期待と嫉妬と

「そうか」


 当のヴィンはそれだけだ。雛乃の時もそうだったが、ヴィンはあまり否定をしない。それがやはり、女心がわかっていない証拠だ。

 ナギは否定されなかったことをいいことに、ヴィンにまたほお擦りをしている。


「こんなところにも鳥喰草がいるなんてね」


 ようやっとナツが口を開く。彼は妹のことをどう思っているのか、ドゥードゥのような反応はしていない。ナギの行動を気にとめる風でもなく、普通に喋り出してしまう。


「ここの周囲も見てまわった方がいいかもしれないね。どうかな、ヴィン」

「あぁ、俺もそうした方がいいと思っていた」

「そうだね。僕も見に行くよ。この辺はまだ大丈夫かと思っていたけど、あんな大型のがいるんじゃ他の島もわからないしね」


 ドゥードゥが四枚の翼を大きく広げた。ヒナちゃん後でねと小さく手を振って、とんと地面を蹴ったかと思うと羽ばたいた。そのままあっと言う間に上昇して飛び去っていく。

 他の島に鳥喰草がいたらどうするのだろう。ドゥードゥは一人で戦うのだろうか。

 そうなのだろう。ヴィンだって一人で鳥喰草をやっつけたのだから。


「ね、じゃあヴィンはあたしと行こ!」

「俺はヒナを」

「ヒナはナツが連れてってくれるって。ねえ、ナツ」

「俺はヴィンがいいならいいけど」


 雛乃は置いてけぼりで話が進む。ちょっと待ってと言いたいところだが、雛乃は部外者。鳥喰草の対処に向かおうとしている力を持つ鳥たちを止めることはできない。


「いや、やっぱり別れよう、非効率的だ」

「ちょっとでいいから! ヴィンに全然会えてなかったんだもの、少しくらい一緒に飛んで、ね?」


 お願い、という風にヴィンに手を合わせるナギ。その仕草は、悔しいが女の子として完璧なほどに可愛らしい。

 そのままヴィンの手を取って、彼の顔をじっと見つめ出してしまう。その瞳はうるうるとしていて、先ほどの感じの悪い笑みを見ていなければ完全に恋人同士だと思っただろう。

 いや、雛乃が知らないだけで、もしかしたらそうなのかもしれない。彼氏にベタ惚れな彼女と、それに振り回されつつ可愛いなと思う彼氏。どこかで聞いたことがあるなと思うくらいにはよくある話だ。


「ナツ、ヒナを頼めるか?」

「もちろん」

「やったぁ!」


 ナギの歓声。ぴょんぴょん跳ねて全身で喜びを表す姿。それが悔しくもまぶしい。雛乃の現実では、そんなことをする機会なんてなかった。あったとして、あんなに素直に喜びを表せたかどうか。

 誰かと会って、走って、喜びも悲しみも分け合って全力で楽めたのは、スマホの画面の中に広がる美しい世界ゲームでだけだ。

 その中でなら病気じゃない。元気でいられる。本当の自分で、自分のなりたかった自分になれた。現実の自分を忘れられた。

 彼とも、たくさんの時間を共有して、それなのに。


「ヒナ、すまないがナツと行ってくれるか? 俺はナギとこの一帯を見てくる」

「うん……」


 それなのにどうして、こんなにも寂しい気持ちになるのだろう。ヴィンは確かにこの世のものとは思えないくらいの美貌だが、彼ではないのに。胸が高鳴るのは、ただ男性に慣れていないだけなのに。

 寂しい、置いて行かれてしまう。果てに行くまで、雛乃が楽園の外に出るまではヴィンが手を引いてくれると勝手に思っていた。


「ありがとうヴィン大好き!」


 背伸びをするナギ。そして、ちらっと横目で雛乃を見てから、彼女はヴィンのほおに口づけた。

 そのあまりにも自然で絵になる光景に、頭の中が真っ白になる。

 雛乃の方を向いたナギが、にやりと笑った。見た? と口だけを動かしてその瞳をつり上げる。


(————ッ⁉︎)


