第5話 急な呼び出し

つむぎの離宮には白と青の制服を着た騎士たちが四名。

背筋を伸ばし、いかにも人好きしそうな笑みを向けて来る中心人物の視線から己を隠したいのだろうか。紬がやや強ばった頬の引きつりを隠すために、広げた扇を鼻先まで引き上げた。


「一番隊隊長のジュリアン=ブライヤーズです。それで後ろにいるのがレオンとジャックとノアール、俺の部下です」


本来の護衛であるデニスはここにいない。

急な任務が入ったらしい。


「よりによって姫様が城下に出る今日かよ。タイミング悪いな…紬様、申し訳ないのですが、一時離宮で待機していただけますか」


一時間ほど前、デニスの魔力通話から警笛のような音が鳴り響き何事かと顔を見合わせる和国の面々の前で流暢なフランク言語を二言三言話したデニスは大層申し訳なさそうな顔をしながらも、紬の了承の返事を待つこともなく足早に出ていってしまったのだ。

確かに代わりの者をよこしますとは言われたが…


「四人の騎士様が今日は護衛してくださるのですか?」


紬の戸惑いを、どうやらデニスの実兄であるジュリアンは明後日の方向に受け取ったらしい。

紬に同情してくれながら、


「そうですよね、正直デニスの代わりが俺ら四人だけじゃ不安ですよね。ーーーでも、下町に出るのにこれ以上の人数はかけられないのでーーー」


詰まるところ、四人合わせてもデニスには及ばない、と言う意味らしい。

「四人も」と言う意味が「四人しか」に取られるとは…。




紬が誤解を解こうと苦心していた頃、デニスは執務室でジョシュアと向かい合っていた。「緊急」と銘打ってデニスを呼び寄せたジョシュアの隣では黒竜ライラが第二外国語の勉強中だ。


ライラがペンを走らせる音が微かに聞こえる。腕組みをするデニスの表情は険しい。


「プロイセンの北部がきな臭いから調べてこいってことっすか。俺一人?」


ジョシュアが被りを振る。


「パーシヴァルと一緒に行け。向こうでシリルと合流して欲しい」


デニスは薄目でジョシュアを見た。

珍しいなと思う。いつもだったら自分が真っ先に飛び出していきそうなのに。


傑出した人物であるために、冷たい印象を受けるジョシュアだが情に厚い人だ。

きっと今も涼しげな顔の裏で親友のプロイセン王のことを案じているのであろう。


「陛下は最近プロイセンに行かないっすね?」


デニスの指摘にジョシュアは少し寂しげな顔になる。


「シリルに会いにいきたいのは山々なんだが、赤竜の復活の目処が立つまでは無闇に立ち入らないことにしている。ーーーシリルの王政に俺があんまり関わりすぎるのは良くないから」


物分かりが良さそうなことを言っているが、ジョシュアの本心は親友を助けにいきたいのだ。他でもないライラが「ジョシュアはすでに関わりすぎてる」と忠告しているから我慢しているだけで。

