Δ 世界は混沌から始まった in principio 1948,5,3(MON)

Ⅰ女は永遠の謎である AVE or EVA


わかったかこの意味が? ベアトリーチェのことだ、

お前は上の方、この山の頂で 幸福に微笑する彼女にやがて会うだろう

                         ダンテ『神曲 煉獄篇』


 この町は何故これ程にも坂が多いのだろうか。延々と続く急勾配の坂を上りながら、岩田梅吉は流れ落ちる汗をハンケチで拭いながら独り唸った。体を動かすことに向かない岩田にとって、この坂は常人が感じる以上の負担を感じさせていた。

 滅亡町二一番地は長崎県Y市の中でも特に坂が多かった。岩田の目指す場所にはまだ距離がある。加えて数日間続く五月の初夏の陽射しがさらに岩田の体力を奪っていた。

 新聞やラジオでは、近年中で最も暑い五月であると発表されていた。一週間後に控えたこの国での久方振りの日蝕が、ここ数日間の酷暑と関連付けられ、異常気象の原因は日蝕にあるのではないかと愚にも付かぬ憶測が騒ぎ立てられていた。

 特に長崎県ではこの日差しは堪える。戦争終結の最後の決め手となった、あの八月の新型爆弾による建築物の崩壊によって(eversione)、町から日蔭が消えたのだ。日蔭と対をなす建物が消えた。長崎県は新型爆弾によって県の二分の一が瓦解した。地獄の業火は初夏の僅かの安寧も奪ってしまったのか。約三年を経た今でも滅亡町の大半は復興していない。岩田が周りを見渡しても、ぽつり、ぽつりと安普請のバラック小屋が建てられているのみで殆どが更地のままだった。道程に日蔭がないことは岩田を益々苦しめていた。戦争の嫌悪によって(aversione)苦しみはさらに増大したように思われた。

 だが休んではいられない。岩田は歩みを速めて急勾配を進んだ。やっと捜し求めてきた妻の亜里沙の居場所が分かるのだ。一〇年前に突如として岩田の前から姿を消した妻の居場所を突き止めることができたのだ。決して休むわけにはいかない。友人であり、解決屋である御堂周一郎から亜里沙の居場所が分かったと連絡があったときは飛び上がらんばかりに快哉を挙げた。一週間後に〆切りを迎えた原稿を放り出すなり、御堂の棲む滅亡町教会に向かうために家を飛び出した。

 御堂の調査が誤ることはないであろう。御堂は戦時中、諜報活動を行う陸軍所属の間諜であった。そのときの情報網は敗戦を迎えても健在であり、御堂は大抵の情報を部屋から動くことなく収集する。そのため御堂の職務の大抵は素行調査だった。政界から花街にも情報網は伸びており、動くことなしに素行調査程度なら一度に複数の依頼を受けても、三日もあればすべて調査が完了してしまう。だが天網にも疎にして漏らす部分はある。岩田はその天網の疎の部分を手伝って日銭を稼ぐことがしばしばあった。

 探ってはいないのだ。ただ報告を纏めているだけの仕事、それは探偵とはいえまい。だからこそ御堂は解決屋と名乗っていた。 

 また御堂は真実を伝えることが必ずしも真の解決に至らないという哲学を持った男であり、時として依頼者に真実とは異なることを報告することがある。例えば旦那が浮気しているか、否かを御夫人から調査依頼されて、旦那が浮気をしている事実を突き止めても、夫人の今後の人生を考慮して離婚せぬ方がいいと判断した場合にはその御夫人には真実を告げない。告げない方が夫婦間の解決に繋がるならば真実を隠蔽しようとする。彼が探偵ではなく解決屋と名乗っている理由はそこにもある。加えて御堂は探偵小説にあるような自身の脳細胞を満足させるために仕事を請けることはしない。探偵小説のような怪奇事件を進んで取り組むことは殆どなかった。それでも稀に御堂が引受けた事件については岩田は小説の材料として頂戴していた。   

 今日はその御堂から報酬と引き換えにやっと亜里沙について報告がなされるのだ。一〇年間の執念がやっと達成される。岩田はそう思うと足が知らずにと進んでいた。

 岩田が妻の亜里沙と夫婦となったのは、まだ岩田が探偵小説家として駆け出したばかりの二〇代初めのころだった。金銭的な余裕はなく、小さな借家での貧しくささやかな生活から始まった。なかなか探偵小説家として芽が出ない岩田を亜里沙は糟糠の妻として支えてくれた。岩田は今でも明確と思い出すことができる。あのか弱さを漂わせながらも、奥に凛とした芯の固い部分を持った姿態を。あの長く柔らかな黒髪を。亜里沙は穢れを知らぬ、いつまでも処女の清純さをなくさぬ女だった。若き岩田にとって亜里沙はすべてだった。二人は貧しい生活でも健気に支えあって生きていた。亜里沙は岩田を支え続けてくれていた。小さいながらもそれなりに僥倖に恵まれた生活だっただろう。

 だが、そんな幸福な時間も長くは続かなかった。戦争を始まって間もなくの満月の夜だった。満月にユダの顔が浮かぶ薄気味の悪い夜だった。亜里沙はいつもと変わらず床の用意した後、改まった様子で岩田の前に座すと屹然として言った。

――貴方は自分のことしか考えていらっしゃらないのね――

 亜里沙の胸に架かっている紫水晶の十字架が綺羅綺羅と輝いていた。翌日、亜里沙は岩田の元からいなくなっていた。


 暫くするとポツンと坂道の頂点にある教会が見えてきた。周囲の建物が爆撃で崩壊しているのにも拘らず、此処だけは奇跡的に破壊を免れていた。高さは三階建て程であり、白い外壁に巨大な木製の扉を配しているが一切の装飾を施してはいない。辛うじて扉上方の外壁に小さく鍍金の剥がれ、黒済んだ薔薇の浮彫りがされた十字架が付いているばかり。その装飾のなさから一目で教会が旧教ではなく新教であることを物語っていた。

 御堂も変わった所に住んでいるものだ。岩田は教会の物々しい入口を前にして改めて思った。

 教会に住んでいながら御堂周一郎は基督教徒ではない。滅亡町教会を預かる千々石牧師が戦時中に御堂に恩があるらしく、教会の住居部分の一部を御堂に無償で間借りさせていた。終戦後、大陸から引き上げてから蟄居しているらしい。御堂は滅亡町教会を利用する信者に嘘か真か判らない基督教教義を披瀝してそれなりの信望を集めていた。御堂もそう扱われることに罪悪感もないのか、似非牧師をやっている。あの胡散臭さによく信者がついてくるものだ。

