第30話 拝啓、"春"へ①




「私ももうすぐ高校2年生ですよ?」


「……気が早ぇよ。」



春休み。僕と舞は駅のホームで二人電車を待っていた。図書館で一緒に勉強した帰りである。


春休みシーズンということもあり、駅のホームには人が多くいた。皆一様に厳しい寒気を超えた清々しさを纏っている気がした。


まだ少しだけ寒いが、それでも春の陽気を少しだけ感じ始めていた。きっと今来ている重苦しいコートを脱ぎ去ることができる日もそう遅くはないだろう。



「いやいや、あと何週間もしたら進級ですよ?そのあと数週間もすれば17歳です!華のセブンティーンです!」


「そう言えばお前四月生まれだったな。」


「はい!」


彼女に言われて、確かにもうすぐ進級かと考えてみた。自分が受験生になるなんて実感が湧かない。


それでも時は進んでいくわけで。


更に更に、受験を乗り越えれば大学生。大学生活を謳歌していれば気づけば就活生になるわけで…。


(全然想像できないな。)


果たして、僕はどんな大人になるのだろうか?


隣にいる春日谷舞を見る。こいつはどんな大人になるのだろうか?きっと彼女は綺麗になるのだろうな。


案外魔性の女人で呼ばれたりして、なんちゃって。


僕が笑っていると、僕を見上げてくる彼女と目があった。僕の視線を感じるとすぐにバッとおでこを押さえる。


「み、見ないでください!!」


「わかったって…」


なぜ彼女がおでこを押さえたのか?それは昨日切りすぎた前髪を気にしているから、らしい。


オン眉というやつだろうか?僕はかわいらしくて似合っていると思うが。彼女は気に入ってないようだ。


「早く伸びればいいんですけど…」


「男の僕にはわからない感覚だな。長くなったら切るだけだし。」


「先輩は男性の中でもズボラな方だと思いますよ?この際伸ばしてみたらどうですか?」


「嫌だよ、邪魔くさいし。そういうお前は……」


そういうお前はズボラじゃないのか?と聞こうとして、やめた。そんなの見ればわかることだったからだ。



この冬で、舞の髪は伸びた。初めて会った時は首のあたりで切り揃えられていたが、今は腰とは言わないまでも背中の方まで伸びてきている。


そして、彼女の髪は良く手入れされた艶やかな黒髪へと変わっていた。まるであの人のように。


(大人っぽくなったよな…。)


『男子、三日会わざれば刮目して見よ』なんて言葉があるが、これは女子の方にこそ当てはまるのではないか?


