうか!


 警官に問われたる久流水万里雄の物語

 阿紀良君と私はミサの後、聖堂でナポレオンの藝術における存在意義についての議論をしておったのです。明日の五月五日はナポレオンの命日ですよ。その関係からいつの間にかナポレオンと藝術についての話となったのです。ええ、ダヴィットやルーブルの事は勿論ですが、スタンダールの『赤と黒』、『パルムの僧院』や、ロランの『巌窟王』に於けるナポレオンの存在意義について話をしていたのです。

 そのような会話が終盤に差し向かった頃でしたな。教司君が私達の前を通り抜けて、聖堂を出ようとしました。阿紀良君は教司に声を掛けて、ナポレオンと藝術についての意見を求めようとしました。けれど教司君はナポレオンについての意見は避けて、『今から写字室へ行って、聖書の編纂をする』と言って、写字室の方へ向かって行きました。ええ、教司君が写字室に入るのも遠くからですが見ましたよ。ええ、寄り道なんてしませんでしたねェ。

 教司君の意見が得られなかったことで私達二人の間に白けた雰囲気が漂いました。私と阿紀良君も藻話が終盤に近付いたことですし、黄水館に戻ることにしました。自室に戻り時計を見ると九時を指していましたね。


その時誰か忍び足に、おれのそばへ来たものがある。おれはそちらを見ようとした。が、おれのまわりには、いつか薄闇が立ちこめている。誰か、――その誰かは見えない手に、そっと胸の小刀を抜いた。同時におれの口には、もう一度血潮があふれてくる。おれはそれきり永久に、中有の闇へ沈んでしまった。――

                          芥川龍之介『藪の中』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る