第6話 いけない扉を開きそう

つむぎもいけなかったと思う。

学園のある平日に、事前連絡もなく急に呼び出したりしたから。


でもさ、限度ってものがあると思うの。

私さ、仮にも皇族よ?


「流石にもうちょい身なり整えてきなさいよ!」


今しがたシャワーを浴びてきたかのようにしっとりと濡れた髪。第二ボタンまで開いたシャツからが鎖骨がチラリとのぞいているし、首筋には朱い虫刺されがみっつ。


「休みだったから許してください」


いたずらに色気を振りまくデニスは悪びれもせずに言った。

「ボタンを閉めなさい!」と紬が視線を逸らしながら注意すると、デニスは「みんな見たがるのに」と目を丸くした。黙ってほしい。


「ちょっと姫様には刺激が強かったか〜」


いそいそとデニスはボタンを留めた。

ちなみに、一番雷を落としそうな最古参の使用人はデニスが姿を見せた瞬間に泡を吹いて倒れた。

「破廉恥な…」とうわごとのように呟いているが、大丈夫だろうか。死因が色気にならないか紬は本気で心配になる。


こめかみに手をやりつつ深い息を吐いた紬だったが、ようやくまともな格好になったデニスを仰ぎ見た。


セットされていない真ん中分けも抜群に似合っていて、確かに目の保養…


「くっ、今日も非の打ち所がない美しさだわ」


悔しそうに呟いた紬にデニスが「鎖骨みます?」と提案してきた。いい加減黙って欲しい。


「姫様はコントをするために俺を呼んだんですか?」


デニスに問われーーー紬が仕切り直すように咳払いした。

紬がデニスを必要としたのは、他でもない。


「赤魔石が欲しいの、屑魔石じゃなくて上級魔獣から取れるような大きいやつ」


明日提出の魔法陣のレポートがあった。

模範的な優等生である紬はゆとりを持って課題を終わらせていたのだが…今日になって自分の描いた魔法陣の致命的な欠陥に気がついてしまった。


必要魔力量が紬の手持ちの魔石ではギリギリだったのだ。

グレイト=ブリテンの授業のレベルは紬の予想の遥か上を行っていた。正直自国の魔法教育にうんざりしていた紬には願ってもないことなのだが…問題もあるわけで。

紬のように大して魔力量の多くない生徒はたびたび魔石不足に頭を悩ませることとなるのだ。


デニスはすぐに紬の状況を正確に理解してくれた。


「四年生のこの時期は鬼みたいな課題出ますよね。友人に同じように魔石を融通したのでよく覚えてますよ」


紬はただ質の良いの魔石が売っている店を教えてもらおうと思っていただけだったのでデニスの言葉を訝しむ。

それではまるでーーー


「デニス様、もしかして上級魔石を無償で渡したってことですか?」


デニスは返事の代わりに拳大の赤魔石を五つほど並べてくれた。

「はいどーぞ」と促されて紬は青ざめる。


「こんな高価なものいただけませんわ。ーーーちょっと待ってくださいませ、ばあや…はダメだわ。今度こそ昇天しちゃう。桜!金貨持ってきて!」


デニスは困惑顔で「ワードワームの魔石だからいっぱい持ってていらないんですよ」とか言ってくるがデニスが並べた魔石一つで護衛長の月収が払える。


紬は一つだけ魔石を受け取ると金貨を一枚差し出した。

デニスは弱った顔になる。


「子供からお金取るのは嫌だなあ」


デニスからすればちょっとした心づくしのつもりだった。

大体、まだ六月の半ば。

これから出されるであろう課題を考えれば紬はまたすぐに魔力に困窮する羽目になる。


ーーー何かいい落とし所は…


腕を組んで思案していたデニスだが、程なく何か思いついたらしい。ポンと手を打った。


「俺、金貨よりも兵士が持ってるカタナが欲しいです。俺は滞在中に必要な分の魔石を融通する。紬様はお帰りになる時でいいのでカタナを一振り用意する」


デニスの提案に紬は狼狽えた。

彼女からすれば全く釣り合いが取れていなかった。

しかし、デニスの提案に飛びついた者がいた。侍女の桜だ。


「デニス様、なんて素晴らしいお考え!ーーー紬さま、ご提案に乗りましょう。魔石が必要になるたびに相場を払っていては手持ちが足りなくなります。皇家お抱えの刀工に造らせた名刀であればデニス様のお眼鏡にも叶うはず」


