第11話 先輩との日々①




春澤澄歌は強く美しい人だった。


何者にも染まらない絶対的な彼女を見るものを惹きつけ、その全てを引き離した。 


その生き様は正に、高嶺の花と言わざるを得ない。



そんな人がなぜ一時だけでも僕と時間を共にしてくれたのか僕は未だにわからない。いや、一緒にいる時は考えもしなかったのだ。


彼女にフラれて初めて、僕は彼女との日々がいかに美しく儚いものだったのか気づくことができたのだから。






「先輩、頭良いんですね。」


「これぐらい教科書読んでれば解けるわよ。」


「……解けねぇから聞いたんだよ。」



とある夏の平日、僕と先輩は二人で海に来ていた。


堤防の上…というわけではない。毎日のように堤防で座っていたら日に焼けてまっくろになってしまうだろう。


「それより、他にわからないところはないのかしら。」


「いいんすか?先輩だってテスト近いんでしょ?」


「いいから、出しなさい。」


先輩の圧に押されて、僕は机の上に物理の参考書を置いた。ギシリと彼女が座っていた椅子が鳴る。



僕たちはとある小屋のなかにいた。


春澤澄歌はこの小屋のことを自分の隠れ家だと豪語しているが、おそらく勝手に使っているだけだろう。立派な犯罪行為だが咎める人もいない。


決して円満とは言えない出会いを果たした僕と春澤澄歌は度々この海で話すようになった。

僕も彼女も見つけた格好のサボり場を譲る気はなかったし、彼女直々に小屋に来ていいと言われた手前、行かないのも憚られたのだ。



「———これでわかったかしら?」


「び、びっくりするぐらいわかりました……。」


「そう、ではありがとうを言いなさい。」


「ありがとうございます……それにしてもすごいすね、そんなに学校をサボってるってのに。」


今日だって本当は登校日、加えて言うなら夏の期末テスト直前だ。そんな日にもサボってるというのだから頭はあまり良くないと思っていた。


ちなみに普段からサボり魔人の僕はおそらく学年の底辺をうろちょろしているはずだ。定期テストの結果もよくなかったので瓶に詰めて海に流した。今頃ハワイとかに届いてるだろう。


「学校は嫌いだけれど勉強は好きなの。それにあなたも勉強はしたほうがいいわよ、人と馴れ合えないなら特に。」


「勉強したほうがいいのはわかるけど…どうにもな。」


「面倒くさがってはダメよ、勉強ほど努力と結果が釣り合うものはないのだから。それに高校をやめても資格なんてたくさん取れるわ。それこそ勉強しておいたならね。」


「……………」


そう言われても面倒くさいものは面倒くさい。逆に志だけでしっかりと勉強できてるこの人が完璧すぎるんだよな。


「…納得いっていないという顔ね、まったく。」


「んぇ?あーいや…」


「仕方ないわね。あなたが一人で勉強できるまで私が見てあげるわよ。」


「僕、勉強はあんまり…」


「あら、日がな一日海を見ているよりは有効な時間の使い方よ。」


「僕はまだ一年生だぜ?」


「勉強するなら早い方がいいわ。早ければ早いほど良いものよ。」


「……あんたを突き合わせるのも悪ぃよ。」


「言ったはずよ、ほとんどのテストは教科書を読むだけで100点を取れるようになってるの、センターだってそう。教科書の黙読なんて隙間時間にやればいいのよ。」


「……それ僕にも同じことやれとか言わないよな。」


無理だろ。黙読だけで100点取れるなら誰もペンなんか握らないし、教師もいらない。  



僕はため息をついた。


(それにしても随分と勉強を勧めてくるな。いつもならこんなことないはずなのに。)


実を言うと今日の勉強会(仮)だって何も僕が始めたわけじゃない。先輩がわからないところはないかとしつこく聞いてきたので適当にわからないところを示しただけだった。


春澤先輩は人と人は違うと言うことをよくわかっている。いい意味でも悪い意味でも人に関心がないのだろう。


目に見える髪やピアスのことは聞いてくるが私生活のことはあまり聞いてこない。おそらく目についたものを適当に話のネタにしているだけなのだろう。星とか花とか雑学についてもよく話してくる。


おかげで僕も彼女の私生活についてはほとんど喋らない。彼女がどこで暮らしているのかすら僕は知らないのだ。



「言わないわよ。今教えてみてあなたの頭脳の性能は大体わかったわ。あなた地頭はそれほど悪くないじゃない。」


「まあ昔はちゃんと勉強してたからな。その名残だろ。」


うちの高校はまあまあな進学校なのだ。だからこそ非行少年にしか見えない僕は浮いているわけだが。


「あらそう。どうしてやめてしまったの?」


「それは……」


「?」


「…………」


「それは?」


僕は言い淀んでしまった。

黙り込む僕を見て先輩が首を傾げる。


「いや…」


僕はなんて言ったものか悩んだが、笑って誤魔化すことにした。


「あんただって言いたくないことぐらいあるだろ、それと一緒だよ。」


「あら、そうなの。」


「そうだよ。」


変な空気になってしまわないかとハラハラしたが、思っていたよりも先輩は大人なようだ。軽く受け流してくれた。


「…………」


先輩にも言いたくないことがあるのだろうか。こんなに完璧で堂々とした彼女にも後ろめたいことや隠したいと思うことがあるのだろうか。


『美人なのに怖いよな、いきなり教室で暴れ出すなんてな。』



「…まぁ、そりゃあるよな。」


「何か言った?」


「いや…」


「ひょっとして、私にも言いたくないことがあるんじゃないかとか思ってる?」


「えっ!?」


僕は思わず慌てふためいてしまった。心の中で思っていたことを言い当てられたのだから当然だろう。


「別にないわよ、聞かれて答えられないことなんて。あなたが知りたいのなら聞けばいいわ。」


「……………」


なんとなく彼女の噂の真相を彼女には聞いてはいけないと思っていた。触れてはいけないものだと。


しかし今、彼女から明確な答えが出されようとしている。


「僕は……」


「…………」


「…………」


正直に言うと僕は知りたかった。あの日クラスメイトの会話を盗み聞きした時からずっと、頭の片隅から離れない。


それでも…。 


(やっぱり…彼女から言ってくれるまで待とう。)


答えてくれるとは言うものの、やはり聞くのは野暮だと思ったのだ。


「いや、やっぱり僕は…」


「ただし、3カップはNGよ。」


「え?」


「…………」


「え?」


「ごめんなさい。ジョークというやつを嗜みたかったのだけれど…面白くなかったかしら。」


「……いや、面白いっすよ。」


どうやら完璧な彼女にも欠点はあるらしい。先ほどまでの切り詰めていた雰囲気も台無しだ。


いや、僕が勝手に深く考えていただけで彼女はずっとこのジョークを言おう言おうと考えていたのかもしれない。そう考えるとなんだか馬鹿らしくなってきた。


なんだかモヤモヤした気分のまま苦笑していると、机を挟んで対面に座っていた彼女が身を乗り出した。


「和季。」


「!」


彼女が笑顔を見て僕は面食らってしまう。彼女の笑顔はやはり見慣れない、それに心臓に悪いのだ。


なにせ彼女の笑顔は美しすぎる。



「もうすぐ期末テストね。」


「まあ、残念なことに。」


「そして、夏休みが始まるわ。」


「………」



先輩の黒髪が艶やかに揺れた。


潮風に揺られた彼女はなんだか浮ついているようだ。その証拠に小屋に飾り付けられたシーグラスが揺れていた。

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