「おやッ、岩田さん。岩田さんじゃありませんか」

岩田が後ろを振り返ると、ローマンカラーの白髪交じりの初老の男が立っていた。御堂を住まわせている千々石牧師であった。買い出しの帰りだろう。肩に重そうなズタ袋を掛けていた。

「蝸牛さん。買い出しの帰りですか?」

「ええ、戦争孤児への施しに。最近はやっと物が正規に手に入れられるようになりましたからね。貴方は御堂君に御用で?」

「妻の居所が判ったらしいので」

「それは良かった」

 牧師は莞爾とした笑みを見せた。

 蝸牛――。千々石玄番牧師のことを皆は蝸牛と呼ぶ。蝸牛と呼ばれる所以は牧師の独特の容貌にある。千々石牧師の顔を見れば分かるであろう。牧師には左目が完全に潰れている。片目瞑り、カタメツムリ、カタツムリ、蝸牛。その愛称は子供騙しの判じ物に由来していた。蝸牛自身はこう呼ばれることをなんら気にしている様子はなかった。

 蝸牛は教会裏の食料庫に向かうと言って莞爾とした笑顔を残して岩田と別れた。岩田は礼拝所を抜けて祭壇脇の一三段の階段を上り御堂の蟄居する部屋の扉を取手に掌を掛けた。

 部屋は前回訪れたよりも雑然としていた。医学書や科学書から暴露本に黄表紙、猥本に至るまでの本に始まり、堂々巡りの目晦ましの幻灯機や黒死病で死んだ女の等身大人形、中世史美術館に所蔵していた印象派絵画、嵯峨天皇に供物された白紙の歌本など、様々な胡散臭いモノまでが遊具入れの匣の中のように溢れていた。

「遅いぞ!」

 扉を開けるなり仁王立ちになった御堂が開口一番に宣った。

御堂はいつものように女の様に長い漆黒の長髪に色の濃い黒眼鏡を掛けて、真ッ赤な支那服を身に付けていた。大陸の手品師のような何とも胡散臭い不気味な格好であった。

「一二時の約束だろ! 今は何時だ。もう一二時三〇分だぞ」

 岩田は黒檀の机上にある可愛らしい処女舞踏巧繰時計を見た。処女の胎の部分に充てられた時計は一二時三〇分を指していた。

「すまない。季節外れの熱気のせいで歩みが鈍くなったようだ」

 岩田が謝ると御堂は溜息を付いた。

「一三時から客が来る。悪いが手短に済ますぞ」

 そう言うと御堂は綻びた革張りの椅子に座ると、専門書や雑誌、玩具に埋もれて床の色すら判らなくなった部屋を掻き回すと原稿用紙大の茶封筒を取り上げて岩田に投げた。

「報告書だ。お前の細君についての詳細だ」

 岩田は直立して御堂を真正面から視線を交差させた。

「それで亜里沙は何処にいる?」

 岩田が急かす様に問い糺すと、御堂は神妙な顔となって沈んだ声で応えた。

「結論を言おう。お前の女神、亜里沙は三年前に亡くなっていたよ。この町を破壊尽くしたあの新型爆弾で」

 亜里沙が死んだ? そんなことがあり得るものか。岩田は御堂の言葉の意味が理解できなかった。

「嘘だ! 嘘だ!」

「嘘ではないさ」

嘘だ。岩田は崩れ落ちた。眼底に次第に涙が溜まって嫋嫋と湧き出した。死界へ亜里沙が召されたとは信じられなかった。亜里沙。我が永遠の女神。天使ベアトリ―チェ。あの柔らかな頬、赤い唇、黒い長髪。死はなぜ彼女を襲った?

「お前の元から去った後、別の男と短い間暮らしていたが、暫くしてその男とも別れて大陸に渡り戦時下を独りきりで過ごしたそうだ。大陸に渡ってしまったが故に調査に手惑った。その後の終戦間もなくこちらに再び舞い戻って来たところに例の爆弾にやられたそうだ」


五月三日 月曜日

幸福はそこに、すぐそこにある、取ってくれとばかりに……

それをつかまえるためには、手をのばしさえすればいいのだ…… 今朝、あの人と話しながら、ついに犠牲をなしとげることができなかった……

                      アンドレ・ジイド『狭き門』



Ⅱ久流水家来歴 nabi


請ふ汝過ぎしに代の人に問へ彼らの父祖の尋究めしところの事を學べ

                            ヨブ記第八章八節


 こんッ、こんッ。

 御堂の懇々とした慰撫もあって岩田の涙も治り落ち着き始めたときだった。扉を敲く音がすると隻眼の千々石牧師が「お客様ですが、どうしますか?」と言いつつ、牧師と同じような格好をした岩田や御堂と同じ年頃の三〇代前半の銀縁眼鏡の男性を連れてきた。御堂は「どうぞ」と言いつつ、部屋で一番マシな椅子に案内した。岩田も流石に見知らぬ人の前で悲しんではいられないので何とか悲哀を押し殺して御堂が座っている長椅子の脇に座った。御堂は岩田の行動に眉を顰めた。

「何の真似だ? 俺の客人に対面して。お前は早く帰れ」

 岩田は帰る気にはなれなかった。御堂の処に来る客人は間違いなく依頼人だ。岩田は衷心から逃れるために目前の何かに打ち込みたかった。アンリ・ルソーが妻を亡くした直後に写生に打ち込んだように。俗な事件に関われば、亜里沙のことを忘れられるような気がしたのだ。岩田は頑として事件に関わるという旨を御堂に伝えると、御堂は仕方なしに渋々承諾した。

「余計に辛い思いをするかもしれんぞ。それでもいいのか?」

「だから構わないよ! 何かしないと僕は駄目になる」

 御堂はふうッと嘆息して、岩田の隣に腰掛けるなり改めて依頼人に対面した。

「ご連絡戴いた耶蘇久流水教の久流水教司神父ですね」

「そうです。火急のお願いに上がりました。ある殺人事件に関わって頂きたいのです」

 久流水教司といわれた銀縁眼鏡の神父は、御堂の言葉に対して答えた。岩田は聞きなれぬ宗教名らしき言葉と神父という肩書が気になって御堂に訪ねた。

「御堂ッ、耶蘇久流水教とは何だ? 聞いたことがないぞ。それに此処は新教の教会だぞ。神父と言えば旧教の役職ではないか」

「面倒だ」

 岩田と御堂の遣り取りをジッと聞いていた教司神父は口を開き諫めた。

「岩田梅吉さんですよね、探偵小説家でいらっしゃる。御堂さんからお話には聞いております。説明をした方が宜しいでしょう。『奔りながらの之を讀』めるほどに、簡単に説明した方が宜しいでしょう。久流水家にいらっしゃった後からでは説明する暇がないかも判りませんしね。耶蘇久流水教とは何であるか? またその中心にいる久流水家とは何なのか。今の内に知って頂いた方がいいでしょう。御堂さん、どうですか?」