紬が何か言う前にーーーデニスが顔を綻ばせた。桜の手を握って上下に振り回す。


「素晴らしいです!皇族お抱えのトーコーさんに頼んでいただけませんか?カタナにずっと興味があったんですよ!」


トーコーさんではなく刀工だという侍女のツッコミはデニスには届いていない様子。頬を緩ませて楽しみだなあと漏らしている。


ーーーこの人、武器オタクだ!


紬は確信した。

ずっと手を握ったままの軽薄男から侍女を解放しつつ、追加の申し出などしてみる。


「和国の刀に興味がおありなら一式揃えましょうか?大太刀、太刀、打刀、脇差、短刀…」


紬が指を折っていくと、デニスはまだ知らぬ武器たちとの出会いの予感にうっとりとした顔になった。

うん、満足してもらえたみたい。

紬は感極まったデニスに抱擁されそうになったので避けた。油断も隙もない。


「紬の護衛依頼を受けて良かった!」


なかなかに失礼なことをのたまうデニスだが…和国の人々は苦笑しただけだった。

最近知ったのだが、デニスは騎士団長だけでなく陛下の側近としての顔も持つらしい。つい先日、護衛から抜けたのは私用ではなく機密任務だそうだ。まさにグレイト=ブリテンの中核を担う人物。


しがない小国の出身である紬の護衛に収まる人ではないそうだ。

紬の護衛は当初他の騎士だったらしい。違う留学生に、


「デニス様が留学生の護衛につくなんて本当に珍しいの。辺境の姫にはもったいないわ!」


…となじられた。紬は知らないとしか言いようがない。決めたのはパーシヴァルなのだから。


紬が嫌な記憶をつい思い出してしまっている間に、デニスは空間魔法の鞄に手を突っ込んでいた。赤、青、黄色、緑、紫…流石に黒魔石は渡せないらしいが、黒以外の上級魔石を二十個ずつ取り出した。

煌びやかな魔石は百も並ぶと壮観の一言に尽きるが…どうみても一年間では使いきれない。


「あ、あの、デニス様、多すぎるのでは…?」


いつの間にか現世に戻ってきたばあやが横から口を出す。

しかしデニスは涼しい顔で「いくらでもあるんで」と肩をすくめる。

それどころかーーー


「魔石なら用意できるのでカタナお願いしますね!できれば職人も雇いたい!」


ーーーとちゃっかり要求を増やしてきた。

ばあやが「この品々の対価としては妥当でしょう」と重々しくうなずく。二人のテンションの差がひどい。


デニスはスキップでもしそうな勢いで帰っていった。非番だった兵士を道連れにして。刀の振り方を習うそうだ。


デニスが去った紬の離宮では、護衛長が真面目に進言していた。


「…紬様、今すぐ刀だけでなく槍や弓、盾や鎧なんかも取り寄せましょう。今後の交渉で使えそうです」


戸惑ったようにうなずく紬に護衛長は懇々と言い聞かせる。


「いいですか姫様、デニスは軽薄ですが天才です。希少魔石を百も取り出して金貨がいらないと言える騎士なんて他に見たことがありません。紬様の安全のためにもできるだけ心証を良くしましょう」


紬は卒倒しそうになった。

赤魔石は金貨一枚だが、紫魔石は希少価値が高く市場では買えないんだそうだ。


ーーーえ、馬鹿なのあの人?なんて物置いてってくれてんの?


