第20話 魔術学院への出立

トゥーラハーツェ魔術学院への出立を正午に控えた今朝。

わたしは、深い深いため息と共に愚痴をこぼした。

「エマ。わたくし、出立だと思うと気落ちしてしまって、あまり眠れませんでした」

我ながら子供のようだと思うが、頬を膨らませずにはいられない。

他の側仕えたちに出立の準備の指示を出していたエマが、わたしに向き直って話し相手になってくれる。

「そんなことを仰らないで下さい。昨年の入学時は、とても楽しみにしておいででしたのに」

「昨年と今年では、何もかもが違いますもの」

わたしは少し口を尖らせる。エマが眉を下げて笑った。

「そうですわね」

ディウラートと出会ってから、得に彼が毒で声を失った頃から、わたしは少し変わったように思う。

過保護というか、何というか。少し心配性が過ぎるのだ。

これでもかと薬を用意し、薬学をディウラートに学ばせた。

それに、怪我の治療のためとはいえ、わたしは異性であるディウラートの衣服を脱がしたのだ。

今思うと、何がなんでもやりすぎたと思うし、羞恥心が込み上げて来て駄目なのだ。

「少し宜しいでしょうか」

一時退室していたリュークが戻ってきて、歩み出る。

エマは、一歩下がってわたしの側を譲った。どこか不服そうな顔だ。

「どうしましたか、リューク」

「例のあの件なのですが……残念ながら、まだ何も収穫がないのです」

「そうですか。わたくしが王城を留守にしている間にも、調査を進めて下さいませ」

「承知致しました」

わたしは肩を落として窓の方を振り返える。ディウラートのいる離宮の方角だ。

最近、わたしはリュークにある事を調べさせているのだが、エマには教えていない。

そのことでエマが拗ねていることは知っていたが、こればかりは仕方がない。

できるだけ関わる人数を減らし、調査の得意なリュークだけに調べさせたい。

もしも全てがわたしの予想通りだったならば、なおさら多くの人に知られる訳にはいかないのだ。

それに、ディウラートを救い出すのならば、王弟を敵に回さなければならない。

彼はこの国で大きな権力を握っている。一部の貴族には、いまだに彼を王座へと推す声を上げている者も居るのだ。

それ相応の準備をしなければ、勝てる相手ではない。

「……半年間、大丈夫でしょうか」

「ディウラート様のことですか?」

わたしは、無意識にひとりごちる。

エマに言われてはじめて口に出ていたとわかり、恥ずかしさに微笑んだ。

「どうしても、心配になってしまうのです。わたくしの居ない間に、ディウラートに何かあったらと思うと」

「そのもしものために、お薬などの準備をなさってこられたのでしょう?大丈夫ですよ、姫様」

「そうですよ。姫様のかわりに、私がディウラート様のご様子を見守りますので、ご心配なさいませんよう」

エマもリュークも、励ますように声をかけてくれる。

ディウラートが外に出てくる日には、姿をあらわすことはしないが、リュークが森へ出向いて見守ることになっていた。

「二人とも、ありがとうございます。とても心強いわ」

わたしの言葉に、二人は本当に嬉しそうに笑った。

魔術学院にはエマのみを連れて行くため、わたしは、他の側仕えたちひとりひとりと言葉を交わし、暫しの別れを惜しんで出立までの時間を過ごした。

時間が来れば、お父様とお母様にも別れを告げ、わたしは王城を後にする。

少し馬車に揺られ、王都の貴族地区を囲う塀に設けられた門へ向かう。

この塀には王城を守る役割があるのだが、それ以外にも役割がある。

塀の多方向に存在する門が、それぞれ転移魔方陣の役割を果たしているのだ。

