鳥と翼

「あの、ナツは翼がないのにどうやって飛んでいるの?」


 たった今会ったばかりのナツと話せる話題はそれほど多くない。それならば、今一番気になっていることを聞くに限る。


「ん? 翼のあるなしは飛ぶこととは関係ないけど?」

「あ……」


 そう言えば、ヴィンも同じことを言っていた気がする。とはいえ、その意味はよくわからない。

 翼があることと飛べることは別?


「翼がなくても飛べる、の……?」

「もちろん」

「そ、そうなんだ……え、どういうこと……?」

「ヒナは飛ぶのに翼が必要だと思ってるの?」

「え、そう、え……違うの?」


 おかしそうにナツが吹き出す。対して雛乃は、なにも面白いことなどなくて若干むくれてしまう。飛ぶのに翼が必要でないならどうやって飛んでいるのか。

 そもそも、他の三人が飛ぶ時はちゃんと羽ばたいていた。それは、翼を使って飛んでいるからではないのか。


「ヴィンたちはちゃんと羽ばたいていたわ」

「翼ってそういうものでしょ? 俺たちが飛ぶのは鳥だからだよ」

「そういうものって……」


 微妙に会話が噛み合わない。


「えっと、ヒナは翼の力で飛んでると思ってる? 羽ばたくことで?」

「うん。わたしのいた場所では、鳥は翼を羽ばたかせないと飛べないのよ」


 翼があっても飛べない鳥もいるが、それはまた別の話だろうと黙っておく。なんにせよ、翼がないのに飛べる鳥は存在しない。そして鳥は翼を羽ばたかせるものだ。そうして飛ぶ力を生み出しているはず。

 飛膜を持つモモンガのような動物もいるが、あれは飛んでいるというより滑空だ。


「そっか。なるほどね。イメージ出来てきた」


 ナツの瞳が面白そうに細められる。

 ヴィンもそうだったが、楽園の鳥たちにしてみれば雛乃の話の方が荒唐無稽なのだろう。それでもナツは一生懸命理解してくれようとしているようだ。


「ヒナは羽ばたきで俺たちの体を持ち上げてると思ってる。違う?」

「そうよ」

「色々あるけど、そうだな、羽ばたきで体を持ち上げるにしては、俺たちの翼は小さすぎない?」

「え?」


 ヴィンの姿を思い浮かべる。その翼は大きいが、ヴィンの身長より大きくはない。その姿があまりに完成されていてそんなこと考えもしなかったが、ヴィンの体重を持ち上げるのに適切な大きさかと言われると疑問が残る。

 ちゃんと知っているわけではないが、鳥というのは骨が空洞になっていて体重を軽くしていると聞いたことがある。人に近い姿のヴィンにそれは当てはまっているのだろうか。


「ドゥードゥやナギみたいに、翼がたくさんあるのも、翼の力で飛ぶなら逆に邪魔じゃない?」

「うーん……」


 ナギに関して言えば、確かに三枚目の翼はどうやって使うのか謎ではあるし、邪魔と言われればそう思える。しかしドゥードゥはどうなのかと言われるとよくわからない。四枚を順番に動かして優雅に飛んでいるように見えた。


「でも、羽ばたいてた」

「翼はそういうものだから。あるなら羽ばたきもするさ。あ、そうそう」


 ふいにナツがふわっと足を下に向けた。着陸するのかと思ったがそうではなく、空中で静止している。

 翼もないナツは、雛乃と一緒に空中に浮かんでいる形になった。


「こんなこともできる。翼を羽ばたかせても、止めていても」

「あ、ヴィンが……」


 そうだ、鳥喰草を電撃でやっつけた時、ヴィンは空中に静止していたのだ。その後、怖がった雛乃をなだめてくれた時もずっと。

 あの時翼は動いていたのだろうか。他のことに気を取られていて覚えていない。

 再びナツが体勢を前へ向け、すうっと飛び出す。


「確かに翼のない鳥は珍しいけど、いないわけじゃないしなくても困らない。飛べるのは鳥だからで、翼の力じゃないからね」

「そう、なんだ……いろんなことが違うんだね」

「そうだね。他に気になることある?」


 気になることがあるかと言われれば、山のようにある。ここは日本、いや地球、太陽系……とにかく雛乃が生まれた世界とは物理法則からして違う。鳥は翼がなくても飛ぶし、どこまでも続く青空には無数の島が浮いているのだから。

 疑問を口に出したところで、雛乃が理解できるかはわからなかった。むしろさっきみたいに、微妙に噛み合わない会話を続けることになりそうな気がした。


「えっと、ヴィンやナツたちはいつも一緒に行動しているの?」


 雛乃を帰すために三人に協力を依頼したヴィン。その話を聞いて、こうして協力してくれている三人は、ヴィンへの信頼は厚そうに見える。


(それに、すごく仲良さそうだったし……)


 頭の中でナギがヴィンのほおにキスしたシーンが再生され、雛乃は慌てて首をふってそのシーンを追い出す。

 この後に及んでなにを考えているのか。ヴィンとナギはずっと同じ時間を共有してきているに違いないのに。


「いつもじゃないさ。必要な時だけだね」

「え?」

「俺たちのような力を持つ鳥は個体数が少ないんだ。広大な楽園に点在して、周囲の鳥たちの怪我や病を癒す以外に力を使うこともなかった。楽園は平和だったからね。もちろん、他の力を持つ鳥と接触することもなかった」