 教司がそう言うと、御堂も依頼人の提案を無碍に断るわけもいかないのか、承諾した。教司神父は岩田に耶蘇久流水教について説明を始めた。

 耶蘇久流水教というのは基督教からの教義的な分離によって明治大正時代頃に派生した宗教であり、正式に宗教と認知されたのは昭和一桁年である。もともと耶蘇久流水教は久流水家という一族を中心とした山間集落である死陰谷村に土着した宗教であった。

 死陰谷村という何とも気味の悪い名を冠していた村は今ではその名を変えており、現在は道徳村や謙遜谷村、虚栄市村といった近隣の村々と合併して天都門町となっている。Y市から自動車で一時間程、東方に入った辺りの歓楽山に囲まれた一帯を死陰谷村と呼ぶ。人口はたった一〇〇余人程度で村人の生活の糧は農業であり、特に葡萄の栽培、葡萄酒の生産を主にしている。

 久流水家はGHQ主導による資産の解体後も死陰谷村一帯のかなりの葡萄畑を所有しており、葡萄酒の生産販売を一手に引き受けている。久流水家とはその死陰谷村近隣を一四代に渡って統治してきた家柄である。一帯を旧幕時代には所領しており、禄高は一万五〇石という随分半端であったものの、明治時代になると華族にも列せられてこの間まで爵位を与っていた。

 久流水家と耶蘇久流水教の源流は隠れ切支丹にある。約四百年前の一五四九年に日本の鹿児島にフランシスコ・サヴィエルによって耶蘇教が伝来したのは周知のこと。織田信長の時代において基督教の進捗は順調であり、高山右近や小西行長といった有名大名も切支丹へと改宗して隆盛を極めた。当時の久流水家当主もこの隆盛に乗って切支丹へと回心したのだ。なお当時の基督教布教の全盛期には四〇万人から六〇万人の日本人が洗礼を受けたといわれている。

 だが一五八七年に信長に代わって天下を掌中に握った豊臣秀吉によって一転して伴天連追放令が発布されるや切支丹にとっては受難の時代を迎えた。久流水家はその信仰を結局表面上に棄てた。棄てざるを得なかった。時代は久流水家に切支丹を名乗らせなかった。切支丹の受難は毎々厳しさを増した。一五九七年の二六聖人殉教事件に代表される様々な受難が切支丹を襲った。久流水家は隠れ切支丹として歩まねばならなかった。表面上は棄教をしたとはいえ、久流水家は陰ながら切支丹信仰を続けていた。

 なお久流水一族の切支丹信仰で特筆すべきは、あくまでも教司神父によれば、『LOVADO SEIA O SÃCTISSIMO・SACRAMENTO』と染め上げた陣中旗を掲げた神の子の再来、神童天草四郎時貞を始めとする切支丹約四万人が決起した島原の乱に於ける金銭的支援である。島原の乱の謎の一つとして、その一揆の資金源は何処からかという謎がある。島原城に籠城することは農民の資金力だけでは不可能であった。教司氏によればその資金源は久流水家だというのである。当時その家柄から積極的に国政に対立する事を憚れた久流水家は密かにパトロンとして参加したというのだ。久流水家はこうして明治時代の信仰の自由の回復まで隠れ切支丹として信仰を続けていた。

 明治時代、一八七三年の切支丹禁制高札撤廃を享けるとそれまで浮塵子のようになっていた切支丹は変容を遂げた。基督教が禁止されて三百年弱。基督教の本質を変容させるのには充分な時間だった。切支丹は本来の基督ではなくなった。信仰に次第に祖先信仰や聖人信仰が加わり、基督教本来のものとは似て非なるものとなった。

 切支丹は明治を迎えて二つに分かれた。本来の基督教に復帰する者と従来の切支丹を続ける者に分離したのだ。久流水家は前者であった。久流水家を始めとする死陰谷村は旧教に復帰した。ところが明治初期の終わり頃になると久流水家は次第に基督教から距離を置き始めたのである。

 離脱の理由は教司氏の父である久流水哲幹の開眼である。哲幹は幼くして学術に才を発揮し、彷徨期を迎えようとする頃には論語を完全に暗記して陽明学を修めていた。当然ながら聖書も骨身になるまで読みこなしていた。

 哲幹の開眼についての挿話として次のものがある。ある夜、哲幹は夢を見た。空は暗雲が起ち込めて一寸先も見得ぬ位に真ッ暗だった。真ッ暗の中でぽつんとの既に荒廃した教会堂が風化に任せて滅びていくのを待っていた。教会堂の前には宏大な海洋が一面を囲んでいる。峨峨たる岩肌に真ッ白な波浪が打っては反し打っては反して牙を剥き続ける。けれども哲幹はその様な周りの情景に目を留めることもなく暗黒の下で教会堂の前で夢中で書物を紐解いていた。書物の題名は『神学大全』。暫くすると其処にフッと光が射した様な気がして哲幹は本から視線を離した。すると目前の岸壁に白髪の青白い五、六歳位の幼子が坐っていた。幼子は帆立貝の貝殻で懸命に海水を掬い出そうとしていた。何度も何度も掬っても掬っても海の水はなくなることはない。小さな貝殻では嫋嫋と溢れる大海の水は掬い出せまい。哲幹が呆れながら見ていると突然に幼子が哲幹に向けてすうッと視線を向けて囁くような静かな声で且つ低く稲妻のように轟く声で言葉を吐き出した。

「幼き者の貝殻で海の水は掬いきれない。人間と神もまさしく同じ。神の全能は人間には秤りしれない。お前はその神の偉大さを伝えるために生まれてきた。お前は召命を受けたのだ。哲幹よ、神秘と神の偉大さを伝えよ」

 少年は言葉を吐き出すとすうッと幻影の中に消えた。少年が消え去ると次第に周りの風景は急に変貌を遂げた。大海の水は蒸発して暗雲は次第に薄れ、空は蒼穹を描いて教会堂は黄金色に光輝きだした。だがその輝きも次第に薄れて、やがてすべて消えた。

