ル・マンの日


 ~ 五月二十六日(水) ル・マンの日 ~

 ※北斗七星ほくとしちせい

  一年中見えて、一昼夜で北極星の周りを

  ちょうど一周するから、時計代わりに

  使われていたひしゃく型の七つ星。




 テストが終わったその瞬間から。

 特訓場へ駆け出した二人。


 俺と甲斐がたどり着くころには。

 既に体中真っ黒け。


「まだまだ! 舞浜ちゃん、本気出して!」

「は……、はい……」

「返事は元気に!」

「はいっ!!!」

「あたしたちは、意識も同じ!」

「完全にシンクロ中……!」

「二十四時間耐久特訓はまだまだこれからよ!」

「ま、舞浜先生の次回作にご期待ください……」


 そんな返事を聞いて怒り出したきけ子に。

 秋乃が謝るという図柄。


 テスト前と同じ光景。


「あいつら……。ケンカ別れとかしなきゃいいけど」

「他人の心配してる場合か、立哉?」

「俺たちゃ大丈夫だろ」


 スタートこそ俺の方が遅いが。

 負けるもんかとムキになって乗り切ると。


 その後は、奥歯の軋みが隣から聞こえてくるほど。

 こいつがムキになって追いすがる。


「まあ……、な。なんなら一人で四百走った記録越えてるぜ、俺」

「俺もだ」


 ……男ってな、バカな生き物だから。

 こいつにゃ負けたくねえって気持ちだけで。


 自分でここまでと決めてた壁を。

 簡単にぶち壊すことができる。


 そして、抜きつ抜かれつしているうちに。

 不思議と、敵ながら信頼感を覚えるようになるんだ。



 でも、女子ってのは繊細で複雑だから。

 そう単純にはいかねえんだよな、きっと。



「転んだら、転んだ場所から走り直しなんだから……。まずは転ばずに走れるように……」

「そんな弱気でどうするの!? どうせやるなら最初から高いレベル目指さないと!」

「はい……」

「今日はとことんやるわよ!」

「そ、そうね……」

「二十四時間耐久特訓! 北斗七星が同じ位置に来るまで!」

「み、見えない……」

「うそ!? 薄らぼんやり見えるでしょ?」


 視力検査で、2.0までくっきりはっきり見えるというふざけた視力を持つきけ子。

 ほんとにこいつにゃ見えてるんだろうな、北斗七星。


 だが今はそんな事よりも、だ。


「二十四時間ぶっ続け?」

「そうよ! 保坂ちゃんも!」

「明日の授業はどうする気だバカ野郎」


 元気がから回ってるきけ子にチョップすると。


「ちょっと、お水飲んで来る……」


 仮面の微笑を浮かべたまま。

 一人離れていく後姿は。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 決して手を抜いてるわけじゃねえのに。

 真剣にやれと言われ続けて。


 もう、どうしたらいいのか分からなくなっているんだろう。


 弱々しく揺れる飴色の髪も土にまみれて。

 心も体も、そろそろ限界なんじゃねえだろうか。


「……おい、夏木」

「なに?」

「お前、わざと冷たく当たってるんだろ」

「舞浜ちゃんに? そりゃそうよ。だって、どんだけ言っても信用してくれないんだもん」


 こいつは、あの甲斐ですら舌を巻く時があるほどのガチガチの脳筋。


 気合いと根性でチアのエースの座を勝ち取ったアスリート。


 他人を負かして上に登ることの意味を知っている、本物のスポーツウーマンだ。


 そしてタチの悪いことに。

 頭を使って何とかしようって考えることができない程度に。


 いつも脳に乳酸が溜まってやがる。


「秋乃、お前より遅くなってるって気付いてるか?」

「そりゃもちろん。あたしがいつも前に倒れるんだもん」

「なんだ、それなら話が早え。お前が速度落とせばいいじゃねえか」

「うわ。それ、マジで言ってるのん? 保坂ちゃん、そんなこと言ってると……」

「ほうほう。じゃあ、お前も終盤は手ぇ抜いてんだな?」

「しまった。誰かこの負けず嫌いコンビを飛騨の山中に埋めて来てくれ」


 苦笑いを浮かべながら。

 火の粉が届かない辺りまでエスケープする王子くんと佐倉さん。


 お前ら、見捨てるんじゃねえよ。

 こうなったら自力で何とかするしか……?


