休息

 それから他愛もない話をしながら、どれくらい飛んだだろう。


「ん、ドゥードゥだ」

「え?」


 ナツが顔を一瞬後ろへ向ける。それにつられるようにふり向くと、四枚の翼を持つ白い鳥が飛んでくるのが見えた。ドゥードゥだ。

 ナツがすっと飛ぶのをやめて空中で静止し、ドゥードゥの到着を待つ。


「ドゥードゥ!」

「ヒナちゃん、ただいま」


 颯爽と追いついて来たドゥードゥもすっと二人の前に来て静止する。翼はゆるく動いているが、それは浮力を生み出せるような動きではない。

 鳥が飛べるのは鳥だからで、翼の力ではない。それをやっと目の当たりにする。それでも、不思議な感覚は拭えない。

 相変わらず後光が差しているかのようなドゥードゥの美しさに目を奪われていると、にっこりと彼はほほ笑んだ。人の良さそうなその笑顔にほおがゆるむのが自分でもわかった。


「お帰りなさい」

「うん。ナツもお疲れさま」

「これくらいお安い御用さ。どうだった?」

「うん、やっぱりいたよ。僕は一つ、ヴィンとナギが三つ仕留めた」


 ドゥードゥの言葉にナツは驚くこともなく頷いている。おそらくは、さえずりで連絡を取っていたのだろう。

 雛乃とナツは鳥喰草は見かけていない。ただただ美しい景色が続いていた。


「それとね、ヴィンがちょっと具合悪そうなんだよね。少し早いけど今日はどこかに降りよう」

「わかった」

「え、ヴィンが⁉︎」


 あの美貌だががっちりしたヴィンが体調不良なところなど想像も出来ない。


「力の使いすぎだと思うよ。彼、力加減ってことをしないからさ。そーゆーとこは多少ナギもあるけど、あの子はしっかりしてるから退くこともできるしね」

「俺も力を制御しろっていつも言ってるんだけどさ。まあ、ヴィンらしいと言えばヴィンらしいか」


 二人は初めてではないようで、そう言って苦笑を浮かべている。

 二人の様子を見ると、おそらく休めば大丈夫なのだろう。とはいえ心配だ。ヴィンたちが使う力は有限の命だ。使いすぎると命がなくなるのではないだろうか。


「あ、待って。……うんうん。ヒナちゃん、ヴィンは近くの島に降りて休んでるって。行こうか」

「はい」


 頷くと二人も頷き、ドゥードゥの羽ばたきとともに風を切って空を翔け出す。ドゥードゥが先に出て力強く羽ばたく。光を含んだ金の髪がなびいている。

 その先導でしばらく飛ぶと、ドゥードゥが前を指差した。

 そこにあったのは本当に小さな、野原しかない島。そして、そこに横たわる人影。


「ヴィン……‼︎」


 雛乃の胸に鈍痛が走る。島に近づくにつれ、その姿がはっきりして、さらに胸が締め付けられた。

 閉じられた瞳と青白い顔。それは雛乃の知るヴィンの姿ではない。

 下に降り立つのももどかしく、足が地面に着くより早くナツの手をふりほどいた。飛び降りるように着地すると、前につんのめりながらヴィンのそばに駆け寄りひざまずく。


「ヴィン、しっかりして」


 ドゥードゥとナツの様子からもおそらく大丈夫なのだろうとは思っていた。それでも、その姿を見ると雛乃の全身から血の気が引いてしまい、焦ってほおに手を伸ばす。触れたそこは、あたたかい。