 哲幹はその翌日から預言者として開眼した。初めは哲幹の父の死の預言からであった。ある日、哲幹は父に向かって言った。

「Memento Mori(死を忘する勿れ)」

 哲幹は父と対面する度に常にその言葉のみを発した。家人は急変した哲幹に吃驚すると同時に憤慨した。三日間、家人の制止も構わずそれを唱え続けていた。

 三日後、父親は天へ召された。これを皮切りに哲幹と周辺の人々は変貌した。哲幹は次々に預言を受けて周囲の崇拝を集めたのだ。また哲幹が修めていた陽明学による帝王学も哲幹の神性を高めた。この辺りから久流水家、死陰村一帯は本来の基督教から差異が生れ始めた。自然崇拝を基底としている日本の宗教観では基督教を本来の教義のまま、死陰谷村の人々は次第に本来の基督教から離れ、哲幹を始め久流水家自体を信仰対象とした信仰が始まったのだ。

 哲幹の存在は死影谷村だけでは留まることはなかった。哲幹の存在は次第に中央の要職の者達にも知れ渡った。卜占術と政治経済はいつの世にも結託する。哲幹は中央に採り上げられた。哲幹の言葉は預言であって、予言ではない。未来を予測したりはしない。あくまでも神の言葉を預かるに過ぎない。だが周囲から見れば彼は予言者だった。哲幹は日本国家の陰となったのだった。

一九二〇年に国学者村岡典嗣の『平田篤胤の神学における耶蘇教の影響』という論文が指摘しているように平田篤胤の復古神道の組織化には基督教思想の影響が見受けられる。『平田の神道における斯の如き思想の発生は、耶蘇教の影響に由来する。…(略)…原書の天主若しくは上帝を、天つ神、天祖神、皇祖神に改め、天之主宰を幽神となし、…(略)…明らかに耶蘇教書の趣意を以て、我造化神の性質を闡明しようとの試みである……』と描かれ、復古神道が基督教に裏打ちされていることが指摘されている。明治以降の日本の精神的主柱となった復古神道に基督教思想が根底にあった。久流水哲幹が神道国家の統制に入り込む余地は充分にあった。現在の国際軍事裁判で判決を待っている容疑者である要人で、久流水哲幹を知らぬ者はいないという。哲幹はいつの間にか日本を陰から牛耳る存在となっていた。

 そして哲幹が暗躍し始めた昭和時代が開闢して間もなくの頃、哲幹の娘マリヤの懐胎に続く桐人の降誕が久流水家を完全に基督教から離脱させて耶蘇久流水教の誕生となった。

 哲幹は安和という女の間に五人の子を儲けていた。安和は元々死陰谷村の益田の姓を名乗る娘であった。

 ちなみに死陰谷村には久流水と益田の二つの姓のみが元来から存在しており、系圖を辿れば何代か溯ると皆が親戚筋となるそうだ。久流水の苗字の由縁は本来、黒瀬であった姓を切支丹への回心を機に羅典語でキリストを表すChristusと、十字架を表すCrossと黒瀬をかけて黒巣となり次第に字面のよさから久流水となったそうである。よって前記した戦国時代における『久流水』の表記は『黒瀬』、若しくは『黒巣』が正しい。一方の益田姓は黒瀬家が島原の乱を援助したことに誇りを持ち、後世の者が失念せぬ様に銘記のために、天草四郎時貞の本来の姓である益田を冠した分家を設けたらしい。

 安和は早くに両親を亡くし、その兄である益田正武と兄妹二人きりの生活を送っていた。幼くして頼るべき両親を亡くした益田兄妹は敬虔な信者となった。信仰への真摯さが久流水家に買われ、安和は哲幹の細君として迎えられた。

 哲幹と安和との間には次々と子が生まれた。上から淑子、由紀子、阿紀良、マリヤ、ベニヤミンの教司の五人である。阿紀良と教司を除く三人の女はそれぞれ結婚をした。淑子は死陰谷村出身である義哉と結婚し、由紀子は哲幹の秘書の真似事をしていた万里雄と結ばれた。マリヤも哲幹の勧めで雄人を婿として結婚することになった。

 三人の娘はそれぞれに子を儲けた。淑子は義哉との間に義人を儲けた。次いで万里雄と由紀子に子を授かり、長女の百合子、次女の直弓が生まれた。間を置いてマリヤの懐妊が確認された。少女マリヤの腹が膨れ出したのだ。村外の産婆の手伝いでマリヤは桐人を生んだ。この桐人の誕生こそが久流水教の現在の信仰を最終的に決定した。桐人は出生からして異様であった。久流水桐人はマリヤの『処女懐胎』という奇跡によって降誕したのであった。



Ⅲ聖アンブロシウス曰ク「聖母ニ膣ナシ」 Simper virgo


御使、處女の許にきたりて言ふ『めでたし、恵まるる者よ、主なんぢと偕に在せり』マリヤこの言によりて心いたく騒ぎ、斯かる挨拶は如何なる事ぞと思ひ廻らしたるに、御使いふ『マリヤよ、懼るな、汝は神の御前に恵を得たり。視よ、なんぢ孕りて男子を生まん、其の名をイエスと名づくべし。彼は大ならん、至高者の子と稱減られん。また主たる神、これに其の父ダビデの座位をあたへ給へば、ヤコブの家を永遠に治めん。その國は終ることなかるべし』マリヤ御使に言ふ『われ未だ人を知らぬに、如何にして此の事のあるべき』

                     ルカ傳福音書第一章二八―三四節


「処女懐胎だって!」

 岩田は教司の説明を遮った。島原の乱の資金援助の時点で話について行けてなかったが伝承であり奇説としても何とか聞き流していた。哲幹の件も到底は信じられないが、哲幹の神性を標榜するためのものであろうと何とか堪えられた。しかし続けて処女懐胎となるともう聞き流すわけにはいかなくなっていた。いくら何でも奇怪過ぎる。何でもありではないか。

