力を持つ鳥たち

 雛乃とヴィンが降り立つと、後からあの黄色い鳥が舞い降りて来た。怪我をしているだろう片足は変な方向に折れ曲がり、一本足で着地した鳥はバランスを崩して前のめりに倒れ込む。

 慌てて駆け寄ると、鳥は身体を横に倒して首だけをヴィンへと向けた。

 黒くつぶらな瞳から表情は読み取れないが、雛乃にはそれが余計に痛々しく映る。


「よし、今治してやる」


 ヴィンの手のひらが足の上にかざされ、優しくなでるように動かされた。その手からは淡い光が出ているようにみえ、ひとなでごとに折れた足はまっすぐになっていった。

 黄色い鳥がのどを鳴らす。続け様に何度か鳴いて、身体を起こした。2本の足で立ったかと思うとあっという間に飛び立ち、一気に上昇して去っていく。


「すごい、あんなにすぐ治せちゃうなんて」


 それにヴィンは答えない。鳥が飛び去った方を見上げたままだ。その表情は厳しい。

 なんと声をかけたらいいのかわからない。それでもなにか喋らなければという気持ちになるのは、その厳しい表情の奥の悲しみを見たせいだろう。

 立ち上がったヴィンの手を、今度は雛乃からにぎる。それに少し驚いたような顔で雛乃を見たヴィンが、少しだけ口角を上げた。


「恥ずかしいんじゃなかったのか」

「えっ⁉︎」


 指摘された途端に羞恥心がわき上がる。今自分が手をつないでしまったのは、この世のものとは思えない美貌の男性なのだ。

 心臓が驚いて飛び跳ね、無闇に血液を全身に送り出すせいで全身があっという間に火照る。


「え、いや、そそそんなことッ」

「嘘をつくのが下手だな」


 穴があったら隠れたい。そんな気持ちで手を引っ込め顔を隠したい衝動にかられたが、ヴィンの手に力が入り離せない。

 片手だけでなんとか顔を覆う。恥ずかしさで顔から火が出そうだ。

 雛乃の頭をヴィンの手がなでる。


「ドゥードゥたちが来たようだ」


 まだ赤面したままの顔を上げると、こちらへ向かってくる三つの人影が見えた。

 一人は四枚の翼で優雅に羽ばたいている白い鳥。ドゥードゥだ。


「え、あの人! ヴィン、あの人翼がないのに飛んでる‼︎」


 あとの二人は、灰色の羽毛の男性と、漆黒の羽毛の女性だった。その男性の方には翼がない。それなのに、空を飛んでいる。


「鳥だから当然だろう」

「え、翼がないのに鳥なの⁉︎」


 確かに身体は羽毛に覆われているようだが、飛べそうには見えない。しかし実際は空を飛んでいる。その事実に頭が追いつかない。彼は雛乃のように手を繋いでもらっているわけでもなく、一人で飛んでいるのだ。

 その雛乃の反応を、ヴィンは不思議そうに眺めている。


「翼があるかどうかと、飛べることには関係がないだろう?」

「え?」


 ヴィンの言っていることを理解できないうちに、三人は頭上までやって来た。ゆっくりと雛乃とヴィンの側に舞い降りる。

 にっこりとドゥードゥが笑った。


「派手にやったみたいだねえ、ヴィン」


 ドゥードゥが軽く肩をすくめる。ヴィンはというと、あぁとだけ返して黙ってしまう。その視線は、新たに現れた二人へと注がれた。

 近くで見ると、その二人は対照的だった。男性の方は、すらっとした引き締まった身体に隼を思わせる灰色の羽毛だ。肩あたりから全身を羽毛に覆われている。首や顔、腕や足など、羽毛から出る手足は人間のそれだ。鋭い鉤爪などはない。その代わりに、肌はところどころ鳥っぽい鱗がある。

 髪はシルバーグレイに下の方は黒いメッシュが入り、灰色の瞳は優しげに笑みを浮かべている。見た目はヴィンよりも年下に見えた。雛乃の感覚で言うなら、二十代前半。彼がおそらく、ナツだ。

 対して女性の方は、雛乃より少し上くらいの少女に見えた。漆黒の髪と羽毛、そして翼。その翼はよく見ると、どう使うのか三枚ついている。首から下は羽毛に覆われているものの、その胸の膨らみは見ている雛乃が恥ずかしくなるほどだ。彼女も下半身はどちらかというと鳥で、足も鋭い爪を持った鳥の足だ。

 少しだけツンとした顔立ちは、全てを計算され設計されたお人形のように綺麗だ。男性陣とは違う、ある種の近寄りがたさを感じる。

 唯一の女性、彼女がナギだろう。

 ナギの漆黒の三枚羽が、伸びをするかのように広がり、数度その場で羽ばたいてから背に畳まれた。そのナギの瞳は、ヴィンと繋いだ手に注がれている。


(ど、どうしよう、怖いな……)


 ヴィンににぎられて離せなかったとはいえ、彼女が怒るだろうとはドゥードゥに聞いていたのだ。ヴィンに手を離してと言えば、離してくれたかもしれないのに。


「君がヒナだね。俺はナツ」

「あ、はい。ヒナ、です」


 ナツはふわりとほほ笑むと、頷く。そして隣に並ぶナギの肩に手を添えた。


「それから、こっちは双子の妹のナギだ」

「えっ⁉︎ ふたご……?」

「そう。似てるでしょ?」


 瞳を細めたナツと、まだ黙ったままのナギとを見比べる。しかし、雰囲気が違いすぎていて似ているかどうかよくわからなかった。双子にしてはナギの方が幼く見えるのは男女の違いからなのだろうか。

