悪魔はぼくを①

 それからも数日はぼくは必死に訓練するユーシャちゃんを側で何も言わずに見続けるだけで逃げていた。まあ何も言わないと言っても、お疲れ様とかすごいねとかは言うけれど。意味のあることは何も言わなかった。口を開けば、この子にとって後ろ向きなことしか言えないと思ったからだ。


 だがそんな日々もずっとは続かない。勧誘は続く、特に熱心だったのはセンシさんからのだ。ぼくが気まぐれで手伝った片手半剣の整備さばきに何かを見出したらしい。暑苦しい人に付きまとわれるのは良い気分がしない。夏なら尚更だ。仕方なしぼくはそれを受けることにした。


「やっと受けてくれたか! なに、本気でやり合うつもりはねえ。ちょっと見させてもらいたいだけだ」


「好きですねえ……」


 ぼくはチャンバラは好きじゃない。どこまでいっても人殺しの技術だからだ。


「じゃ、兄ちゃんはこっちのを使ってくれ」


 センシさんが自分のと同じ剣をぼくに差し出す。ぼくは苦い顔をした。これから言うことを聞いたらセンシさんはいい顔しないだろうなあ……


「や、ぼくは剣使いません」


 瞬間、木が燃える破裂音しか聞こえなくなった。


「……つまり?」


「剣は使いません。ぼくはその辺の……落ちてる木とかでいいんで」


「…………ほう」


 静かな緊張が夜の野営地を支配する。さっきまで呑気にぼくたちのやり取りを見ていたマドーシさんが珍しく慌てた顔をする。


「あんた、何言ってんの?」


「いや、馬鹿にしてるとかじゃなくて。真剣使ったら最悪何があるかわかんないじゃないですか。ただそれだけですよ」


「なるほどな……つまり自分が真剣を使えば最悪俺を殺してしまうから使えないと。そんで、俺が使う程度なら自分が落ちてる木とかで何とか対処すれば問題ないだろう、と」


「そういうわけじゃ……」


 ……まあそういうわけだな。改めて考えればぼくは心の中でそう思ってた。ぼくが真剣を持てば最悪センシさんを殺してしまう事態になる。センシさんが真剣なら、最悪ぼくが死ぬ程度だ。

 言い詰まるぼくを見て自分の推論に確信を得たセンシさんは、顔色から察するに抱いた怒りを必死に我慢していた。


「……なるほどなあ。なるほど。そういうわけならしょうがないな」


「ちょっとあんた! さっさと謝っときなさい」


「いやいい。真剣が使えないなら、杖はどうだ。木じゃ流石に鋼を受け止め続けるのは難しいだろ。俺の荷物の中にある、それを使うといい」


 ある種穏やかにも思える口ぶりだ。怒ると静かになるタイプだったらしい。マドーシさんは呆れ、ユーシャちゃんは戸惑っている。ぼくは何をしているんだろう。やっぱり人付き合いは苦手だ……


 言われるままセンシさんの背嚢の横に立てかけてあった杖を手に取る。杖といっても老人用の物じゃない。黒い鉄杖だ。ぼくの胸くらいまでの丈で尻尾に石突き、頭に宝石のようにカットされた打ったり突いたりするための機構が付いている。恐らく戦闘用の杖だ。といってもぼくが気にしてればこれで人を殺す可能性はあり得ないだろう。


 手にとってみると意外や意外、しっくりきた。握りも背丈も丁度良い。


「じゃあ行くぞ兄ちゃん」


「怪我したら言いなさい。ある程度までなら治したげるから」


「お兄さん、頑張ってください!」


「俺の味方はいねえのかよ……」


 苦笑いしながら視線をぼくに向けるセンシさん。その目は一瞬で冷えて鋭くぼくを捉える。お互い見つめ合う。静寂が辺りを包む。ぼくの方からどうこうするつもりはない。あちらの出方を待つ。


 瞬間、目の前にセンシさんが迫る。暗闇の中でぼくに感じ取られないようにすり足で音を立てずに距離を詰め、前傾姿勢のまま決して倒れ込まないよう体を保つことで一瞬で距離を詰めたように見せる技術だ。アクマ曰く、センシさんは魔法士殺しと呼ばれているらしい。恐らくこの技術は魔法や魔術による行動を感知しやすい魔法士との戦闘を想定して磨かれたものだろう。魔法や魔術に強かろうと、技術のみでそれ並みの現象を起こされたら魔法士には対抗手段が無い。


 と、いうようなことをとても速い剣戟を鉄杖で受け止めながら考える。首、脇腹、足と必殺とも言える連続した攻撃が襲ってくる。これは訓練と言えるのだろうか……ぼくがちょっとあくびでもしようものなら首が胴から離れかねないほどの気迫の連撃だ。両手で持つ鉄杖が欠けてやしないか確認する。随分丈夫なようで綺麗なものだ。


 足払いをかわし牽制の拳をよけ巻き上げた砂煙から距離を取る。背後に回っていたセンシさんが躊躇なくぼくの頭に振り下ろした切っ先が届く前に鉄杖を滑らせる。突かれた剣先とタイミングをずらして手に持った石が胴に向かって飛んでくる。どちらかを受け止めたらどちらかを食らうというわけだ。刺突と投擲を一緒に紙一重でかわす。


