八月二日
チリリンと揺れる、備前焼の風鈴が、気持ちの良い生活へと私を導く。涼しげな音を立てて、この夏を癒してくれるアイテムは、この田舎の家で、必需品だろう。
今日は海が、外で走り回っている。家から見える、広大な畑から頭を出す息子は、去年よりも大きく見える。子供の成長は早く、身長なんて、一年で大きく変わるものだ。
私の若い頃も、ここらの畑で走り回っていたっけ。成長して、大学生になってからは、東京の武蔵野で暮らし始めたけれど。
私は、実家に飾られている、旦那と結婚式で撮った写真を眺めながら、懐かしき頃を思い出す。
二十歳、私は東京にある大学に通っていた。都会の景色は、まるで魔法のようだった。渋谷に出れば、大きなテレビ画面で、カラフルな色が流れていた。数分置きに、流れてくる電車からは、人が溢れていた。夜は宝石みたいに、街が輝いていた。
自分の使う、魔法なんかよりも、ずっと、ときめいた。
東京という大都会は、私の知らなかった、素敵な世界だった。知らない人がただひたすら流れて消えていく。不思議な世界。
でも、そんな世界だからこそ、かあさんは言っていた。
「大都会で魔法はいけん」
沢山の人が住む都会は、誰がどこで何を見ているかわからない。私の村にしかない、不思議を見せてはいけない。
魔法を見られたからって、体が消えるとか、老けるとか、どこかのアニメのようなことは起こらないが、都会の人にとってありえない出来事を見せてしまえば何があるかわからない。
でも、私は空も飛べず、魔法に頼れない生活を窮屈に感じていた。だって、今すぐ使える力があるのに、できないなんて耐えられるわけがない。小さい頃から、あんなに当たり前に使っていたのに。
しかし、そんな私は良い場所を見つけたのだ。それは、ひとりで住むアパート近くの、武蔵野の自然がある公園。鳥のさえずりも聞こえて、静かで優しい時が流れる大自然がそこにはあった。東京にも、私の田舎のような素敵な場所があるのだ。
人も少なく、ここなら誰も見てやしない。
だからそこで、私は、幾度も、厳重に周りを確認しては、空へと舞い上がった。箒は専用のものでなくても、木の枝だとか、代役でいけてしまうからいつでも飛べるのだ。そして、夜は特に目立たないからチャンスだった。東京の宝石のような夜景を見るなら、空を飛んで自分で見に行くのが最高だったのだ。チカチカと灯るビルはここでしか見られない、不思議な景色だった。
しかし、ある空から降りてきた夜。私が地面に足を付けると、突然、大きな声が私に向かってやってきた。
「あの!すいません!今、何していたんですか!?空から降りましたよね!?」
「え!あ!やばい!ごめんなさいいい!」
私はやばいと思い、急いで逃げた。声を掛けられてから、かなりの全速力で走ったのを覚えている。今思えば、逃げずに口止めするなりどうにか交渉すればよかったものの、その時はあまりの驚きで、逃げるという選択肢しか私にはなかったらしい。
帰ってから、私は不安になった。声を掛けてきたのは若い男のように思えたし、カメラを肩に掛けていた気もする。急いで逃げてしまったので、はっきりと覚えてはいないが。写真を撮られていれば、明日SNSで拡散されてしまう可能性だってあるし、動画を撮られて拡散され、バズってしまえば、テレビでニュースになってしまうかもしれない。私はどうなるかわからない。
下はちゃんと確認したはずだったのに、明日が不安で、ぐるぐるとありもしない妄想までして、寝られなかったのを覚えている。
しかし、次の日は何事もなく、ただただ普通の日常があった。でも、誰かに見られてしまった事はきっと事実だし、気を付けなければいけない。
心配になった私は、しばらく公園に行くことは無かった。
しかし、大学構内の図書館にいたある日。
「あの、こんにちは……」
そろりと近くに来て、突然挨拶してきた男性がいた。
「こ、こんにちは?」
「この大学だったんだ」
声を掛けられた私は頭を捻るが、誰だか思い出すことが出来ない。きっと、そう声を掛けるなら知り合いだろう、でも、クラスの人ではなさそうだし、どこかで会ったことある人なのだろうか?ダメだ、何て返事をしよう。
そう思っていると、男性は言った。
「この前は驚かせてしまってごめん。公園で空を飛ぶ君を見てしまって、つい声を……」
その一言で、私は全てを思い出した。そうか、この男があの時の!
でも、どうするか。こんなところで、話を続けてしまってはまずい。とにかく、今は場所を変えよう。
「外、行きましょうか……」
「あ、はは、はい」
男性をよく見てみると、爽やかな高身長の、優しそうな人だった。イケメンと呼べる枠に入るのではないだろうか。
私はその男性と、外の人気のない場所へと移動した。移動中は、この後なんて話すのが正解なのか、どうしようかと混乱していた。下手なことは言いたくないし、写真を撮られていれば、嘘をつくことも出来ない。
もう、私は、単刀直入に聞いた。
「あの、私の写真撮って拡散したりとか、ネタとして誰かに話したりとか……してないですよね?」
いくら優しそうな顔立ちであっても、この人は面白がって、私の行動を広める人かもしれないじゃないか。
しかし、そんな想像とは全然違う言葉が返ってきた。
「してないよ、何を言っているんだい。そんなこと、する訳ないじゃないか。僕はね、あの公園によく行くんだ。自然の写真を撮りにね。でも、あの公園へいけば不思議なことに、いつも君が空にいるのさ。だから、あの日、君が降りていなくなる前に、また見えた君の下へたどり着こうと必死だった」
「え?どういうことですか?」
「会いたかったんだよ、君に」
これが、私と旦那との出会いだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます