第9話 不思議な後輩との日々⑥





変わる必要はないと思っていた。


『大切なのはその個性と向き合いながら、しっかりと自立して生きていくことなんだから。』


だから変わる必要はないと思っていた。自分らしく生きていくことが大切なのだと思っていた。



それでも春日谷と過ごしたこの1ヶ月で僕は気づいたのだ。



僕は逃げていたんだ。怖がっていたんだ。浮いてしまった緑色の自分をいつしか肯定するようになっていたんだ。


変わらないものなんてないように、変わらなくていいものなんてきっとないのに。



「春日谷、僕は一つ間違いを言った。」


「え?」


「人と目を合わすのが苦手なことも、人の声が苦手なことも、それから他人と合わせることができないことも、全部変えていかなきゃなんだ。」


「!」


「そうじゃなければ、弱い僕らは壊れてしまうから。」



なりたい自分があるのだ。僕も春日谷も。だけどそれになれなくて苦しんでる。一人だから苦しんでる。



「昔さ、僕にも仲の良い先輩がいたんだよ。本当に綺麗で強い人だった。だから僕は彼女に憧れたんだ。彼女みたいになれるって本気で思ってたんだ。」



春澤澄歌には、きっとなりたい自分なんてものはない。望むものなどない。現状こそが彼女が思うベストなのだ。


だから苦しまない。いかに他人と色が違うとも彼女は笑える人なのだ。黒にも茶にも染まらないでいられるほどに強くて綺麗な人だったのだ。


彼女は僕たちとは違うのだ。 



「春日谷、僕たちは変わる努力をしなきゃいけないんだよ。綺麗なままでいたいなんて強い言葉はもう使えやしないんだ。」


黒と茶色の人並みのなかで鮮やかでいられるほど僕たちは強くない。汚くなってしまっても生きなければならない。



「…なれるんですか?」


「!」



恐る恐ると言った様子で彼女は言った。いや、口から漏れてしまったと言ってもいいほどにか弱い声だった。


彼女は怖いのだ。変わっていく自分が怖いのだ。

僕だって怖い、もしかしたら自分が自分ではなくなってしまうのかもしれないのだから。


それでも、いつまでも怖がってばかりじゃいられないのだ。逃げてばかりじゃいられないのだ。



「なろうよ、二人で。」



僕はそう言って彼女のヘッドフォンに手を伸ばし、そっと抜き取った。彼女の細くて白い首が露わになる。


「もうヘッドフォンもしなくていい。本も読まなくていい。こんなものに頼らなくていい。」


「……………」


「今度からは怖くなったら僕を頼ってくれ、春日谷。僕もお前を頼ることにするから。」


ヘッドフォンも本も緑色の髪の毛もピアスももういらないだろう。逃げるための言い訳はもういらないのだ。



春日谷舞がゆっくりと顔を上げるのがわかった。そのかわいらしい唇を開いて、言葉を紡ぐ。


「…………先ぱ」



『2番線、電車が参ります。』



「え」 「あ」


彼女の声をかき消すように電車の到着を告げる音声案内が駅のホームに鳴り響いた。 


「………ふふ。」


「………はは。」


張り詰めていた僕と春日谷の間の空気が一瞬にして緩むのがわかった。思わず僕も彼女も笑ってしまう。



ゴウウウッと大きな音をたてて電車がやってきた。



「先輩っ!」


「え」


その瞬間、春日谷舞が僕の手を引いた。


「お、おいっ!」


「いいからっ!ついてきてくださいっ!」


僕は思わずよろけて、転びそうになりながら彼女の後を追った。


「せーのっ!」


「お、おま…春日谷っ!!!」



二人で電車の扉に一直線に飛び乗った。



幸いにしてこの時間帯の電車は乗客も少なく、僕たちが乗った車両には僕たち以外誰もいなかった。


「お、お前!何考えてんだよ!!」


たまらず文句を言う僕。そんな僕に春日谷舞はなんとも眩しい笑顔でこう返すのだ。


「先輩、これが私の答えです。」


そして、僕は気づいた。自分たちが乗り込んだ電車が学校へ向かうものだということに。


「……先輩、私頑張ってみます。だから見ていてくださいね。」


もう彼女の顔は今朝のように暗いものではなく、明るくかわいらしいものになっていた。


「…………ああ、わかったよ。」



彼女に笑いかけながら僕は気づいた。


ガタンゴトンと揺れる電車のなか、こんなにも息をうまく吸えることが久しぶりだということに。




ふと、自分の髪が電車の窓に反射して目に写った。

緑色の髪の毛だ。


『和季、私あなたのその髪の色好きよ。素敵だもの。』


大好きだった先輩が褒めてくれた髪の毛だった。だけど、あの人は僕をフッて消えてしまった。


いつまでも彼女に縛られていてもしょうがない。


(黒の髪染め、買わないとな。)



僕は彼女を、忘れなければいけないのだ。







先輩が何やらヘンテコな顔をしている。泣いているのか笑っているのかわからない例の顔だった。


『二人なら怖くないよ、絶対。』


もう疑いようはなかった。


彼が触れた場所が熱くなるわけも、彼に見られるたびに心臓が高鳴るわけも、どんなに苦しいときでも彼がいれば心が軽くなるわけも、いつだって勇気をくれるのは彼なのだということも、全部わかっていた。 



「大好きです。」


「……え?なんか言ったか?」


「何にも言ってないですよ、先輩。」


「そうか?」



私は今、羽賀和季に恋をしているのだ。

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