恐々と手元の魔石を見る紬。美しいとは思うがそこまで貴重な物だとは…。

とにかくデニスがとんでもない金持ちだということはわかった。


魔石の扱いに困った和国の人たちは祭壇を作ってそこに魔石を飾った。たまにお祈りしている人を見かける。


「デニス君のように強くなれますように!」



デニスの浮かれた行動は思わぬ効果を表した。

月に一度の定期報告。

今までは側近に任せっきりだった父親がーーー紫魔石の存在を聞き、自ら出席すると言い出したのだ。


紬は生まれてこの方まともに父親と話したことがなかった。

緊張で震える紬の肩をばあやがさすっている。


定刻になって魔力通話の前に座ったとき、少しばかり期待しなかったといえば嘘になる。父親が笑顔を向けてくれるのではないかと。


儚い夢など、あっけなく砕け散ることになるのだが。


「愛想もなく使えない女だと思っていたがーーー西洋では物珍しさが受けたか」


いきなり向けられた侮蔑の言葉。

ああそうだった。これが和国の普通だった。


紬はほんのりとした笑みを浮かべる。

言い返すなどもってのほかだ。


武具をいろいろと送って欲しいと頼んだ時も、父親は嘲けるように笑ったのだ。


「モノの価値もわからず浮かれた騎士め。ーーーせいぜい搾り取れよ」


紬は奥歯を噛み締めた。

そうでもしないと罵倒してしまいそうだった。

父親である皇王は飛行船丸ごとひとつ分、最高品質の和国の武器を送ってくれるそうだ。

紬は内心安堵する。紛い物を送りつけられたらどうしようかと思ったが、流石に竜大国に喧嘩を売るほど愚かではなかったらしい。


紬が職人も乗せて欲しいというと、父親は最後まで彼女の発言を疑っていた。「刀鍛冶なんかを欲しがるなんて正気か?」と。

皇王からすれば職人など薄汚いので、出来上がった物さえあればいいのだそうだ。


ああ、何も言い返せないのが悔しいなあ。


暗転した画面を見て、紬は泣き笑いを浮かべた。

今までは黙って耐えるだけだった紬の変化にばあやが驚いている。

紬の世界はこの留学によって大きく広げられた。


まだ、父親に言い返す力などないが。それでもーーー


「紬たちが要らないのであれば職人に魔石を渡して欲しいな。彼らの磨いた技術は本来お金じゃ買えない物なんだから」


ああやって笑う人を知ってしまうと、どうしても比べてしまう。

一流の剣士で、身分も名誉も全て手にした人が子供みたいに瞳を輝かせて異国の職人の素晴らしさを語る。


器の大きさが違いすぎて恥ずかしかった。


利益に目がくらんだ父親の行動をどうデニスに伝えるべきか。

紬がまごついている間にばあやが話してしまったらしい。


デニスの反応はといえばーーー両手もろてを上げて喜んでくれた。

魔石ならいくらでも調達できるなどと他の魔法使いが卒倒しそうなことを平然と言って退けた後、


「飛行船で送ってくれるなんて最高じゃないですか。他の騎士にも羨ましがられたんで数あるなら配れますね、いやー。散々お前だけずるいって言われてたんでよかった」


魔石の色指定があるか確認してくるデニス。

紬に視線が集まる。

ーーーどうやら父親に聞いておけ、と言うことらしい。


いつも以上にぎこちない笑みで頷いた紬。

彼女の様子がおかしいことにデニスはめざとく気がついたようだ。


穏やかな様子で、どうしました?と膝をつく。


「もし私の提案がご迷惑をかけたのであればーーー「いえ、そうではございません、父上は大層喜んでおられました」


「喜んでいた」の言葉とは裏腹に沈んだ様子の紬。

デニスは静かに彼女を見つめていたがーーーわたあめみたいに優しく言うのだ。


「つむぎさま、顔をあげて?ーーー大丈夫です、あなたは十分頑張っている」


優しい甘さが心の隙間に入り込んできそうになって、紬は誤魔化すように口を尖らした。デニスに何がわかるんだーーーわかりやすくそう言いたげな少女にデニスはからりとした笑みを浮かべる。


「私の近くには王族の方がたくさんいますからね、大変なのはよくわかるつもりですよ。ーーーだから、褒めてあげます。苦手な父上との交渉、がんばりましたね」


軽薄そうでどこか掴めないデニスだが、こうして余裕のある表情で目を細められると、ああ年上のマスキラだったなと思い出す。

紬の胸に熱いものが込み上げてきてーーー必死に歯を食いしばった。

人前で泣くなど彼女の吟持が許さない。


瞳に力を入れすぎて変な顔になっている紬を見てデニスは優しい顔をしていたがーーー紬が徐々に落ち着いてくると、凛とした瞳で彼女を射抜いた。


「紬様、あなたは和国の人間だ。ーーー父上とうまくやりなさい。父上も一人なのだから」


紬の顔が強ばった。

この騎士は急に何を言うのか?


