激動に生きる少女②
「……んん。こんばんは」
口の中のものを、ついでに驚きも飲み込んで言葉を返す。
「センシさんと一緒に村に来てた人ですよね」
「そうだよ。北の街までの旅の途中で会って、ここまで送ってもらったんだ。お邪魔してるね」
ひらひらと手を振る。少女は顔をほころばせた。
「旅人さんですか? 一人で旅なんてすごいですね」
「そうかな……」
一緒に行く相手がいなかっただけだよ。
と、言いたかったがわざわざお互い気まずくなる言葉を言わなくてもいいかと思い直した。
「私もこれから旅に出るんです。旅をするときのコツとかってありますか?」
「ううん……ぼくもつい最近旅に出たばっかりだからなあ。強いて言うなら森の中には入らない方がいいよ。怖い魔物に出くわすからね」
「魔物! 見たことあるんですか……?」
「そうだよ……あれはぼく史上最大の危機だったね」
「聞きたいです!」
なかなか素直でかわいいガキだ。ついつい乗せられちゃうぜ。
「あれはぼくが一度入ったが最後、誰も出てこれない迷いの森を踏破している最中のことだった……」
「迷いの森!」
「数ヶ月にも及ぶ探索の末、ぼくはついに森の出口への道を見つけた。食料は乏しく、水もわずか。夜行性の生き物に警戒しながらの夜。さしものぼくも疲労困憊で鋭敏な空間把握能力も衰えを隠せなかった。そんなときだ。ぼくが歩く先に、巨大な大岩を見つけた」
「大岩ですか?」
「そう、それは最初大岩にしか見えなかった。五メートルを越す全長。センシさんの剣より鋭い爪。そして見たものを恐怖させ震えあがらせるほどの醜悪かつ凶暴な顔。そう、大岩のように巨大な魔物がぼくの前方三十メートルにいたんだ。お化け熊デスグリズリーだ」
「デスグリズリー……!」
「ヤツはぼくが身を隠しても、何も反応しなかった。一瞬ぼくは見つかっていなくて良かったと思った。だけどすぐに気づいた。その異常性に」
「異常性?」
「魔物という生き物は全て人間を主食にしている。全ての魔物は人間を殺すために生きていると言っていい。それなのにだよ、ヤツはたかだか三十メートルの距離にいるぼくにまるで気づいてませんよと言うかのような知らんぷり。ぼくの数多の経験が警鐘を鳴らす……これは罠だ。ぼくはすでに、デスグリズリーのテリトリーに入っているのだと」
「罠……魔物って、罠まで使うんですか……!」
「そう。逃げれば罠にはまり生きたまま食われる。前にはヤツが。八方塞がりだ。そう、獲物がぼくでなければ、ね」
「どうやって切り抜けたんですか!」
「落ち着きたまえよ。ぼくは幾百の修羅場を共に超えてきた愛槍ブラストを手に取った。ヤツはぼくを獲物だと思っている。そこに油断があったんだ。ぼくは真っ直ぐヤツの所まで走り、虚を突かれたヤツの頭にブラストを突き刺した。幾多の敵を倒してきた必殺の一撃だ。ヤツは崩れ落ち、ぼくの数多の戦功にデスグリズリースレイヤーの称号が増える……はずだった」
「はず……?」
「なんとヤツは突き刺さった槍をへし折り、傷を負いながらぼくに向かってきた! デスグリズリーの体にはとても深い体毛がある。それが刺突を防ぎ、致命傷にしなかったんだ。手負いながらも凶暴な魔物と、丸腰のぼく。正に絶体絶命。ぼくの命は風前のともし火……そんな時、ぼくが何で立ち向かったと思う?」
「え……魔法、ですか?」
「本来ならそうだろう。だけどぼくは魔法を使えないんだ」
「え! ならどうやって……」
「ぼくが使ったのは、なんと拳だったのだ……! 一見破れかぶれにも見えるだろうけど、それは違う。熊の弱点は鼻っ面にあることをぼくは知っていた。鼻っ面に正確に打撃を与える方法は、拳で殴りつけること以外なかったのだ。起死回生、しかし一歩も後に引けないタフな状況だ。ぼくの拳とヤツの拳。どちらが先に叩き込めるか、それで勝負が決まる……」
「…………ごく」
「向き合う二人。お互い、この一撃が必殺であることをわかっている。じりじりと、ヤツがにじり寄ってくる。ぼくは拳を握り、その瞬間を待つ……そしてその時は来た。お互い振りかぶる拳。だが一瞬、ヤツの方が早かった。当然だ、ぼくの腕よりヤツの腕の方が長い。ぼくは鋭利な凶爪にざくろにされる……はずだった」
「はず……?」
「ヤツの方が早いことは最初からわかっていた。ぼくは拳を振りかぶるふりをして、体をこう、スウェイして凶爪を避けた。そしてヤツの体の下から拳を振り上げ、ヤツの鼻を捉えた。危機一髪、ぼくはヤツを沈めたのだ……」
「すごい……すごすぎる……!」
「だけど息はあった。もう誰もこのお化け熊の餌食にならないように、息の根を止める必要があった。そんなとき、通りすがりのセンシさんに会った。そして事情を話すと彼は、その剣をデスグリズリーの喉へと……今思えば、それがぼくたちの出会いだったのさ」