 いや。

 やっぱすげえなお前。


 俺のピンチに駆けつけてくれたのか。


 気づけば、いつの間に戻って来たのやら。

 秋乃が、きけ子と甲斐の足元に背後から近づいて。


 なにやら細工してるんだが。


 ふむふむ。

 なるほどなるほど。


「よし。それならこれから二十四時間耐久特訓のスタートだ」

「おお! いい心がけだ!」

「最初っからそう言えばいいのよん」

「それじゃ、位置に着いて」

「よし!」

「任せて!」

「よーい、ドン」



「「でやあああああ!!!」」



「うはははははははははははは!!! なぜ気づかんっ!」


 俺の号令で飛び出した甲斐ときけ子は。

 信じがたいほどの速さでトラックを疾走して。


 校庭から校舎から。

 惜しみない歓声をその身に浴びていた。


「……あいつらが組めばよかったのに」

「うん……。でも、そしたら、あたしが立哉君とペア?」

「うぐ」


 固まる俺をちらりと見た秋乃は。

 何も言わずに足をタオルで結ぶ。


 触れ合うふくらはぎ。

 肩にまわされた細い指。


 でも、そんなものにときめいてる暇もなく……。


「よーいどん」

「はやっ……!? こ、このおおおおお!!!」


 ちょうどトラックを一周してきたアスリートコンビに並んだ俺たちは。


 事もなく二人を追い抜いて、さらに速度を上げていく。


 ……そうだった。


 秋乃は俺よりも速いんだ。


 限界の上限で走り続ける俺は。

 脳に送られる少ない酸素を使って必死に考える。


 いつも、俺の横で歯を食いしばって走る甲斐。

 その甲斐が手を抜いて、きけ子にペースを合わせてるから軽々抜けたわけで。


 じゃあやっぱり。

 一番足が遅いのは……、うぉ!?



 考え事してたせいで。

 盛大に転んだ秋乃と俺。


 最後にゃ、秋乃が前のめりになったとこ見ると。

 やっぱり俺の方が遅かったって訳だ。


「いてて……。怪我してねえか?」

「うん。平気……」

「はっはっはー!!! いくら俺たちを追い抜いたって、転んじゃ失格だ!」

「くそう。この負けず嫌いめ」


 地面に横たわる俺を。

 文字通り上から覗き込んでイヤミたっぷりに笑う甲斐の横で。


 きけ子は。

 下唇を噛みながら。


 じっと秋乃を見つめていた。


「ちょっと擦りむいたから……。膝、洗って来るね?」

「ん? ああ」

「……待って」


 いつもより、トーンを落としたきけ子の声に。

 秋乃は、びくっと身体を強張らせる。


 ……そうだよな。

 お前も、なにを言われるか気づいちまったんだな?


「やっぱり……。全力じゃなかった……」

「ち、違うよ? ほんとにあたしは……」

「もう、今日は特訓終わり」


 そして、一人立ち去ろうとするきけ子に。

 追いすがりながら、下手な言いわけを繰り返す秋乃。


 そんな言葉には耳を貸さないきけ子も。

 別に、秋乃が嫌いになったって訳じゃなく。


 むしろ。

 こいつのことが好きだってことがよく分かった。


 なぜなら……。


「ああもう! なんか腹立つ!!! 保坂ちゃん、ちょっと屈みなさいよ!」

「どうしたんだタオル俺の首に巻き付けたりして」

「いってらっしゃいあなたっ!!!」

「ぐえっ!?」


 ネクタイでも何でもねえ。

 思いっきり一つ結びで締め上げられた俺は。


 どうやら、大の字になって倒れたらしい。


 …………ああよかった。

 ほら見ろ、俺、やっぱり立ったまま気絶できる異常体質じゃねえ。


 だって。

 ちゃんと横になってるから。

 北斗七星が良く見える。



 俺の体質も安心。

 きけ子のことも、ひとまず安心。


 その時の俺は。

 これなら、きっといい結末が待っているんじゃねえかと感じながら。


 薄れゆく意識の中。

 最後に目に入った星のことを考えながら眠りについた。




 …………北斗七星の横に。


 あんな星、あったっけ?



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