カムトゥギャザー③

 訓練が終わり良い子は寝る時間になった。ぼくは機嫌良さげなマドーシさんに貰った水の入った桶で体を洗う。もう夜は肌寒い季節だ、温い水温にマドーシさんの愛を感じた。


「足りないなら言いなさい」


「わかりました。ユーシャちゃんは大丈夫なんですか?」


「自分でできるように教えてあげたから平気よ。これも訓練」


 特に運動してないので大汗をかいたわけじゃないけれど、やっぱりぼくの感覚としては一日に一回体を洗っておきたいのだ。一聴普遍的な願いだけどこの世界ではそうではない。人を洗うだけの水を一日一回使うだけのゆとりがある人は少ない。旅人となれば尚更だ。道連れに腕利きの魔法士を連れてない限りは。


「ありがとうございました。温めの水作ってくれて特にありがとうございます」


 タオルで体を拭いて一張羅を着、桶を返す。


「……あんたって意外と礼儀正しいところもあるわよね」


「親の教育が良かったんです」


 前世も今世も。悪いのはぼくの性根だけ。


「チンピラみたいな喋り方もするし、わからない奴よね」


「知りたいならなんでも教えてあげますよ」


「生意気言ってんじゃない」


 返した桶で頭をはたかれる。そのままマドーシさんは森の奥へ消えていった。多分自分の番なんだろう。


『随分魔導師女に入れ込んでいるようだな。どうだ、玉の輿でも狙うか』


『望みがあるならそれもいい気もしてきたよ……』


 接し方さえわかれば結構とっつきやすい。それに何と言っても扱う魔法が便利だ。このままマドーシさんの世話になって中央に行けばぬるぬるだらだら暮らせるのか……と思ってしまうぼくがいる。根が怠け者なのだ……


 さっぱりとしたぼくは野営地に向かう。今日はぼくとセンシさんが外だ。自主鍛錬に励んでいるセンシさんに軽く挨拶して焚き火の前に腰を下ろす。

 眠気がぼくを襲うまでぼんやりと火の揺らめきを眺めていると、森の奥からマドーシさんとユーシャちゃんがやってきた。お休みの挨拶をしてマドーシさんは馬車に乗り込んで行ったけど、ユーシャちゃんはその後ろ姿を少し窺ってバレないようにぼくの方へやってきた。


「どうしたの?」


「あの、お兄さんはマドーシさんのこと嫌いじゃないですよね? 喧嘩とかしてないんですよね?」


「? なんで……」


 あ。さっきのちょっとしたいざこざもどきか。やっぱり聞かれてたんだ。ちょっと反省。


「ごめんね。さっきのはちょっとしたその……じゃれ合いみたいなんだよ。ぼくとマドーシさんはちょうナカヨシだよ」


「ですよね! マドーシさんに聞いた通りだ。それなら良かったです」


 おやすみなさいと一言そそくさと馬車に向かって行ってしまった。なんだったんだろう。

 いや、あれくらいの子は周りの大人の喧嘩とか不和に怯えてしまうからそんなところかな。ぼくにもそんなかわいい頃があった。だとしたら悪いことをしたな。今度からもっとマドーシさんとはナカヨシっぽい態度を取ろう。


「なんだ、またマドーシと喧嘩したのか」


「してませんって。最近はべったりですよぼくら。蜜月です」


「本人の前で言えないことばっかり言うな、お前は。勇者様にまでご心配をおかけするのはやめてくれよ」


 自主練を終えたセンシさんが汗をぬぐいながら話しかけてきた。多分だけど、マドーシさんから体を洗う用の水は貰っていない。ちょっとだけ可哀想に思った。


「すみません。大人が大きな声を上げるのを見るのが嫌だったんでしょうね、マドーシさんと喧嘩してるのかって聞かれました」


「? なんでそんなことが嫌なんだ?」


「いやあの……小さい頃って親同士の喧嘩とか年上の人が怒鳴るのを見たり聞くと怖いもんでしょう?」


「経験ねえな……そんなもんか」


「そんなもんすよ……」


 どうなんだろう。センシさんは親の怒鳴り声とかよく知らない大人の悪意とかに晒されないで大人になったのか、それともそれらの不和に鈍感だったのか。どちらにしろぼくとは大違いの生い立ちだと思った。