「おお……おおおお!」
一大冒険譚を語り終え、水の入った杯を傾ける。
『舌先三寸口八丁。貴様の天職は金持ち女の男妾かもな』
『考え所だな』
聴き終えた少女は羨望の眼差しを目の前の嘘つきに向けていた。
「すごいです……お兄さんは歴戦の勇士様だったのですね」
「そう呼ぶ人もいる……」
きみだけだけど。
「あまり言いふらさないようにね。ぼくは静かに生きていきたいんだ……」
「わかりました……」声をひそめて答える少女。かわいいと思った。
「でもすごい冒険譚です。まるで本の中の勇者様みたいです」
「……いやいや。ぼくなんかとても」
ぼくはにこにこ笑う少女の目を見つめた。
「きみが勇者様なんでしょ。センシさんに聞いたよ。すごいね」
「あはは……実はそうなんです。やっぱり知ってましたか」
恥ずかしそうに笑った。
「自慢したかったわけじゃないですよ? ただ本当に勇者様みたいで……」
「わかってる。光栄だよ、本物の勇者様に会えて」
「光栄だなんて……私なんて旅もしてないし魔物にも会ったことない……お兄さんの方がよっぽど勇者様らしいですよ」
「……そかな」
こいつ、的確にぼくを苦しめる言葉の選択をしてくる。実は元勇者だってバレてんのか?
「ま、誰も最初から勇敢だった訳じゃないだろうしね……おいおいね、おいおい……」
「さ、さすが……がんちくがある言葉です」
ぼくは最後まで勇敢じゃなかった。そしてこれからも勇敢ではないだろう。
「本当に面白い話をありがとうございました」
「いやいや、気にしないで」
「旅に出る前に聞けて良かったです」
「旅……南の街に?」
「はい、祝福を受けるために聖堂へ」
祝福。
勇者の力の解放。そして、神に心を委ねる儀式。少女はそれを受けるため、ぼくの故郷へ行くらしい。
『この娘は貴様のように生まれた時に呪われた訳じゃない。力の解放の必要はないだろうが……』
神による精神干渉は、当然される。
「立派な勇者になって、世界が平和になるよう頑張ります。お兄さんに負けないように!」
金色の少女はきらきら光る。ぼくにはそれが、訳も知らず
「……別に立派な勇者になろうと思わなくてもいいと思うよ」
「え……? なんでですか?」
「今のままでもユーシャちゃんはとっても立派だよ。ぼくがきみぐらいの時と比べたら月とスッポンだね」
今もだけど……
「ぼくが思うに、ユーシャちゃんは既に神様に祝福されてるよ。わざわざ祝福の儀を受けなくてもいいくらいだよ。ぼくの
あらん限りの美辞麗句を並べ立てるぼくは、ユーシャちゃんと違ってとても醜い。
ユーシャちゃんは少し恥ずかしそうに、何か言いたげに微かに笑う。しばらく見つめ合って、やがて逸らされた。
「ありがとうございます、励みにして頑張ります」
そう言って、そそくさと家の奥へ行ってしまった。
『なんだか振られたみたいだな』
『……お前、まだぼくのこと小児性愛者だって疑ってる?』
アホ悪魔の冗談を返しつつ、ぼくは手元の料理に目を落とした。一体ぼくの心の何分の一あの子に伝わっただろう。せんなき考えを振り払うように、ぼくは食事を再開した。
『何がしたかったのだ? 結局』
『さあ……なんだったんだろ』
ぼくはあの子を哀れんでいるのだろうか。あんな年端もいかない子供が勇者とか言われて担がれて、大人になる前に自由意志を奪われて戦争の道具として使われてしまうことに嫌悪感を感じた。それは間違いない。
だけど心のどこか片隅に、それだけではない醜い劣等感があるのをぼくは感じていた。
「悪い、遅れた」
しばらくして、センシさんが帰って来た。一人だった。
「ふて寝するんだとよ。魔法士の連中は自分達のことを理性的だと思ってるらしいが、どうもそうは思えねえな」
「ま、いらいらする日かもしれませんしね。気にするだけ面倒でしょ」
「かもな……そろそろ外の広場に勇者様が出られてお言葉を述べるらしい。どうだ、一緒に来ないか」
「や、ぼくもそろそろおねむなんでちょっと……」
「そうか……なら明日起きたらこの家まで来てくれないか。マドーシの奴が兄ちゃんに話があるらしい」
「話ならいいんすけど、殺されそうだったらまた助けてくださいよ」
「勿論、そんな物騒な話じゃないらしい……それじゃ」
センシさんは外のざわざわに混じっていった。ぼくもそろそろ出よう。そんで寝床を探そう。保存が効きそうな料理や果物、水差しの水を水筒に移してから村長さんの家を出る。
遠くの
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