第45話 カインとアベル

 どこから?

 何も無かった空間にはドアのようなものが開き、チャイナドレスを着た赤毛の女が立っている。


 新手の悪魔!?

 でも、この男の顔、それに兄さんって……


「……てんめぇかぁぁ!?」


 カインの闘気はさらに膨れ上がり、剣を力づくで振り下ろした。

 男は悪魔の襟首を掴んで、後ろに跳んだ。

 土煙が舞い散ると、そこには隕石が落ちたかのように大穴が空いていた。


「……うひゃぁ、危ないじゃないか、カイン兄さん?」


 そうだ。

 この男の顔はカインによく似ている。

 白金の瞳、赤みがかった金髪、背格好までほとんど同じだ。


「と、父さん! 助けに来てくれたんだね! 僕は……え!?」


 カインによく似た男を父と呼んだ悪魔は、スパーンといい音で頬を叩かれ、目を見開いた。

 何でこんな事をされたのか、全く理解できていない間抜け面だ。

 その息子を見て、男はわざとらしくため息をついた。


「はぁ。ダメだ、ダメだと思ってたけど、ここまでダメなバカ息子だなんてさ。本当に情けないよ。……ねえ、リーナちゃん。このバカ息子ウ○コ臭いからさっさと家に送ってよ。カイン兄さんとの話の邪魔だからさ」


 男は不快な顔をして鼻をつまみ、リーナと呼ばれた赤毛の女を呼んだ。

 オサフネが食い止めようと前に出ようとした。


「行かせるか!」

「……君もうるさいから黙ってて」

「チッ!?」


 しかし、男が剣を振ると衝撃で地面がえぐり取られた。

 オサフネはとっさにかわして後退して立ち止まった。


 その隙にリーナはドアを開き、悪魔を放り込んで転移させた。

 リーナに対してアガサは式神の鞭を喚び出した。


「せめてあんたは! 十二神将・騰蛇!」

「……無益な争いはやめましょう? 後ろにいる子どもたちが、死にますよ?」

「クッ!」


 アガサが上空を見上げると、巨大な門が開き、漆黒のドラゴンが禍々しい翼を広げて待機していた。

 動きを封じられた僕たちを見て、リーナは妖艶に微笑んだ。 


「さすが、リーナちゃん、良い仕事するよ。さてと……うわ!? アブな!」

「チィッ!」


 カインが僕たちの様子を見て軽く口笛を吹いた男に斬りかかると、男は慌てて跳びながら避けた。

 また地面に大穴が空いてしまった。


「本当にさ、兄さんはいつもせっかちなんだから。ちょっとは話を聞いてよ」

「うるせえ! てめえの御託は聞き飽きてんだよ!」

「今日は挨拶に来ただけだからさ」

「挨拶だぁ!?」


 カインは警戒を解いていないが、動きを止めた。

 少なくとも話を聞く気になったようだ。


「ぐぬう。やはりコヤツの息子だったか……」

「え!? クロも知ってるの?」

「そうだよ。僕とクロちゃんは友達さ。昔、ジョーンズさんと一緒によく遊んだんだよ」

「ば、バカを言うな! アレを遊びだと!?」

「ど、どういうことなの!?」


 僕には信じられなかった。

 あのふてぶてしいクロが恐怖に毛を逆立て、目の前の男を威嚇している。


「コヤツの肉体は、カインの実の弟アベルだが、中身は異世界の悪魔だ。しかし、他の異世界の悪魔とは次元が違う。コヤツこそ、神話に語られる『最悪の悪魔』の再来と呼ばれておる」

「あ、あの聖書の?」

「そうだ。ジョーンズ様とともに、この悪魔と幾度か対峙したが、今思い出しても身の毛がよだつ」

「そうかな? 利害関係でぶつかったけど、僕は楽しかったけどね。ジョーンズさんのあの奇想天外な発想はホレボレしたよ。どれだけ追い詰めても予想外の手で逃げられちゃうんだもん。あの追いかけっこは、退屈なダンジョン探索を盛り上げてくれたよ。……あ、カイン兄さん。僕を本気で殺そうとするのはやめたほうが良いよ?」


 楽しそうに笑っていた男は、唐突に話を変えた。

 カインがいつの間にか、男の背後で剣を振り下ろそうと立っていた。


「……どういうことだ?」

「僕はね、春になったらシン帝国の宰相に正式に就任するんだよ。皇帝を除けば、帝国の最高権力者さ。その僕をこの国で殺しちゃったら、全面戦争になるよ? カイン兄さんの親友のクニツナくんが、必死でやってる政治工作も無駄になるよ?」