「でもなんだ。何か気にしておられると思ったらそんなことか」


「怖がりなのかもしれませんね」


「それは困るなあ。勇者様に恐れは必要ない。だからこその勇者なんだから」


「センシさんは、あの子がお話の中の勇者みたいになれると思いますか?」


 ぼくにとってユーシャちゃんはかわいい村娘にしか思えない。それはまだ魔法や戦闘技能を学び始めたてだからかもしれないけど、マドーシさんやセンシからする戦いの気配や鬼気迫る感じがあの子からはしない。訓練も、初心なねんねがチャンバラごっこしているようにしか見えない。その責務から逃げたぼくが言うのもなんだけど、とても勤まりそうにない。


 センシさんはぼくの質問を不思議そうに首を傾げた。


「なれるに決まってるだろ。それが勇者ってもんだ。何千も前から、魔王に対抗できるのは勇者って決まってる。あの方がそうだと神が仰ったならあの子ならなれるってことだ」


 センシさんは決まり事を再確認するようにそう言った。それは凝り固まった思想にも思えるけど、的を射ているとも思った。ぼくだって目を閉じてまた開けたとき目の前に閉じる前と同じ世界が広がることに疑いや他の可能性を考えたことはない。たかだか数十年の人生でそれなのだ、何千年も続いていることをいちいち疑うのは馬鹿らしいことだろう。


 だけど何千分の一の可能性の最初の到来は既に起こっていた。勇者と呼ばれたのはぼくだ。あの子じゃない。ぼくはかつて勇者になれた。あの子はどうだ? 


「……もしかしたら、あの子には難しいかもしれませんよ。ほら、あの通りのかわいい女の子だし」


 自分の言っていることがひどく侮辱的で醜いことはわかっていた。

 当然のようにセンシさんは眉をひそめた。


「なに?」


「別にあの子に不満なんてないですよ。ただぼくは——」


「お前さんの言いたいこともわからないでもない。今の勇者様はまだまだ未熟だ。だが、俺が見たあの年頃の誰よりも熱心に訓練に取り組んでる」


 厳しい視線をぼくに向けながらセンシさんは言う。


「才能は間違いない。やりきる心さえあれば技術は後からいくらでもついてくる。直に俺やマドーシを簡単に超えていくだろう。そもそも、勇者と魔王ぐらいの段階の話は俺やマドーシ、もちろんお前さんが心配するようなレベルの話じゃない。わかるな?」


「わかりますけど——」


「ならその話はもうおしまいだ。今日はもう寝ろ。見張りは必要ない、マドーシが居るからな」


 センシさんはぼくをテントの中へ追いやった。天幕の布の扉を閉める前に、


「さっきの話、勇者様の前では絶対言うなよ」


 そう言ってぼくの視界を暗闇に落とした。


 センシさんにとって勇者っていうのは大層特別な崇拝の対象者なんだろう。魔族との戦争を戦い抜いてきたのも人族の平和を求めていたから、そしてそれに勇者は必要不可欠な存在だ。それは出会った時からユーシャちゃんのことを『勇者様』と呼び続けていたことからもわかる。そしてその勇者の存在を予言し力を授ける神も当然崇拝の対象だ。

 だからぼくの勇者を軽んじるような発言に憤るのも無理はない。だけどぼくが言いたかったのは、ええと……


「……いっか」


 どうせ何を言っても言い訳に過ぎないし、そもそもぼくが戦おうとしているセンシさんやあの子に言えることなんて何もない。ぼくは逃げた。三人は逃げる気は無いらしい。居場所が違うのだ。


『怒られておったな。馬鹿で恥知らずの奴だ。逃げた癖にいまだに囚われている』


「そだな」


 司祭さんや寄親、ライバルくんに唾を吐いて故郷を去ったときぼくの心に勇者に対する感情はほとんど残ってなかった。それが今となっては、軽率に口を出してこのざまだ。どうしてぼくはあの子にこだわる? 小さな子供だから、それだけか?


