第10話 不思議な後輩のある日





首元がスースーしていて少しだけこそばゆい。それでも肩は今までよりもずっと軽く、気分は晴れやかだった。 


眉にかかる程度に切った前髪も似合ってる…はずだ。



自室の鏡を見ながら身だしなみを整えていた。見なりなんて気にしたことはなかったが、少しでも印象をよくするためには大切なことらしい。


試しに私はグッと胸を張ってみた。昨日もやってみて思ったが、私は私が想像していたよりも背が高いようだ。それでも平均よりは少し低いようだが。


(ギリギリちんちくりんではない……はず。)


鏡を見ながらそんなことを思っていた。前に一度ちんちくりんと先輩に言われてしまったが、そんなことはない。


だがしかし、彼に振り向いてもらうために少しでも良く見せるに越したことはないだろう。


「す、少しだけ開けちゃおうかな。」


着ていたYシャツのボタンを開けてみる。ちらちらと鎖骨が見えるぐらい。もしかしたら先輩もドキドキしてくれるかもしれないと少しだけ期待してしまう。


しかし現実は残酷なようだ。


「……………」


ちょみんとしてる。


ワクワクしながらボタンを外したものの残念ながら私の胸の大きさでは大人の色気は出ないみたいだ。ないわけではないが『あります!』と言えるほどにはない…のだ。


いや、先輩は胸の大きさで人を判断するような下世話な人じゃない。きっとそうだ。


そう思っていそいそとボタンを閉じているとドアをノックする音が聞こえた。


「!」


「舞、朝ごはんの時間よ。」


「あ…」


毎日、この時間にお母さんは私を呼びに来る。その度に私は扉を開けて何も言わずに階段を下るのだ。


目を合わせることもないし、口を開くこともないかわいくない娘を両親はどう思っているのだろう。


だが幸いなことに家にはまともな弟がいる。これで一人っ子だったなら両親からの愛と思い通りにいかない歯痒さに私は潰れていただろう。ありがとう弟よ。


しばらくして、お母さんがドアから離れる足音が聞こえた。これもいつものことだ、赤いヘッドフォンをつけた娘がそのうち下りてくると思っているのだろう。


昨日までの私なら確かにそうだ。それでも今日の私は違う。私は変わると決めたのだ。


(も、もし失敗したら先輩に慰めてもらおう。)


私は扉を開けた。トントンと音を立てながら階段を下っていく。リビングの扉を開けると父と母と弟がいた。



まずは目を見ることから始めよう。


きちんと挨拶をしよう。


笑顔の練習をしよう。


ハキハキ喋る練習をしよう。


おかしくてもいいから自分の意思をきちんと伝えよう。


相手の話を聞こう。



小学生の目標みたいで笑ってしまうが、恥ずかしいことに今の私には全てできない。だからやるのだ。


「お、おはよう!」


思ったよりも大きい声が出てしまったのは今後の反省点かもしれない。






3時間目の英語の授業が終わり、私はふうと一息をついた。私は英語が苦手だ、スピーキングが大嫌いなのだ。理由は何となく想像がつくだろう。


ややがっかりとしてしまった私だが、すぐに笑顔を取り戻す。


(やっと昼休みだ、先輩に会える。)


疲れていたはずなのに、先輩のことを考えるだけで顔がホクホクとしてしまうのは私が恋する乙女だからだろう。


今朝の電車に先輩はいなかった。サボりではないと思う。


おかげで学校までの道を私は一人寂しく歩いてきた。どうやら羽賀先輩は一つ遅い電車で来るみたいだ。運命というやつを信じてみたが、そううまくはいかないらしい。


(いや、これはスパイスだ!先輩と会った時の多幸感を高めるためのほんの少しの寂しさだ!)


ガタッと私は勢いよく席を立った。瞬間、クラスメイトたちが私を見た。


「…………」


今朝から周囲からの視線が痛い。きっと前髪を切ったせいだろう、皆が私を見ている。正直とても怖いし、すぐにでも顔を下げたい。


(だ、ダメだここで俯いたら私は変われない!)


ふんっ!と私はちっちゃい胸を張った。胸を張れば顔を下げることはできないだろう。ピンクのベストを着たマッチョマンが下を向いているところを私は見たことがない。



「春日谷さん。」


「!」


私が覚悟を決めていると、背後から陽気な声がかけられた。振り返るとそこには細田君が立っていた。


「何?」


「ちょっと話があるんだ、ついてきて。」


「は?」


これから先輩に会いにいくというのに一体何用だと、睨むように彼を見ると、細田君は何やら真剣な顔をしていた。


「………わかった。」


「! あ、ありがとう。」



細田君が連れてきたのは体育館裏の一角だった。


実を言うと私は彼の用件に気づいていた。私にとってはあまり意味のないことなのだが、それでも私は彼の話を聞くことにした。ひとつだけ聞きたいことがあったからだ。


「ごめん…こんなところに呼び出して。」


「うん。」


言い淀んだ様子の細田君を私はきっと冷めた目で見ているだろう。


「春日谷さん!その……お、俺とつきあってくださ」


「細田君。」


「え?」


彼の声を遮るように私は彼の名を呼んだ。当然、細田君は素っ頓狂な声を上げる。決死の思いで告白したのに邪魔されたのだから。


「私いじめられてたの、気づいてた?」


「………だ、誰に?」


「そう、気づいてなかったんだ。」



だからこいつは私に声をかけたんだ。私のいじめを見て見ぬふりしていたクラスメイトの皆は私に話しかけない。どの面下げて話しかけて良いのかわからないのだろう。それに、私だって話しかけてほしくない。


そのなかで細田君だけは何食わぬ顔で話しかけてきた。その理由が私は気になったのだ。



彼は気づいてなかっただけなんだ。好きな人がひどい目に遭わされていても気づけない人なんだ。


「細田君、よく優しいって言われない?」


「え、ま、まあね。」


「勘違いしないでね。」


「え?」


そろそろ先輩の元へ行かなきゃいけない。昼休みは有限なのだから。


「細田君は穏やかで、鈍感で、場の空気が読めなくて、薬にも毒にもなれない人間というだけなの。決して優しい人じゃないの。だから、勘違いしないでね。」







「結局ここなんですね。」


「まあ、行くところなんてないしな。」


私と先輩は屋上の、いや屋上まで続く階段の踊り場にいた。先輩曰く屋上よりは温かいらしい。


「寒くなったら学食にでも行こうぜ。他の奴らの迷惑にならないように礼儀正しくな。」


「先輩と一緒なら私はどこでもいいですけど……」


「ん?何か言ったか?」


「何でもないでーす!」


「あっそ。」


つれない返事と共に菓子パンを食べた羽賀先輩を見る。今度お弁当でも作ってきてあげようかな。お母さんに作り方教えてもらって。


「…なんかついてるか?」


「え、あーいや。」


少しだけ見つめすぎたかもしれない、先輩がペタペタと顔を触る。その様子がおかしくて私は笑ってしまう。


「先輩。」


「えー?」


「緑の髪もその黒髪、似合いますね。」


「………あんがとよ。」


照れ臭そうに笑う羽賀先輩の耳にはピアスはなく、その髪は昨日染めたようで不自然なほどに真っ黒になっていた。

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