戸惑いを隠せない紬に向かってデニスはやや厳しい声で言い聞かせる。


「いいですか、紬様は皇族でしょう?…王の苦労を理解するよう努めなさい。王は孤独だ。大抵が民の重圧に一人で耐えている」


デニスの言葉に紬ははっきりムッとした顔になった。

だって、自分の父親は暴言を吐くばかり、なぜこちらが歩み寄らなければいけないのか。


紬は残念な気持ちになった。結局デニスも周囲の大人と同じなのだ。父親に逆らうな、男児に逆らうなーーー


口を曲げる紬にデニスは苦笑した。


「仲良くしろとは言ってないよ。ただ、皇族は王の理解者であるべきだと俺は思うってだけ。ーーー紬姫は、まずは自分の考えを口にできないとね」


「だんまり姫」とからかわれ、紬が忌々しそうに「何も知らないのにうるさいです」と抗議した。


機嫌損ねちゃった、と舌を出してデニスは立ち上がった。

ひらひらと手を振って、長い足で颯爽と歩き去っていく。


みるみる小さくなっていくデニスの背中には騎士団長の竜証の黒布。

彼はあれを手に入れるまでにどれくらい頑張ったんだろう。


ーーーあなたも誰かに「頑張ったね」って言ってもらったの?


彼が帰った後も膨れている紬を見てばあやが笑った。


「ばあやがいくら言っても紬様は頷くだけだったのに…デニス様の言葉は紬様の心の臓まで届くんですねえ」


図星だったのか紬の肩が揺れた。

ばあやの言う通り、デニスの言葉は紬の胸に深く突き刺さっていた。


とりあえずーーー


「二度と、だんまり姫なんて、言わせないわ…」


怒りに震える紬を見て側近長と護衛長が顔を見合わせた。


「(てっきり惚れるのかと…)」

「(俺も思った。そっちね、怒りに変えていくほうね)」



紬と別れたデニスはまっすぐ食堂へと向かった。

注文したチキンフィンガーとフライドポテトの横には…なぜか巨大な魔石。


眉を寄せ、険しい表情をするデニスの横にはいつの間にか彼の副官が座っている。


彼女は魔石を恐々と見ている。それもそのはずーーー


「この魔石はどこで手に入れたんですか団長?触っただけで手が溶けそう…」


副官が怯えるのも無理はない。

何しろ、デニスがプラスチックトレーの上に乗せているのはとある貴人の形見石だった。

貴人が最期の力を振り絞って作ったそれはおそらく世界で一番赤の魔素濃度が高い石だった。

絶えず火の粉みたいに魔素を吐き出している魔石を睨みつけていたデニスだが、何と、魔石を鷲掴みにした。


「デニス人外プロジェクトとかふざけてるし、どうせジョシュア様の差金だけどーーーあいつに言われりゃ俺はやる!」


溶岩のような魔石にデニスは突然かじり付いた。

ひえと情けない悲鳴をあげた副官。

「まず!」と顔をしかめるデニスの正気を疑っている。


「ついに気が狂ったんですか!?」


うるせえと顔をしかめるデニスだがーーー平然としていた。

口直しにポテトを放り込んでいる。いや、待ってくれ。


副官と同意見だったのか、デニスの奇行が見過ごせなかったらしい騎士数名もわらわらと集まってきた。


「デニスーーー魔石は食べ物じゃねえよ?」


副官はブンブンと頷いた。そう、彼女もそれが言いたかったのだ。

現れた同期たちが揃って呆れ顔なのに気付いたデニスがぶす腐れる。


「だってあいつが食えって言うから」


付き合いが長い同僚たちはデニスが指す「あいつ」も把握しているわけで。


「うわ出た」

「出ました恋煩い。解散しよーぜ」

「陛下の周りが考えることは意味不明だわ。魔素の塊を平然と飲み込むデニスもキモいけど」


「聞こえてんだよ!」と立ち上がったデニス。

すぐさま蜘蛛の子を散らすように逃げて行った同期たち。


