30 巴里

 日本文化を紹介するジャパンエキシビションは、華々しく始まった。


 初日に見学かたがた会場を訪れたメンバーたちは、日本各地の祭礼や様々な食べ物の屋台などが展開されているエリアを見ていたが、神崎アリスが足を止めた。


「…どこかで、ねぷた囃子の音がする」


 ねぷた囃子というのは弘前ねぷたの囃子のことで、青森ねぶたと違って、扇形のねぷたと呼ばれる曳き物が城下を練る。


 そのねぷた囃子の笛と手拍子ちゃんばの音がする──アリスはいうのである。


 囃子のする方へアリスが駆け出すと、その後をはぐれないように、カンナと宥がついていった。


 やがて、扇形の弘前ねぷたが見えてきた。


「まさかパリにまで来て、弘前ねぷたに遭遇するなんて思わなかった」


 アリスにしてみれば地元の祭である。


 血が騒がないほうが、むしろ変であろう。





 おごそかな祭囃子とねぷたを見ているうち、


「ヤー、ヤーヤドーっ!」


 という掛け声をアリスがかけると、


「あんた弘前かい?」


 提灯を持った曳き手の老爺が、アリスに近づいてきて話しかけた。


「弘前一高です」


「あんた、一高の子かぁ」


 この子、一高の子だから少し参加させてやれないか──曳き手の老爺は、祭の列にアリスを混ぜてやった。


 祭の輪に加わったアリスは綱を曵きながら、


「ヤー、ヤーヤドーっ!」


 という掛け声とともに練り歩いていく。


 遠い異国の地で故郷の祭礼に出くわしただけでなく、違和感もなく溶け込み祭に加わるアリスの姿を、離れてせつ菜が見守っている様子が、ねぷたに照らされて見えた。





 しばらくして、


「ありがとうございました!」


 深く一礼をしてアリスが戻ってくると、顔がすっかり上気して、


「楽しかったぁ」


 それまで見たこともないぐらいに大人びた表情の、色っぽいアリスがそこにいる。


「ごめんね、思わず興奮しちゃってさ」


 とは言うものの、宥はアリスの別の一面を見ることが出来たからか、


「何か楽しそうで良かった」


 笑顔で返した。


「アリスちゃん、地元が好きなんやね」


「もちろん!」


 私は卒業しても地元にいるつもり──アリスは言った。


「田舎だし東京ほど便利ではないけど、でも静かだし自然は綺麗だし、何より私のままでいられる」


 アリスの言葉に宥は思わず、


 ──このまま平和に暮らせますように。


 そう願わずにはいられなかった。





 アリスが弘前ねぷたの列に参加した出来事は、奇しくも新聞に翌日掲載された。


「凄いね、アリスちゃんの写真が新聞に載ったよ」


 児玉可奈子が驚いたのも無理はない。


「けんど、たかだか新聞風情ば載ったところで、卒業までの単位取れるモンでもないきにねぇ」


 翼はブチ壊しなことを言うところがある。


 タブロイド紙ではあったが、外国の新聞に載ったことは、のちにアリスの半生を大きく変えてゆくこととなり、余談であるが帰朝後にファッション雑誌のモデルとして表舞台に登場し、弘前から夜行バスで通いながら東京での仕事をこなし、卒業ののち上京したものの、やがて精神をわずらって帰郷に至る。


 が、それはこの物語のメインテーマではない。


 それは措く。





 このとき、まだスクールバンドというものはパリで認知度が低かったのもあって、メンバーたちはかなり自由に動くことが出来た。


 打ち合わせをするために、リーダーのせつ菜とマネージャーの宥がモンソー公園のそばにあった日本大使館へ行った際には、


「カンナちゃんについてきてもらえないかな?」


 せつ菜はカンナに同行を求めた。


 訝るカンナに宥は、


「カンナちゃんでないと心細いから」


 と拝み倒してついてきてもらったのであったが、これははからずも正解で、サン・ラザール駅のそばのホテルに戻れず迷子になってしまったのである。


 このときカンナが英語でロシア正教会に助けを求め、どうにかホテルへ戻ることができた。


「しっかしまぁ…こげなとこで迷子なんぞなったら、生きて日本の土なんぞ踏まれんがよ」


 出迎えた翼は、露骨に嫌な顔をした。


 この翼の気性はのちに卒業しても変わらず、大学生のときに土佐弁の女子大生ドラマーとして名を馳せたあと、楽器メーカーのテストドラマーとして新製品の開発に携わったのであるが、とにかく辛口の評価を出すことで畏れられた──との由であった。