ほら、今もーーー


「ジョシュアが行きたくなっちゃう前にデニスは出発して?ーーージョシュアは辛抱するの。赤竜の加護は本当に今ギリギリだから、ジョシュアがいくと決壊するかも」


ジョシュアをライラが言いくるめている。

ーーー五年前までは絶対にありえなかった光景だ。


デニスは猫足の椅子から立ち上がると、ライラの金色の瞳を覗き込んだ。

キョトンとした顔はあどけないが、彼女の中には確かに黒竜の記憶が刻まれているのだ。

竜同士、通じるものがあるのだろう、赤竜のことを語るライラの声はいつも切なさを含んでいる。


悲しい顔は見たくない。

慰めるようにやわい頬に指を滑らせるとライラはくすぐったいと身をよじる。

はにかむ顔は人間の時の面影が滲み出る。

誇張ではなく、彼女が笑ってくれるならデニスは何だってできるのだ。


「陛下の代わりに俺が行ってきますよ。ーーーライラ、俺がいない間は隠れて練習しないようにな」


デニスが釘を刺すとライラがわざとらしく視線を逸らした。

全くこいつは油断も隙もない。…きっと冗談めかして笑う俺がどれだけ本気で君のことを案じているかちっともほども分かっちゃいない。


「ーーーっ、危ないことはしないで」

「言われなくても。何その顔…」

「大事なんだよ、わかって」


デニスが名残惜しそうに手を伸ばすと、デニスの手をジョシュアが横からはたき落とした。

流石にやりすぎ、という意味らしい。


「今は俺の」


ジョシュアは真面目な顔をして主張してくるがーーー俺じゃなくて横を見てほしい。蜂蜜が蕩けたみたくなってるから。


ーーージョシュア様が俺を止める時、ライラが本当にいい顔するからやめられねえんだよな。


立ち去ったデニスは知らない。

残された二人が交わした会話など。


「今は、ってジョシュア…決めたの?」

「ああ。ーーー他のやつは考えてないよ」



デニスは駆け足でパーシヴァルの離宮へと向かいーーー入り口で立っていた人物を見て引き攣った顔になる。


「れ、レイモンドさん…お久しぶりっす」


あからさまに腫れ物に触るようなデニスの態度にーーーレイモンドが掴みかかる。逃げようとするデニスを捕まえて容赦なく絞め技をかけた。


「ふざけんな、お前にだけは憐れまれたくねえんだよ!ていうか上官だろうが、さん付けも敬語もやめろ!」


デニスは失敗しました!と言わんばかりの顔になっていたがーーー解放されると、レイモンドに向けて至極真面目に提案をした。


「失恋同盟入ります?」


「は?ーーーちなみにメンバーは?」


「俺とシリル君っす」


シリル=オゾンは今は亡き前プロイセン女王陛下に恋慕していた。

この世にいない人を心に住まわせているあたり、シリル君の業は俺より深いかもしれない。


「王妃と女王陛下に失恋しましたってか?重!嫌だよそんな陰湿な仲間に入れられんの」


照れなくってもいいのに、とデニスがレイモンドを揶揄っていると…離宮の扉が内側から開いた。

パーシヴァルが顔を覗かせる。


「お前ら何遊んでんの?」


デニスがキリッとした顔で「久々に先輩に会えたんで嬉しくて」とのたまう。未だに恨めしげな視線を送ってくるレイモンドはお留守番だ。


レイモンドに別れを告げ、緑頭がいなくなるやいなやパーシヴァルが乗り場まで歩きたくないとごねた。内心、パーシヴァルはレイモンドの前で最近大人しいなと苦笑いしつつもすかさず駆け寄りおんぶしてやった。赤ん坊みたいな二十三歳だとデニスはいつも思う。


「パーシヴァル様軽いっすね。筋肉つけなくていいんですか?」


あの子筋肉フェチですよね?とデニスが尋ねるも、無言の抗議としてセットした髪をぐしゃぐしゃにされた。

パーシヴァルからすると筋トレなど暑苦しいので絶対にしたくないらしい。


「かったるいじゃん。あいつだって俺の容姿が好きで婚約したわけじゃねえだろうし」


パーシヴァルの婚約者をよく知るデニスはーーー元恋人なんかも知っているので、パーシヴァルの言い分には納得できた。

パーシヴァルは甘いマスクの美少年といった風貌なのだが、元恋人は雄々しい感じの筋骨隆々男児だった。言ってしまえば真逆なのである。


プレート乗り場に現れたデニスとパーシヴァルを見て周囲の人がざわつく。

無理もない。おんぶされてくる王弟陛下など他に聞いたことがない。


しかし、パーシヴァルは周囲の人間の反応など見えていないのかもしれない。デニスに降ろされても「クッションがないと嫌だ」と駄々をこねる。


「はいはい、パー君わがまま言わないの」

「デニスぱぱー、おやつ買って!」


ふざけながらもパーシヴァルのお気に入りのクッションをカバンに常備していて、プレートの上に敷いてやるデニスは大概パーシヴァルに甘い。


「お腹すいた」

「クッキーでいいすか?」

「チョコ味がいい」


パーシヴァルが滑るようにプレートを発進させた。

シャロンの暴走運転とは大違いだ。とても乗り心地がいい。


静かな揺れの上でデニスが物思いに耽っているとーーー


「俺、デニスにはなんでレイモンドを選ばなかったのか聞かれると思ってたわ」


パーシヴァルが爆弾発言をかましてきた。

思わず先ほどレイモンドを残してきたに視線を向けたデニスが面食らった顔になる。


「逆にそれは聞いてもいいんすか?」


パーシヴァルは吹き出した。デニスの困惑顔がツボに入ったそうだ。

肩を震わせながら、


「大層な理由なんてねえよ。ただ、あいつの横は息がしやすそうだと思ったんだ」


穏やかな笑みを浮かべるパーシヴァルを見て、デニスは深く納得した。

確かに、相手のことを好きすぎると苦しいことも多い。


「レイモンドのことは今でも手放したくねえ。ーーーでも、あいつの国政への考え方が妙にしっくり来たっていうか…波長があったんだろうな」


「あいつ」とパーシヴァルが音にするとき、そこにはひだまりのような優しい温度が乗っている。恋人を呼ぶよりは手のかかる妹の名前を呼ぶみたいで、デニスはパーシヴァルが彼女のことを乱暴に「あいつ」呼びするのが結構好きだ。


