第28話 王女の涙と決意(1)

「エマ、姫様の様子は?」

姫様のお部屋を出ると、そこにリュークが待っていた。

彼の問いに、わたくしは頭を振って息を漏らす。

わたくし達の主であるマリエラ姫様が謁見の途中に突如として意識を失われたのは、数日前の事。

それから丸一日、姫様は高熱で寝込んでいらした。

医師によると、強く感情が乱れることにより魔力が暴走し、その影響で引き起こされた症状だということだった。

今朝、やっと熱が下がった姫様だが、まるで抜け殻のように寝台に横たわっている。

表情も生気も抜け落ちて、まるで死人のようだ。お食事も睡眠もとられず、側近一同気を揉んでいるところである。

お倒れになった原因は明らかだった。ディウラート様の処刑が決定したショックによるものだろう。

今放心状態にあるのも、そのせいだと思われる。

「国王陛下と王妃様から、お見舞いにお越しになりたいと連絡が入ったのですが……」

「けれど、あのご様子では」

リュークと共に、姫様のお部屋の方を見やった。

見舞いなど、到底不可能だ。今の姫様にとって、恐らく苦痛でしかないだろう。

まだ、襲撃にあったショックも抜けきって居られないだろう。

そんな状況の中、ディウラート様の処刑が決まってしまったのだ。今の姫様は、心身共に疲れはてていらっしゃるはずだ。

「お二人も、姫様のご様子をとても心配なさっているようですよ」

「無理もありませんね。セルバー様は意識を取り戻し、日に日にお元気になっておいでなのに、姫様だけがこのようなご様子では……」

姫様の側近として、姫様とご両親である国王夫妻の仲睦まじさは、誰よりも近くで見て知っている。

さぞ姫様を心配なさっているであろうお二人に、心が痛んだ。

けれど、あくまでわたくしの主は姫様である。姫様のお心を推し量り、最善を尽くすのがわたくし達の役目なのだ。

そして今のわたくし達の役目は、放心状態から戻った姫様がわたくし達に命じられるであろう事を、事前にしておく事。

「それで、王弟一家の具体的な罪状や処刑日は決まりましたか?」

わたくしが聞くと、リュークは苦笑いでこたえる。

「それが……ウォルリーカ様とゼウン様が、これまでに相当な罪を犯していた事が判明したようで、罪状の上乗せのためになかなか決定しないのです。何でも、公文書偽造に横領、これまでの言動から、王族への侮辱罪などなど。数えれば切りがないほどの様で。噂では、王弟殿下管轄の国庫をそうとう使い込んでいた様です」

リュークの言葉に、わたくしは呆れてものも言えなかった。けれど、あの方たちがやっと相応の罰を受けるのだと思うと、清々とした気分になる。

事件の事は公表されず、内々に調べが進んでいるため、時間を要する様だった。

特に、政によく関わって居られる王弟殿下に気付かれない様に事を進めるのに、骨を折っている様子だ。

「成る程。もう少しは時間が稼げそうですね。ノーラ先生にお話は?」

「既に動き出して頂いているので、問題ありませんよ」

「流石です」

わたくしは一つ頷く。

姫様にご満足頂けそうなものが揃った。後は、姫様の使い勝手の良いように整理するのみだ。

「それにしても、姫様の利発さには驚かされますね。まさか、あれがこの様な形で役立つ物だとは……」

リュークが、感心しきったように声を上げた。

「姫様ご自身も、万が一のためだとおっしゃっていましたものね。実際に役立てる場があるとは、お考えでなかったでしょう。他の物に関しても同様です。元は、あの方の将来をお考えになってのものでしたし」

わたくしもリュークに同調する。元々、姫様が予防線として張っていたものだ。今はあのような状況にあるとはいえ、姫様は本当に賢いお方だ。

そっと、姫様にお仕えしている喜びを噛み締める。

「さあ。用意できるものは、早く用意してしまいましょう。リュークも手伝って下さいね。後で姫様に叱られないようにしなくては」

「勿論です。我らが姫様のためですから」

片方の口角をにやりと上げたリュークに、わたくしは思わず笑って言った。

「では、行きましょうか」


ぼんやりと、天外を見つめる。

甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるエマが、今は居なかった。

ほろり、ほろり。と、涙が伝っては寝台に染みをつくる。

謁見の時の事を思い出し、彼を待っている最期に絶望しては、彼を守れなかったという自責の念に駆られ、寝台にのたうつ。

失う直前になって愛しいと気付き、その時には既に手遅れとなっている。

何て、情けないのだろう。

どす黒い何かが、心だけでなく身体まで蝕む様に広がっていく。

痛みに似た感情の中、エマがこちらへ駆け寄って来る様子が見えた。

酷く慌てたその様子を、わたしは無感情に眺める。

「姫様!ディウラート様からお手紙が届きました!」

けれど、その言葉にわたしは思わず反応してしまう。

ばっ、と寝台から半身を起こして、奪い取るようにエマから手紙を受け取った。

思うように身体に力が入らず、倦怠感が酷い。

けれど、そんな事は言っていられなかった。

手紙を開く。そこに綴られているのは、ディウラートの筆跡だ。



親愛なるマリーへ


心配をかけてすまない

何通も手紙が届いていたが返事もできず悪かった

マリーの薬ですっかり回復したから、もう大丈夫だ

それよりも、暗殺計画はどうなった?