王の許可さえおりれば、この門で国の何処へだって転移できる。

その内のひとつに、わたしの乗る馬車は乗り付けた。勿論、トゥーラハーツェ魔術学院へと繋がる転移の門だ。

門番に確認を取ってもらい、通過する。

視界が光に包まれ浮遊感を感じた後には、もう窓の外の景色はそれまでと全く違っていた。


豊かな自然が、わたしを出迎えてくれる。

トゥーラハーツェ魔術学院の正門へ馬車が転移してきたのだ。

巨大な森を有する魔術学院は、古城を校舎として使用しており、わたしの住む王城にも負けず劣らずの大きさだ。

学院は全寮制で、校舎のすぐ後ろには王領地寮があり、それらを囲み守るように、他の領地の寮の建物がある。

わたしは、王領地寮に入寮する。

「トゥーラハーツェ魔術学院、王領地寮へようこそおいで下さいました。マリエラ王女殿下」

王領地寮の扉を開ければ、侍女たちが一斉に出迎えてくれる。

既に入寮を済ませた生徒の姿も見えた。

「こちらでございます」

わたしは、寮内で自分に与えられている部屋へと向かった。

来る前まではあれほど嫌でも、やはり学院独特の雰囲気をわたしは好きだった。

心配や不安は消えないけれど、半年振りの寮部屋に自然と笑みがこぼれる。

「全員の入寮が終われば、授与式でしたね」

「はい、姫様。お部屋も既に整えさせていますし、早速制服へお召しかえを致しましょう」

わたしは頷いて、エマに召しかえをしてもらう。

魔術学院の制服は、動きやすさが重視された、派手さのない軽やかなものだ。

さらに、装飾品などで出身領地や所属コース、学年などを、それぞれ一目で知ることができる便利さもある。

魔術学院では、統制コース・騎士コース・文官コースの三つのコースに別れ、さらに必修科目以外を自分で専攻して学ぶ学習形式となっている。

騎士・文官コースはそれぞれの学習の他に、側仕えとしての仕事も学ぶ事になっている。

統制コースは、各領地の領主一族や王族など、将来国を担い、国を統制していく者たちが属するコースだ。

勿論、王女であるわたしも統制コースである。

「マリエラ王女殿下。ブローシスの皆様がご挨拶申し上げたいとのことです」

ちょうどわたしの召しかえが終わった頃、扉の向こうからそう声をかけられ、わたしはエマに目配せする。

この学院には、ブローシス制度と呼ばれる制度がある。

上位または上級生が、下位または下級生を側に置く制度だ。

多くの場合、統制コースの生徒が、将来の側近見習いたちを側に置く。

またブローシスは、学院卒業後もそのまま学院時代の主に仕え、側近や腹心となる可能性が高い。

故に上位の者はどれだけ優秀な者をブローシスにできるか、下位の者はどれだけ位の高い者のブローシスになれるかを競い合っている。

「わかりました。すぐに参りますとお伝え下さいませ」

エマが応え、部屋を出る支度を始めた。

寮の広間へ向かうと、ブローシス達が皆で出迎えてくれ、その内の一人が代表して挨拶の言葉を口にする。

「マリエラ様、ご機嫌麗しゅう。本日より、再び学院生活が始まります。昨年度同様、ブローシスとしてマリエラ様のお側に仕えお守りすることを、どうかお許し下さい」

「許します。皆、顔をあげて下さい。久し振りですね。その後、変わりはありませんか?」

「はい」

わたしが声をかけると、皆そろえて顔を上げる。

マリエラ様という呼び方に、わたしは口元を緩めた。

この魔術学院では、生徒同士で使う敬称は『様』のみとされている。特別な、殿下などの敬称を使われない学院での環境は、他の令息令女と自分の差を感じずに対等な関係でいられる、わたしにとっての唯一の環境だ。