「信じられませんか?」

 教司は眼鏡の奥の眼にも表情なく、静かに訊ねた。

「現実にはあり得る訳ないでしょう!」

「神学者テルトゥリアスはマリヤの処女懐胎について『不可能であるが故に真実である』と述べて、現実の事象として認めたそうですよ」

「それは聖母マリヤの話でしょう。だが貴方の所の久流水マリヤさんは今に生きている!」

 二人の遣り取りを暫くジッと聞いていた御堂が言った。

「判った、判った。お前のために久流水家来歴を少し中断して処女懐胎の可能性の有無について高説を垂れるか」

 御堂周一郎は黒眼鏡から面倒そうな顔をして話し始めた。

「お前は、絶対に処女懐妊が無理だと思っているのか?」

 御堂は岩田に聞いた。

「当り前だ! あれは民衆の希望的神話伝承だ!」

 神話学的な研究によれば処女懐妊の伝承は基督教が各地に伝播していく際にどうしても女性の崇拝対象が必要となったことに始まる。基督教が根付く以前のローマ帝国とその近辺は地母神信仰などの女神信仰が主だっていた。基督教は男性神信仰の宗教である。原始基督教徒は土地の人々が馴染み易い様に信仰形態を創り上げる必要があった。そのために担ぎ出されたのがイエスの母マリヤである。従来から地域に根付く女神信仰――埃及のイシス信仰、中東のイシュタル信仰――を取り入れて神性を高めた。土着の女神の首を挿げ替えることで基督教の伝播を進めていった。古代世界において英雄の奇跡的誕生に関する神話や伝説は珍しくない。プルタルコスによれば埃及人は神の霊は婦人に近づく子を儲けることができると信じていた。アレクサンドロス大王の母オリュンピアスは夫フィリッポスと同衾する前に神の王ゼウスの稲妻によって懐妊したとある。当時のヘレニズムの土壌では処女懐妊に対する神話が流布していた。土着の女神から体を受け継いだマリヤにも処女懐胎の神話は引き継がれた。マリヤの処女懐妊説もヘレニズム神話を元にして創作されたものだ。

「莫迦か、お前は? それは処女懐胎自体が空想の産物ということの証明にはならない。人間に処女懐胎は起こらないという結論にはならないだろう。俺が言いたいのは、処女懐胎が科学的、医学的には否定できないということだ!」

「科学的、医学的に? まさか半陰陽説か? あれは不可能だ。半陰陽の睾丸は体内に内包されているから精子は死滅する。人間の自家受精は無理だ。それともかつて持て囃されたように昆虫や植物の処女生殖、単為生殖を根拠にした意見なのか。あれは昆虫とマリヤを同視することになって返ってマリヤの神性が失われるということで教会側から棄却したはずだ!」

 岩田は一気に捲し立てた。現実離れしすぎた話を何故こんなにも信じられる? 普段の御堂ならば鼻で哂うか、適当にあしらっているはずだ。岩田は普段とは違う御堂の対応にも立腹していた。

 御堂は黒眼鏡の奥から岩田を睨み付けて言った。

「けれどな、最近その単為生殖が人間にも起こり得る可能性があるという報告がなされているのだよ!」

 処女懐妊の医学的、生物学的に不可能かと思われたが近年になって人間の処女懐妊の可能性を示唆する実験報告が齎された。一九三九年と一九四一年に発表されたピンカスの論文である。これは今まで不可能と思われていた哺乳類の処女懐妊が実験で成功したというものだった。実験にはウサギが用いられた。排卵注射を施した処女の雌ウサギから、注射より一六時間から二〇時間後に卵を取り出して二〇時間から二四時間生体外で冷却を行うと、多数の処女生殖した胞胚が生じ、ある胚では生きていると呼べるまで成長し、また生体培養を行っても同じ結果が生じた。哺乳類の処女生殖は可能であったのだ。ならばウサギと同じ哺乳類である人間でもありえるかもしれない。

 御堂が処女懐胎の可能性についての説明をすると、岩田はその内容に圧倒されれた。

「処女懐胎の可能性は生物学、医学的には否定できないと?」

「否定はできない。まあ、現段階では肯定もできないけどな」

 岩田に御堂が諭していると、教司神父は静かに言った。

「私達には問題はありません。ただありのままに信じればいいのですから」

 御堂は教司に続いて、哂いながらこう述べた。

「あはは! 近い将来そのメカニズムが解明される時が来るかもしれない。ならば将来の人類は面白いことになるかもな。二千年後の未来、女は性交なくして子が生めるようになるかもしれない。その時、男はどうなるのだろうな。ただ単なる労働力と性処理の道具として生存が許される存在、女の奴隷となるのかもな。妻が宇宙船で時空を旅している頃、夫は股間に貞操体を填められて妻を待つ存在になっているかもな。女が政治の実権を握って男は男同士でお茶を楽しむ。 

あはは、今と価値観が逆転して女性優先社会になるのかもな。男は今の内に女に媚びる術を覚えておかないといけないかな? 肋骨から生まれた生物が本体の男を支配する時代が来るとはね」 


夫たる者よ、汝らその妻を己より弱き器の如くに、知識にしたがひて偕に棲み、生命の恩恵を共に嗣ぐ者としてこれを貴べ、これ汝らの祈に妨害なからん爲なり。                      ペテロの前の書第三章七節



Ⅳアルビノ現人神 heurim


今日ダビデの町にて汝らの爲に救主うまれ給へり、これ主キリストなり。

                        ルカ傳福音書第二章一一節


マリヤが雄人と結ばれる事を前に、処女にして子を宿したことは村中の噂となった。確かに処女懐胎は奇跡であるが、これだけではあくまでも単なる奇談としてしか認知されなかっただろう。マリヤの四〇週の妊娠を経て産婆の所から連れ帰ってきた子供である桐人が町中に処女懐胎以上の奇跡を齎したのだった。

それは桐人の容姿にあった。『ヨハネの默示録』にはイエスの容姿を『その頭と頭髪とは白き毛のごとく雪のごとく白く、その目は燄のごとく』と記録してある。桐人の容姿はまさにそれだったのだ。僅かばかりに生え始めた頭髪は雪のごとく白く、目は炎のように赤味を帯びていた。

 先天性白子症――。アルビノ。 桐人は白子として生まれてきたのだった! メラニン色素の欠乏によって皮膚や頭髪、虹彩の色が白く変性する病。皮膚も、髪も、眉も、睫毛も全てが真っ白になってしまう白皮病。虹彩は色素不足から薔薇色となり、瞳の開口部から見ることができる目の奥は鮮やかな赤となる遺伝子病。色素欠乏によって光線に対しての抵抗力が極めて弱くなる。処女懐胎にして白子症。永遠の処女から生まれし神の子の容姿をもつ者。それが久流水桐人。人々は桐人を神の子と認めた。イエスの再来現る! 人々は桐人に跪いた。
実にこの人は神の子なりき。

 昭和も始まって間もなく死陰谷村の信仰は完全に旧教基督教から離脱した。旧教を採り入れた現人神信仰、耶蘇久流水教が誕生した。

 戦争を挟んだ一〇年程の久流水家の一族の運命は数奇なものであった。まず由紀子が死に、安和、淑子と続けて逝去した。なかでも由紀子の死因は籟病によるもので壮絶であった。皮膚は爛れて鼻は削がれて五指が落ち、最後は苦痛に泣き叫びながら死を迎えた。続いては淑子の息子義人の死であった。母を追うためか、突然の毒物嚥下による自殺を図った。妻と子を失った義哉は久流水家に身の置き所をなくしたのか、突然の蒸発を遂げた。