 風が吹いて、ヴィンの髪を揺らす。それすらもなぜか雛乃の胸を締め付けた。

 病院のベッドで、いつも具合が悪くて、高校生らしいことをなにも出来なかった自分。このままでは長くは生きられないと知りながら、なにも出来ないでいた頃。

 その時の孤独と、目の前のヴィンの姿が重なって見えた。

 ヴィンの瞼が震え、その下の赤い色がうっすらとのぞいた。しかし、その焦点は定まっていない。


「ヴィン」

「なんだ」


 弱々しく、それでもはっきりとそう言って、ヴィンの腕が動いた。ほおに寄せていた雛乃の手をにぎる。

 その熱い手の感触に、安心と同時に胸が高鳴るのをどうしても抑えきれず赤面してしまう。後ろの二人に見られたくなくて、髪で顔を隠しながらヴィンを見下ろす姿勢を取った。


「なんだ、じゃないわよ。力を使いすぎたって聞いたわ。どうしてそんな無茶を」

「鳥喰草がいたからだ」

「だからって、ヴィンまでやられちゃったら意味がないよ」

「意味はある。鳥は助けられるかもしれない」


 あぁ、この人は自分の命をかけてまで楽園を護りたい人なのだ。それがわかってしまい、胸が痛んだ。ヴィンがそうしたい気持ちは理解するが、それによってヴィンの命が削られていくのは辛い。自分はなにもしてやれないのだ。それどころか、ヴィンの命を分けてもらうことでなんとか楽園にとどまっていられている。


「だからヴィンだけでヒナを果てへ連れていくのは危険なんだよ」


 呆れたようなナツの声。

 たびたび力を使いすぎて倒れるのだとしたら、彼らが協力してくれているのはヴィンを守るためでもあるのだろう。


「ヴィン、あんまり無茶しないで」

「休めば良くなる。ドゥードゥたちもいるから、俺が飛べなくてもお前をちゃんと送り届けられる。安心しろ」

「そういうことを言ってるんじゃないわ‼︎」


 ヴィンがこうして弱っている様を見たくないし、最後に手を引いてくれるのが他の誰かだなんて考えられなかった。

 最後までヴィンと一緒にいたい。


(最後まで……?)


 最後とはいつだろう。

 みんな雛乃を帰すためにこうして協力してくれている。だが、それが成功するかは誰も知らないのだ。

 雛乃は帰れないかもしれない。楽園から出られなくて、いつか鳥喰草の侵食によって死ぬのかもしれない。もしくは、楽園から出て一人になったまま帰れず、死ぬのかもしれなかった。

 そもそも、今雛乃が生きている保証もない。もう実際には死んでいて、天国へ行けなくて迷っているだけかもしれないのだから。


(ううん、そんなことはいいの)