わたしは嬉しさのまま、ひとりひとりに声をかけていく。

「クリスタ、いつも頼りにしていますよ。最上級生として、最後の学院生活を楽しんで下さいね」

「はい。ありがとうございます」

クリスタが穏やかな物腰でこたえる。

彼女は、騎士コース四年生の、頼れる最年長だ。

「リオルは、クリスタを見習って下さいね。あまり遊んでばかりでは駄目ですよ?」

「遊んでいるなど、滅相もない。私は誰より真面目ですよ?」

冗談めかしてこたえるのは、騎士コース三年生のリオルだ。

仕事はできるのに女性にだらしのない彼には、もう少し真面目にしてほしいところである。

「ラーシェ。今年はどのような魔術道具を開発する予定ですか?楽しみにしていますよ」

「は、はい。ご期待にそえますよう、努力、いたします」

少しおどおどとこたえるラーシェは、文官コース三年生だ。

内向的だが文官としては一流で、様々な魔術道具を開発している。

「アデラ。貴女の淹れた美味しいお茶がまた飲めると思うと嬉しいわ」

「ふふふ。マリエラ様のために、とびきり美味しいお茶をご用意いたしますね」

おっとりと微笑むアデラは、文官コース三年生だ。

少し天然だが、文官としてだけでなく側仕えとしても優秀である。

「テレーシア。今年も、同学年同士頑張りましょうね」

「はい。勿論ですマリエラ様」

そう言って笑う彼女は、わたしの親友でもある文官コースの二年生のテレーシアだ。

彼女の父親は宰相を務めるラインフェルト公爵で、そういう意味でも縁が深い。

全員に声をかけおわり一通りの挨拶が終わると、ブローシスたちはすぐに仕事を始める。

校外から連れてこられる側近は人数が限られているため、学院内でのわたしの世話は、ほとんどをブローシスたちがしてくれる。

授与式という、始業のための式典が始まるまでの間、わたしはゆっくりお茶をいただきながら時間を過ごした。


授与式の時間になると、多くの生徒が一斉に講堂へ移動を開始する。

わたしが揉みくちゃにならないよう、ブローシスたちがわたしを囲んで移動を始めた。

講堂では、在校生に混ざって入学生たちの姿も見える。

全生徒がそろうと、いよいよ授与式だ。

学院長から入学と進級の祝辞がのべられ、先生方からは諸注意が長々とのべられる。

「続いて、星重ねの魔法石を授与する。各学年の各コースで代表となっている者は、壇上へ上がるように」

在校生は前年度で首席だった生徒、新入生なら最も身分が高い生徒が代表となる。

わたしは、二年生統制コースの代表として壇上へあがる。

二年生文官コースのテレーシアも、代表として選らばれていた。

代表に選ばれたことは、とても誇らしい。

「マリエラ様、参りましょう」

「ええ」

わたしは頷いて、テレーシアと共に壇上へ上がった。

壇上に並んだ生徒たちに、学院長が順に小さな木箱を渡していく。

身に付ける個数で学年を示す、星重ねの魔法石が入ってる箱だ。

わたしたちは、学院長の号令で生徒たちの方へと向きを変え、蓋を開けて小箱を掲げた。

くるくると回転しながら、小箱に納められていた魔法石が浮かび上がる。

透明な魔法石が、照明を浴びてきらきらと輝き、美しい。

わたしは、魔法石に手を伸ばした。指先が魔法石に触れる。

すると、じわり、と魔法石に黒が滲んだ。透明だった魔法石はみるみるうちに漆黒の夜空の色に染まってしまう。

折角透明度の高い綺麗な魔法石なのに、と内心残念に思う。

隣を見ると、テレーシアの魔法石も色がかわっている。

他の生徒たちも、色合いこそ違えど、透明だった魔法石に色がついていた。

講堂中からどっと歓声が上がり、壇上の生徒は染まった魔法石を高々と掲げる。

毎年行うことなのでなれてしまった在校生と違い、入学生は反応が大きい。

学院長が、説明をする。

「星重ねの魔法石は、諸君の入学、進級の証だ。この魔法石は、持つ者の魔力量によって色合いがかわる希少なもの。魔力が無ければ透明。魔力量が多くなるにつれて、水色、青、青紫、紫、赤紫、黒へと変化して行く。星重ねの魔法石を混じりけのない漆黒に染め上げることは、王族方にすら容易ではない」

学院長の視線と言葉を受け、わたしは苦笑いを浮かべる。

確かに、今の王族で混じりけのない漆黒に染めることができるのは、お父様とわたしくらいだ。

けれど、全校生徒から向けられる尊敬と憧れの視線が痛いので、止めて欲しい。

「成長に従い魔力量も増える。諸君が己の色に誇りを持ち、また少しでも黒に近づくことができるよう日々邁進することを祈っている」

割れんばかりの拍手が、講堂中に響き渡る。

代表生徒は、ベルトにさげてある去年染めた魔法石に連ねて、先程染めた魔法石をつける。

残りの生徒たちにも星重ねの魔法石が配られるが、彼らは各自部屋へ持ち帰って染めることになる。

その後代表生徒は元の位置へ戻り、先生方の紹介が始まった。寮監督、各科目の先生が紹介されていく。

そんな中、わたしはよく知る人物が教師として壇上にいることに気がついた。

「臨時でシュティン天文学を担当していただく、セルバー・ミルド先生です」

「セルバー・ミルドです。どうぞよろしく」

壇上でにこりと笑う婚約内定者と目が合ったような気がして、わたしはどきりとする。

「あら、セルバー様が臨時教師をなさいますの?マリエラ様はご存知でした?」

驚いたように声をあげるテレーシアに、わたしは首を振った。

「いいえ。わたくしも、驚いているところです」

成人してすぐの貴族は、様々な経験をするためにも本来の勤め以外の仕事を任されることは少なくない。

セルバーも、城での勤めの傍ら、魔術学院にも臨時教師として通うのだろう。

こうして微かな驚きの中、授与式はつつがなく終わった。

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