 それよりもナギの視線が怖い。ヴィンに繋がれたままの手を引き抜こうと少し腕を引いたが、ヴィンは離さなかった。


(も、もう、空気読んでよヴィン……‼︎)


 これまでのヴィンの行動からしても、彼は絶対に女心がわかっていない。

 なにか言われるかもしれない、そう身構えたと同時に、ナギの口が動いた。その表情が変わる。瞳が細められ、形のいい口元が品よく上へ上がった。

 それは、はっとするかのような可愛らしい笑顔。


「初めまして、ヒナ。あたしはナギ。よろしくね」

「あ、はい……」


 身構えていた気持ちのやり場がないほどに、あふれる笑顔。黙っている時とは一八〇度変わったその印象は、ドゥードゥの前触れはなんだったのかと思うほどに気持ちがいい。

 しかも、彼女の髪は艶やかな烏の濡羽色。日本人である雛乃にとっては親近感を感じざるを得ない。


「ドゥードゥに聞いたわよ。楽園の外から来たんだって?」

「そ、そうみたいです」

「うん、確かになんか違和感あるし、鳥じゃないんだね。楽園の外かぁ、どんななのかなぁ想像もつかないわ。ねぇ? ナツ」


 小さく首を傾げながら、ナギはほおに両手を添えている。その仕草は、雛乃にはない女の子らしさがあり、思わず目を奪われてしまう。


「ヒナが一人で飛べるくらいに命を分けることも出来なくはないのだけど、鳥喰草がわんさかいる今じゃあたしたちの力がなくなるから難しいの。ごめんね」


 そのナギの言葉に、今更ながらヴィンの命をもらったのだという事実の重みに気がつく。ほんの少しだと言っていたが、本来この命は鳥喰草をやっつけたり、鳥を治療したりするために使うものなのだろう。

 そもそも、そのために自分の命を削っているということが信じられない。命を分けると力がなくなるということは、その命は有限だということだ。


「いいの、わたしはよそ者だもの。それなのに助けてくれるなんて、それだけでありがたいよ」

「まぁ、そんなこと言ってくれるなんて嬉しい」


 顔の前で両手の指を交差させ、ナギがにっこりとほほ笑む。


「ヒナさえ良かったらあたしも手を引くわね!」

「う、うん。ありがとう」


 そう答えてもう一度ヴィンにつかまれた手を引くと、今度はすんなりと離れた。その瞬間に浮かんだのは安堵ではなく、言いようのない不安だった。

 手を離して欲しくて引いたのは自分なのに、いざそうされると急に手のひらが寒い気がしてしまう。


「ねぇヴィン、いいでしょ?」

「いや、その時はナツかドゥードゥに頼む」

「ええ〜。あたしだってちゃんとできるわよぉ」


 ぷうっと大げさにほおを膨らませたナギが、雛乃とヴィンの間にするりと身を滑り込ませた。

 背中の翼で視界が遮られ、雛乃は数歩下がった。次に二人の姿が視界に戻ると、そこにはヴィンの腕にしっかりとしがみついたナギがいた。


(あれ……?)


 なんだろうこれは。雛乃の胸にじわりと嫌な感覚が這い上がる。

 もしかしてこれは、牽制されているのだろうか。あんなに親しげに話しかけてくれていたのに。


「じゃあ、あたしの面倒も見てよぉ〜」

「一人で大丈夫だろう、ナギは」

「そんなことない〜。ヴィンが側にいないとだめなの、あたし」


 雛乃が一生言わないかもしれないような台詞をすらすらと生み出すナギ。その胸がヴィンの腕にこれでもかと押し付けられていることに気がつき、頭の奥が熱くなってくる。

 よそ者は自分の方なのだ。ヴィンとは昨日会ったばかりで、この二人がどんな関係性なのかも全く知らない。それなのに、それでも、胸がつかえて苦しい気持ちがわき上がって来て止められない。そんな自分の気持ちにも戸惑う。

 とびっきりの可愛い顔でヴィンを見上げて、うっとりとほほ笑む女の子。その視線の先のヴィンは、呆れたような表情を浮かべているものの、さりとてナギをふり払うようなこともしない。それはナギのことを知り尽くしているから、そんな雰囲気さえただよう。

 自分はなにか勘違いしていたのではないだろうか。ヴィンが向けてくれる優しさを特別なものだと少しでも思っていたのでは? ヴィンに空気を読んでなんて思ったのが恥ずかしくてたまらない。


「やっぱりヴィンが一番よ。数日会わないだけで寂しかったわ」


 そう言ったナギが、ヴィンの腕にほお擦りしながら雛乃の方へと首を向けた。ヴィンにはナギの表情が見えない、そんな位置で雛乃へと笑みを向ける。

 それは、勝ち誇った女の顔。


(うわ、感じ悪い)


 先ほどまでの親しさは演技だったのだろうか。ヴィンの前だから。

 今雛乃にだけ顔を向けたナギは、口元にいやらしい笑みを張りつかせて雛乃を嗤っている。自分もずいぶんイタイ女だったが、そのナギの見下したような笑みには正直腹が立った。

 その背後で、ナギには見えないようにドゥードゥが肩をすくめ、ごめんねと口パクして両手を合わせている。

 やはり、ドゥードゥの言っていたことは正しかったのだ。

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