セルバーは助かっただろうか

事が落ち着いてからでいいが、また返事が欲しい

ディウラート



手紙の内容に、わたしは思わず怒りたくなった。

相変わらず自分の様子を全く書かないので、怪我の具合がわからない。

ディウラートの大丈夫が大丈夫でない事を、わたしはよく知っている。

そして同時に、この簡潔過ぎる手紙が、今を彼が生きているという証拠の様に感じて、無性に泣きたくなった。

わたしは、手紙を抱き締めて溢れていく涙をそのままに流す。

エマがそっと、背を撫でてくれる。その温かさに、更に涙が出て泣き止めなくなってしまった。

「そうよね……ディウラートはまだ、死んでなんていないんだわ」

噛み締めるように、その言葉を口にする。

もう、何もかも手遅れだと思っていた。失った後のように感じていた。

けれど、そうではない。彼が生きている以上、何も手遅れではないのだ。

暗く冷たい沼に沈むように絶望に心身を沈め、大切なものを見失っていた。

こんなことにも気付かないなんてと自嘲して、更にこれまで自分がしてきた努力を思い出す。ディウラートを救うために用意し来たあれらを、今使わずしていつ使うと言うのだろう。

「エマ、ありがとうございます。もう大丈夫。こんなことをしている場合ではないと、やっと気が付きました」

顔を上げると、エマは泣きそうな顔で微笑んでいた。

この数日、自分がどれ程周りに心配をかけていたのかを実感し、申し訳ない気分になってくる。

けれどもう、自分のすべき事を見付け、それに向かって進んで行ける。現状を憂いてばかりで何もしないなんて、わたしらしくないではないか。

「わたくし、ディウラートを救うために行動しようと思います。エマ、手伝ってくれますか?」

「それでこそ姫様です。何処までもお供致しますよ。わたくしだけでなく、側近一同」

柔らかで、けれど確信のこもった力強いエマの返事に、曇っていた心が晴れていく心地がした。

「ええ。頼りにしています」

幾日ぶりだろう?笑みが自然とこぼれた。

早速寝台からおりたわたしは、エマに身支度をしてもらうことにする。

支度が終わった頃、リュークが部屋へやって来た。

「っ!姫様……!」

リュークはわたしを見て、硬直した。

そして満面の笑みを浮かべ、わたしの回復に歓喜してひとしきりはしゃぎ回る。

「リューク、落ち着いて下さいませ」

「そうですよ。姫様はまだお体の調子が戻っていないのですから。それに、何か用事があって来たのではないのですか?」

わたしとエマが言うと、リュークはあっ、と何かを思い出したように真剣な顔になった。

「王弟一家の処罰が、正式に決定された様です。それにより、セルバー様との婚約を急がれますよう、陛下からお言葉がございました。……王弟一家の処刑を十日後に行うため、それまでに、と」

自分の顔が強張っていくのを感じながら、わたしは考える。

早くしないと、本当にディウラートを失ってしまう。

焦りからか早鐘を打ち始める心臓を落ち着けるために、ゆっくりと深呼吸をする。胸に手をあて、そして手の甲をもう片方の手で包み込む。

大丈夫。まだ、間に合う。

「エマ、リューク」

呼ばわると、二人はわたしを見詰め頷いた。

「二人のことですから、言わずともわかっているかもしれませんが……用意をしてもらいたい物があるのです。わたくしが、万が一のために前々から準備をしていたものです。明日までに、用意できますか?」

そう聞くと、二人は顔を見合せ、得意気に笑って見せた。

「ご指示があることを見越し、既に準備を終えております」

「念のため、ノーラ先生にも連絡を入れておきました。ディウラート様の盾となるでしょう」

意気込んで競うように報告をする二人に、わたしは驚きと共に可笑しさがこみ上げ、思わず笑ってしまう。

「うふふ。二人共、ありがとうございます。既に準備を済ませているだなて、流石わたくしの側近ですわ」

感謝の意味も込め、二人を褒める。

久々の穏やかな雰囲気を堪能し、わたしは早速行動を始めた。

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