 今までこんな風に喧嘩した中でセンシさんは一番強かった。ライバルくんみたいにやり方に凝り固まってない。けど今までこんな風に喧嘩したみたいにぼくに危機感を持たせるほどではなかった。これが人族で二番目? 本当なのかな。

 

 センシさんの焦っているのが見える。徐々にぼくが手を抜き出してるのがわかるからだろう。今までなら杖で受け止めていた振り下ろしをスウェイして避けたりするのを見てどうにか切り傷でも負わせたいと思ってか牽制じみたクイックの刺突や足払いが増えた。それも避けてみせる。


 ぼくはこの訓練の終わりを模索し出した。ぼくが傷を負えばいいのか、センシさんを倒せばいいのか。痛いのは嫌だけど殴ったりするのも後々気まずいから嫌だ。どうしようかと悩んでいると、センシさんが天幕の前に置いてあったぼくの荷物を蹴り飛ばしてきた。

 これは上手い手だと思う。あの荷物はぼくが故郷から持ち出した数少ない財産だ。そりゃ高価なものなんてないけれど、愛着はひとしおだ。受け止めざるを得ない。ぼくは杖を捨てて開け口から散らばりつつある荷物を両手で受け止めた。あ、鍋が落ちた。凹まないといいけど……


 当然その間にセンシさんは一太刀入れに来る。両手はふさがっているし荷物のせいで避けるのも一苦労だ。ぼくは恐ろしい速さで迫る銀色にカウンターの要領で回し蹴りを入れた。軌道が逸れた隙に荷物を下ろし鉄杖を拾おうかとして、やめた。


「もういいですか?」


 つんのめって距離を置いていたセンシさんに問いかける。戦略的に上手かろうとこれ以上荷物を荒らされるのはうんざりだ。

 ぼくの余裕とも取れる態度にイラついたのか暗闇でセンシさんの体がびくっと反応した。


「やめなさい!」


 マドーシさんの大声とほぼ同時に、ぼくの知覚を超えた速度で片手半剣が目の前に迫っていた。


「…………あ」


 気が付いた時ぼくは地面に寝転がっていた。ゆっくりと体を起こす。マドーシさんがセンシさんに近寄っている。次の瞬間センシさんの巨体が十メートルくらい吹き飛んでいった。それを気に留めもせず今度はぼくの方へ向かって来る。


「脱ぎなさい」


 有無を言わさない口ぶりだ。困惑しつつも良いことでもあるのかと胸元に目を向ける。肩口から下腹部の辺りまで、赤の線が入っていた。途端、ぼくの体は痛みを思い出し始めた。


「い……た」


 痛がるぼくを無視してマドーシさんは手ずから服を脱がしてくれた。顔を上げて傷から目を逸らす。ピンク色のものが飛び出していたら嫌だと思ったからだ。前を脱がし終えたマドーシさんが指先を立てると流れ出たぼくの血がその指先に集まって球になった。それを地面に投げ捨てると今度は傷口を指で上からなぞった。するとさっきまでが嘘みたいに体から傷と痛みが消えていった。


「後ろに飛んだの良かった。杖で受け止めようとしてたら、こんな簡単じゃなかったわ」


「ありがとうございます……」


「……どういたしまして」


 苦々しい顔でそう返したマドーシさんはくるりと振り返って今のなお地面に寝転がっているセンシさんのもとへ向かった。胸元を掴んで引きずり立たせる。膝をついたセンシさんは気まずそうだ。


「本気でやり合うつもりはないんじゃなかった?」


「ああ……」


「だったら身体強化魔術を使うのはおかしいでしょう」


「……その通りだ」


「あんた、あの子にも今みたいな指導の仕方するつもり?」


「そんなわけねぇだろ! そんなことあるわけ……くそ、悪かった。本当に悪かった」


 ユーシャちゃんのことになると急に声を上げたセンシさん。そんな態度取られると少しもやもやするぜ。最悪ぼくは死んでもよかったんかい。


「謝る相手が違うでしょ」


 マドーシさんは親指でぼくを指した。

 センシさんは俯きがちにこちらに歩いてくる。


「兄ちゃん、本当にすまなかった」


「……はい」


 詫びの品に何か要求してやろうと思ったけど思いつかない。ぼくっていつもこれなんだよな……

 仲直りの握手を交わす。あ、要求期間終わっちゃった……これで後からぐちぐち言ったらこっちが白い目で見られてしまう。うう、損な性格だ。


「センシ、二度とこんなことないように。こいつはわたしの二番弟子になるんだから、丁重に扱いなさい」


「わかったよ……」


 と、この一団の中で一番ぼくを殺しかけた回数の多い人が言う。それを思えばさっきまでの常識人ぶった態度も滑稽だと思ったけど口にするのはやめておいた。

 しかし、一緒に旅する三人のうち二人に殺されかけるなんて。今はかわいい顔をしてるけど、そのうちこの子もぼくに刃を向けるのだろうか。さっきから緊迫した空気について行けずおろおろしていたユーシャちゃんに目を向ける。ぼくと目が合うと、遠慮がちに近寄ってきた。

 

 


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