パーシヴァルが彼女にプロポーズした時、二人は付き合ってさえいなかったらしい。それでも、パーシヴァルの申し出を彼女はすんなり受け入れたそうだ。


「あなたの恋人にはなれないけど、仕事上の一番の理解者にはなれると思ってますだって。ーーー見た目お人形さんなのに武人みたいなやつだよな」


デニスが腑に落ちない顔になったのを見て、パーシヴァルがデニスへと身体を伸ばして膝を叩いた。


「ブライヤーズ家のマスキラには理解できない感情だった?」


図星をつかれたデニスが眉をハの字にした。


「理解はできましたけど、全く共感はできなかったっす」


正直にデニスが白状すると「お前不器用だもんな」とパーシヴァルが呆れ顔になった。


「諦めるってどうすればいいんでしょう」


パーシヴァルがは?と間抜けな声を出した。


え、なにその顔…今まで20年間生きてきて諦めたことないんだから仕方ないだろ。


「ライラには俺だけ見てほしいし、ジョシュア様には魔法剣術で一回くらい勝ちたい…」


パーシヴァルが信じられないとこぼす。


「ライラを諦めてねえのは知ってたけど、お前ジョシュアに勝つなんて無謀な目標持ってんの?」


「俺どころかシリルにさえ勝てねえのに?」と本気で正気を疑ってくるパーシヴァルにデニスは膨れっ面になった。

自分だってまだまだ未熟なことくらいわかっているのだ。


「一度だけでいいんすよ。ーーーこれでも一応護衛だし、主人より弱いとかカッコつかないし」


言い訳するように早口になったデニス。

パーシヴァルは難儀なやつだなあと眉を寄せた。


「もっと器用に生きればいいのに…自分の欲求に素直な奴は嫌いじゃねえけど」


「パーフェクト野郎が負けたとこも見てえな」といたずらっ子のように歯を見せる。


「ジョシュアに勝ちたいなら人間やめるところから始めないとな。あいつ最近魔石しか食ってねえぞ」


パーシヴァルが「俺がとびっきりの魔石用意して食べさせてやるよ」とニンマリしたところで、前方から赤飛竜が飛んできた。


機嫌良さそうにガウ!と吠えた飛竜。背中に鞍をつけている所をみると、プロイセンからの迎えのようだ。

デニスは飛竜とパーシヴァルを心配そうに見比べた。


「パーシヴァル様、飛竜に乗れます?」


パーシヴァルの端正な顔が歪んだ。


「お前バカにしすぎ。卒業後も鍛錬くらいしてるし」


デニスが疑わしそうにパーシヴァルを見る。

だってーーー


「…じゃあなんで俺の背中に乗ろうとするんすか」


両手を上げて見上げてくるパーシヴァルのためにしゃがんでやりつつ、デニスがパーシヴァルの矛盾した行動を訝しむ。


「安定してる方に乗るでしょ」


キッパリと言われた。ちょっと意味がわからない。

飛竜より乗り心地がいいと遠回しに称されたデニスは首を傾げながらも飛竜に飛び乗った。もちろん背中にパーシヴァルを乗せて、だ。


客人を連れて戻ってきた赤飛竜を出迎えたシリルはーーー背中から降りてきたデニスたちを見てこめかみに手を当てた。


「待って、情報量が多い。…なんでパーシヴァルは鞍を無視してデニスに乗ってるのかとか、デニスが食ってるの魔石じゃないかとか」


「よお!シリル、今日もしけた面だな」


デニスの肩越しに挨拶をかますパーシヴァル。シリルの引き攣った笑みを見て、デニスがあわれんでいるがーーー彼は彼でえげつない濃度の赤魔石をスナック菓子のように食している。