 それは意外な話だった。楽園が平和だからこそ、力を持つ鳥同士で楽しく暮らしていたのだろうと想像していたのだ。

 鳥喰草が現れてどれくらい経つのかはわからないが、それ以前は接触すらしなかったなんて。


「俺とナギは兄妹だから、たまには会っていたけど」


 だからヴィンとドゥードゥと知り合ったのも、鳥喰草が鳥を喰い出してからだとナツは続ける。

 楽園の果ての方に生え出した鳥喰草は、最初はなんだかわからなかったのだという。ただすごく違和感があって、楽園の生物じゃないことが鳥たちには本能的にわかった。

 それでも、害がないうちはさえずりで情報を共有するくらいしかしなかった。結果、鳥喰草は長い時間をかけて育ち、ある日突然鳥を喰い出したのだ。

 そこでナギが他の力を持つ鳥と協力しようと提案し、接触を図った。それがヴィンであり、ドゥードゥなのだという。


「それで、他の鳥も同じように違和感を感じることがわかったというわけ」


 接触を図ったところで、最初はなにも出来なかったとナツは自嘲気味な笑みを浮かべた。その表情に、先程のヴィンと同じ哀しみが現れている。

 鳥が襲われているのになにも出来ず、運良く逃げ出せた鳥の怪我を癒してあげるだけ。そんな時間もかなり長く続いたのだとナツは語った。その話から、どうやら鳥の寿命は人間とは違うという事を読み取る。

 おそらく彼らは雛乃よりずっとずっと長く生きている。そして、接触をするようになってからかなり長い時間が経っていることも。

 やはり、ヴィンはナギと長い時間を共有していたのだ。その事に少なからずショックを受けている自分に心底嫌気が差す。


(わたしは楽園の住人じゃないのに。ここから出て行こうとしてるのに)


 そんな自分とヴィンが仲良くする必要だってないではないか。ナギと仲良くしている方がずっと楽園のためだ。

 そもそも、雛乃は鳥ですらないのだから。


「なにも出来ないことが本当に悔しかった。ナギがいち早く果てまで行ってくれて、果ての方から侵食されつつあることを知ったけど、それでもなにも出来ない」

「うん」

「いずれ全ての島が侵されて、食べるものもなくなって、休む場所もなくなる。餓死するのか、疲労で力尽きるのか、それとも鳥喰草に喰われるのか。そのどれかしか選択肢がなかった。いや、今でもそこに変わりはない」


 美しい緑の島々が視界を流れていく。ここが全て鳥喰草に覆われたら、楽園で生きる鳥たちは本当にそんな最期を迎えるしかないのだ。

 鳥喰草の侵食が止まらなければ、ヴィンだって、ナツもナギもドゥードゥも、いずれはそうなるしかないということだ。そのことに言いようのない恐怖が雛乃の中を這い上がった。

 楽園から出られなければ、雛乃自身も同じ運命になるだろう。ヴィンが分けてくれた命が有限なら、例え鳥喰草に襲われずともいずれは死ぬ運命にある。


「絶望していたよ。だけどある時ヴィンが言い出したんだ。この治癒の力を、鳥喰草を攻撃する力に転化出来ないだろうかってね」


 もともと癒す力しか持っていなかった、力を持つ鳥たち。最初はその力を攻撃に使うことすら考えつきもしなかったという。

 そのアイディアを受けて、試行錯誤した結果、力を変換する原理をナギが編み出してそれを力を持つ鳥たちに共有した。そうやって攻撃ができるようになったおかげで、鳥喰草の侵食のスピードはほんの少しだけ抑えられた。それでも時間の問題だけどねとナツがひとりごちる。


「この辺は、果てからずいぶん遠いんだよ。こうして飛んでも何十日もかかる。それなのに鳥喰草がいるんだからね」

「あの、いいの? それなのにわたしなんかに付き合ってて」


 話を聞く限り、力を持つ鳥たちが鳥喰草の侵食をなんとか遅らせているのだろう。しかも、力を持つ鳥は数が少ない。本来は接触すらしない程に。

 それが四人も雛乃に付きっきりとなると、その護りに穴が出来てしまうのではないのだろうか。


「このままなら俺たちは助からない。でも、ヒナは助かるかもしれないだろ? 救えるかもしれないのに、捨て置くなんて出来ないね」

「でも……」

「果てを見にいくためでもあるからね。あっちは危険だし、一人じゃない方がいい」


 ヒナが楽園から出られるか出られないかはわからない。どちらにしてもそこからなにか対処法が浮かぶかもしれない。少しでも可能性があるならそれに賭けたいんだ。そう言ってナツがぎゅっと雛乃の手を力を込めてにぎる。

 みんな必死なのだ。雛乃自身は全くそんなつもりはなくても、雛乃の存在が彼らの希望になっているのかもしれない。逆に言えば、それほど追い詰められているということだ。


「ごめんなさい。ありがとう……」

「ヒナはいい子だね。そんなとこ見せられると、なおさら無事に帰さないと」


 にっこり笑ったナツの顔から悲壮感が消える。そのことに、気休めだとしてもほっとした。

 通り過ぎていく島を見下ろす。鳥の群れが木々の間から飛び立ち、まさに楽園という様相を呈しているのに、少しほおがゆるんだ。

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