 わざと雛乃に見せつけてくるだけじゃなく、煽ってくることに心底苛立ちを覚える。ヴィンはナギを好きかもしれないが、絶対に騙されている気がする。そう思うとヴィンを引き止めたい衝動に駆られた。

 やっぱり一緒にいて、そう言おうと決心して口を開きかけ、それはナギの声にくじかれる。


「鳥喰草も気になるけど、ヒナも早く元の場所に帰れるように頑張らなきゃね。なるべく早く戻るようにするわね!」


 ナギはヴィンが好きだ。それなのに、助ける必要すらない相手を楽園の果てまで連れていくことに協力してくれる。果ての方へ行くと鳥喰草も増えるし危険なのに。

 正直腹は立つが、そう思うとなにも言えなくなる。その協力が雛乃のためではなく、ヴィンに良く思われたいからだとしても、協力してくれているという事実に変わりはない。


「ありがとう、ナギも気をつけて」

「ええ。ありがとうヒナ。行ってくるわね!」


 ナギの三枚ある漆黒の翼が広がる。身軽に飛び立ったナギを追うように、ヴィンの翼も広がった。


「ヴィンも! 気をつけて!」


 必死に絞り出した声に、ヴィンは軽く頷いたようだった。そのまま軽やかに上昇し、ナギと共に飛んでいく。その姿は桜色の花々に隠されてあっという間に見えなくなった。


(本当に行っちゃった、ヴィン……)


 ずっと手をつないでいてくれたのは、ヒナが飛べないからだ。でも、つながなくてもいい時もつないでいてくれた。安心をくれた。

 夜も自分の翼を下敷きにして、凍えないように一晩中あたためてくれていた。

 もちろんヴィンに特別な感情がないことはわかっている。自分だって、吊り橋効果に過ぎないのだと思う。

 それでも、ナギを前にして嫌な気持ちにならざるを得なかった。これは。


(わたし、嫉妬してるんだ……)


 どうしてだか、ずっと楽園から出るまでヴィンが手をつないでいてくれるのだと思っていた。そんな変な期待を勝手にしていた自分が滑稽だった。

 これは自分が主人公の漫画や小説じゃないのだ。自分などモブでしかないではないか。むしろ、そのモブがあんな美貌の男と手をつなげただけでラッキーなのだ。


「ヒナ、改めてよろしくね」


 にっこり笑った翼のないナツが、手を差し出す。それに頷いて、雛乃はその手をにぎり返した。

 ヴィンとは違う、少し冷たい手のひら。


「飛ぶよ」


 頷くと、すうっと雛乃の足が地面から離れた。そのままナツに手を引かれて上空へと舞い上がる。

 翼のないナツが、さっきまでいた桜色の島をこえて、上の島の上空を旋回する。

 ナツは羽毛が生え、皮膚には硬い鱗状の部分があるものの、一番人間に近い姿だ。鉤爪もなく、足だって雛乃と同じ形。

 それなのに、他の誰よりも人間離れして見えるのは、翼がないのに飛んでいるからだ。


「この島、綺麗だよね。残念だ」


 鳥喰草を一つ倒したとしても、おそらくまだ芽が出ていないか小さいだけでいるだろうね。ナツはそう言ってふうっと息をつく。

 一面の桜色の花。異郷の地で、故郷の面影を感じられた場所。

 風に舞う花びらが、まるで泣いているように見える。

 その風に乗るように、ナツが前を向いて進路を変えた。島を離れて行く。それを横目で見ながら、雛乃は心の中でそっと別れを告げた。

 おそらく、もう二度と見ることはないのだろう。雛乃はこれから果てへ行って、可能ならそこから帰るのだから。

 少しだけ名残惜しい気がしたが、それをふり払うように前を向く。無事に帰ったら、お花見に行けばいい。

 気持ちのいい風と島々が流れていく。

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