シリルの脳裏にはいくつかのコマンドが浮かんだ。


▶︎「うるせえな、生まれつきこの顔だよ」パーシヴァルに言い返す

▶︎「ジャーキーみたいに魔石を食うなよ」デニスに突っ込む

▶︎ 無視して他の話題


「ーーーところで、ライラは元気?」


…シリルは苦労人である。「老けた?」などと絡んでくるパーシヴァルをにらめつけながら、走り寄ってくる側近たちに次々に指示を飛ばす。


「ライラは元気っすね。黒竜としてはまだ赤ん坊みたいですけど」


ライラは飛行訓練やブレスの練習を日々行っている。まだ口が小さいので魔石も砕いてやらなければ食べられない。


「成体になるのって何年かかるの?」


シリルの疑問にデニスは背中に乗せたパーシヴァルを仰ぎ見た。

答えていいのか迷った様子。視線のバトンを受け取ったパーシヴァルが薄い唇を開いた。


「大体百年で黒竜としての成体、五百年で完全体になってしもべ魔獣を生み出せるようになるっていうのがジョシュアの見解」


淡々と述べるパーシヴァルとは対照的にシリルが深刻そうに眉間の影を濃くした。


「五百年か…早く次代を見つけないと本当にまずいな…俺が今二十六歳で、現役として戦えるのがせいぜいあと三十年だろ…」


デニスが不思議そうに「黒竜様の加護でジョシュア様たちの寿命伸びたみたいですけど?」と進言するも、シリルは絶望した顔で「赤竜様は脳筋だから。そんな器用な小細工してくれるとは思えないから」と疲れたように言った。


「確かに赤竜様はアレだよな〜。何度か後先考えず行動してうちの国に突っ込んできてるし、シリルを異世界まで誘拐に行くしーーー人間の寿命とかは微塵も気にしてなさそうだよなあ」


パーシヴァルの鋭い一撃により、シリルのHPはゼロだ。

よろよろと歩くシリルをデニスが心配そうに見る。


「次代探しに加えて紛糾する内政の整理…シリル君一人には荷が勝ちすぎてません?」


シリルが血走った目で振り返った。

ツカツカと歩み寄ってくると、力強くデニスの両手を握った。

デニスが咄嗟に振り払おうとするも離れない。


「あの…シリル君?」


シリルの奇行にデニスは戸惑いを隠せない。


シリルはパーシヴァルを見て口を開きーーー


「だめだ」


言葉を発する前に拒否された。

項垂れるシリルにもパーシヴァルは容赦ない。


「うちだってギリギリ。デニスはあげないよ」


なんと引き抜きにあっていたらしい。

デニスは顔色を変えると、今度こそシリルの手を振り払った。


シリルが子犬のような目を向けてくるが騙されてはいけない。彼も一国の王であり、プロイセンのためならチワワの目だってポメラニアンの愛くるしさだって表現できる男だ。多分。


「なんで!いいじゃん、おあつらえ向きに赤魔法の使い手だしさ、来ちゃいなよプロイセン王国」


ふざけたやり取りをする間にも、デニスは周囲の警戒を怠ってはいない。

実際、周辺にはいくつか怪しげな動きをする魔法使いがいるがーーー敵もバカではないようだ。流石に、シリル、パーシヴァル、デニスの最恐トリオに真っ向からぶつかってきたりはしないようだ。


ーーーこの魔法の気配…敵方の王族か?


デニスが索敵する間にも、気怠げな様子を隠そうともしないパーシヴァルにシリルはしつこく食い下がっていた。


「パーシヴァルからジョシュアを説得してよ。前女王陛下を俺が見殺しにしたと思ってる魔法使いが多すぎて、人望ないんだよ。デニス面もいいし、赤魔力も多いし、超欲しいんだけど」