 さて。


 宿舎のホテルでチマチマと作業をしていたのは、もともと手仕事の好きな江藤ひなたである。


「こんなの持ってきたんだ」


 ひなたが手に取ったのは、母方の親戚である伊万里の窯元から大量にもらった伊万里焼のストラップである。


 メンバーどころかあちこちの関係者に配り、さらにはホテルのフロントやスタッフにも配っていたが、まだいくつか余っていたのを、手持ちのビーズや手作りの房と組み合わせて根付にし、みずからベースギターのネックのペグにつけたヒンジに引っ掛けていたのである。


「こないだもらったの、リュックにつけてあるよ」


 相部屋の星野真凛は特に桜の根付が気に入ったのか、貴重品を入れたコンバースのリュックに取り付けてある。


「でも御船さんが気に入ってくれたのは、予想してなかったなぁ」


 何気なく御船さおりに渡したのであったが、何とそれを御船さおりはブランド品のバッグにつけて持ち歩いている。


「いいじゃん、一応伊万里焼なんだし」


「まぁね」


 窓から外を見ると、シャイヨー宮にあるライブ会場の下見から、楠かれんと東ルカが帰ってくる姿が見えた。





 ライブ当日。


 メンバーたちは早起きして部屋を掃除し、


「ありがとうございました!」


 全員で一礼をしたあとホテルを出発し、近くのカフェでモーニングをとった後、ライブ会場となっているシャイヨー宮前の広場まで来た。


 エッフェル塔を目の前に望み、宮殿をバックにライブをするのであるが、すでにステージは組まれてあって、ここで最後の音合わせとリハーサルをする。


「ついに…ライブかぁ」


 少し震え気味の可奈子にかれんは、


「カナちゃんらしくないなぁ」


 少し雲が厚く、昨日は小雪もちらついていた。


「セットリストの確認は?」


 せつ菜の問いに宥は、


「それはチューニングしてから」


 最後まで他念なくチェックをする宥は、すっかり司令塔のような存在となっている。


 宮殿脇のテントに併置されたバスの中で、おのおの高校の制服に着替えると、


「やっぱり制服が落ち着くね」


 などという声もあがったが、せつ菜だけは制服がなかったので、渡仏前に卒業生から借り受けた、廃止前の姫路一高の制服に身を包んだ。


「姫路一高ってセーラー服だったんだ?」


 せつ菜は写真だけ見て知っていたが、実物は初めてである。





 姫路一高の制服は冬服でも白襟に白リボンと黒スカート…という珍しいセーラー服で、少しダークな雰囲気の空の下ステージへあらわれると、遠巻きに見ていた観衆たちから歓声があがるのがわずかに聞こえた。


「日本人のセーラー服って、アニメで知ってるみたい」


 宥もリュックサックにぶら下げていた、宇治を舞台とした吹奏楽部のアニメキャラクターのアクリルストラップを、見知らぬ人にすれ違いざま写真に撮られたぐらいなので、セーラー服のキャラクターすなわち日本人──という図式があることを、そこで理解したものであったらしかった。


 リハーサルが終わると、宥は調整ブースへ移る。


「でも宥ちゃんには、ギャラリーから見てほしいなぁ」


 無理なことを言うよなぁ──せつ菜の一言を苦笑いして聞いていたが、


「調整ブースは私が行くから、宥ちゃんは客席に行っていいよ」


 ノンタン先生は言った。


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