きちんとした服に、きちんとした姿勢、そしてその唇には僕が送った口紅が塗られていた。


少なくとも、もう"ちんちくりん"なんて呼べないだろう。



「"ちんちくりん"なんて、呼べないでしょ?」


「!」


「図星ですね。」


「いや…まあ」


考えていたことを言い当てられるその奇妙な感覚に僕は覚えがあった。


「女の子は心を読む魔法があるんですよ、知ってましたか?」


戯けた口調で舞が言い、その細い指を僕の目と鼻の先でくるくると回す。魔法を暗示しているのだろうか。


心を読む魔法。


「ああ、知ってるよ。」


「……」


くるくると回る彼女の指を優しく掴み、そっと彼女の元へ戻す。舞は何だか拍子抜けしたような顔をした。



『1番線、まもなく電車が参ります。』



駅のホームに機会音声が鳴り響く。それからゴウゴウと風をかき分ける音がする。 


いつものように、電車が駅のホームに着く。


俯いていた皆が顔を上げ、歩き出す。その雑踏の中に僕も溶け込んでいくのだ。灰色の雑踏のなかに。



グイ。


「!?」



何かが僕の手を引っ張ってきた。乗り込もうとしていた電車の扉が遠のいていく。僕はそのまま重心を崩し後ろへ倒れ込んでしまった。


大きく尻餅をつく。


「な、何するんだ!?」


僕は絶叫しながら舞を見上げた。当然だ、電車に乗っていたところを突然引っ張られたのだから。


今も心臓がドキドキしている、驚きで。


「……舞?」


「…………」


何も言わない舞を訝しんでいると、彼女はそっと僕の眉間に人差し指を突き立て、ぐるぐると回し始める。


「先輩が考えていること当ててあげましょうか?」


「いや…それより一体どういうつもりで」


僕は彼女の手をどけようと手を伸ばす。



「春澤澄歌さんのことですよね。」



しかし、すぐにその動きを止めた。僕のなかで、何かが跳ね、震えるような感覚。


「だから…私をフったんですよね。」


まるで自分の一番触れてほしくなかったものを舐められたような、そんな感触。






春日谷舞に告白されたのは、二月の中旬のことだった。あの日も僕たちは駅のホームにいた。


電車を待っている最中、何事もないように『先輩のことが好き』と言った彼女。その唇から揺蕩う白い息。



「フったわけじゃないよ。ただ…」


「フったんですよあなたは、私のことを。」


「…………」


強い眼差しで見る彼女に僕は目を背ける。




『私、先輩のこと好きですよ。』


『え?』


『likeじゃなくて、loveです。』


『…………』


『…なんて、いきなり言われても困りますよね。』


『いや…その、ありがとう。でも。』


『………』


『今はまだ無理かな、誰かを好きになるのは。』




グイ。


「!」


背けていた首を力ずくで戻された。僕の頰を挟み込むようにして彼女がこちらを向いていた。


尻餅をつく僕と、屈みながら僕を覗き込む舞。

何ともカッコ悪い構図だ。


「春澤澄歌さんのことが忘れられないから、私を拒んだんですよね。」


「…いや………」


「……ごめんなさい。」


「え?」


彼女がそっと、僕の頰から手を離した。


「そんな顔をさせるつもりじゃなかったんです。」


僕は今どんな顔をしているというのだろうか?

確かめるように自分の顔を触るが、わからない。


「ただ…言っておきたいことがあって。でもずっと言う勇気が出なくて、モヤモヤしてました。でもさっき言う決心がつきました。」


「………」


「私、先輩のこと諦めたくないです。」


「!」


「きっと、あなたが受け入れなくたって私は死ぬまであなたのことが好きです。重くてごめんなさい。」


「いや…嬉しいよ。僕を好きになってくれてありがとう。」


それに重いのはお互い様だ。僕だって、あの人が死んでもいつまで経っても好きなのだから。


「…女々しいよな。」


「え?」


「死んだ人のことを、それも片想いしていた人のことを、いつまでも忘れられないなんて。忘れようとは思ってるんだけど、なかなか消えてくれなくてな。」


僕がため息をつくようそう言うと、舞が真剣な様子で口を開いた。


「…もう一つ、伝えたいことがあります。」


「…何?」


僕は立ち上がる。頭上にあった舞の顔が、僕の胸あたりにまで下がる。



「春澤さんのこと、無理して忘れようだなんて思わないであげてください。」


「え?」



僕は素っ頓狂な声をあげて、立ち尽くした。何を言っているんだろうと思った。


(僕のことが好きなんだろ?)


好きな人が好きだった人なんて…忘れて欲しいに決まっているじゃないか。なのに何でそんなこと言うのだ。


「なんで…」


「私だって色々悩んで、考えたんですよ?」


「………」


「先輩が違う人を好きでも、その気持ちが忘れられなくても、やっぱり私は先輩が好きなんです。全部好きなの。」


ぐっと、彼女が僕の両の手を握りしめた。そして祈るようにその手を彼女の額へ押しやった。


「あなたが愛した人も、その人との思い出だって私は愛せます。愛してみせます。だって、あなたが好きだから。」


「!」


僕は目を見開いた。舞が僕を見上げる。




「だから…無理して忘れようだなんて思わないでください。いつかは薄れ消えていく思い出から目を背けないでください。何度でも思い出せる宝物にしてください。」


「……っ…………」


そうか。僕は忘れていくんだ。いつかは薄れてしまうんだ。僕がどんなに忘れようと願っても、関係ない。それは最初から、消えゆく運命にあるのだ。


父への怒りのように、母の記憶のように。


あんなに忘れようと努めていたはずの春澤澄歌も、あんなに忘れようと願っていたはずの彼女との思い出も、自然に忘れていってしまうものだったんだ。


嫌だと思った。あの人との思い出を失いたくないと思った。離したくないと思った。


「忘れなきゃいけない記憶にしないでください。本当に好きだったなら、綺麗な思い出にしてあげてください。」



『あなたも、私のことを思い出すときは綺麗な思い出としてくれるかしらね。』



「…………」


「怖いなら、私がそばにいてあげますから。頼りないかもしれないですけど、そばに…いますから。」


そう言って僕の手を力強く握る舞を無理矢理振り払う。驚いた顔をする舞。その華奢で儚く綺麗な体を僕は抱きしめた。思い切り、抱きしめていた。




冬から春へと変わりゆく、駅のホーム。


僕は年下の女の子を抱きしめながら、赤子のように、馬鹿みたいに泣いていた。涸れ果てるまで泣いていた。

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