31 照覧

 リハーサルを終えて遅めのランチをバスの中でとっていると、


「…あっ、雨」


 ルカが見やると雨が降り始めていた。


 雨脚は次第に強くなり、やがてバスの屋根を叩くように激しく降る。


「大丈夫かなぁ」


 機材のセッティングは終わっているし、雨対策でビニールシートはかけてあるが、それにしてもこの雨である。


「あんまり長く降るようでは中止かも知れないけど」


 せつ菜はそこを危惧していた。


「いや…ここまで来て中止やったら、ただのすべらない話やないの」


 かれんは何とか笑わせようとしたらしかったが、重い空気を打破するまでには至らなかった。





 そうした中、平然とランチを食べていたのはカンナであった。


「カンナちゃん…?」


「雨、止むよ」


 そう述べたきり、あとは黙々と用意された弁当を平らげ、時計をチラッと見てから、


「少し寝るね」


 まるで時計の針が雨を終わらせるかのような言い方をして仮眠を取り始めたのである。


 この無神経とも受け取られかねないカンナの放胆さに、


「将来、大物になりそうやわ」


 翼は怒るどころか、


「こんな時は確かに、案外カンナの言う通りかも知らん」


 イライラして待っても始まらない──というような顔で、窓から天を仰いで息をついたあと、スマートフォンで動画を見始めた。


 宥だけは日本の気象アプリから送られてくる雨雲レーダーのデータを見ていたが、


「遅くても夕方までには止みそうやから、ライブは出来るかも」


 慌てているようなそぶりは見せなかった。





 カンナが目をさますと、雨は止んでエッフェル塔の向こう側に、虹が見え始めていた。


「…アンタ、やっぱり持っとるねぇ」


 翼がア然とするほどのミラクルな空模様であったが、


「お清めの雨だよ」


 静かに述べたのは真凛である。


「お清め?」


「うん。昔から私の地元では、何かを始める前に雨が降るとお清めの雨って言って、それは神様がちゃんと見守っていてくれるんだって」


 そういえば真凛の実家は出雲大社に菓子を納品する和菓子屋で、真凛も巫女の手伝いを毎年しているほどである。


「だから、そんなに心配はないんじゃないかな」


 真凛が言うと、余計に信憑性が増す。





 西陽が射し始めた。


「少し時間遅れるけど、ライブ決行だって!」


 ノンタン先生がやってきて告げた。


 雨で中断していた、電源のチェックも無事に終わったのはライブ開始の15分前であったが、


「15分あれば最後の音合わせぐらい、何とかなりそうよね」


 そこはいわゆるドリームチームとも言わるべき面々だけに慌てふためくところが一切なく、当初の予定の15分どころか5分ちょっとで、すべての最終チェックを終えた。


 舞台袖で本番前、メンバーは円陣を組んだ。


「宥ちゃん、ちょっと」


 せつ菜は宥を円陣の中に招き入れた。


「今日は、宥ちゃんのためにみんなでライブするつもりで行こう!」


 ここまで頑張ってくれたんだもん──せつ菜は笑顔を見せた。


「…ありがとう」


 日頃めったに泣かない、それこそ新島実穂子の件のときぐらいしか泣いたことのない宥が、このときばかりは涙をこらえきれなかった。





 ライブの幕が開いた。


 シルエットが浮かび上がったあと照明がかれ、


「ボンジュール!」


 フラッグを手にした翼の挨拶からライブは始まり、宥とメンバーで決めたアニメソングのメドレーからスタートすると、会場はたちまち盛り上がりはじめた。


 開演前に宥が気にしていた客席は、日本からの映像や動画でしか見たことのないホンモノの女子高校生たちがそれぞれの制服に身を包み、楽器を手に演奏し歌う──それだけで、日本のポップカルチャーを鍾愛して已まない現地のオーディエンスがかなりの数、集い来て歓声をあげていた。


 メドレーの最後に入れたのは、かつて江梨加が新京極の路上ライブで歌っていた『キセキヒカル』である。


 ライブの様子は生中継でインターネット配信されていたが、これを見て驚いたのが江梨加で、


「宥先輩…」


 江梨加は宥が新京極のあの日のことをおぼえていたことに総身が震えるほどの感銘を受け、そのあまりの感動に、声を放っていた。





 メドレーのあとは聴いたことがあるであろう、フランスで人気のあるアニメ作品にまつわる曲を並べた。


 そうしてボルテージを上げるにいいだけ上げたあと、例の白川桃花のファイルから選んだナンバーを次々に繰り出していくと、


「こんなにいい曲だったんですね」


 調整ブースでノンタン先生の隣にいた御船さおりが、涙を流しながら、リズムを取り聴き入っていた。


「御船さん、確か松浦先生の教え子ですもんね」


「…あのとき先生に会わなかったら、ここにいなかったかも知れない」


 御船さおりが松浦先生が最初に赴任した但馬たじま西高校の出で、娘の松浦翔子の母親の同級生であることを、ノンタン先生は知っていた。


「私も松浦先生に出会わなかったら、ここまで来なかったと思う」


 ノンタン先生は目を細めながら、モニターの中で歌い奏でる教え子たちの姿を眺めていた。





 ライブの最終盤、翼がカラーガードを華麗に操り盛り上がったあと、ダブルボーカルでもあったギターボーカルのかれんが、


「それでは、ラストナンバーです」


 そう言ってイントロを弾いたのは、『虹色のハーモニー』という未発表曲である。


「これは…!?」


 ライブの配信動画を見ていた雪菜が、仰天したのも無理はない。


 新島実穂子の作詞作曲のナンバーであった。


「宥ちゃん…アンタって子は」


 ラストに、新島実穂子が全国大会で歌うつもりであった、いわゆる幻のナンバーを持って来たあたりに、雪菜は苦笑いを浮かべながら泣いていた。


 当の新島実穂子は後から知ったらしく、


「あの子に託してよかった」


 とだけ言うと、音楽の世界から距離を置いて、大学を出たのち一般企業に就職した。





 ライブが、はねた。


 思った以上どころか想定外の盛り上がりで、アンコールを3回用意していたが、その3回すべてのナンバーを含めて全部で16曲も歌ったためか、さすがに翼もかれんも疲れ果ててはいたが、


「…これやき、ライブはやめられんがよ」


 翼の面目躍如たる一言ではある。


 江藤ひなただけは、なぜか泣きじゃくっていた。


「だってさ…これで帰国したら、もう二度とみんなと会えないかも知れないんだよ?」


 あまりにライブまでの日々が楽しかったのか、終わってしまうのがそれほどまでに悲しかったのか、ひなたは涙が止まらなかった。


「…もう、いつか同窓会みたいの開けばいいじゃない」


 すっかり親友となっていた星野真凛がひなたをハグして、それでも真凛までつられて、もらい泣きをしてしまう始末であった。


 東ルカは可奈子を見つけると、


「これからはあなたたちの時代だから、あとは頼むね」


 これを最後にルカは、スクールバンドから離れる。


「そんな無責任な…声優になって歌わされる羽目になったらどうするの」


 この予言めいた可奈子の一言はのちに的中し、専門学校を出て声優となったルカは、オーディションでバンドのボーカル役を勝ち取ることとなるが、それははるかにのちの話である。


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