「……この腐れ悪魔が!」

「アハハ! 今の僕はリョフイって名乗ってるからさ。よろしくね。……へえ。ミカエラは、僕たちの妹のセツに本当にそっくりだねえ? こんなにセツにそっくりな姪っ子なら、カイン兄さんが可愛がりたくなるのも分かるなぁ」

「悪魔め、貴様のせいで母さんがどれだけ苦しめられたか!」


 リョフイは、一瞬にして僕の横にいるミカエラの前にやってきた。

 ミカエラを楽しそうにジロジロ見ている。

 でも、僕はこのニヤけている顔が不気味で恐ろしい。

 ミカエラはその相手に噛みつかんばかりに殺気を放った。


「あれは僕のせいじゃないと思うだけどなぁ。不幸なすれ違いだよ?」

「嘘を付くな! 貴様がお祖父様とお祖母様を弑逆したせいで……」

「あっあー! カイン兄さんこそどんな話をミカエラにしたの? 僕が異世界転生者っていうのがバレて殺されそうになったから、返り討ちにしただけだよ? それって僕が悪いのかな、ねえ、カイン兄さん?」


 リョフイがミカエラの憎悪を遮るように指を振って話をカインに振った。

 カインは反吐が出るというような顔で舌打ちをした。


「……そうだな、悪いのは俺がガキで甘かったせいかもな。俺がてめえが悪魔だって知っていながら、弟と思って隠していたことがすべての原因だ。そのせいで親父とおふくろを死なせちまった。おまけにてめえにトドメをさす前に逃げられた間抜けなガキだった」

「そうそう、僕は帝国に逃げ延びて生き残った。カイン兄さんは神聖教の処分から幼いセツを連れて逃げた。おかげで苦労したよ。セツを探して保護しようとしていたのに何度も逃げられるんだもん」

「当たり前だ! てめえが妹に手を出そうとした変態だからだ!」

「変態とは失礼だなぁ? 僕はセツを本気で愛していたよ? だけど、僕の弱みを握ろうとした政敵がとんでもないことをしてくれたよ。さすがの僕も怒って一掃しちゃったけど、やっと終わったとこさ。セツによく似て美しく育ってくれたミカエラを迎える準備ができたから、こうして挨拶に来たのさ。あのバカ息子はこっちにも家族がいるんだよって、サプライズのつもりで仮面を被せたんだけど、クソの役にも立たなかったね、アハハ」


 悍ましく笑うリョフイに、ミカエラは身震いをした。

 僕は恐怖に震えながら、しかし二人の間に入った。


「んー? 君は誰かな? ……クロちゃんと一緒にいるってことは、ジョーンズさんの息子? は、ないね。だって僕が殺しちゃったから」

「え? ど、どういう……」


 リョフイは意地悪く笑い、その言葉の意味が理解できた瞬間、胸の内に黒い何かがうずまき始めた。

 

「惑わされるな、マンジ! コヤツの術中にはまるな!」


 僕はハッとしてクロの声に反応した。

 僕は今、何をしようと?

 何か自分が失われるような錯覚に襲われそうだった。


「コヤツの言葉は不気味だ。わけが分からぬ内にいつの間にか操られてしまうのだ」

 

 僕は冷たい汗とともに身体を震わせた。

 こんな恐怖、始めてだ。


「……なるほど、こいつが親父の片目を奪った相手、帝国のあの大規模侵攻を率いた悪魔、か」

「クニツナくんの息子オサフネくんだね? 本当にクニツナくんの若い頃にそっくりだよ。君との遊びも楽しめそうだ」


 リョフイはオサフネを見て、本当に楽しそうに笑った。

 オサフネは初めて苛立ったように剣に手をかけた。


「……宰相様、そろそろ……」

「あれ? もうそんなに時間経ってた?」


 リーナが静かにリョフイに声をかけドアを開いた。

 とぼけたように笑いながら、リョフイはゆっくりと歩いていった。


「じゃあね、カイン兄さん。久々の再会、楽しかったよ。今度はミカエラを迎えに来るからさ。他のみんなも今度は国盗りゲームで遊ぼうじゃないか!」


 リョフイは去り、ドアは消えた。


「クソが! 全部あの腐れ悪魔が仕組んだ茶番かよ!」


 カインは悔しそうに転がっていた岩を蹴り砕いた。

 僕たちはみんながっくりと項垂れた。


 シン帝国宰相リョフイ。

 ヤマト王国、そして僕にとっても最大最悪の敵との邂逅だった。

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