第29話 春澤澄歌がいなくなった日⑥





『————かんを走行していた旅客列車が脱線し、6両編成のうち前方の3両が転覆。乗客と運転手合わせて〜〜人が死亡し、〜〜人が重軽傷を負いました。』






遺体は見なかった。見れなかった。見るような間柄ではなかったし、もしそのような間柄だったとしても彼女の家族になんて説明すればいいのかわからなかった。


それだけじゃない。先輩の遺体は、人が見られるような状態じゃなかった。誰よりも美しく強く綺麗だった彼女は、儚く醜い物へと成り代わってしまっていた。



「澄歌ぁ…なんで…なんで…………」


「……っ………」


女性の泣き叫び声が聞こえた、その人の隣で立ち尽くす男は黙り込んで下を向いていた。どちらも綺麗な人だった。春澤澄歌に似て、とても美しい人だった。



春澤澄歌が運ばれたと言う病院は、母が入院していた病院と同じ場所だった。もっとも僕たちの住む地域に大きな病院はここしかないから当たり前だ。



「………」


病院の待合室の片隅で、僕はただじっと泣き叫ぶ二人を眺めていた。来て、何かしようと思ったわけじゃない。ただ居ても立っても居られなかっただけなのだ。



春澤先輩の母の取り乱した様子と、断片的に聞こえてくる彼女の両親と医者の会話から。僕は先輩が死んだこと、その遺体がひどく欠損していたことを知った。


事故当時、春澤澄歌はまだ息をしていた。発見した救急隊によって病院に運ばれ、そして命を落としたのだ。


何故少しの間だけでも生きていられたのか不思議なほどに、その体は悲惨なものだったらしい。



わからない。僕にはわからない。


少し前までは、僕の隣で笑っていてくれた彼女が死んだ。事故に巻き込まれて死んだことも、彼女と交わした最後の会話が別れのようなものだったことも僕にはわからない。


不鮮明になっていくからだ。




僕は病院から出て駅へ向かう。秋が始まろうとしている。肌を刺すような風の寒さが僕に振りかかる。



その冷たさが僕の熱い頭を冷まし、僕の冷えた心を更に冷たくしていった。ただ残るのは暗鬱とした気持ちだけだ。


(キスぐらいで何を悩んでいたんだろう。)


何故だか、全て馬鹿らしく思えて仕方なかった。あの山頂でした自己嫌悪も、謝らないとと山を降りたことも、何だったのだろうか。


僕が悩んでいる合間にはもう彼女はぐちゃぐちゃになっていたというのに。


駅への一歩目を踏み出す。自然と早足になっていく。



(なんだよ、こんなことになるなら。こんなことになるならもっと…もっとたくさん。嫌がる先輩を引き止めて、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと…。)



焦る気持ちに体が追いつかず、何度も足をもつれさせる。



(そうだ。無理矢理引き留めてしまえばよかったんだ。それかいっそ、変な意地張らずに僕も同じ電車に乗れば良かったんだ……それなら彼女を守れたんだ!!)



気がつけば、肺が張り裂けそうなほどに走っていた。



(それだけじゃない!一緒の電車に乗っていれば、僕は先輩と一緒に死ぬことができたんだ!!あの人を一人にせずに済んだんだ!!僕は一人にならずに済んだんだ!!!)



頭のなかで、何度も何度も何度も子供のように繰り返す。デタラメに何度も思考を繰り返す。ifの話だ。もしあの時ああしていれば、もしあの時ああしなければ。


何度も何度も繰り返す。

そして見つける答えはいつも一つだ。






瞬間、花吹雪のようにたくさんの思い出が、彼女の声が僕の頭のなかに鳴り響いた。


『和季。』 『和季!』 『馬鹿ね。』 『残念よ。』


『そうね。』 『ふふ。』 『来なさい。』 『ねぇ。』


『綺麗ね。』 『ありがとう。』 『ごめんなさい。』


『大切にしなきゃね。』 『なんでかしらね。』


『じっとして。』 『私がそばにいてあげるから。』


『変わらないでね。』 『あなただけなの。』


『特別。』 『好きよ。』 『あなたとは恋はできないわ。』




『あなたも、私のことを思い出すときは綺麗な思い出としてくれるかしらね。』




気づくと僕は駅のホームにいた。


昼過ぎと言えど、駅のホームには人がたくさんいる。そのなかの誰も僕の姿など見ていなかった。滔滔と流れていく灰色の雑踏のなか、緑色の僕だけはやはり浮かんでいた。



綺麗な思い出になんてなるだろうか。なってくれるだろうか。こんな苦しい思いがいつか美しくなるだろうか?


本気でそんなこと思っていたの?先輩。


ならないよ、全然苦しいよ。痛くて辛いよ。だからそばにいてよ。約束したじゃん。僕が大人になるまでそばに居てくれるって、あの時そう言ってくれたじゃん。


何で約束を破るんだ?何で僕の隣にいないんだ?何でもう会えないんだ?何で…何で死んじゃったんだんだ?



「あ…」


一度、声を出してみると呆気なく出た。


「ああ…」


もう一度、声を出してみるともっと長く出た。


「ああ…ああ、あ……」


もう一度、声を出してみると、何故だか思うように吸えなかった。その分息を吐いてしまい、やがて取り返しがつかなくなっていく。


「あああ!…ああ!……ああああ!」


ただ吐き出すように、喚き散らすように僕は声を出していく。もう止まることはなかった。


皆が僕を見ていた。緑色の異分子を遠巻きに見ていた。だけどそんなこと気にならなかった。僕が、一番見ていてほしいと思う人はもういないからだ。


「うあぁ………ああ!……あああ!」


今度は、涙が出てきた。止めようと思っても止められず、息も吸えない僕はただ頭が真っ白になっていくばかりだった。もう僕の背中を撫でてくれる人はいない。


「あああああ………ぁあ…うあぁ……あ、ああっ!」


人様の迷惑になると叱ってくれる人もいない。


僕はここだ。ここにいるぞ、先輩。だから、ひょっこりと出てきてくれないか?


冷たい声色で突き放して、それでも優しい笑顔を見せて、ずっと僕のそばにいてよ。


「あぁ……はぁ…うぁ……ああ!あああ!ああああ!」


それから、ずっと泣き叫んでいた。


子供のように泣いた。恥ずかしげもなく大きな声を出して泣いた。喉が枯れるまで泣き続けた。



美しい彼女を汚したのは僕だ。


美しく無くなった彼女は死んでしまったのだ。


春澤澄歌を殺したのは僕なのだ。



そんなことを泣きながら、ずっと考えていた。







泣き疲れて、泣くのも馬鹿らしくなって、少しだけ笑ってしまうぐらいになったそのとき…。


「あの…邪魔なんですけど。」



僕は一人の、不思議な後輩と出会った。

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