 それは自分の最期だ。死ぬのは嫌だが、納得はできる。

 だけど楽園は、ヴィンはどちらにしてもいずれ死ぬ運命にあるのだ。それに抗ってなんとかしようとしているのが今なのだろうが、解決策は見つかっていない。

 ヴィンは力の使いすぎで弱るだけでなく、そう遠くない未来に……。


「そんなのいや」

「どうした」

「そんなの嫌だよ、楽園が、ヴィンたちが大変なのに自分だけ助かるなんて、自分だけ戻るとか」

「でもさ、ヒナちゃん。ヒナちゃんが戻ることが打開策になるかもしれないし。ならなくても、助かった命が一つあるだけでなんか救われるんだよ僕たち」


 背後でドゥードゥの優しい声がしたが、首を縦にふれなかった。

 その気持ちだってわかる。だからこそ辛かった。


「それに、ヒナちゃんを助けられるかもわからないし。失敗するかもしれない。それは賭けだから」

「俺たちのためにもヒナには戻ってもらいたい」


 二人の言葉に怒りがわいた。

 鳥たちは自分の気持ちばかりを雛乃に押し付けて来ている。自分たちのために帰れと。

 それなら、雛乃が自分の気持ちを言ったところでおあいこのはずだ。

 ぎゅっとヴィンの手をにぎる。その熱を取り込むように息を吸った。


「楽園も大丈夫だって、助かるってわかるまでわたし帰らない」


 もし帰れても、ずっと後悔し続けるだろう。ずっと心の奥に重くのしかかって、それは雛乃を蝕んで壊していくに違いない。

 なにより自分が助かった後に、ヴィンが死んでしまうなど考えたくもない。


「うるさいヒナ鳥だな」

「ごめん。でも嫌なものは嫌なの」

「そうか」


 ヴィンの瞳が閉じる。やはりまだ回復はしていない。

 これ以上うるさくしてヴィンの体力を奪うことは出来なかった。黙って、ヴィンの手をにぎり続ける。

 ヴィンがそうしてくれていたように、今は自分が手を繋いでいたかった。


「そういえばナギは?」


 ドゥードゥの不思議そうな声に、はじめてナギの姿がここにないことに気づく。彼女はヴィンと一緒に出て行ったのに。

 ヴィンがこうして倒れているのに、ほったらかしにしてどこに行っているのだろうか。

 背後で鳥の声がした。ドゥードゥなのかナツなのかはわからないが、ナギと連絡を取っているのだろう。


「ナギは? どこ行ったの?」


 さえずりでの意思疎通が出来ない雛乃は、聞くしかない。それにドゥードゥが、まだこの周囲の島を見てるみたいだよと答えてくれる。


「俺も行ってこよう。二人は頼んだよ、ドゥードゥ」

「任せて。行ってらっしゃい〜」


 風を切る音がして視線を上げると、飛び去っていくナツの後ろ姿が見えた。


「ヒナちゃんも一日飛んで疲れたでしょ。ヴィンはほっとけば大丈夫だし、僕もいるから休みなよ」

「うん、ありがとうドゥードゥ。もう少し」


 こうしていたい。

 にぎった手から伝わる熱が、染み込むように雛乃の体温を上げていく。ただそれを感じていたかった。

 今は、まだ。


 ◆ ◇ ◆


 その夜、雛乃は夢を見た。

 ああ、これは夢なんだと自覚していたが、だからと言ってなにがどうなるわけでもなかった。

 雛乃がいたのは、真っ暗でなにもない空間。そこをただ漂っている。


(なんだろう、こんなこと前にもあったような……?)


 今自分がどうなっているのかもわからず、それでもその状況に不思議と不安はなかった。そのかわり希望もない。

 ただ無気力に漂うだけ。

 そんな雛乃の耳に、小さな、ほんの小さな声が届いた。


 ––––––––ダレカ、タスケテ……。


 その声にはっとして周りを見回し、やっと雛乃は自分の置かれた異常な状況に気がつく。

 ここは一体どこで、自分は今までなにをしていたのだろう。

 また、小さな助けを呼ぶ声が耳朶を打つ。


「誰? どこにいるの?」


 虚空に問いかけると、遠くにきらりと光るものが見えた。ずいぶん遠くだ。豆粒よりも小さく、それでもはっきりと光るそれに、雛乃の意識が吸い寄せられる。

 あそこにいる。そう確信した。


 ––––––––誰か、助けてくれ……。


 泣いているような、苦しい声。その声が雛乃の胸を波立たせる。

 助けてあげなければ。


「そこにいるのね? 待ってて」


 意を決してただ一つ見えている光を目指す。雛乃の身体は羽が生えたように軽くなり、光を目指して進み始めた。

 あっという間に大きくなっていく光。その中へ飛び込んで、雛乃の意識は覚醒した。

 そっと目を開くと、そこには静かに眠るヴィンの顔がある。


(ヴィン、良かった、いた……)


 なぜかひどくほっとした気持ちが胸に広がる。

 しばらく休んで回復したヴィンは、いつものように雛乃を抱いて眠ってくれている。


(あたたかい……)


 すぐに雛乃を眠気が包む。

 誰を助けるつもりだったのだろう。でも、あれは夢の話だ。そう結論づけた雛乃は、ヴィンの体温に溶けるように再び深い眠りへと落ちていった。

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