「だめ」


「俺が頼んでもジョシュアは魔炎を置きもしないから。ふーって魔素吹きかけてくるだけだから」


「だめ」


「けち!」


「だめ」


「あの〜ここじゃないんすか?」


気配を探っていたデニスが立ち止まったのは白鳥城前の湖だった。

奇しくもこの場所は、例の事件があった場所だ。

救国の魔獣、フェルヴィエロ=ルーニーが眠る場所。

嫌でもデニスは思い出す。まだ学生で、何の力もなかったあの頃のことを。


ーーー俺は役立たずだった。自分の寮の部屋で、ただうずくまって、帰ってきた時あいつの瞳はガラス玉みたいになっていて…


脳裏に五年前の悪夢が蘇りかけたところを、


「デニス!戻ってこい!ーーー今は騎士団長としての任務中だぞ」


湖畔にパーシヴァルのアルトが響く。

デニスははじかれたように姿勢を正した。


「そう…でした。今の俺は無力だったあの頃とは違って騎士団長だ」


シリルはデニスたちのやりとりに加わらない。

彼にも思うところはあるはずなのだが表情に出さないのは国王としての意地なのか。ーーー時間薬がシリルを癒すには、まだ事件は新しすぎるのだが。

何しろここは彼の敬愛していた女王陛下の最期の場所でもある。


ほんの一瞬、痛みを堪えるように浮雲を仰いだシリルだったがーーー振り返った時には、いつもの仏頂面に戻っていた。

シリルのまばたきのような葛藤など知らぬデニスは、すぐに動揺してしまう自分と比べたのか小さく感嘆の息をこぼす。


異世界から連れ去られた挙句、「自分の名前を歴史に遺してほしい」と恋人から遺言と国民をいっぺんに背負わされたシリルにしても。

裏社会の王の顔を持つくせに、どこまでも自然体なパーシヴァルにしても。

最強の魔法使いとして寄せられる期待を当然のように受け止めるジョシュアにしても。


強いなあと思う。

魔法もだけど、心が強い。

始祖竜はきっと全部わかって彼らを選んだ。


ーーー俺は違うけどな。


兄のジュリアンはデニスには役目があると言うが、デニスはそうは思ってなかった。

デニスがひとり劣等感に苛まれる中、パーシヴァルがシリルを小突く。


「俺らは何すればいいの?」


「ネズミ退治」


シリルいわくここに反王政派のアジトへの入り口があるらしい。


「王城の目と鼻の先に入り口作るなんて俺のこと舐めすぎ。ーーーこの内戦はいたちごっこな訳よ。空間魔法がある以上いくらでも入り口なんて作れちゃうし。だからパーシヴァルに転移の扉ごと抹消してもらおうかなって」


