第25話 血と知らせの手紙(2)

放課後、自室へ戻って過ごす晩餐前までの時間は、いつも楽しみにしている特別な時間だった。

ディウラートと、手紙のやり取りをする時間だ。

彼からの手紙を読むのも、彼へ送る手紙を書くのも、とても楽しい。

けれど、今日のわたしはディウラートがアールヴであったという事実で、内心とても混乱していた。手紙を書く手がなかなか進まない。

予想はしていた。その事実を受け入れる心の準備もできていた。それでも、いざ真実と知ると、心の中はぐちゃぐちゃだ。

彼の類い稀な容姿は妖精の血筋のためだったとか、契約印以外にも妖精魔法を使えるだろうかとか、今考えるべきではないことが、現実逃避するように頭に浮かんでは消えていく。

「駄目よ。今それどころではないわ」

頭を振って、そんな想像たちを追い出す。彼がアールヴであることが、彼自身を救う鍵となるかもしれないのだ。

「……まずは、お父様とお母様に報告を。それから、ディウラートをどうしていくのか、ゆっくり話し合えばいいのだわ」

わたしは、口に出してそう言った。そうでもしなければ、落ち着くことすら叶わない。

「大丈夫よ……大丈夫。ディウラートを救い出すために必要な、大切なことを発見できたのよ。何も不安がることはないわ」

そうであって欲しいという願いを込めて、わたしは自分に言い聞かせるようにして言った。

けれどもし、彼がアールヴであると知れたことによって、彼をさらに追い詰め、苦しみを強いることになったのなら、わたしはどうすれば良いのだろうか?

彼を守り抜けるほどのものを、今のわたしは持っているだろうか?

彼が大切だと知ったあの時から。

苦しむ彼を目の当たりにしたあの日から。

わたしはただただ彼を救いたくて、解放してあげたくて、必死になっていた。

光の印の正体を明かすことで少しでも希望が見えるならと、時間を惜しんで探し続けた。

ディウラートを想うこの心が彼の弊害となってしまったら思うと、胸が締め付けられてひどく苦しい。

上を向いて何度も目を瞬かせるわたしを、エマが不安を滲ませた顔で見ている。

エマに緩く笑いかけ、大丈夫だと伝える。

エマには何も知らせてはいないのに、彼女は何かを悟ったように頷いて顔をくしゃりと歪ませた。

手が震えてしまって、ディウラートへの手紙をなかなか書き終わることができない。

それでも何とか書き終えたわたしは、次いでリュークへの手紙も書く。ディウラートがアールヴであったことを報告しなければならなかった。


寮の広間での晩餐では、何とか表情を取り繕って笑顔で過ごすことができた。

それでも、身近な者には不安や動揺が伝わるようで、ブローシスたちには酷く心配されてしまった。

そしてもう一つ、気にかかる事があった。

晩餐の最中、突然光の印が、アールヴの印が光出したのだ。

それと同時に、魔力がどこかへ吸い出される感覚に襲われる。

必死に隠さなければ皆が気づいてしまいそうなほど強く発光し、魔力がどんどんと吸いとられていくのだ。

不安にかられながらも、わたしはブローシスたちに悟られないように振る舞わなければならなかった。

後日ノーラ先生に相談しようと、心の中でため息をつく。

晩餐が終わる頃までには、酷く心配してくれていたブローシスたちをなだめ終えていたわたしは、気軽な会話をしていたせいか、幾分気持ちが落ち着いていた。

だからこそ自室へ戻ったとき、明日来るはずのディウラートからの返事が来ていることに、酷く動揺したのだ。

「姫様、先程急に返事のお手紙が届いたのですけれど。……血が、封筒のいたるところに、血が付いていて。わたくし、どうすればいいのか……」

晩餐の時間、わたしの自室で控えていたエマが、泣きそうな顔で封筒を差し出してきた。

「……っ!」

ひゅっ、と喉が鳴って、わたしは息さえ出来なくなった。

おそるおそる震える手で封筒を受け取ると、赤黒くなった血が紙にこびりついているのがわかった。

「……なぜ、血が?」

怖くなってエマを見ると、エマは先程よりも血色を失った顔で小さく首を振った。

「わ、わかりません。内容をご確認なさっては……?」

「そうね……。そう、しましょうか」

わたしはこくこくと頷いて、封筒を開ける。

うまく手が動いてくれず、なかなか開封することができない。

恐怖と焦りを押さえ、苦労して何とか開けた封筒の中からは、所々が血で染まった便箋が出てきた。

そこに綴られている筆跡は確かにディウラートのものだが、彼の几帳面に整ったいつもの字とは違い、見るからに乱れている。

……何があったというの?

視界はどんどんと霞んでぼやけていき、文字を追うことすらままならない。

微かに聞こえる嗚咽が誰のものなのかを気にする余裕もなく、わたしは何度も目を擦り、手の震えをしずめようと努めながら、手紙を読んでいった。



親愛なるマリーへ


突然ですまない

どうしても知らせなければならないことができた

マリーのよく話しているセルバーという男が、命を狙われているかもしれない

人違いだといいのだが、私には確かめようがない

マリー。セルバーは、マリエラ王女の婚約者なのか?

