29 霊峰

 出発の当日。


 前日に東京へ集合したメンバーは、朝一番の電車で成田空港まで来ると、


「みんなパスポートと財布は大丈夫?」


 宥がチェックリストを作っていた。


「宥ちゃんってホンマしっかりしてるよね」


「いや、そうでもないよ」


 かれんに問われた宥は答えた。


「でも…何でマネジメントなんて、裏方の仕事をすることになったの?」


 東ルカは、かねがね疑問に感じていたらしい。


「うーん…それは多分、うちが出来ないことをみんなに託せるからかな?」


「託す?」


 江藤ひなたは訊いた。





 宥は少し顔を赤らめながら、意を決めたように、


「カンナは知ってるけど、うち実は音痴なん。楽器もてんで弾かれへんし、楽器できるってだけでうちは尊敬する」


「それは…知らなかった」


 ひなたとルカは目を丸くした。


「それで音痴は治ったの?」


「全然」


「…だけど、音楽は好きだったってこと?」


 宥はひなたの問いにうなずいた。


「うちがでけへんことを出来るのってカッコええなって。そんなら、それを応援したろって思ったのが、マネージャーになったキッカケみたいなモンかなぁ」


 ひなたもルカもかれんも宥の真意を知ると、


「…鳳翔さんが強かったのは、もしかして宥ちゃんのおかげかも知れないね」


 ひなたは納得した顔をした。





 手続きを終えて、メンバーと宥が搭乗を待っていると、


「ご無沙汰です」


 そこへあらわれたのは、なぜか御船さおりであった。


「…御船さん?」


「あのときはごめんなさいね」


 御船さおりは、メンバーに深く頭を下げた。


「実は児玉さんに変わって今回のライブに、同行することになって」


「…児玉さんは?」


「それがね…今度、来年の衆議院の補欠選挙に出馬することになって、退職されたみたいで」


 御船さおりはみずから、今回の派遣に志願したというのである。


「だけど異動して分かったのは、みんな全身全霊で一つのことに打ち込んでるんだって…私も楽器習ってたから分かってると思ってたのに、何にも分かってなかった」


 御船さおりが楽器をできたのは初耳である。





 堰を切ったように、御船さおりは語り始めた。


「私の頃はスクバンなんて大会はなくて、だからただの学生の趣味みたいな扱いだったし、当然メジャーデビューなんてしたくても反対だらけで、夢なんか一つも叶えられなくて」


 それで官僚になって、そこから世の中を変えてやろうと思った──御船さおりは胸中を明かすと、


「…やっぱり、そんなことだったんですね」


「えっ?」


「いや、きっと何かあるのかなってのだけは思ったので」


 宥は穏やかな笑顔で応じた。


「最初は腹立たしくもあったけど、でも冷静に考えてみたら何かあるからあんな態度なのかも知れない──それで、児玉さんに訊いたことがあって」


 そしたら学生時代にバンドをやっていたから、うってつけの仕事かと思ったんだが…って──宥は述べた。


 御船さおりの頬を、一筋の涙が伝い落ちた。


「だから、もしかしたら何か違う形で戻って来るかも知れないけど、そのときにはちゃんと、心を開いて話そうって」


「…負うた子に教えられて浅瀬を渡るとは、こういうことよね」


 御船さおりはやわらかに笑みを浮かべた。





 メンバーたちは搭乗し機中の人となり、航空機は静やかに離陸を始めた。


 やがて。


 少しずつ進み、速まり、ふわりと浮いた。


「…とうとう始まるんやね」


 宥の隣で、小さくかれんが呟いた。


「でも、これからやん」


 宥は応えた。


 通路を挟んで中央の座席に並んだアリス、真凛、ルカの3人は少し緊張気味で、それを見た翼が、


「何ちゃあないき、心配せんでえぇがにゃ」


 ぶっきらぼうな土佐弁ではあったが、気遣わしく言った。





 窓際の席にいたひなたは、


「あ、富士山が見える」


 刻々と変わり、やがて小さく離れていく祖国の霊峰の姿を、飽きることなく眺めていた。


「ホンマや、富士山や」


 かれんはいつも新幹線でしか富士山を見たことがなかったのか、


「真上から見ると、何かフジツボみたいやな」


 かれんが逆の隣のカンナを見ると、すでにカンナは寝息を立ててすやすやと眠っている。


「カンナちゃん、寝顔めっちゃ可愛いやん」


「きっと疲れたんだよ…そっとしといてあげよ」


 ひなたがカンナへ、ブランケットを静かにかけた。





 長いフライトの間、暗がりの機内の中、小さなライトの下で宥が何やら書いていた。


「宥ちゃん…?」


「あ、せつ菜ちゃん」


 宥が書いていたのはノートで、どうやら受験対策の勉強のようである。


「こんな時にまで…」


「うち、頭良くないから時間ないねん」


 そう言いながら宥は常に何かを打ち込んだり書いたり、はたまた何かを考えていたり…おそらくカンナですら知らない宥の姿のようにせつ菜には感じられたが、


「カンナちゃんのおかげで、うちにも夢が出来た」


 No.1のマネージャーになる──宥は宥で夢に向かって歩き始めているようであった。


「宥ちゃん、いつもありがとう」


「せつ菜ちゃんこそ、いつもリーダーお疲れさま」


「…うちね、マネージャー始めるまでは何の夢もなかった。ただ普通に遊んだりして、あのままカンナちゃんに会わへんかったら、予備校行って模試受けて受験して、普通に人生過ごしてたかも知れへん」


 だからマネージャーやけどみんなと一緒にいられて最高やねん──宥の屈託のない笑顔にせつ菜は、


「こっちこそ、ありがとう」


 宥ちゃんに出会えて良かった──せつ菜は手を取って謝意をあらわした。





 12月のシャルル・ド・ゴール空港は薄曇りであった。


 到着ロビーまでメンバーと宥、御船さおりが降り立つと、先遣で1週間ほど前から来ていたユズ先生とノンタン先生が待っていた。


「無事に到着したみたいね」


 全員コンディションは?──ノンタン先生の問いに、


「降りたあと見た限りでは問題なさそうです」


 せつ菜が答えた。


「ライブは3日後のイベント最終日、あと許可は何とか間に合ったから、みんな心配しないで大丈夫」


「…ご迷惑をおかけしてすみませんでした」


 御船さおりは謝罪すると、


「いやいや、このぐらいのトラブルは海外じゃ当たり前みたいだから、謝るようなレベルじゃないですし」


 ノンタン先生は笑い飛ばしてみせた。


「バスを用意してあるので、移動しましょう」


 ノンタン先生を先頭に、到着したばかりのメンバーたちを乗せた車寄せのバスは、大通を宿舎のあるサン・ラザール駅の方へと、ゆっくりと走り始めたのであった。


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