 不幸の次は喜ばしい結婚であった。まずは由紀子の子である百合子の結婚であった。相手は当時の哲幹の知り合いの辣腕政治家の子息であり、新進気鋭の彫刻家でもある庵地穂邑であった。更に姉に続けと妹の直弓が画家である芳賀英良と結婚をした。

 哀しみの時から脱して悦びの時を迎えたかにみえた久流水家であったが、戦争の魔手が襲ってきた。哲幹の威光によって久流水家の男子は徴兵されることはなかったものの戦時中は宗教統制のために設けられた日本天主公共教団に属し、哲幹が政界の黒幕だったため、戦争協力を積極的に行った。教司がいうには『行わされた』そうであるが、教司はマタイ傳の『剣をとる者は剣にて亡ぶるなり』を挙げた。なお教司神父は戦時中に教派を超えた集会が開かれて、日本基督教団に属していた千々石牧師と面識を持ったらしい。

 八月九日――。かの大国により投下された新型爆弾によって死陰谷村は被爆した。なかでも英良の原爆症は重かった。英良は直弓との結婚生活を五年程しか送らぬ内に逝去した。

 預言者哲幹の逝去の前二年間は異様であった。戦争後の哲幹はまさに狂気であった。日ごとに幽明の堺に踏み込んで行く様子が目に見えて判った。哲幹はかつて父の死に預言を与えたときのように同じ一言だけをただ唱え続けた。

「わが年老いぬるとき我をすてたまふなかれ わが力おとろふるとき我をはなれたまふなかれ」

 老人は夢を見る。哲幹は既に中央の政治から退いていた。連合国が目を光らせる所には居辛くなっていた。軍事裁判の壇上に登ることがなかったのは哲幹にとって救いであった。異端基督者が復古神道の国家造りに協力していたことなど連合国には想像されなかったのだ。

 中央政権に地盤を喪った哲幹はどうしたか? 死陰谷村改め天都門村に帰って、再び村人の尊敬を集めたか? そうではなかった。耶蘇久流水教に開祖である久流水哲幹の居場所はなくなっていた。死陰谷村では既に久流水桐人が実権を握って村人は以前ほどに宗教家としての哲幹を求めてはいなかった。

 自己同一性を生の末期に再び得ようとしたのか、哲幹は創造という自己陶酔にすべてを賭け始めた。哲幹は久流水家の住居や、聖堂や時計台を建設し始めた。壮麗たるゴチック形式の建築を。それは地上の巨人久流水哲幹の最後の咆哮だった。哲幹は久流水家を信仰の中心としてより強化するために、久流水家を始とする村を欧米のように キヴィタスに創り上げたのだった。エクレーシアを築いたのだった。哲幹は山間にゴチックの壮麗な町を造ったのだ。


又曰ひけるは去來邑と塔とを建て其塔の頂を天にいたらしめん 斯くして我等名を揚げて全地の表面に散ることを免れんと

                           創世記第一一章四節



Ⅴ呪詛 Hand writing on the wall. 


キリスト教に対するこの永遠の弾劾を、私は壁という壁に、壁さえあればどこであろうと、書きつけたい、――私は盲人でも見られる文字を持っている……私はキリスト教を一つの不滅な人類の汚点と呼ぶ。

               フリードリッヒ・ニーチェ『アンチクリスト』


「父は聖堂や住居、墓地の整理などを二年ほどで済ませると、それを見届けるかのように直ぐ亡くなりました」

 教司神父は久流水教の来歴を話すと、ほうッと一息吐いた。

「探偵小説なら長い前振りに読者は辟易しているだろうな」

 御堂は大きく間延びをしながら続けて教司に訊ねた。

「では本題に入りましょう。何でも殺人事件についてとか」

 そういえば教司神父は殺人事件について話そうとしていた。岩田の質問で脱線をしていたのだった。

「さきほど『久流水家にいらっしゃった後からでは何が起こるか判りません』と仰っていましたね。どういうことですか?」

 御堂は教司神父に尋ねた。

「そうですね、順を追って説明しましょう」

 教司は一息つくと、本題に入った。

「あれは二日前の五月一日のことです。我々の住居や聖堂、墓地はちょうど中世の修道院のように城壁で囲んであるのですね。五月一日の朝にその城壁に大きく落書きがされてあったのが発見されたのです」

「落書きですか? どんな?」

 黙して足を組んで聞いている御堂にかわって岩田が訊いた。

「Mene Mene Tekel Upharsin」

「何ですか、それは?」

「旧約聖書ダニエル書にある災いの前兆を示す言葉だ。確かメルヴィルの『白鯨』に引用されていたはずだ。お前は作家だろ。それくらいは憶えておけ」

 御堂が憮然とした調子で答えた。岩田は指摘されて、ハッと気付いた。そうだ、崩壊の言葉だ! レンブラントの『ペルシヤザルの饗宴』にも描かれていたではないか! バビロン王朝の最大の王ペルシヤザル王の宮廷で書かれた文字だ。ペルシヤザル王が千人の貴族を招いて宴会を開いて、エルサレムの神殿から強奪してきた金銀の神々の偶像を褒め称えているときのことだった。その時、突然と人の手の指が現れて燭台に相対する王宮の粉壁に文字を描いた。それこそがこの言葉。 『汝は数えられたり、数えられたり、秤られたり、そして分かれたり』! その言葉の解釈を行ったダニエルに褒美を与えた晩にペルシヤザル王は殺された。

 教司は続けて話を始めた。

「私達、死陰谷村の者にこのようなことを行うとは思えません。そして今日五月三日払暁のことです。その言葉が示すことがまさに起こったのです」

「被害者は誰です?」

 御堂が尋ねると、教司は唇を噛み締めながら答えた。

「雄人氏。桐人様の父であられる雄人氏です」

 教司神父はそこで一息吐けて続けた。

「私達の聖堂は十字架構造(Cruciform)です。この聖堂にはパイプオルガンが設置してあります。ちょうど祭壇のある内陣の後方にあたるところです。雄人氏は毎朝そこでオルガン練習することを習慣にされていました。雄人氏はミサでは必ず演奏をなさいます。本来ミサの演奏は桐人様の父親である雄人氏が行うべきものではないとは思いますが、本人の希望とあって。雄人氏は一体の葡萄畑の農家を纏め上げる役をなさっていましたが、音楽的才能にも優れた方でした。雄人氏の演奏は優美で素晴らしいものです。その優美さはたとえ練習中でも損なわれることはありませんでした。雄人氏は決して慢心を持たない人でした。

