背骨の日


 ~ 五月二十七日(木) 背骨の日 ~

 ※藍田生玉らんでんしょうぎょく

  よい家柄からは、立派な子が生まれる。

  生まれながらに差はあるもんだ。




 まあ、何と言おうか。

 普段意識しない普通のことでも。


 意識し始めると。

 もうどうしようもなく気になってしまうわけで。


「あっは! すげえニヤニヤしてるよ、保坂ちゃん!」

「こ、これはちげえ! ストレッチが思いのほか気持ちよくてぐえええええ!」


 朝練後。

 授業が始まる前。


 教室の後ろの方で。

 整理体操代わりにストレッチをしてもらっているんだが。


 床に腹ばいになる俺の背中にまたがって。

 きけ子が顎に両手をかけてのキャメルクラッチ。


「ぐええええええ!!!」

「だらしないのよん! ぐえぐえ言わない!」


 こんなプロレス技。

 痛くない訳はない。


 だというのに。

 女子にやられているというだけで。


 なんだかうれしく感じてしまう思春期な俺。


「ああ気持ちいいからにやけてるんだぐええええええ!」

「ほんとうるさいわね! 体が柔らかくなればその分速くなる!」

「いや、そんなの聞いた事ぐええええええ!!!」

「ハイ終わり! ほんじゃ今の、あたしにもやってよ」


 背中から降りて横たわるきけ子が。

 ひょうひょうと言いやがるけど。


 バカ言ってんじゃねえよ。

 無理に決まってんだろ。


「甲斐に頼め、甲斐に」

「雄太、ストレッチ他人にやるの苦手なんだって。先生来ちゃうからはよはよ!」


 あいつ、ぜってえ照れくさいからできねえだけだ。

 それが簡単に通じ合ってしまう思春期な俺たち。


「俺がやろうか~?」

「パラガスはエッチいから却下! ほら保坂ちゃん急いでって!」


 ばかやろう。

 俺だってエッチいから却下だ。


 溺れる思春期男子。

 ワラをも掴む。


 無意識に助けを求めた相手は。


 舞浜まいはま秋乃あきの


「あ……、えと……」


 しまった。

 これは悪いことした。


 今朝の練習も、機嫌が悪いきけ子を前に。

 ただただ申し訳なさそうにしてたこいつとしては。


 ちょっぴり距離を取って。

 クールダウンしたいところだろう。


 そんな気まずい空気を察して。

 王子くんが、すかさず聞け子の背に腰を下ろす。


「ごめんな王子くん。気ぃつかわせて」

「あっは! まあ、たまにはこういうことあるよ! 女の子だもん!」

「何のはなし?」

「あっは! 何でもない何でもない! 思いっきり引くよって悪だくみしてたんだよ!」

「マジ?」

「じゃあ、思いっきり行くよーっ!」

「お・お・お……。ご、ごれはながなが……」


 王子くんの気づかいに。

 ほっと胸を撫で下ろす俺だったが。


 それにしても、秋乃ときけ子のギスギス関係。

 何とか繕ってやりてえところだが……。


 ん?


「なにざわついてんの?」


 クラス中の視線が集まるのは。

 俺の足元。


 王子くんがきけ子の体を伸ばしてる。

 その姿なんだが。


 ……ああ。

 そうな。


 初見じゃそんな顔になるわな。


「うそ。……え? うそだよね?」

「ご、ごんぜいぎざいだいに反ってるうううう」

「きもこわっ!? え? なにこの生き物、背骨入ってないの!? どこまで曲がるの夏木ちゃん!?」

「まだいげっがな……」

「もうボクこれ以上は怖くて引けないよ!? ちょっとみんな真っ青な顔して逃げないでよ! ボクをこのクリーチャーと二人にしないで!?」

「ぐげげげげげ……」

「ひえええええ!!!」


 王子くんに悲鳴を上げさせた軟体動物のことを。

 俺と秋乃はよく知っている。


 秋乃が、きけ子を応援したいと足しげく通った体育館。


 そこで行われるチア部名物。

 柔軟特訓のたびに爆笑されるこいつの姿。


 あれを見慣れてる俺たちには。

 ごくごく自然な光景だ。


「あ、あたしも真似したい……」


 お前はやめておけ。

 そう口にしかけた俺に閃く名案。


「よし! それじゃ、お前の本気を夏木に見せてやれ」

「りょ、了解……!」


 自分の机の上に腹ばいになろうとする秋乃。

 その正面、つまり俺の机の上に。

 しぶるきけ子を促してみたが。


「えー? 保坂ちゃんも知ってるでしょ? 舞浜ちゃんの体、ダイヤモンドより硬いよ?」

「そこを根性でカバーしようってんだ。お前も手ぇ抜くなよ?」

「はあ……」


 そして、突如始まるうつぶせ上体反らし対決。

 ギャラリーがニヤニヤしながら見守る中。

 机に突っ伏す前、顔を見合わせる二人がくすりと笑い合う。


「……やだ、真剣なのね?」

「ま、負けない……!」

「ふふっ! いいわよ、全力でお相手しようじゃないの!」

「ようし! じゃあ、二人とも机に腹ばいになって! レディー、ゴー!!!」



 ……この間は、男子がどうとか女子がどうとか言ったけど。


 今なら分る。

 そんなの関係ないんだ。



 勝てない相手に。

 全身全霊でぶつかっていく。


 そんな姿を見て。

 心が揺れないはずはない。


 友達への第一歩。

 それは丸裸の全力をお互いに見せ合う事から始まるんだ。



 ……まあ。

 そうは言っても。



 下限ってもんは存在するわけだがな。



「ふんぬううう! ふむうううう!」


 顔を真っ赤にしながら。

 必死にあごを持ち上げる秋乃なんだが。


 こいつのあご。

 首を反らした分しか浮いてねえ。


「首を自由自在に動かせる高枝切りばさみ」


 どんだけ固いんだお前の体。

 せっかく機嫌を直しかけたきけ子も。

 半目で俺をにらんでるんだが。


「いや、美しいじゃねえか必死な姿! お前もそう思うだろ!?」

「…………ひとつ、気付いたんだけど」

「なんだ?」

「ちょっと舞浜ちゃん。スタートのポジションに戻ってみて?」

「ふはああああ。……はい、ここがスタート。…………あ」


 秋乃ときけ子。

 見つめ合う二人の視線。


 それが真っすぐ交差することはなく。


「…………インチキ」


 ぴったりあごを机に付けるきけ子の正面。


 秋乃は、胸の下にクラスで一、二を争う枕を敷いて。

 スタートの位置をかさ増ししていた。


「うはははははははははははは!!!」

「……ちょっと」

「し、失礼かも……」

「いやだってこのハンデ……! うはははははははははははは!!!」


 笑っちゃいけねえ。

 そんなことは分かってる。


 笑い上戸な俺が悪い。

 だから、クラスの全員から寄ってたかって襲われて。


 こうなるのもしかたなし。


「……おい」

「これは校内暴力でもいじめでもねえ。俺の身から出た錆だって事だけは伝えとく」


 教卓の上に、上体反らしの姿勢で置かれたオブジェは。

 モップに手足を縛られて見事な弧を描く俺の姿。


「今日は立てんぞ? この姿勢見れば分かる通り」

「なるほど」


 幸か不幸か。

 この日の俺は、立たされることはなく。


 正門の上に。


 しゃちほことして一日中飾られることになった。



 ……こら、子供。

 お母さんが困ってるだろ?

 指差すんじゃねえ。



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