悪魔はぼくを②

「お疲れ様です。お怪我は大丈夫ですか?」


「うん、シャツはこんなだけど」


 縦に裂けたシャツを持ち上げておどけてみせる。実のところこれはかなりダメージだった。


「大変です、替えはありますか?」


「それがないんだよね……まあ、しばらくはこのままでいくよ。ローブで前隠せばバレないでしょ」


「……不憫ですよ、それは」


 ユーシャちゃんはぼくに向かって気まずげに苦笑いを向けるセンシさんに目を向ける。らしくない、剣呑な視線だった。


「大したことないよ。ちょうど擦り切れて布切れ同然だったし、今度街に着いたら新しいのを仕立ててもらおうと思ってたし」


「そうだったんですか?」


「うん」


 出来るだけ本当に何も感じていないような間抜け面を心がけて答えた。


「修行の時間取っちゃってごめんね。さ、訓練つけてもらいな」


「修行……」


 ユーシャちゃんはぼくの前から離れようとせず、むしろちらちらと顔を窺ってくる。


「あの……」


「どうしたの?」


「今日は、お兄さんが教えてくれませんか?」


「え?」思いもしないお願いだった。


「さっきのセンシさんとの試合、すごかったです。受け流したり、避けたり……」


「確かに。あんた、なんで達人だって言わなかったの?」マドーシさんが入り込んできた。


「そっち方面は素人だけど、それでもあんたがセンシを圧倒してるのはわかったわよ。こいつが魔術使わなかったら余裕で倒せてたんじゃない?」


「……認めざるを得ないな」


 渋面ここに極まれりと言った表情でセンシさんがこぼした。


「人が悪いわね。修行に参加しなかったのは教わることなんてなかったからだったんだ。最初からそう言えばいいのに」


「お願いします!」


「いやあ……他人に教えたことなんてないし、教え方なんてわからないよ」


「それでもいいんです。実際に手合わせしたら、もっと何か掴めると思うんです」


 真っ直ぐなにぼくを見つめる二つの瞳。とても苦手だった。

 ううん、これはどうせ押し切られる流れだな……ならぼくがこの子にしてあげられることはなんだろう。敵を倒す技術なんて教える気は無い。自分を大切にして……相手の攻撃を避けたり受け流したりする動きを見せることにしよう。この子のためにも、そしてぼくの精神衛生的にもそれが最適だろう。


 ぼくは落とした杖を拾い上げる。


「今日だけだよ?」


「ありがとうございます!」


 ぼくたちは少しだけの距離を取った。ユーシャちゃんはセンシさんから譲り受けた片手半剣。振り回すために身体強化魔術を行使したみたいだけどセンシさんみたいに自分の戦闘能力を強化するためと言うより一人前に動くための補助輪みたいな役割だろう。ユーシャちゃんが剣を振るって体の軽さを確かめる。そろそろ始まりそうだ。


「やあっ!」


 大きなかけ声を出しながらユーシャちゃんがぼくに襲いかかってくる。スポーツにおいてかけ声を出すことでパフォーマンスを向上させることがあるらしい。ピッチャーがバッターに渾身の一球を投じる時に出したり、卓球でも出したりしてる奴がいる。

 しかし敵を討つための行為の最中に声を出して自分の存在をアピールしてしまうのは如何なものか。その辺もレクチャーした方がいいのだろうか……でもぼくの教えでユーシャちゃんの殺人行為を上手にさせるのはなあ……


 なんてことを考えられるほど、ぼくには余裕があった。確かにこの歳の少女にしては振りは重いし動きもしなやかだけど、言うてもぼくは元勇者である。受け流すことも避けることも造作もなかった。杖もいらないくらいだ。


 わざとわかりやすく動きを見せつけながら剣戟をかわす。ユーシャちゃんも必死に良い所を見せようと頑張っている。正攻法では難しいと思ったらしく、ぼくが待ってる間に小石を拾う。そしてそれをぼく目掛けて投擲し、その少し後に一太刀浴びせようとしてくる。さっきセンシさんがぼくに対してやってきた攻撃方法だ。


 当然ぼくはそれをさっきと同じようにかわす。小石を避けながらユーシャちゃんの動きを確認する。ディレイのタイミングを取るのが上手いな……なんて思っていると、


「わ……!」


 体が後ろにずれる。咄嗟に杖で体勢を取ろうとするも、意識を杖の使用じゃなくて避けることに割いていたせいで上手くいかない。尻餅をついたぼくの首筋に、冷たい気配。

 ユーシャちゃんが剣先をぼくに向けながら、訝しげにぼくを見下ろしていた。

 

