激動に生きる少女③
どうしてぼくは子供に優しくしてしまうのだろう。目を閉じたまま覚醒した意識で考える。
子供と老人に優しくしなければという教えを子供の頃から受けていたから? それは正しいけど、要素の一つに過ぎないと思った。
自分がどこかマシな人間だと感じたいから? 違う気がする。
自分が子供に対して余裕を持った態度を取ることで優位性を感じている? それは当たらずとも遠からずって感じ……
そうか。結局ぼくは育ちきった人間が嫌いで嫌いで仕方ないのか。
裏切りと不義理と嘲りだらけの人間が嫌いで、まだそれに染まっていない子供にだけ心を少しだけ預けることができる。いずれ誰しも染まってしまうのに。そんなことは自分で一番よくわかっているのに。
だけどどこか少しだけ、本当に少しだけ染まらずに居てくれることを期待してしまう。それはとても残酷な行為だと思う。だけどまあ、死んでも口にはしないし心の中で思うだけだから許してね……とも思うのだ。萎びた大人の誰にも言えない悪い習慣だ。
だからあの子のきらきらが、どうか少しでも長く在り続けることをぼくは祈ってしまうのだ。その祈りがぼくを勇者として望んだ民衆のものと全く同じ類の、呪いにもなり得る偶像崇拝と知っていて。
「……起きました」
くだらねえ、夢と現の境の戯言並べに飽きて目を開ける。迎えるのは蒼天。なんでこんなに空と近いんだろ……と一瞬考えて思い出す。屋根の上で寝てたんだ。
どうもぼくは所選ばず寝る才能があるらしい。これは旅人にとっては大事な能力と言えるだろう。毛布を取り払い、体を起こして下を窺う。誰も居ない隙にさっさと飛び降りる。
さて、今日は……あのいかれヒス女に呼ばれてるんだった。無視してもいいけど、別れる前に一つ二ついじめるのもいいだろう。昨夜の喧騒が嘘のように静かな村の道を歩き、村長さんの家に向かった。
家の前にはセンシさんとマドーシさん、そしてユーシャちゃんが居た。
「おはようございます」
「おう、おはよう。ほら、マドーシ」
「言われなくても……はあ」
自分から呼んだ割に嫌な奴に会ったような顔のマドーシさん。ぼくの顔を無遠慮に睨み、ため息をついた。
「あんた、旅してて暇なんでしょ。ちょっと南の街まで行くから、ついて来なさい」
「ええ……」
南の街。ぼくの故郷だ。
「……嫌です。行きたくないです南の街」
「なんで? 故郷なんでしょ」
「家出同然で出て行ったんですよ。しばらく帰る気はありません」
「フードで顔でも隠しておきなさい。人前にも出る必要はないわ。それならいいでしょう」
「ええ……なんでそんなにぼくを連れて来たがるんですか?」
「その理由はあんたが一番よくわかってるんじゃないの?」
「いや、マジでわかんないですよ。ぼくを婿にでも連れてく気ですか?」
「違うわ!」
マドーシさんからのキラーパスはぼくのポーカーフェイスでなんとか退けた。しかしこれは……ああ、マジでめんどくせえ。
「わかりましたよ……行きゃあいいんしょ行きゃあ。ったく行き遅れ女の気まぐれに付き合わされるのも一苦労ですよ」
「てめえ!」
「おい、やめろ! そんな簡単に“不可視の衝撃”を使おうとするな!」
いきり立つマドーシさんをセンシさんが諌める。よし、なんとか話の流れをぼくの理由から外すことができた。
「行くんならさっさと行きましょうよ。朝から鶏みてえな金切り声聞いてらんないっすよ」
「うう! あああ!」
「よせマドーシ!」
「止めるな! やっぱりこいつはここで殺してしまった方がいい! わたしの勘がそう言ってるんだ!」
「勘で人殺しですか。大した倫理観をお持ちですね。魔法士で飯を食えなくなったら盗賊でも始めたらどうです?」
「うああ! 魔導師だわたしはあ!」
そこかよ。
どうにかぼくに魔法なり何なりを使おうとするマドーシさんを必死で押さえつけるセンシさんの姿を、冷めた目で見つめることで更にマドーシさんを嘲る。認めよう、ぼくはひねたガキそのものの精神年齢だと。それでもいい。人を馬鹿にするのは最高だ。