舌打ちしながら席に戻ったデニスだがーーー様子がおかしい。

不意に頭を抱え込んだ。

副官が怪訝そうな顔でデニスに触れ、慌てたように手を引っ込めた。


デニスの肌は火傷しそうに熱かった。ものすごい魔力濃度。


「団長…魔力酔いしてませんか!?」


デニスが無言で席を立つ。

ーーーふらついているので彼女の懸念は当たってそうだ。


「エリザベータ、悪いけどその食事片しといて」


副官が返事をしたときにはデニスはすでに姿を消していた。魔力酔いしているくせに素早い。


「欠片だけで団長が酔うって…あの魔石の濃縮率どうなってるの?」


デニスは茹だるような思考を振り払うように訓練場へと向かった。

少しでも魔力を減らしたかった。魔石の魔素を食べたことにより、デニスは今までで経験したことのない量の魔素を溜め込んだ状態だった。


我ながら馬鹿だなあと思う。魔石なんて食べるからと副官は言いそうだ。

これで強くなれるんだったら全然悪い気はしないんだけど。


程なくして騎士団のための無愛想な錆色の建物が見えてくる。

魔力をぶつけるように魔法陣を解除し、通い慣れた鉄製の扉を開け放ったデニスは、ようやく足を止めた。


汗と土の匂いを吸い込む。騎士たちの言い争う声や魔力がぶつかり合う音に安心感すら覚えるのは職業病かもしれない。

突然現れたデニスに気がついた若手騎士数名が駆け寄ってくる。

飼い主を出迎える子犬みたいだなとデニスは思った。耳と尻尾が見える気がする。


デニスはジャレついてくる若手の騎士をぞんざいにあしらいながら、クシャリと髪をかき上げた。

晒された額に汗の玉が浮かんでいる。


「あー、お前ら、魔力で焼かれたくなかったら、ちょっと離れろ」


いつもより余裕なく掠れた声に、周囲の騎士たちはデニスの異変にようやく気がついた様子。

青緑色の髪をした騎士が心配そうにデニスを覗き込む。


「デニスくん、魔力荒れっすか?」


心配の色を写していた青の瞳が見開かれた。

若手騎士はゴクリと唾を飲み込んだ。

生理的涙の膜が貼られた赤い瞳に、赤魔力の熱に冒された白い頬。

こめかみを流れる汗がキラキラと光って見えてーーーマスキラでも色気って出せるんだと他人事みたいに考える。


惚けた騎士など眼中にないデニスは少し焦っていた。

自分のテリトリーに来て安心したせいか、抑え込んでいた体内の魔力濃度がぐんぐん上がっていたのだ。


ここなら暴発しても一般人には迷惑はかからないなと他人事のように考える。

騎士団の訓練場はジョシュアのお手製だ。デニスの暴発くらいで壊れるようなやわな作りはしていない。

デニスが心配なのか離れようとしない若手たち。


まずいんだよ、もう容量が九割を超えてる。


「悪い、ちょっとぶっ放すから安全ラインまで下がって」


余裕のない声で「一時退避」を命じたデニスだがーーーあ、だめだと思う。

少し遅かった。

マグマが流れ出すように、デニスの体から赤の魔素が立ちのぼった。

ふらりとかしいだ長身をーーーこうなることがわかってたみたいに支えた人物がいた。


溢れた魔力が吸い出される気配があってーーー凛とした声が聞こえた気がした。


「デニスは私がみておくから、君たちは鍛錬を続けなさい」




目を開けた時、デニスは木陰の芝生の上に寝かされていた。

高いところで楓の木の葉っぱがそよそよと風に揺られている。思考はクリアだった。

デニスは恐る恐る魔力を循環させてみた。…いまだに体内の魔素濃度は高いが、ずいぶん落ち着いている。


ホッと息をついてーーーゆっくりと体を起こす。

寝ている間にかけられたらしい。体からずり落ちたジャケットがやけに上質なものでーーーデニスは跳ね起きた。