 もしかして、ぼくの心の中にはあるのだろうか? 勇者というものに対する、その……何らかの未練ってやつが。

 アクマは笑う。


『そう思うならあの娘の側に居てやれば良い。もう勇者になることはできないが、それでも貴様ならあの娘の一助にはなることができる』


「お前、やけにそれ推すね。なんかあんの? ぼくがユーシャちゃんの側に居てお前に良いこと」


『なに、だというだけだ。決めるのは貴様だ。貴様があの娘にかける思いを考えると、貴様の性格上側にいるのが一番成就に近いと考えられるからな』


「……?」


 何となく気になる言い回しだ。迂遠な言い回しなのはもちろんのこと、何か隠してることがありそうな言い方だ。


『貴様はあの小娘が今のまま純粋でいて欲しいと思っているのだろう? 自分が投げ出した仕事を背負ってしまったことで、ただの村娘だった小娘が辛い目にあうことを恐れている。誠に気色悪いがそれは自覚しているだろう、今は何も言うまい。だがその願いは中々難しい。貴様が考えている以上にあの小娘はやわだ』


「子供なんだからしょうがないだろ」


『そういう意味じゃない。性格的な意味でだ。さっき貴様が面倒がって聞かなかった小娘の生い立ちに関わることだ』


 こほん、と咳払いを一つ。入れたような気がした。話たがりになる合図だ。


『……あれは過去の出来事がきっかけで欺瞞を何より恐れるようになった。嘘や裏切り、もしくはそうとは呼ばれないでもお互いの認識のすれ違いとか。憎んでいると言っても良いかもしれない。貴様好みの子供だな。嬉しいだろう』


「……嬉しいね」


 嘘は言えなかった。


『だがそれでいて人を信じることをやめていない。むしろ積極的にそれを行なっている。かつての貴様の様にまだすれていない。ただの村単位でならそれでも良いかもしれない。蝶よ花よと愛でられてそれなりの歳になったら気の良い若者に嫁いで子供でもこさえて歳を取ればいい。だが小娘が選んだ、いや失礼押し付けられた道は違う。あらゆる意味で暴力の世界に飛び出ようとしている。腕っ節はそれなりにあるだろうが、それだけでは獣と同じだ。すぐに誰かのペットになるだろうな』


 かつてぼくは勇者だった。実戦には出なかったものの、それでも勇者だ。この戦争が一体どのように行われてきたか少しは知っている。平和な南の街でもその一端はいくつも見られた。街に転がる欠損した体の乞食、司祭さんたちが人目を忍んで夜集まっている姿、やけに鍛えられた体と身のこなしをしたぼく専用の商人、一晩で看板娘の消えた店。平和と呼ばれる南の街でさえそんな有様だ。話に聞く中央の街なんてもっとだろう。


 そこにユーシャちゃんは飛び込む。果たして数年後、今みたいな笑顔で笑っているだろうか。


「……ま、そうは言ってもセンシさんとかマドーシさんもいるしさ」


『あの二人が小娘を無下に扱うとは思わん。が、それはあの二人の価値観の中でという条件付きだ。そもそも小娘程度の歳の少女を戦争の道具に使うこと自体に貴様は嫌悪感を感じているんだろう? それをあの二人が止めたことがあるか?』


 無い。それもそうだ……


『自分の望みを叶えるために勇者をやめたのだろう? 意地を張って遠ざけては、欲しいものも手に入らんぞ』


「…………」


 いよいよ、年貢の納め時って感じがしてきたな……

 ぼくはあの子の側に居たいのだろうか? あの子はそれを望んでいるのだろうか? わからない……そういう他人の意思が介在する選択は苦手だ。

 ……とにかく中央まで行こう。そこで決めるんだ。ぼくがどういう道を選ぶか。

 

 





 








 


 

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