第12話 先輩との日々②





「ただいま……なーんて。」


玄関の扉を開け、僕は一人ジョークを言ってみた。しかしすぐに後悔することになる、なんせ誰もいないのだから。いや、これはもはやジョークと呼べるのか?


やり慣れないことはやるべきではないみたいだよ先輩。


僕は靴を脱ぎ、玄関の電気をつけた。廊下の電気にリビングの電気、テレビのスイッチに風呂の蛇口。


僕が帰ってきた途端にこの家はたちまち活動的になる。他にスイッチを押す人がいないのだからしょうがない。


「…はぁ、飯まだ残ってるっけな。」

 

僕は冷蔵庫を開いた。


 

家には誰もいない。僕の家は父子家庭であり、父は夜遅くでないと帰ってこないのだ。そのうえ僕よりも早く起き、早く出ていく。僕がまだ幼いころからずっとそう。


おかげで僕は彼の顔をまともに覚えていない。


(まあ、ありがたいけどな。)


食わせてもらってるだけありがたい、そう思うべきなのだ。高望みなんてしない。


僕は卒業できたらすぐに家を出ていく準備をしている。本当ならバイトもしたいが、僕が通っている高校はバイト禁止であるためできないでいる。



「カップ麺でいいか。」



高校に通って欲しいと言ったのは父だった。放心主義な父が言った唯一の助言だったのでサボり気味だが留年にならないように気をつけて通っている。


(本当はやめてしまってもいいんだけどな。高校を出たとしてもこんなねじ曲がった性格じゃあろくに稼げやしないだろうに。だったら今からろくでもない場所で働いた方がまだマシだ。)


そんな冷めたことを思いながら、僕は冷凍の夕食を胃に流し込んだ。つけっぱなしのテレビを見てもどうやら面白いと思える番組はないようだ。僕はテレビを消した。


皿を洗い、風呂に入り、歯を磨く。あとはもう眠る。


この家には娯楽なんてないし、僕には趣味なんてない。だから必然的に眠りにつくのが早くなってしまう。


きっと僕の図体が無駄にでかいのは無駄に睡眠をとっているからだろう。父はそこまで大きくないのだ。


それか、母さんからの遺伝か。


僕は棚の上に置かれた写真立ての前に立つ。写真の前には水の入った瓶に花が挿してあった。


「水は…昨日変えたんだっけ?」


まあ、花が枯れたら変えればいいだけのことだ。そろそろ夏の花にでもしようかな。先輩に聞けば何か綺麗な花を教えてくれるかもしれない。


僕は写真立てをそっと手に持った。そこには綺麗な人がこれまた綺麗な笑みでこちらを見ていた。


僕の母さんだった。


「おやすみ、母さん。」


写真立てを棚の上に戻し、僕は自室へ向かった。


時刻はまだ20時だった。


部屋の窓から見える景色からも人が寝静まる時間からはまだちょっと早いことがわかった。


部屋の電気を消し、かけ布団を被る。


「……………」


『夏休みが始まるわね。』


「………はは」


先輩は何をしているだろうか?寝る前はいつもそんなことを考えていた。






「それなんすか?」


「さぁ?案山子かしら?」


「そう…すか。」


「さっき拾ってきたの、綺麗でしょ?」


「………はい。」


彼女がまた何か変なものを拾ってきたようだ。おそらく小屋の至る所に括り付けられているシーグラスや流木も彼女が拾ってきたものなのだろう。


綺麗かどうかは高尚すぎて僕にはわからないが。


「わからないという顔ね。」


「!」


「まあいいわ、さあ勉強の続きをしましょう。」


「ほ、本当にやるんすか?」


嫌だと言ってもやるのだろう。彼女は机の上に参考書を並べ始めた。彼女が一年生の頃に使っていたものだろうか?


なぜかはわからないが、彼女はどうしても僕に勉強をさせたいらしい。おそらく暇つぶしのつもりなのだろうがこちらとしてはたまったものじゃない。


こんな暑さのなかで勉強しろというのも無理があるしな。


「……………」


「…いきなり勉強しろなんて言っても困るかしら?」


「え、いや…」


少しだけ悲しそうな声を出した春澤澄歌に僕は慌ててしまう。焦って彼女の顔を見ればいつもの能面のような顔をしており、何を考えているのかまるでわからない。 


(遊ばれているのか…?)


遊ばれている可能性を捨てきれないところが彼女の恐ろしいところである。夏の暑さも相まって僕の額には汗が伝ってしまう。


しかし彼女は真剣な様子で冷静に話を進めた。



「例えばの話をするわよ。」


「え?」


「例えばあなたが働くとして、あなたは自分が変わり者であることを自覚しているからきっといい仕事にはつけないと思っているでしょう。たとえ学歴が良くても。」


「!」


「でもそれは間違いよ。和季、社会で評価されるのは性格ではなく能力。協調性はもちろん大切だけど、それは評価対象の一つでしかないわ。もっとも、協調性があり能力も高い人に比べたら選択肢は減るけどね。」


「確かに…そうかもしんないけど。」


「今のあなたは協調性も能力もない人間よ、それでは駄目。自分の性格がねじ曲がってると思うならその分能力を身につけなきゃ。そして学歴はその最たるものよ。」


「…………」


僕が彼女に何も言えなかったのは、彼女の言うことに思うところがあったからに他ならない。しかし彼女はまだ僕が彼女の話に納得していないのだと思ったらしい。


暫し考えたあと、彼女は机越しにこう言った。


「そうね、じゃあこうしましょう。あなたにはゲームをしてもらいます。」


「は?」


「そう、ゲームよ。あなたが学年30位に入ったら私の噂について教えてあげるわ。そのかわり入れなかったらあなたの言いたくないことを教えて。」


私が教えるのだから余裕よね、と彼女が器用にペンを回し始めた。僕は呆れた目で彼女を見てしまう。


「……聞いたら教えてくれるんじゃなかったのかよ。」


「私から言って欲しいんでしょ?顔を見ればわかるわ。」


「…………」


僕は思わず絶句してしまう。なんだか色々面倒くさくなってしまった。いっそのこと聞いちゃおうかと思ったが、今になって聞いても彼女は答えないだろう。


「あなたがゲームで勝ったら、私も言いたくなるかもしれないわね。」


「な、なんだよそれ…」


「だから和季、頑張って。」


「やるなんて一言も……いや、そうだな。」


僕が言い淀んだのは、春澤先輩の噂について知りたかったのと彼女が言う勉強する理由に少なからず思うところがあったからだ。


「…………」


先輩は返答に困る僕を無表情のまま、それでも機嫌が良さそうに見つめていた。 


(この小屋で勉強するなら、扇風機を持ってこなきゃな。)


僕はただ頭の片隅でそんなことを考えていた。







家に帰り、スイッチをつける。たくさんのスイッチだ。途端にこの家は色づき始める。

なんとなくつけたテレビは今日も面白いとは思えない。


飯を取り、体を洗い、歯を磨き、母の遺影の前に立つ。


「おやすみ、母さん。」


僕は自室へ向かった。時刻は20時。いつものようにまだ夜は活気だっている。そのなかで僕は一人眠りにつく。


『夏休みが始まるわね。』


そしていつも通り彼女の声を思い出す。


「………くそ。」


時刻は20時、深夜にはまだ早い。僕はベッドから抜け出し、久しぶりに勉強机の前に座った。



きっと先輩もこの夜の中でペンを握っている。

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