「…………どうしたんですか?」


「……いやあ。ちょっと油断してたかな」


 立ち上がって足下を確認する。ぼくを転ばせた犯人は大きな石だった。それは皮肉にも、さっきセンシさんがぼくに向けて投げてきたものようだ。ぼくを倒すためのあの投擲はユーシャちゃんの協力によって奇しくもその役目を果たした。


「もう一回やろっか。今度はぼくも気を引き締めるよ」


「……はい」


 ユーシャちゃんの顔に陰が差している。気落ちさせてしまったかな。確かに気が抜ける凡ミスだった。勇者時代はあんなミスしたことなかったんだけどな……

 もう一度を気を引き締めて、ぼくは杖を握った。



***



 十分後、ぼくは地面に倒れ伏していた。

 これが最初ではない。この十分で三度目のことだった。


 一度目の失敗を反省したぼくは集中してユーシャちゃんの訓練に取り組んだ。しかしありとあらゆる偶然とぼくの一瞬の油断がまるで示し合わせたように同時に訪れて思うようにいかない。

 剣戟の最中破れたシャツの隙間に偶然入り込んだあぶに気を取られたり、センシさんに散らばされたぼくの荷物の中のナイフが草に隠れていてそれを踏んでしまったり、杖で受け止めた剣の刃こぼれした欠片が目の中に入ったり。まるで神様がユーシャちゃんに肩入れしているようだった。


 実力ではぼくの足元にも及ばないと認識しているユーシャちゃんに何度も倒されてぼくの方もムキになったしまった。再戦を何度もお願いしてもらったけど、結果は変わらなかった。


「…………」


 さっきからぼくを見下ろすユーシャちゃんの目はとても無機質に見える。夜のせいにしてしまいたいけど無理があると思った。年上面して教えてあげるなんて言った奴がこの体たらくじゃあねえ……杖もいらないとか、別のこと考えながらでも対処できるとか思ってたけど。

 もしかしてぼくって今、めちゃくちゃ格好悪い……?


『当たり前だろう……』


 アクマの呆れ声が聞こえた。丁度いい、こいつには訊きたいことがあった。


「——なんでですか」


 しかしその前にユーシャちゃんが話しかけてきた。


「なんでそんなことするんですか」


「そんなことって?」


 聞き返すとユーシャちゃんの眉に皺が寄った。


「さっきまでの、あの茶番のことです。どうしてあんなことするんですか」


「茶番……?」


 もしかして、さっきまで体たらくをわざと演じてると思われてる? それもそうだ、ついその前にセンシさんと熾烈な剣戟を繰り広げた奴がセンシさんに遠く及ばない少女に何度も膝をつくなんて考えられない。なんというか、ぼくに都合良いというか悪いというかわからない勘違いだ。後半はかなり本気だったんだけどな……


 ユーシャちゃんの話に合わせるかどうか少し悩んでいると、


「世間知らずの馬鹿娘だってからかってるんですかっ。それが優しさだとか、なんだとか思ってるんですか!」


 見たことのない剣幕のユーシャちゃんが声を荒げた。ぼくは一瞬の逡巡しゅんじゅんの失敗を悟った。


「そういうの、全然嬉しくないですよ! なんでわかってくれないんですか……? お兄さんには、私のしてることはおままごとに見えましたか?」


「いや、そういう訳じゃ——」


 しかし弁解の言葉も明瞭には出てこなかった。かつてこの子の訓練を素人同然だと見なしていた自分は間違いなくいる。その記憶が言葉を喉で詰まらせた。


 その姿を見たユーシャちゃんは、泣きそうな顔を一瞬見せて顔を逸らしてしまった。


「……お兄さんにとって、勇者ってそんなに軽いものなんですか」そしてぽつりと言葉をこぼす。


「すごいとか、光栄とか言ってくれたのは嘘だったんですか?」


「いや、ほんとにそう思ってるよ」


 この返答もあまりに軽々しかった。


「じゃあなんで……」


 言葉が出てこなくなってしまった。肩が震えている。そしてこれ以上そんな姿を他人に見せたくなかったのか、何も言わずに馬車に引っ込んでしまった。


 結局ぼくはまともなことは何も言えなかった。ぼくはあの子に嘘ばかりついてきた。態度があやふやになるのは当然だ。

 改めて、ユーシャちゃんの問いかけを心の中で反芻してみる。


「うん……」


 何も言えない訳だ。ぼくは勇者を間違いなく軽んじている。そしてそれは、あの子を軽んじていることに他ならない。




 




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る