13 翠嵐

 連休の合宿が明け、翌月のスクバンのエントリーが目前に迫ってくる頃、合宿中に江梨加が作詞作曲した新しいナンバーである『青の輪舞曲ロンド』の練習に取り掛かっていた。


 バンドといっても様々な形がある。


 ジャズっぽいものをメインに据えるバンドもあれば、ゴリゴリのハードロックを中心に活動するバンドもある。


 そんな中で〈West Camp〉が選んだのは、どこか大人びたチャカチャカしていないサウンドであった。


「いまさらうちらは桜城にも今出川にもなれへん」


 それならまるで違う道を選ぼう──ストリングスやブラスを効かせた、どこか気品のある音楽を目指そうというのが、メンバーで話し合った結論である。


 そうした週末、練習中の江梨加に異変が起きた。


「…手が動かへん」


 はじめに疑ったのは腱鞘炎かどうかで、診察してもらったが炎症はない。


「弾きたくない訳ではないのに、手が動かへん」


 江梨加自身もどうしていいのか分からないような顔で、目も挙動不審なぐらいなまで泳いでいる。





 練習が、止まってしまった。


 その様子を見て考え込んでいたノンタン先生がふと、


「…もしかして、ストレス?」


 合宿からこのかた、江梨加はよく鍵盤を前に頬杖をついて何やら物思いに耽る様子が見られていたのを、ノンタン先生は見ていたのである。


「うーん」


 江梨加はどこかとぼけた様子で、そんなはずはないというような顔をしてみせた。


 帰りに江梨加は一人で自転車に乗って帰ろうとすると、


「江梨加ちゃん、用事ある?」


 声をかけたのは、他ならぬ桜花である。


「話したいことがあるんやけど…ちょっとえぇ?」


「何や急に改まって、うちらの仲やないの」


 そうやって立ち寄ったのは宥のカフェであった。





 向かい合ってソファに腰を下ろすと、それぞれ紅茶と抹茶パフェをオーダーした。


「江梨加ちゃんさ…もしかしてバンド辞めようって思ってへん?」


 桜花は本題を切り出した。


「…何でも桜花にはお見通しで、めんどくさい話やなぁ」


「だってあんなに悩み込んでる江梨加ちゃんなんてひさびさに見たもん」


「千沙都がメインみたいに今なってきてるから、うちはもう用済みなんかなぁって」


「違うよ」


 桜花は即答した。


「千沙都ちゃんだって、うちのバンドのメインボーカルは江梨加ちゃんだって思ってると思う」


「ホンマか?」


「江梨加ちゃんはあんまり人に褒められたことがないから、ようそうやってすぐには信じないクセあるよね」


 小さな頃から一緒に過ごしてきたからこそ、桜花は江梨加の小さな闇まで知っているのである。





 桜花は江梨加の不調を、スランプだと見ていた。


「江梨加ちゃんはうちのバンドではメインの曲作りしてるんやからさ、卑下したりせんでもええんとちゃうかなって、私なんかは思うんやけどね」


 桜花はフラットな言い方をした。


「それならいいけど…」


「それに、千沙都ちゃんだって江梨加ちゃんおらんかったらハモられへんやんか」


 江梨加は路上ライブで鍛えられているだけに、ハモりも出来ればアドリブも出来る。


「せやから、辞める必要はないって私は思う」


 でも──桜花はいう。


「まぁ入るときに私が巻き込んでしまったのもあるし、けどあのとき江梨加ちゃんは『ついてったるわ』って啖呵切った訳やしさ」


 江梨加はぐうの音も出なかった。


「まぁ女かて始めたら行けるとこまで行くのみやって、私なんかは思うんやけどね」


 桜花は初めて微笑んだ。





 桜花のエールもあって何とか調子を立て直した江梨加は、少しずつではあったが鍵盤を前にしても以前のように弾けるようになり、エントリーの始まる直前には元のようにキーボードを弾けるようになっていた。


 7人体制になってからは初めての公式戦…というのもあり、不安がない訳ではなかったものの、それでも前を向くしかないところもある。


 宥がパソコンでエントリーフォームに記入しエントリーを終え、いよいよスクバンのシーズンが始まると、


「問題は今回は予選に桜城が来ることよね」


 貴子の指摘は確かにその通りで、今回の第15回記念大会は桜城高校の〈cherryblossom〉も予選に参加する。


 しかも昨年の第14回大会は熊本代表の雄峰館ゆうほうかん高校の〈カミカゼ〉が史上2校目の初出場初優勝を成し遂げ、九州に久々の優勝旗をもたらした一方、今年は和泉橋女子高校の〈AMUSE〉が3出制度で不在…という、混戦は必至と見られる展望であった。


 京都予選とて、簡単ではない。


 今回の記念大会を機に予選の方式が少し変わり、府を南北中央に分けて、さらにそれぞれブロック代表を複数校決め、それらの代表で最終予選を行なう──というシステムに変わったのである。





 予選の方法が変わることによって、チャンスは増える。


 去年の鳳翔女学院のように3次予選で力尽きるチームも、予選の回数が減ればおのずとダメージは減るので、全国行きとて夢ではない。


 が。


 それは同時に、強豪校を利することでもあった。


「さいわいうちの西陣は中央第2ブロックになったから、桜城と初戦で当たることはなくなったけど」


 宥の分析によると桜城高校のある洛北地区は中央第3ブロックで、松ヶ崎芸大付属と今出川女子大学付属高校と三つ巴戦となる。


 第2ブロックは府立双ヶ丘と猿沢高校、亀岡城陵高校が目ぼしいところとなる。


「楽ではないけど、まずは練習あるのみやね」


 桜花が述べた。


 練習後、メンバーは宥とともに、戦勝祈願で学校の近くにあった平野神社を参拝した。


 平野神社といえば、京都の市内では桜の名所として古来より知られているが、この時期は疾うに葉桜で、青葉が樹々をすでに覆い尽くしている。


「神頼みやなんて、宥ちゃんらしくもないなぁ」


 貴子に軽くからかわれたが、江梨加は違う思いを懐いた。


「たまには、こういう学園モノみたいなことしたかてえぇんとちゃうの?」


 どうやら江梨加の僅かな心配を、宥は杞憂にしたかったのかも分からない。





 一陣の風が吹いた。


 爽々さわさわと、風が渡って葉を揺らす。


「神様にお願い事が届いてくれたんやな」


「そうなの?」


 貴子のセリフにカンナが反応した。


「昔からな、神社でお参りしてすぐに風が吹いたら、それは神様からの『聞こえたで』って返事なんやって、うちのおばあちゃんが言うてた」


「まさか…」


 カンナは半信半疑であったが、


「あ、それウチも聞いたことある!」


 美織も知っていたらしい。





 全員で社務所に寄ると、絵馬をおのおの書いた。


「スクバン優勝!」


 桜花は江梨加と連名で書いた。


「思い通りの演奏ができますように」


 薫子と貴子が同じことを書いたので覗き込んだ美織が、


「血は争われへんねぇ」


 くすくす小さく笑った。


 千沙都は「緊張しませんように」と書いたが、カンナだけは英語で「I wish you a victory優勝しますように」と書いた。


「絵馬に英語で書いて、神様読めるんやろか?」


 宥が首を傾げたがカンナだけは、


「読めて叶ったらそれは、神様は私たちの願いを本当に聞いていたということ」


 それは実験のようなものなのかも知れないが、裏返せばカンナだけは、それだけ強い意志を持っていた──ということなのかも…と、宥は感じ取っていた。


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