人生最高の娯楽を味わうぼくの隣に、ユーシャちゃんが寄って来た。
「よくわからないですけど、一緒に旅できますね」
「そだね。ちょっとの間よろしくね」
「はい」
ユーシャちゃんは手を差し出した。世界で一番握りたくない手の平だった。握りたくない、握ってはいけない。でも握手をしない理由をこの子に言えない。結局ぼくは手を差し出した。
ぼくの手の平から一切の感情を読み取られないように強すぎず弱すぎず、まるで誰にでもそうしてきたように握手する。ユーシャちゃんは笑顔をたたえたままだった。ぼくは笑みを浮かべるふりに必死だった。
とても熱く、小さい手だった。力を込めれば砕いてしまいそうな少女の手だった。間違っても勇者だなんて呼ばれる人の手じゃない。忘れた訳じゃないけど、当たり前すぎてわざわざ実感していなかったことを改めて感じた。
この小さな手に、ぼくは世界を投げ渡したんだ。
***
『なあ、どう思うよ』
『わからん。だが、貴様の放蕩に荒波が立つことは確かだろうな』
村の外に用意された綺麗な馬車に乗り南の街へと向かう。御者はセンシさん。勇者の旅立ちにしては侘しいものだ。何か理由があるのだろうか。
『順当に考えれば貴様が元勇者だと気づかれたと考えるが……早合点するべきでないな。貴様の方から情報を出すのはやめた方がいい』
『せやねえ……まあもしバレてるんだったらめんどくさいことになるだろうし、どっかの段階で逃げるわ』
『それは無理だと思うぞ。そこの魔導師女は人族の中でもかなりの腕利きだ。これだけ貴様を警戒していて、簡単に逃がすとは思えない』
『ふうん……じゃあそん時はセンシさんを説得して協力してもらうわ』
『まあそれもいいだろうが……それでも確率は高くないぞ。いざこざになれば魔導師女の方に分がある』
『あれ? センシさんって人族で二番目ぐらいに強いんじゃ……』
『魔導師女は一番だ』
「一番!?」
向かいのマドーシさんが足を組み、かつてのお化け熊のように顔を歪ませ睨んでくる。ぼくは隣の不思議そうにしているユーシャちゃんに顔を向けることで精神の安定を測ることにした。
「ごめん。夢の中でかけっこしてたよ」
「へえ、お兄さんでもかけっこするんですか。子供っぽいですね」
いたずらに笑うユーシャちゃん。マドーシさんは鼻を鳴らした。
「あら、青臭いガキだと思ったらまだ泥遊びをしている年だったのね」
「うわ、ひどいこと言われてるよユーシャちゃん。向こうのおばちゃんはいじわるだね」
「ご、ごめんなさい……そうですよね。勇者が砂遊びなんて、やっちゃだめですよね」
「ち、違う!」
必死に弁明してるマドーシさんを無視し、アクマに意識を落とす。
『じゃあ今この馬車には人族の戦力上位一位二位が乗ってるってことか』
『ああ。ついでに未来の一番と、かつて一番になるはずだった男もな』
かつて一番になるはずだった男ね。なんだか『かつてプリンスと呼ばれた男』みたいでかっこいいな。
『じゃあこの馬車が落石でも食らってみんな死んだら人族終わりやね』
『まさしくその通りだが……まあ落石くらいなら戦士男にでも任せておけば事足りるだろう』
しかしマドーシさんがそんなに強かったなんて……これじゃセンシさんがいてもいじめ過ぎには注意しねえとなあ。殺されないギリギリを早く見極めたいね。
『勝手にしろ。ただ見誤れば、楽に死ねると思うなよ。貴様が想像もつかないほどの恥辱を負わされたのちいっそ殺してくれと言わされるまでいたぶられるだろう』
『物騒な奴だよ……』
ぼくは先々の面倒を未来の自分に投げ渡し、未だ気落ちしたユーシャちゃんに媚を売るマドーシさんを無視し深く腰掛け窓の外に目を向けた。でも一つだけ、決して頭から離れない懸案事項を抱えていた。
もしマドーシさんがぼくの正体に気づいていたとして。
それをユーシャちゃんが知った時、ぼくは何を思いこの子は何を思うのだろう。十分あり得る未来の見苦しさにぼくは憂鬱を感じた。
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