 今日の朝も来週行なうミサ曲の練習のために雄人氏は聖堂に向われました。他の者は、各々の部屋や工房で聖堂から漏れ聴こえる雄人氏の演奏を聞きながら個人の作業を行っていました。雄人氏がその時に引かれたのは、アレグリのミゼレーレでした」

 ミゼレーレ。システィーナ礼拝堂のみで演奏されていた宗教音楽。長年、ウルバン八世によって門外不出の曲とされていたが礼拝堂の門外不出の作品であった。多くの音楽家が暗記し持ち出そうと考えるも、ミゼレーレは九声で構成されて複雑であったために悉く失敗に終わっていた。しかし、かの天才モーツァルトがたった一度、ミゼレーレの演奏を聴いただけですべてを暗記して譜面に興したといわれている。

 教司は、ふうッと溜息を吐くと、再び話し始めた。

「ミゼレーレが暫く演奏された時です。突然に鍵盤を叩き付けたような『ぐわんッ』と乱暴な音が鳴ったと思うと曲がぷっつりと途絶えました。家人の大半はその異様さに気付いて聖堂に向かいました。私はちょうど書斎で作業をしていた時でした。異変に気付き、聖堂へ向かった時にはもう既に家人は皆して聖堂の入り口に向かっていました。するとどうしたことでしょう。三つの聖堂の扉すべてに内側より鍵がしてあったのです。皆が内側の雄人氏に呼びかけても返事はありません。私達はやむなく三つの扉のうちオルガンに近い扉である西の扉の錠を破壊しました。私達は中に入って一斉にオルガンのある位置へ駆け付けました。

嗚呼、何ということでしょう。オルガンの前には雄人氏がバッタリと横たわっているではないですか。その頚部にぐさりと三寸ほどの白い矢が刺さっていたのです!」

 教司はグッと強張ったような視線を御堂に投げ掛けた。御堂は何の感慨もない様に無表情でぽつりと言った。

「矢を刺されるなんて聖セバスティアヌスですね。そういえばモーツァルトの出生の地、ザルツブルグの城ホーエン・ザルツブルグにある『牡牛』と呼ばれるパイプオルガンが故障して修理のために呼ばれた職人がいて、その修理中にオルガンが突然大音響で鳴り出して職人の鼓膜の破けて失神して転倒した末に頭の骨を折って死んだという怪事件があったね」

 岩田は御堂が何の驚きもなく的外れな所に説話を口にすることが気になった。

「御堂、やけに素っ気ないじゃないか。密室だぞ、密室殺人! もっと注目すべき点があるだろ。どんなトリックが使われたとかさ。例えば雄人氏を殺害した人物は内側から鍵を掛けて扉の裏に張り付いていて、扉が破壊されて人々が聖堂に流れ込んだ時に、犯人はいかにも一緒に入った様なフリをしたのじゃないのかな。どうだ? 」

 岩田が言うと、御堂は呆れた様に岩田に言った。

「探偵小説馬鹿。 そこは問題ではない。いいか、確かに密室かも知れん。だが考えてみろ。密室の意図は何だ? 自殺への偽装か? 否、明らかに殺人だ。自殺への偽装ではない密室なんて、ただの探偵小説馬鹿の児戯か、偶然の産物の可能性が高いだろ。そんなものを真剣に考える気がしない。ジョン・ディクソン・カーの『魔棺殺人事件』の密室講義に一つ一つ当て嵌めていけばいずれ解けるだろ。それよりも事件にある演出性を見る方が必要だ。隠れ切支丹から続く宗教にゴチック建築という舞台。日本の黒幕、預言者登場に処女懐胎にアルビノの現人神、旧約聖書の呪詛、パイプオルガンの殺人。面白い演出じゃないか。ああ、お前の言った解決は不可能だろう。そのトリックは扉が一つしかない部屋でないと成立しない。扉が複数合ったときにどの扉が壊されるか判らないだろう。聖堂は十字架構造だろ。祭壇がある十字架の頭頂部を除く三点に扉があるのだぞ」

 岩田と御堂の遣り取りを聴いていた教司が割って入ってきた。

「あの、御堂様の仰るように密室は問題ではないのです。そもそも密室というのは既に問題ではなくなっています」

「問題ではなくなった? それはどう言うことですか?」

 岩田は教司に聞いた。

「そのトリックについて直ぐに解決なさった方がいらっしゃいまして」

「はッ? 解決したのですか?」

 岩田は肩透かしを食らったことに唖然となった。隣で御堂が忍び笑いをしていた。

「一体どの様なトリックで?」

「トリックといえたものでもないですね。パイプオルガンの構造を利用した機械的なものです。パイプオルガンというのは鍵盤を押すことによって、裏にある風箱に貯まった空気に圧力をつけてパイプに送り出してパイプの切れ込みから一気に空気を放出することで音を鳴らします」

 教司神父がそこまで言うと御堂は話を途中から引き継いだ。

「つまりはあれか。その切れ込みの部分から放出される空気の圧力を利用して矢を飛ばしたのですね。矢の先端には毒でもが塗ってあったのでしょう。空気で飛ぶ程度の矢にそれ程の殺傷能力があるとは思えないし。パイプの位置から考えてそのまま矢を仕込んだら演奏者に矢は当たらない。お手製のパイプでオルガンのパイプを延長させて、空気の向きを変えるための何か仕掛けがあったのでしょう」

 教司は「ええ」と言って、小さく肯いた。

「実に簡単な手品だったね。現実なんてそんなものさ。我々は主観でものを見ている。そこに立つ者の想念が現実を複雑にもするし、単純にもしているのだよ。ははは、お前のような探偵小説馬鹿は最も鋭敏な頭脳を持っている気になっているが、最も愚鈍な脳細胞かもしれないね。ホフマンスタール『友の書』の『最も危険な種類の愚鈍は鋭敏な理解力である』ってやつさ」

 岩田は憮然としつつも先程舞い上がった自分を嫌悪して口を閉じた。御堂は岩田に見ながら忍び笑いを暫く続けていたが、すうッと笑いを止め急に真顔になり、教司の方へ向き直って尋ねた。

「それで先程『トリックを直ぐに解決なさった方がいらっしゃった』とおっしゃいましたね。『なさった方』、『いらっしゃった』という口振りから考えて、久流水家の人間ではありませんね。外部の人間。此方にいらっしゃったのも、その人物に関わることではありませんか?」