「お、さすがは目覚めるのも早いな」


そこには文庫本片手に木に寄りかかる若いマスキラがいた。

尖った美貌と黒づくめの見た目から冷たい印象を受ける彼はデニスの上官でありこの国の主だ。


「ジョシュア様!?どうしてここに?執務は?」


今は休憩時間らしい。…本当かはわからない。気分で王宮をぬけ出してしまう人だから、今頃側近が慌てているのかもしれない。

ジョシュアはデニスに話があったそうだ。


「魔力通話にかけてくださいよ…なんで陛下が自らこんなとこまで来るんですか」


デニスの呆れ声に、ジョシュアはキョトンとした。


「かけたぞ?」


デニスは慌てて自分の端末を引っ張り出した。ーーー確かに着信がある。どうやら魔力荒れに気を取られすぎて着信に気がつかなかったようだ。


「すみません」と肩を落としたデニス。ジョシュアは大した用じゃなからいいと首を振った。なんでもーーー


「シリルと話してーーーあいつとは模擬戦をしたんだろう?私ともやろう、デニスと戦いたい」


無表情で目をキラキラとさせる殿下を見て、デニスは吹き出した。

ジョシュアはデニスと同族なのだ。無条件に強者を求めている。…ジョシュアの場合は魔法バカといった具合か。

ーーーデニスと違って自分が負けることなど微塵も考えていなさそうな姿に若干腹立たしくはあるのだが。


デニスはしばし考え込んでいたが、手を握ったり開いたりを繰り返した後、ふるふると首を振った。


「今日はやめておきます。魔力の巡りが悪いーーー絶好調の時にやらせてください」


「魔力量を増やして一発くらい入れてやる」ーーーと闘志を燃やすデニスを見て、ジョシュアが愉快そうに目を細める。


魔素の取り込みすぎでぶっ倒れたばかりだというのに、全く懲りていないところとか「強くなりたい」という欲求に抗えないところ、二人は似たもの同士なのだ。

ジョシュアも黒竜の魔力の使い方が知りたいからと、独りで結界内まで入って「危ないからやめてください」と側近に嘆かれていた過去を持つ。


「私も…デニスにはもっと強くなってほしい」


ジョシュアはこれからも魔石を提供すると約束してくれたーーー魔素濃度は少し下げられそうだが。


デニスはジョシュアをほっぽって誰かに電話をかけ始めた。発信中の画面を覗き込もうと首を伸ばしたジョシュアの頭をデニスがむんずと押し返している。

数コールの後で画面が切り替わった。

デニスが魔力通話を耳に当てる。子供特有の弾むような声が聞こえてきた。


「ーーーライラ?お前今誰といるの?…あ、シャロンが戻ってるんだ」


蕩けそうな顔で笑うデニスは珍しくーーー近くにいる騎士たちがそわそわと落ち着かない様子でたまに視線を飛ばしてくる。

デニスの横で再び文庫本を開いたジョシュアだったが、不意に腕時計へと視線を落とした。そろそろ戻る時間のようだ。


いまだに緩み切った顔で通話を続けるデニスの唇にーーージョシュアは無理やり黒く光るものを押し付けた。


「ふぐ!?ーーー(もぐもぐ)ジョシュア様、何食わせたんですか?」


ジョシュアはデニスの問いに応えることなく姿を消していた。味がしないが清涼感が口に残る。

…すぐにデニスの体の魔力が動かしやすくなったので、大方ジョシュアが渡してきたのは中和剤といったところか。

デニスは通話相手に向かって愚痴をこぼす。


「ーーーお前の旦那、なんか俺に変なもん食わせて行ったんだけど」


デニスとジョシュアのの写真が、裏で高値で売られているのはデニスが知らなくていい事実である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る