パーシヴァルは苦い顔で「できなくはないけど…」と言葉を濁した。

当然だ。空間魔法で作られた空間を上書きすれば、中にいる人間や転移中の人間が助かる保証はない。


シリルは「中に人間はいない」と断言した。

つまり、そういうことだ。


「シリル君…反政派との全面抗戦決めたんすね」


デニスの呟きにシリルは顔を歪ませた。


「内乱は不毛だ。ーーー短期決戦で勝負をつける。国力をすり減らしてる場合じゃない。…俺にジョシュアくらいの求心力があればとは思う」


シリルが沈痛な面持ちでこぼす。


カリスマ性のある王は国力を向上させる。

臣下がついてきてこそ、賢王だ。

ジョシュアはその点完璧だった。ジョシュアの父王の時代には絶えなかった小競り合いが、ぴたりと止んだ。


黒竜の加護が失われるかもしれない非常事態の中でも皆がジョシュアに従ったのだ。


パーシヴァルは苦い顔で同意する。


「あいつのちょっと抜けてるところも非凡さを際立たせてるよな。ーーー近くで支えてやらなきゃって思うもん」


シリルは異世界人だ。

赤竜が攫ってきてしまう前は平民だったらしい。


「平凡な俺にもカリスマ性が欲しい…あと顔面偏差値。あと10くらいあげてほしい」


ぶつぶつと呟具自称「平凡」な国王は索敵魔法の網を広げていく。

シリルを横目にパーシヴァルも大規模魔法の用意を始めた。魔楽器を取り出しているあたり本気の様子。


「弾くのはレクイエム一択だな」


パーシヴァルの指先が滑るように動く。魔楽器の音色が湖畔に響き、空気中の全ての魔素を飲み込むように黒魔力が霧のように広がり出した。

パーシヴァルが奏でるのは悲劇に流れてきそうな悲しくて美しいしらべだ。


見事な演奏に聞き惚れている余裕はない。

ここは敵国の真っ只中。デニスは周囲を油断なく警戒する。

少し離れた場所だが怪しい動きがあったので、ナイフを投擲しておいた。

気配が消えたので威嚇にはなっただろう。


シリルは懐から取り出した方眼紙に数字を書き込んでいく。

アジトの魔力反応が出た位置らしい。


「4、5、6…パーシヴァル、これを見てくれ」


シリルが差し出した図に視線を落としたパーシヴァルだが…再度確認するようにシリルを仰ぎ見た。


「本当に、いいんだな?…これをやったら後には引けねえぞ?」


シリルは薄ら笑いを浮かべた。


「陛下を見送ったあの日からーーー屍の上に立ってでもこの国を立て直すって決めたんだ」


パーシヴァルは口元を緩めた。


「いいじゃんーーー死を人のせいにしないところが王らしくって」


冷たい笑みが二人の王族の間を流れた。

パーシヴァルは、凄みのある笑みを浮かべたまま再度周流の海へと潜っていった。

パーシヴァルが魔力を奏でるたびに殺気が肌を突き刺して、デニスの全身の細胞が警鐘を鳴らしている。

クレッシェンドが三小節ほど続いて、あ、来るとデニスは直感的に分かった。


パーシヴァルが右手を上げた。

ゆっくりと振り下ろされる腕に合わせて流れる黒魔力をみながら、デニスの脳裏で人間離れした美貌を持つパーシヴァルの姿が黒衣の死神と重なった。


「散れ」


二文字。

それだけで、魔力も殺気もーーー幾多のものが消えたのがデニスにはわかってしまった。

吸い込んだ息の中に死臭がする気がして、思わず肺を押さえた。

陰ったデニスの表情とは対照的に、風船が割れるように黒の魔力が霧散した湖にはいつも通りの晴れやかな太陽の光が戻っていた。


パーシヴァルが楽器を消した。あまりに美しい粛清だった。

全てを飲み込む黒色は十三あったアジトへの入り口を全て飲み込んだ。


「ーーーうん、完璧。また、大きな借りができたなあ」


表情が読めない顔でこぼしたシリル。

余韻もそこそこに「転移魔法で二人をグレイト=ブリテンまで送り届ける」といって湖に背を向ける。

途中で駆けつけてきた部下には、


「敵のアジトは閉鎖したからみんな休んで大丈夫」


と事もなげに告げていた。


デニスたちは知らない。あの時封鎖されたアジトの中に本当に人間はいなかったのか。

わかったのは、シリルが全ての責任を自分一人で負おうとしていることだけ。



シリルが消えた途端、離宮へ戻りたがるパーシヴァルをデニスはジョシュアの元へと連行した。



「ーーーあいつ、潰れねえといいけど」


シリルに同情的なパーシヴァルに対し…一連の報告を聞いたジョシュアは、驚くほどに親友である隣国の王に薄情だった。


「シリルと前王はすでにいくつも選択を間違えた。ーーー我々が内戦に加担するのは今回で最後だと念押しておいたし、パーシヴァルも深入りしすぎるな。守れるものには限度がある。プロイセンはシリルの国だ」


パーシヴァルは兄王の言葉に舌打ちを返すと、足音荒く執務室を後にした。


「…デニス、パーシヴァルを追って」


ブラコンと名高いジョシュアの顔に浮かんだ悲壮を向けられてしまっては反論もできない。デニスはジョシュアに軽い頷きを返すと、慌ててパーシヴァルの後を追う。

デニスが廊下に走り出ると、真っ直ぐと続く廊下の先にパーシヴァルの小さくなった背中が見えた。

瞬く間に身体強化で追いついてきたデニスに、気づいているだろうに歩みを止めないパーシヴァル。

横に並び立ったはいいがなんと声をかければいいのか。

デニスの迷いを感じ取ったのか知らないがーーー怒りをぶつけるようにして、尖った声が聞こえてくる。


「なーにが限度があるだよ。どうせ自分が一番行きたくて仕方ないくせにさ」


彼は毛を逆立たせた猫のようだった。

まあ、デニスにも気持ちはわかった。


つき離すような言い方しかできない陛下は、いつだって自分の仲間を全力で守ろうとしてくれる。そして一人で大体のことができてしまう人。

いつだって、痺れるほどに自分たちの陛下はかっこいいのだ。


「ジョシュア様が守れるものには限度があるって言うと説得力すごいっすよね」


「デニス、それ以上何も言うんじゃねえ」


「なんでも守れそうなのにーーー自分の力を過信してないんだろうなあ」


「だから黙れって!」


男だって惚れるような人だ。ジョシュアの右腕なんて言われれば、デニスだって嬉しい。

だけどーーーデニスの心だって複雑なのだ。

ジョシュアだから好いた人を譲れるかと問われれば、話が別なわけである。

恋敵がジョシュアだなんて、デニスは本当についていない。


「いつか勝てるかなあ」


主語もなく溢れた呟きはしっかり伝わったようで。

…パーシヴァル様に鼻で笑われた。


「それは無理だろ」

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