もしそうであるなら、彼は近いうちに殺される

義母が彼を殺すと言っているのを、今夜の晩餐の席で聞いた

だが、いつそれを実行するのかなど、細かい事まではわからない

マリーにとってセルバーは、大切な人なのだろう?

私のもたらしたこの情報が、少しでもマリーの助けとなれば嬉しい

ディウラート



ディウラートからの手紙はごく簡潔で、けれど目を見張るような驚くべき事柄が綴られていた。

何ということだろうか。

ディウラートの義母とはつまり、ウォルリーカのことだ。ウォルリーカがセルバーを殺そうとしているなど、一体どういうことなのか。

わたしはエマと顔を見合わせる。

「ウォルリーカが、なぜセルバーを……!?」

「セルバー様とのご婚約のお話が、近頃噂になっておりました。おそらくですが、ウォルリーカ様はご子息のご婚約が破綻になりそうな事に、腹をたてられたのではと……」

「……そんな」

自分の顔から血の気が引いていくのを感じならがら、わたしは漏らすように呟いた。

いくら王弟妃といえど、王女の婚約者候補となることが確実視されている傍系王族を害そうものなら、それ相応の罰が与えられる。

もし本当に殺害しようとしたのなら、かなり重い罪がとわれるはずだ。

それをわかっていながら行動に移すほど愚かではないと信じたいが、ディウラートが嘘を言っているとも思えない。

わたしはしばし考えを巡らせ、すぐに決意を固める。

「エマ。わたくしは今すぐお父様とリュークへ知らせの手紙を書きます。わたくしが手紙を書いているうちに、セルバーの側近へ伺いを出して下さい。今夜殺害の計画がたったのであれば、今夜中に実行に移すことはまずないでしょうから、明日の朝一番にセルバーに面会できるようお願いしたいのです」

「畏まりました、姫様」

わたしが指示をすると、エマはさっと動きはじめる。

わたしは、あっ、と思い出してエマを呼び止める。

「それから、ディウラートの薬の準備もお願いできるかしら?きっとひどい出血です。止血用の綺麗な布と止血薬、痛み止、包帯に、念のため解毒薬の追加もお願いしますね」

「はい」

わたしとエマが忙しく動き始めると、それぞれの部屋に下がらせていたブローシスたちが異変に気付き、集まってきた。

詳しく教えることはできないが、手伝って欲しいことは沢山ある。文官を中心に薬の準備を手伝ってもらうことに決め、再度動き始める。

お父様には、王弟妃がセルバーの殺害計画を立てているかもしれないことを知らせる手紙を書き、どうすれば良いか指示を仰いだ。

リュークには、セルバー殺害計画に加えて、ディウラートの怪我とアールの血を引いていたことについてを知らせる内容を書いた。

セルバー側には緊急事態とだけ伝え、朝一番の面会予約を入れることが叶った。

ディウラートのための薬も集まり、きちんと届けることができたので一安心だ。

まだまだ心配に思う点はあるが、学院に居るゼウンの行動を監視するよう、学院の騎士たちに要請できたのは大きいだろうと思う。

おそらく、何らかの形でゼウンもこの殺害計画に関わっているはずなのだ。

ついでにセルバーの護衛も強化してもらえたので、都合がよかった。

ウォルリーカに悟られないよう全ての行動しなければならなかったが、何しろここは彼女の居る王都から遠く離れた魔術学院だ。

ディウラートの素早い情報提供もあり、事はすんなりと進んだ。

ブローシスを下がらせて寝台に入る頃には、わたしはもうへとへとになっていた。

魔力を消費しすぎた時のように、頭がくらくらして身体に力が入らない。

晩餐時にどこからか魔力を吸いとられたこともあるが、精神的な疲労が強いだろう。

けれど、ディウラートのこと、セルバーのこと。心配なことが多すぎて、眠れる気がしない。

ウォルリーカの行いには心底呆れるが、同時に激しい憤りを感じる。

セルバーのことは勿論、きっとディウラートに怪我を負わせたのもウォルリーカだろうと察せられるからだ。

一刻も早くこの計画を阻止してセルバーの安全を確保し、ディウラートをあの離宮から救い出さなければならない。

今日一日、わたしの心臓は落ち着くことなく早鐘を打っていて、身体を休めている今でも苦しい程だ。

大切な、救いたい人が居る。それなのに、うまく事が進まない。

それどころか、大切だと思うこの心に気付かせてくれたセルバーにまで、危険が及んでしまった。

決して、ウォルリーカを許すことはできない。相応の処罰を受けさせるだけでは、この心はおさまらない。

じわりじわりと、夜の静けさの中に怒りが滲んでいく。

眠れないまま、わたしはひたすらにディウラートとセルバーの無事を祈った。

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