 御堂は深刻そうな顔をして教司を見た。教司はハッとした様子で御堂を暫く見ていたが、眉間にしわを寄せて小さく「その通りです」と答えた。

 未だ犯人自体は判っていないようではあるが、トリックは既に解けている。しかもそのトリックを解いた人物は現在久流水家にいる。どんな人間か判らないが、それなりの頭脳を持った人間だろう。そんな人物がいれば御堂の許を訪れることはしないはずだ。探偵役が二人になってしまう。事件には警察も関わってくるのだろう。だとすればその人物自体に問題があると考えるべきではないか。岩田はやっと教司の依頼の目的が判りかけた。そういえば教司が此処へ来た時に教司は『殺人事件に関わって頂きたいのです』と言った。決して『解決して下さい』や『真相を突き止めて下さい』とは言っていない。

「それで誰です、その困ったお方は?」

 御堂が聞くと教司は少し逡巡して答えた。

「阿見光治さんです。岩田さんと同じ探偵小説家の」

「阿見ッ! 阿見光治だと!」

 岩田と御堂は声を揃えて驚嘆した。御堂は「ちょッ、よりによって阿見なんだ」と舌打ちをして嫌悪感を露わにした。

 阿見光治。阿見を岩田と御堂が嫌悪するには訳がある。阿見光治は岩田と同じ探偵小説家であり、同時に探偵でもあるのだった。

 探偵小説にはその製作過程から主に三種に分類されると言われている。一つは探偵小説の中にある事件の内容が全くの作者の想像である場合。発表された事件の内容が完全に作者の創作であり、登場人物は皆、この世には存在していない。探偵小説の大半がこの形式である。第二としてはホームズとワトスンといったように事件を解決する探偵とその執筆者が別の人物である場合である。岩田の探偵小説も御堂の側にいて知り得た事件を基に小説を書いているのであるから、これにあてはまる。第三がエラリィ・クイーンの様に執筆者と探偵が同一人物の場合である。自身が解決した事件を自らの手で小説にして発表する。阿見はこの形式に当てはまる人物なのだ。

 だがこの自分の活躍を自分で書くというのが曲者なのだ。阿見の場合、自分を絶対的に英雄視して世間に発表をするのである。自己物語世界的物語の形式を過度に採用しているのである。自分のことを書く以上、多少の美化は已むを得ない。しかし阿見の場合は多少の域を超えた美化を行なうのである。阿見は自分を英雄的に書くために自分以外のものを貶める書き方をするのである。自分のみが絶対的な道徳者、正義の代弁者であるように描き、その他の人々はすべて道徳的欠陥を持ち、ほんの少しばかり事件に関わった人も卑屈の人間として描く。以前、阿見に親切に道を教えてくれただけの高徳の僧として知れ渡っていた尼僧を、『出家した後もその風体に俗の色欲が染み付いており、阿見が道を尋ねた際も色目を使い……』と表現したことがあった。阿見の筆の前にはどんな有徳の人間も色魔となって、どんな清らかな慈善家も人気取りの猿回しの猿として描かれてしまうのだ。何よりも岩田や御堂も阿見の筆の被害にあった者達であった。かつて計らずも御堂と阿見が一つの同じ事件に関与することがあった。その事件を解決に導いたのは他ならぬ御堂であったのにも拘らず、阿見の描いた小説では御堂を『愚図で鈍間な能なし』が『偶然に』事件を解決、『運が良かっただけ』として描き、岩田はたった一言『小猿』として言い捨てていた。実際の事件では全く真相究明に関与しなかった阿見が小説では『阿見の発見こそが事件の究明を一気に近付けた』、『今回は能なしに夢を見させてあげた』といった調子で万事が『自分の力の賜物である』というように書かれていた。

なおに立ちの悪いことには阿見の小説が大衆にかなり人気があるのである。人の世はいつでも世論を味方に付けた方が正しい者として扱われる。世の中の正義は多勢の中にある。結局は作中で貶められた人々は泣き寝入りをしなければならない。

 岩田は阿見のオネーギンを気取ったあの気障な白の背広に、油でテラテラに輝く髪や、薄い唇のニヒルな表情を思い浮かべて顔を顰めた。その阿見が久流水家の事件に関わる。それは久流水家の評判を貶めるかもしれない。神父はそれを恐れているのだ。

「御堂さん。阿見さんがこの久流水家に不名誉になる行動を執らないように瞠って頂けませんでしょうか? この事件を解決してくれとまでは申しません」

 教司神父はそう懇願し低頭した。御堂は神父をジッと見詰めると静かに応えた。

「解りました。解決はしなくてもいいのですね。ただ阿見の首根子を捕まえれば良いのですね。お受けしましょう」

 岩田には聊か意外に思われた。御堂は探偵小説のような事件は好んで解決しようとしない。たまたま成行きで事件に出くわしてしまった場合のみに解決をしようと試みるが、進んで探偵小説的な事件に関わろうとしない。御堂は小説の中の探偵というより、現実の浮気調査や企業信用調査を主とする現実的事件を好んで解決しようとする。御堂にしては珍しい。

 岩田がそう思案していると、御堂は椅子から多少身を乗り出して神父に訊ねた。

「それで警察には既に通報済みなのですね?」

 神父は頭を上げて御堂の問いに応えた。

「阿見さんは遺体を発見するなり、トリックを見破ると直ぐに警察に連絡しました。その後に阿見さんは我々久流水家の人間に不躾に尋ね回りました」

 教司は表示を曇らせた。御堂は続いて教司に訊ねた。

「阿見の莫迦は何をしに久流水家に来ていたのです?」

「それが良く判らないのです。いきなり久流水家に遣って来て桐人様に会いたいと仰られまして。私達もいきなり現れた方に桐人様に御目通りをさせるわけには参りません。私達と押し問答を行なっていた時にパイプオルガンの件です。阿見さんは真っ先に聖堂に向かいました。扉を壊そうと提案したのも阿見さんでした。また阿見さんはこうも仰ったのです。『あの呪いの言葉と周到な雄人氏の殺害。事件はこれだけでは終わらないだろう』と」

 教司神父は言葉を切って一息吐いた。

「私もまだ何か続きが起こると思っています。阿見さんだけならただの戯言で遣やり過ごします。しかしあの落書きがあった晩に桐人様がこう仰ったのです。『哀れな不幸の連続は未だ終点に至らず。時は満てり神の國は近づけり、汝ら悔改めて福音を信ぜよ』と」

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